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Jorge Mario Bergoglio

2019.12.01


 懐かしい聞き覚えのあるイタリア語が混じったようなポルテーニョ訛りのスペイン語が耳に入ってきた。ローマ教皇フランシスコが長崎で信者や集まった人に語り掛けていた。その声は優しく慈愛に満ちた、それでいて何物にも屈しないという威厳に満ちた語りであった。世界平和を訴え、核兵器自体を持つことを戒めていた。英語、伊語をはじめ、さまざまな言語に精通しているとはいえ、自分の心からの叫びを表現するのには生まれ育った母国語で話すのが良いと思ったのだろうか。本名Jorge Mario Bergoglio (ホルヘ マリオ ベルゴリオ)、1936年12月17日、南米 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生を受けた。嘘か本当か、若い時に好きな女の子にラブレターを書いて、それを受け入れてくれなかったら、聖職の道へ進もうと考えていた。その手紙は彼女の父親に握りつぶされ、彼女には届かなかった。そんな逸話が残っている。1969年から1971年まで私もブエノスアイレス駐在していたが、当時は今でもそうだと思うが、カトリックの国で、離婚や中絶は認められていなかった。それでdivorciado(離婚者)ではなくseparado(別居中)と呼ばれていた。実際この言葉は何回も会話に現れた。私はJunin 923番地に住んでいたが、その前がブエノスアイレス大学の医学部、歯学部、経済学部、教皇もこの大学を卒業した。その後、厳粛なカトリックの道を進むのだが、私も何回か友達の結婚式やミサに行ったことがあるので、ひょっとしたら出会っていたかもしれない、というより同じ町の同じ空気を吸っていたのだろうか?教皇になってからフランシスコと名前が変わったが非常に質素で、何事にも贅を嫌い、名誉や地位に対する欲もないと言われ、前教皇の選出の時には自分を選ばないようにほかの司教にお願いをしたほどであった。教皇は終世であるが、前教皇と同様に途中で退位するともいわれている。カトリック系の高校や大学は日本にも数多く存在するが、その総本山的存在の上智大学で離日にあたって教育の重要性を説き、すべての人に教育を受ける権利を主張した。アメリカはカトリック教徒が少ないが、ニクソンと争ったケネディは「宗教よりも国益を優先する」と言って、大統領になった。体に鞭を打って性的欲望を鎮めようとする厳しい修練、その裏でひそかに進む少年虐待の忌まわしい現実、欧州以外から初めて選ばれた教皇には様々な問題や慣習が待ち受けているが、どんな問題にも持ち前の英知とユーモアで乗り切っていく。キリスト教、イスラム教、仏教をはじめ、世界には数えきれないほどの宗教がある。しかしそれらは人類の歴史に比べれば浅い。これからは宗教の人へのかかわりがどうなっていくのだろうか。人は寂しい時、気弱になったときに何かに頼ったり、すがったりする。多くの宗教は生まれてもう何世紀もたっている。厳しい弾圧も経験した。しかし炎は消えなかった。むしろ燃え盛るようになった。順風満帆な時ばかりとは限らないが確かに生き延びていくだろう。私の周りには若い世代がほとんどいない。現実65歳以上の高齢者は3500万人、逆に昨年生まれた人は90万人を切った。昨年亡くなった人は130万人あまり、毎年40万人以上の人口減で、日本政府は移民で労働力を確保しようとしている。反対する経済学者は移民が入ってくると労働賃金が上昇しないし、企業も生産効率を上げる動きも鈍くなると主張する。要約すれば、移民政策をやめて、働いている人の賃金の上昇を図るべきだと考えている。
今子供たちは作品展も終わり、比較的ゆったりした保育環境の中で、元気いっぱい走り回って、楽しんでいる。また2月の音楽・生活発表会に向けて、徐々に取り組み始めている。きっと保護者の皆様の期待を裏切ることがない活躍を見せることでしょう。幼稚園で過ごし、経験し、体験したことが血となり肉となって、子どもたちの今後の大きな活躍の源となっていくことでしょう。 令和元年12月、この1年間、保護者の皆様ありがとうございました。

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