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ご入園をお待ちしています

2025.10.01
ご入園をお待ちしています
 
季節が進み、涼しさが増したとはいえ、まだまだ真夏の余韻が色濃く残っている中で、時には炎天下で、また時には遊戯室やホール、教室で、来る運動会に向けての猛練習の最中です。保護者の皆様に「上手やね」と褒めてもらえるのを期待して、勿論そのこともありますが、50年以上、高校生や幼児たちの様子を見守ってきた私にとっては、それ以上に子どもたちの成長に大きな影響を与えてきているのだと確信しています。リズム運動や、体育演技を見ていると、練習でやらされているという受動的な感覚よりも、積極的に能動的に楽しんでいる、満足しているという意気込みが伝わってきます。ひいては、少し大げさに言えば、人生を進んでいく上での意欲的・積極的な行動に繋がっているのではと思います。
努力は人を裏切らないとよく言われますが、努力を練習に置き換えても、同じようなことが言えるのではと思います。最近では節度を超えた練習や叱咤が批判の対象になり、効率的な練習、科学的な根拠等と言われることもありますが、マイナスの面ばかり強調されて、プラスの面が評価されないことも多い。子どもたちの必死の練習を通じて、彼らの将来の活躍を願わずにはいられません。
さて、美木多幼稚園、鳳幼稚園、諏訪森幼稚園は15年近くの長きにわたって、仲間の幼稚園として、様々な面で足並みを揃えてまいりました。教材、行事、カリキュラム、給食、英語や音楽、絵画などの講師派遣、体育の先生、各種費用、遠足やサマーキャンプの場所まで、ほぼ同じ内容で、現在まで一緒に協力して、歩んでまいりました。大きな違いは諏訪森幼稚園は幼保連携型認定こども園で、美木多幼稚園と鳳幼稚園は従来の文科省管轄の私学助成園という事です。15年以上前の諏訪森幼稚園は全学年の園児数が100人以下でした。学年は1クラスで、20人という事もありました。そんな時に認定こども園制度ができたので、一番に手を挙げ、0から2歳児を含む幼保連携型認定こども園の認可を受けました。堺市で一番早かったと思います。その認可に伴い、従来の古びた木造の園舎を取り壊し、0から2歳児の保育室、遊戯室、職員室、保健室、調理室、相談室などの新園舎を建設し、スクールバスの導入と相まって、保護者の皆様の支持を得、又教職員のひたむきな努力によって、園児数の伸びに繋がっていきました。それ以降、認定こども園になる幼稚園が続出し、堺市に従来50園あった私学助成園の幼稚園が今では10園以下にまで減ってしまいました。
美木多幼稚園と鳳幼稚園は幼稚園のいい所を受け継いで、幼稚園教育の承継を心がけてまいりましたが、今の制度(私学助成園)では300人の園児数を切れば、従来の幼稚園として、運営を続けていくのが難しいという論理に従って、鳳幼稚園と美木多幼稚園は幼稚園型認定こども園に来年度から移行することにしました。美木多幼稚園の二階には0から2歳の小規模保育園、チコスがあるので、0から5歳の幼稚園型認定こども園になります。又鳳幼稚園は当初、認定こども園を目指したのですが、諸般の事情により、幼稚園として、現在まで運営を続け、来年4月からは満3歳から5歳の幼稚園型認定こども園に移行します。いろいろな方面から、又仲間からも認定こども園をすすめられてきたのですが、経営、運営の観点から名称的には認定こども園の幼稚園として、進むことになりました。しかし行事、カリキュラム、給食を含め、今までの幼稚園と何ら変わることはありません。 
美木多幼稚園の場合、0から2歳の3号認定の乳児が入園してきます。しかし3歳児に
なる時には1号、2号で入園される子どもたちと同じ費用が発生します。又毎月の費用が14000円必要になります。幼稚園によっては1万円を切るところもありますが、私たちの幼稚園では全ての費用が含まれ、それ以外に発生する費用は何もありません。幼稚園によっては、その都度、費用の発生を請求されることもあり、結果的には高額になる事もあります。幼稚園にとって、認定こども園に変わることによって、施設の備品、改修などの充実、教職員への処遇改善などが見込まれ、結果的には子どもたちへの利点に繋がっていきます。安定した経営基盤の確立の中で、より積極的な本来の幼児教育、充実した就学前教育を育んでいくことを思い描いています。
さて、10月1日は園児募集の日です。この幼稚園を選んでよかった、子どもたちが幸せになる、子どもたちの目がキラキラ輝いている、イキイキとして遊んでいる、友達がいっぱい、学力が伸びる、認知能力だけでなく、非認知能力も育まれる、そのように保護者の皆様から言ってもらえるように、諏訪森幼稚園、鳳幼稚園、美木多幼稚園は目標を定めています。どうぞ、ご近所の皆様お誘いあわせの上、10月1日、ご来園されますことを心よりお待ち申し上げています。

誠に個人的な二つの出来事

2025.08.28
誠に個人的な二つの出来事

夏休みが明け、子どもたちは少し日焼けした様子ながら、幼稚園に無事帰ってきてくれました。おかえりなさい。病気も事故もなく、元気いっぱいの帰園で何よりです。猛暑日の連続が新記録に近づこうとする強烈な自然環境の下で、二学期がスタートしました。先生も含めた大人たちは厳しい暑さの中で少々疲労気味ですが子どもたちはいたって元気、夏休みに体験や経験したことを楽しそうに話してくれました。

昔は海へ行ったり、山登りすることが断然多かったのですが今はバーべキューがトレンドになり、又厳しい自然環境を避けて、ディズニーランド、USJ, 万博をはじめプールなどに行った子供たちがたくさん見られました。勿論定番のおじいさん、おばあさんのところに帰省したり、一緒に旅行して、夏を楽しんだ子どもたちも多かったようです。反対に様々な理由で家に留まって、家族と楽しく過ごした子どもたちも勿論それなりに見受けられました。どこで過ごそうとも、どんな経験しようとも、それが子どもたちの血となり、肉となって大きな成長発展に繋がっていくことだと思います。10年後、20年後あるいは50年後今年の夏休みが鮮明に思い出されることもあるでしょう。

さて、全く個人的なことになりますが、コロナが終息して、何年かぶりに4泊の予定で日本を離れました。93歳の私の最後の叔母(母親の一番下の妹)が日系二世と結婚して、シカゴに住んでいましたが、7月に亡くなりました。日本では小学校の先生をしていましたが、何か不思議な縁で、60年前に日本に来ていた日系人の清水さんと結ばれました。アメリカに行っても持ち前のバイタリティーと精神力で様々な人種的、金銭的苦労を乗り越え、姉をはじめ、日本からの支援があったにせよ、飛び級の娘を立派にハーバード大学(本人は医学部を希望したが、金銭的な理由で法学部を専攻)を卒業させ、ニューヨークやカリフォルニアの弁護士資格を習得させました。葬式は謙虚で質素なものでしたが、シカゴ郊外の広大な墓地の一角に夫婦二人の名前を刻んだ小さな墓標を立て、アメリカ市民として、永遠の眠りについたのでした。堺で生まれた叔母が遠い、遠いシカゴの地を最終目的地に選んだのも何かの宿命だったのでしょう。丁度同じ時に同じシカゴには呼吸器外科博士研究員として、ノースウエスタン大学に大阪大学から息子が派遣されていました。叔母の葬式と久しぶりに彼に会う目的で、11時間かけて、シカゴに到着しました。 

日本の暑さとは少しかけ離れた心地よい夏の気候でした。ミシガン湖に面したアメリカ第三の都会シカゴは湖上から見ると、N.Y.のマンハッタンと同じように見えたものです。休みには周辺の田舎町から沢山の人がこの町を訪れていました。シカゴはそれなりに大きいのですが、何よりもびっくりしたのはノースウエスタン大学、Northwestern University、(実は私もどのレベルの大学かはっきりわからなかった。)の医学部や病院に行った時でした。御多分に漏れず私立大学で、USA政府からは100億円以上の補助金を

受けているそうです。街の真ん中に位置するその医学部や病院の大きさ、清潔さ、ごみ一つない環境、日本の国立大学病院を3つか4つ合わせたような規模、まさにアメリカであった。その大学から年間1000万円くらいの手当をもらっているそうだが、家賃や4人

家族の子供の教育費、物価の高さを考えると、結構厳しい生活だそうだ。

美木多幼稚園、公立小学校、大阪星光学院中高、大阪大学医学部、紀南病院、堺市民病院、大阪大学大学院と進んだ30代半ばの息子にとってはアメリカでの研究生活は人生の貴重な経験になればと思う。それにしてもシカゴで重なる二つの出来事、そして私も又55年前の大阪万博は海外駐在で見られなかったこと、そして今彼は大阪万博も同じような理由で見ることはできない。

人生にはいろいろな偶然がよくあるものだ。これからどのように活躍の輪を拡げていくのか又人生を切り開いていくのか私にはわからない。自分で自分の道を選択し、それに向かって努力してほしいと同時に、この世界に生まれた感謝を考え、世の中のために何らかの貢献を果たしてもらいたいものだ。誠に個人的なことを書いて恐縮です。

さて、この二学期は様々な行事が目白押しです。健康に気を付けて、安全安心をモットーに、充実した日々を子どもたちと一緒になって過ごしてまいります。どうぞご期待ください。9月、SEPTEMBER、 長月、ロマン薫る魅力にあふれた麗しの月、いざ出帆です。

悲しくて切ない8月

2025.07.17
悲しくて切ない8月

「打ち水に暑さをしのぐ夏の宵です」とか「炎天下は咲く百日紅が鮮やかで、まぶしいような今日この頃」とか「毎年この時期になると、辛かった戦時中を思い、夏バテ気味のわが身に喝を入れております」とか、今まではあまり見ることのできないような表現で、夏の暑さを表現している。その中で、8月と言えば、1945年8月6日と8月9日の広島と長崎への原爆投下が思い出される。アメリカの一部支配者や国民は原爆を投下したからこそ太平洋戦争を終わらせることができたと主張し、現に今のトランプ大統領も最近そう主張した。しかし暑い暑い真夏に、それ以上に熱い炎熱の原爆を浴びて、死んでいった10何万人の無垢の人の死を思い浮かべると、どんな理由があっても容認されない。もうすでに敗戦はほぼ決定していたのだから落とす必要はなかった。そしてこの夏、沢山の学生が戦争に狩りだされ、悲しい非業の死を遂げた人も多かった。8月は悲しくて、切ない月の代名詞だろうか。

この手紙が無事お手元に届くことを念じつつ筆を執ります。目下戦線は膠着状態にありますが、何時大きな変化があるかしれません。それだけに何か無気味なものが漂っています。生死の境を彷徨していると、学生のころから無神論者であった自分がいまさらのように悔やまれます。死後がどうなるか?といった不安よりも現在の心のよりどころのない淋しさと言ったものでしょうね。何か宗教の本でもお送り願えれば幸甚です。何派のものでもいいのです。何派のものでも帰するところは同じだと思います。たとえ一時的でもいい、心の平衡が求められればいいのです。マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやり黄昏時の海を眺めていますと、どうして我々は憎しみあい、矛を交えなくてはならないかと、そぞろ懐疑的な気持ちになります。避け得られぬ宿命であったにせよ、もっとほかに打開の道はなかったものかと、くれぐれも考えさせられます。あたら青春を、われわれはなぜこのようなみじめな思いをして暮らさなければならないのでしょうか。若い有為な人々が次々と戦死していくことがたまらないことです。中村屋の羊かんが食べたいと今ふっと思い出しました。またお便りします。このお便りが無事につけばいいのですが。兄上、姉上、そして和歌子ちゃんにくれぐれもよろしく。(きけわだつみのこえ)から。

約一か月間の夏休みです。先生たちも夏休みですが、沢山の研修活動も控えています。皆さんはお父さん、お母さんと一緒に、故郷に帰ったり、海や山、ディズニー、USJ, 万博に、あるいはいろいろな公園 又 ひょっとしたら海外に行くことがあるかもわかりません。反対に都合で自分の家に留まっているかもしれません。どんなところに行っても、早寝、早起き、規則正しい生活をしてください。そして一番大事なことですが、病気になったり、怪我をしたり、事故にあったりしないでください。時にはいろいろなお手伝いをして、お父さん、お母さんを助けてあげましょう。そして夏休みが終わった時には元気で幼稚園に帰ってきてください。夏休みの間の皆さんの成長は先生方の大きな楽しみであり、希望です。2025年の夏、皆さんに沢山いいことがありますように心より願っています。

実行しよう世界人権宣言

2025.06.30
実行しよう世界人権宣言

 梅雨明けの夏空がまぶしい季節になりました。と同時に10年以上ぶりに地上に姿を現したはかない命のセミの合唱により、より一層暑苦しく感じます。季節は着実に真夏への道を歩み始めました。冬になれば夏を思い、夏になれば冬を思う、人間の優柔不断はほとんど困りものですが、思うことで現実から逃避できるのも又私たちに与えられた特権かもしれません。世の中はめまぐるしく動くようになってきました。甲を立てれば乙が立たない、反対すれば甲の大きな不利になっていく。世の中スパっと快刀乱麻のごとくに解決する方法は何も見当たらない。東京都議選を見ていると、年によって支持が変わる薄氷の勝利、アメリカのスイングステートではないけれども、日本も一種の支持が揺れ動く状態になってきた。今度の参院選挙はどうなることやら。何も決めることができない政治家に比べれば、案外選挙民の方がよほど賢明と思うことがある。過去の踏襲も大事だが、本当に国民の為になる政治が望まれている。そういう意味でも高齢者の選挙でなくて、若者が大いに参加する、若者が力を発揮し、若者が快適に生活し、その努力に報いられる選挙であってほしい。
私自身ほとんど都会に出ていかないが、ある事情で週1回都会に出ていくようになった。びっくりしたことに通りはほとんど欧州やアジアの外国人によって占められている。久しぶりに歩いた心斎橋は昔も人が多く、混雑していたが、店が全く変わっていた。インバウンド向けの店が多く、靴メーカーのONITSUKAの販売店では通りを超えて並んでいた。そんなインバウンドも最近の円高で,日本で買うメリットが無くなったとかでデパートの売り上げが大幅に落ちたと報道されている。3,40年前の1ドル80円台の頃、円が海外で高く評価され、日本人が大挙してフランスやイギリスで高額の商品を買い求めたイメージと重なる。その日本人の出国数は今やかなり減っている。航空券だけでも100から200万円と言われれば躊躇するのもうなずける。若い日本人がよれよれのジーンズをはいて、格式の高い一流の宝飾店にズカズカト入り込んで、非難されたこともあったが、今や一部外国人が日本の中でも我が物顔で動き回っている。日本人がどう見ているかをも無視して、勿論中には謙虚で、日本のいい所を見たり、感じようとする人もおられるが、傍若無人に行動し、発言し、日本の立ち上げてきた制度を自分が有利になるように悪用したりする。一昔前に欧米で、日本人のことをマナー守らないと非難されていたことが、今や日本にそのつけが回っている。オーバーツーリズムを叫ぶ人、これ以上の入国を禁止するように主張する人がいる一方、まだまだインバウンドを奨励する人もいる。前には欧州で物乞いをし、犯罪に手を染める、誰からも嫌われているジプシー達がいた。今はどうか知らないが、その行動様式で、地元民と同じ顔をしているのに、忌み嫌われていた人々を思い出す。日本に集団でやってきて、一部の市域に住みつき、日本人との協調性を捨てて、彼らの風俗習慣、生活様式を押し通そうとする人たちがいると報道されている。概して日本人は外人に弱い。毅然とするところ、その姿勢を貫き、日本人の日本人であることを示すのも大事、そうでなければ、営々と今の日本人の骨格を作ってきた先祖の皆さんに申し訳ない。日本に住んでいると、何も感じない、問題視しないが昔初めて海外駐在する時に先輩から強く言われたことがあった。「海外の人と仲良くし、豊富な人脈を作ることを心がけるように。その為に政治から古典まで幅広い知識を身につけ、教養を高めていくように、但し、民族や宗教のことは非常に微妙な問題だから深入りしないように」ロシアとウクライナの関係は様々な関係が起因していそうだが、目に見える形でわかりやすいのが、イスラエルとアラブ、特にパレスチナはなぜあそこまで虫けらのように人が殺害され、飢えに苦しめられるのか。宗教の違いだけではなさそうだ。
みんな仲間、差別しないで安心して暮らす。誰もが人権を持ち、法律は誰にも平等であり、裁判はいつでも公正である。個人の秘密は守られ、思想、信条、財産を持つことの自由は尊重される。そして何よりも人間らしく幸せな生活を送ると世界人権宣言で謳われている。しかし報道によれば、力のある国は弱い国を自由勝手に蹂躙している。衣食住が絶たれた生活とはどんなものだろうか。一部の人はそうでないと言うかもしれないが、自由な幸せな国、日本に住んでいる人には本当に理解の範疇を超えている。これは何も中東に限った話ではない。中南米でもアジア地域でも詳しく報道されていないだけかもしれない。しかしその根底には三大宗教のキリスト教、仏教、イスラム教の理念の対立があるとすれば、心の問題であるがゆえに、即効的な解決が難しい。世界共通言語のエスペラントが工夫され、世界は一つの理念が高らかに宣言されているが実を結ぶまでには途方もない時間が必要かもしれない。理念や宣言は別として、人が人を殺害する戦争、どんな言い訳があっても通用しない原理原則、今後、いつ全ての地球人が憎しみあい、領土を奪い合うことを止め、愛いっぱいの生活を送ることができるのだろうか。私達がもし何世紀後にこの地球上に蘇ったとしてもまだまだ人々は悩んでいるのだろうか、それとも地球自体が無くなっているかもしれない。次世代を担うこの幼子たちが、悲惨な戦争や争いによって本当に尊い命を失うことがないように願わずにはいられない。太平洋戦争で命を奪われた若い兵士の別れの辛い手紙を読むと涙が止まらない。
さて、いよいよ一学期終了、夏休みと続きます。暑い夏、熱中症にならないように十分水分補給を心がけるとともに、水に親しむいい機会であり、水の魅力を堪能してほしい。それと同じくらい水の怖さもわかってほしい。お父さん、お母さんのいう事をよく聞いて、一人で行動せず又事故にあったり、病気になったりして、お父さん、お母さんを悲しませることのないようにしてください。8月25日には元気いっぱい幼稚園に帰ってきてください。先生方はみなさんが無事元気で帰ってくる事を心待ちにしています。しばしのお別れです。

梅雨とアジサイと好奇心

2025.06.01
梅雨とアジサイと好奇心



1月の初めに始まった桜の開花は4か月もかけて日本列島を縦断し、5月末に北海道最北端にたどり着いた。1日に何キロの速度だったのか。赤ちゃんのハイハイとほぼ同じ時速1kmで北上するという。桜に限らず、北上する植物が多い。4月から5月にかけて、頼りない新芽の木々は燃えるような薄緑色の新緑から今は濃い緑色に色を変え、それと同時に野山の風景が一変した。山のどこにいるかを誇示していた花々も消え、今は全て同じ色に変わった。

そんな成長した木々の隙間から漏れる木漏れ日の中,胸を張って散歩し、登山し、目には見えない自然の大気を胸いっぱい吸って、爽やかな気持ちになるのも、6月ならではの機会なのでしょう。家の庭先にはアジサイの花が「開花はもうすぐですよ」と言わんばかりに小さな花弁を揃えて出番を待っている。アジサイと言えば、雨、6月、水無月(水の月)梅雨の季節、雨を好きな人はあまりいないが、雨がもたらす水は人が生きていく上で欠かせない。子どもたちにもよく、人の体の70%は水だよとか雨がなければみなさんがおいしく食べているお米もできないよと話をする。水田の横を通った時に、稲の成長を子どもたちと一緒に見たり、観察したりするのも、いい経験になるでしょう。

水田の水はどこからきているのだろうか。川からか溜め池からだろうか。水源がわかれば、どのように水田まで、水が流れてくるのだろうか。今は作っていないが若い時には父と一緒に米を作っていた。田植えの前に溝掃除を関係者全員で行った。稲刈りが終わり、役目を果たした溝(水路)を再び生き返らせるために、雑草やごみを取り除き、水を田に導くための作業であった。田植えは勿論人の力、縦・横に印のついた麻縄を張り、その交点に植えていった。一家族ではできないので、隣組という組織を作り、共同で田植えや稲刈りを行った。池の水をいつ抜くか、いつ止めるか、どの田から順番に水を入れるか、雨の日はどうするのか、一種の運命共同体であった。水はふんだんにあるときは何も問題はなかったが降雨の少ない時にはいろいろ問題が生じた。今は田植え機、耕運機やトラクター、コンバイン、機械化で合理的になり、省力が進んだ。ヒルを怖がりながら裸足で植えた田植えは小中学生頃の貴重な思い出になっている。今その田んぼは何も利用されずに草が生い茂っている。もう少し若ければとの思いがいつも脳裏をよぎっている。

そんな自然いっぱいの中で過ごした人々にとっては、この赤い実はなんだろうか、いつ食することができるのだろうか、自然と身についた知識であった。しかし園児は緑の葉っぱに赤い実がついていることに興味津々、その赤い実を競ってとってしまうことがある。それはサクランボに似た赤い小さな実のユスラウメ、勿論毒性はなく、食用になる実であった。園庭にある比較的大きな木であった。子どもにとっては好奇心からでた行為であった。それを採ることは子どもには何の罪もない。むしろ私たち教職員が前もって「もっと熟してから採ろうね」というべきであった。

それはともかく子どもたち同士で協力し、話し合い、競い合って行動し、新しい発見を重ねていく。点数でははかることができない子どもたちの成長発達に欠かせない大事な非認知能力の習得です。それは他者と付き合う力(社会性、社交性)、感情を管理する能力(自制心)目標を達成する能力(実行力)等です。

早いもので、進級、入園してから二か月がたちました。ゴールデンウイークの長い休みも無事乗り切りました。子どもたちは園庭で、砂場で又保育室で、時には喧嘩もするけれど、すぐに仲直り、みんな元気に走り回っています。どうぞ安心して子どもたちを見守っていただきたいと思います。5月は母の日がありました。6月には父の日があります。子どもたちはお父さん、お母さんが大好きです。そんなお父さん、お母さんをもっと好きになればと思います。6月、水無月、June、ジュノの月、鬱陶しい梅雨空を吹き飛ばすような元気で7月につなげていきましょう。今月もご支援、お力添えをよろしくお願い申し上げます。

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