ブログ

末は博士か大臣か

2024.07.19
末は博士か大臣か


末は博士か大臣か? 偉くなる人の終着駅と言われていたが、今はどうだろうか?博士は偉いことは偉いが、大量に粗製乱造されている傾向があるし、大臣に至っては実力でなった人もいるが、大半は時の運、人の運、そして権謀術数を駆使してのなせる業。とても誰からも尊敬される絶対的な偉さではない。

なりたくて猟官運動をして、やっとなった人もいれば、棚から牡丹餅式に就任した人もいる。振り子が右に振れるか左に振れるかでその人の人生は大きく分かれていくこともある。「人の一生はやはり運だと思う。実力があってもダメなものはダメ、努力と根気と勉強、こういうものが運をとらえるきっかけとなる」田中角栄。なるほど運も大事なことだ。しかしその運を引き寄せる力は不断の努力であり、好奇心であり、未知の世界への探求心であり、たゆまなく要求される問題意識の持続性でもある。

人は偉いと感じるのは博士だろうか?社長か大学の先生とか大金持ちだろうか?逆に考えると誰の力で今の地位につけたのだろうか。勿論自分の努力、卓越した先見性、能力もあるだろう。しかしそれは取りも直さず自分を支えてくれた人、人々がいたからではないか。沢山の社員のお蔭でないのだろうか。その意味で昨年亡くなられた京セラ創業者の稲森和夫氏の社員に対する態度は非常に厳しい中にも、愛情あふれる接し方で部下を感動させたとよく言われている。

稲森氏の言葉の中で「誰よりも働く」という項目があります。「社長、経営者が会社の中で誰よりも一番働く人でなければなりません。従業員より先に帰って『ガンバレ、ガンバレ』と言っている社長の下で従業員が働くわけがない。上に立つ者が誰よりも一生懸命頑張って、下のものから『かわいそうだ』と思われるほどでなければならないのです。そうでなければ人はついてきてくれません」

又次のようにも述べている。「人は得てして、恵まれた環境にあっても、与えられた仕事をつまらないと思い、不平、不満を口にします。しかしそれで運命が好転するわけでもありません。与えられた仕事を天職だと思い、その仕事を好きになるよう努力し、さらに打ち込むのです。そのうちに不平・不満が消え、仕事も順調に進むようになっていくはずです。さらに懸命に働き続けていくことで、素晴らしい考え方や人格を自分のものにすることができ、結果として、物心共に豊かな人生を送ることができるのです」

現下の働き方改革とは相いれないような働き方、考え方ですが、人が成功するためには精神的な支柱も、異なる考え方の構築も必要なことなのです。私を含め、大多数の人は博士でも、大臣でも、社長でもない。後世に名前を残すことは考えられない。しかし私たちは私たちなりに、地域で、仲間で、家族で、幸せに続く道を探し、作り、共有しようとしている。そしてそれが生活習慣となり、伝統に変貌していく。黄泉の世界から生き返った時、まだ私たちの作った道、通った小道の存在を見つけ、懐かしがるかもしれない。お盆を控えた夏休み、こんな他愛もないことが頭に浮かんでくる。

夏休みをなくせ、という人もいる。しかし私は反対だ。暑い夏を家庭で、郊外で、山で、海で、故郷で、過ごすことも大事だし、学校教育一辺倒の世界から離れて、新しい世界に踏み込んだり、経験や体験したりすることも大事だ。又自然に囲まれた日本を自分の目で見ることも大切なことだ。そして二学期に新たな気持ちで学校教育に帰ってくる。この時代に経験したことは大人になって大きな成果となって表れてくる。

学校時代に与えられた夏休み、大切に、そして有効に活用していこう。諸般の事情で夏休みを十分利用できないお子さんは幼稚園で担当の先生と十分交流を深めあっていきましょう。幼稚園のお友達、病気になったり、事故にあったりすることなく、楽しく元気いっぱい、可能な限り有意義に過ごしましょう。

葉月、八月、盛夏の季節、真剣になりすぎたり、期待しすぎたり、悩んだり、嘆いたりすることなく、人生をもっと軽く、あっさり、気楽に考える月、皆様のご健康とご多幸を祈念しています。

確実に成長・発達の子どもたち

2024.06.29

確実に成長・発達の子どもたち



夏に至る夏至を過ぎ、私たちは真夏の7月を迎えました。4,5,6月のこの三か月間、保護者の皆様にとっても、子どもたちとの関わりで、さまざまな悩みや憂い、反対に喜びや感謝があったと思います。子どもたちにとっても大きな状況の変化の中で、大人以上に緊張を強いられてきた事も多々あったと思います。しかしそんな厳しい環境の変化にもまれ、苦しみながらも子どもたちは大人が考える以上に大きな成長を遂げ、様々な行事を経験して、成長・発達の道を踏み外すことなく、7月の季節を迎えることができました。

ご家庭でも子どもたちの変化や成長を実感されることもあると思います。様々な収穫体験では自然との触れ合いを通じて、自然界の食物を身近に感じたことと思います。又クラス活動を通じて友達との関りを身近なものと考え、時にはトラブルを起こすことがあっても、子どもなりに解決していく、あるいは先生のアドバイスの下で仲良くなっていく、そんな微笑ましい光景も至る所で見られるようになりました。反面、自我が芽生え、自己主張を強める子どもたちも出てきました。いろんな子どもがいてもいい、先生も大きな優しい心でいつも見守っています。

体操の先生の指導の下、2歳児さん、年少組さんは体を動かしたり、運動器具を使ったり、ルールを知ったりして、興味が一層ついた感じです。年中、年長さんは今までの活動内容を踏まえて、より難易度の高い領域を目指しています。10月の運動会では大きな花を咲かせることになるでしょう。

英語そのものを勉強するのではなくて、世の中には人種、言語の異なる様々な人々がいることを知ってもらおうと始めた外人講師による英語、子どもたちは先生を恐れることなく、親しみをもって言葉に取組んでいます。発音に関しては大人よりも上手いのかも?

絵画の先生は、その世界では実力のある先生で、0~2歳児さんもご指導いただいています。年少組さんでは同じ色(単色)を好んで使ったりして絵に対して興味を示し、今までの単色の表現から様々な色を使うことに成長し始めます。子どもの成長と同じように絵画にも成長の段階があることを踏まえての指導です。

音楽は徹底的な歌唱の指導を行い、次に合奏ではいろいろな楽器に慣れ親しんで器楽合奏の向上を目指しています。その為に、小学校以上とは言いませんが、幼稚園には必要以上の十分な楽器が備わっています。

異なった講師の指導を仰ぎながら、幼稚園の先生もこの三か月間フル活動をしてきました。子どもたちの大きな成長要素を形作ったのではと自負しています。その辺のことを7月の個人懇談会で話し合っていただければと思います。長い夏休み前には夏祭り、お泊り保育があります。夕方のひと時をお子様とご一緒にお楽しみください。

ところで純情で無垢な気持ちの子どもたちもびっくりするような発言や方便が政治の世界でまかり通っている。当人たちはうまく相手をやり込めたとかうまく切り抜けたとか、騙された方が悪いと思っているかもしれませんが、日本は聖徳太子の時から性善説が信じられ、「和を以て貴しとなす」の世界、詭弁を駆使して、相手を打ち負かすよりも誠実に、純粋に生きていく方が人間として優れている。私たちはいま人間として「真に守るべき価値とは何か」ということを思慮し、戦争や自然災害の世を生きなければならないという時を迎えているように思う。又礼節とは人間相互だけのものではなく、私共の生きる地球や自然に対しても持つべきものである。当たり前のことが私たちの胸に響くのはどうしてだろうか?

7月、文月、夏休み、海や山の季節、病気になったり、怪我をしたりしないで、元気いっぱい過ごしましょう。ご支援、お力添え、ありがとうございます。




銀も金も玉も何せむに

2024.06.03


銀も金も玉も何せむに

「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」(銀も金も宝石も何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか)「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来たりしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ」(瓜を食べれば(残してきた)子どものことが自然に思われる。栗を食べれば一層しのばれる。いったい子どもたちはどこから来たものだろうか。(どのような縁で私の子どもとしてやってきたのだろうか)目の前にやたらと(子どもたちの姿が)ちらついて、安眠させてくれないことよ)子どもを思う親の気持ちを痛いほど強烈に和歌で表現した山上憶良。1300年たった今でも力強く人々の心に響き渡っている。子を思う親の気持ちはいくら月日が経とうとも枯れるものではない。

困窮して日々の生活に追われていないから、そんな気持ちになるのだと言う人もいるが、実際時たまおこる悲惨な事件や子どもの人格を無視したようなケースもあるが、子どもの大事さ、子どもを持つ幸せ、育てる喜びを誰も否定することはできない。そのような観点から日本一の幼児教育を目指す、子どもが中心、子どもの成長、発展、発育に全力を尽くす事が幼児教育施設の幼稚園に与えられた高い目標であると同時に努力義務となっている。

もし山上憶良が現在の日本に蘇ったなら、彼は何に一番驚くだろうか。その一つがインバウンドという訪日外国人の多さではないだろうか。以前はただ日本に行って何かしら日本の品質管理の優れた商品あるいは信頼できる輸入商品を買うことが目的であった。しかし今や訪日客の多さに驚かされる。大都市だけでなくて、こんな田舎に、こんな古びた観光地と思えるような所にも日本人よりも数多くの彼らがいる。私の若い頃には企業の招待で細々とした訪日観光客であったのが、今ではオーバーツーリズムと言っても過言ではない。大都市は無論のこと、北海道や富士山、高野山の奥まで、日本人以上に日本の各地を巡っている。

長年日本に住んでいる日本人よりも彼らに聞いた方が日本のことを良く知っているかもしれない。そんな彼らが国に帰った時に、日本は良かった、行く価値があった。と言ってもらえれば良いが、人だらけで、行く価値がなかった、疲れただけであったという印象を与えたのであれば、いわゆる本末転倒と言っても過言ではない。しかしよくよく考えてみると、私たち日本人が奈良平安の昔から営々と築き上げてきた伝統、日本人の奥ゆかしさ、自然を愛でる日本人の心情のやさしさと英知、そしてそれらが具現化された建築物や生活用品、装飾物、それに生活様式や考え方、規範、それらから導きされたどことなく親しみのこもった風景、そんなものが長い間外の影響を遮断された島国日本の他国にはないユニークさを生み出している。

明治時代以降徐々に海外に発信されてきたが、最近では様々なツールを通じて狭くなった外国に浸透し、円安と重なって一種のブームを生み出している。しかしこれらのものは私たちが過去から受け継いだものであり、過去の人たちに大いに感謝と尊敬の念を持たねばならない。と同時に立派に未来に引き継ぐことも私たちの重要な責務である。

日本人の中には過度の自己主張も含め、西欧かぶれしすぎて、今までの日本人の美意識、生活様式、考え方までも否定的に捉える人が多くなったのはある意味残念と言わざるを得ない。私もよく「今の時代はそうなっているのだから仕方がない」とか「今は昔の日本ではない」と言われることがあるが、果たして全ての日本人がそう思っているのだろうか。本性を隠して、あるいは表現せずに、月日を過ごしているだけでないのだろうか。強く自己主張する人、自分の価値観だけを正当化する人、そんな人ばかりであればサイレントマジョリティーも黙っていない。

日本は日本人だけのものではない。しかし日本に住もうとする人は外国の規範ではなくて、日本の基準も尊重してもらいた。英語でよく習った「Do in Rome as the Romans do」であり「郷に入っては郷に従え」かもしれない。幼稚園の子どもたちが大人になった時に、こんな日本に誰がしたと言われない為にも私たち今の大人の責任が重い。

今月は体育館を借りての親子で遊ぼう大会があります。親子の絆をより一層深めてほしいと思います。プールも始まります。21日には昼が一番長い夏至がやってきます。いよいよ夏満喫の時が間近です。今月も病気になったり、事故にあわないように十分気を付けて、6月、水無月(水の月)、楽しく過ごしましょう。


一雨ごとに成長し、緑濃くなる

2024.05.01

一雨ごとに成長し、緑濃くなる



 自然界の動植物はなぜあのように素晴らしい色彩や形をしているのだろうか。私たちは例え、薬品や絵画材料を使っても決して同じように表現できないし、形に至っては私たちの想像を超えるものも存在している。しかし私たちの感覚や知識からすれば、あり得ない色の組み合わせであっても自然界のものはそれなりにうまく収まっている。決して奇異な感じがしたり、他のものから浮いたりしていない。色彩に関しても、ダーウィン流の進化があるのだろうか。兎に角4月から5月にかけての芽吹きから始まって花をつけ、新緑に輝く過程はその美しさをいくら強調してもしすぎることはない。


そんな4月の初めの朝4時30分、辺りはまだ暗い。そんな中、一路富山県黒部市を目指した。大学を卒業して、50数年、学年40人のうち、8人の同窓生が宇奈月温泉に集まるという。運転手は80歳間近の私一人、距離は片道430km、雨模様、車のタイヤはスポーツ仕様で、横向きに少し溝があるだけのランフラットタイヤ、何年か前に雨の高速道路でスリップした経験のある同じタイプのものだった。別の車でと忠告も受けたが、慎重運転を心がけるということで、暗闇で小雨の降る中、一路越中富山を目指した。室内には流れる音楽がなかった。ただ力強く鼓動するターボエンジンが私の心を揺さぶり、期待に忠実に反応した。日ごろ混んでいる阪和自動車道や近畿自動車道も、さすがこの時間、ブレーキの世話になる事もなく、一気に通過し、門真で第2京阪に舵をきった。ここはいつもパトカーが目を光らせている高速道路、朝もやの中、安全運転で通り過ぎた。久御山ICを右折し、京滋バイパスに入った。雨は降り続いていた。

長いトンネルを過ぎ、一回転して、名神高速道路に合流した。前方に近江富士のシルエットが迫ってきた。アウトレットで来たことがあった竜王を通り過ぎ、車は琵琶湖右岸を順調に期待に応えて進んでいった。しかし少し疲れたこともあって、多賀SAで簡単な食事と身支度を整えて、再び名神高速道路に車を進めた。トラックの通行は激しい。新聞で騒がれている物流問題はどうなるのだろうか。米原で北陸道に入ると、さすが交通量は少ない。飛ばしてはいけないと思いながら、ついアクセルを強く踏んでしまうことがある。賤ヶ岳古戦場の木之本ICを過ぎると、福井県は目の前に迫ってきた。敦賀に到着。街からだいぶ離れている。ここを過ぎると、上り線と下り線が逆になって別れてしまう。その理由がわからない。

越前、鯖江を過ぎるともう福井市。永平寺、勝山、大野方面行の中部縦貫自動車道の入り口が見えてきた。子どもの夢を乗せた恐竜博物館ももうすぐだ。56年前を思い出した。当時アルゼンチンに駐在していた。日本から来た会社の人にはブエノスアイレスの名所を案内したが少し日程に余裕がある人には60kmほど離れたラ・プラタ市を案内した。そこには博物館(Museo de LaPlata)があった。私は全然興味がなかったが、南米で発掘された恐竜が所狭しと展示されていた。いつでも入場できた。しかし今となってはその博物館が世界的に有名となり、見学に予約が必要と聞いた。そんな昔話を思い浮かべながら、北陸道をどんどん北上し、あわら市から石川の加賀市に入った。時刻は8時前、尼御前SAに入った。ほぼ休みなく走ってきたので、さすが少し疲れを感じ、休憩をとった。20分後に出発したが、予定より早く着きそうなので、2月のブリで毎年お世話になる氷見市の魚吉さんに向かった。何年ぶりだろう氷見に来たのは。しかし氷見の商店街は水曜日休みであった。残念だと言うより計画性のない私が悪かった。富山市に引き返した。越中富山は大きな町であった。市内は有名なLRT(路面電車)が走っていた。昼時であった。おいしいものを食べたかった。ネットで見たNHKの隣のすし屋に入った。握り定食を注文した。大阪でそれなりの寿司を食べたこともあるがここの寿司のおいしさは格別であった。13時ころそこを出て、宇奈月温泉に向かった。長い旅であったが、案外疲れを感じなかった。最初に到着した。しばらくして京都からT君がやってきた。その後東京や尼崎から全員到着した。揃って食事を楽しみ、過去のこと、今のこと等いろいろ話に花を咲かせた。次の日は朝から梅田の病院で定期検診があるので、夜の830分、強い雨が降る宇奈月を後にし、一路堺に向かった。夜の高速はトラックが多い。雨が降る暗闇の中、それらのトラックを抜き去るのに少し神経を使ったが、午前1時無事我が家に到着した。

今月の気になった言葉。人間は他人を引きずり下ろして、快感を得ようとする弱い一面を持ち合わせています。それは昔も今も変わりません。特に貧しくて心に余裕がなくなる時、他人にも残酷になって心を傷つけてしまいがちです。貧しさに耐えながら懸命に働く父親の姿に愛を感じ取った少年の姿とは対照的です。貧しさは人間の持つ両面を浮き出してしまうのです。これは物質的な豊かさにも同じことが言えます。豊かであるがゆえに、人にやさしくできる人もいれば、逆に人を見下して、冷たくあしらおとする人もいます。貧しさにしろ、豊かさにしろ、私たちは自分が置かれた環境でどういう生き方を選択するかを常に迫られながら生きています。

長い連休の後、子どもたちは4月当初の入園時に戻ってしまうことも見られます。しかしこれは全く一過性のもので、すぐに幼稚園のことを思い出し、元気に活躍することになります。先生方が精一杯だと思ってやっていることも、保護者の皆様からは時にはまだまだと叱咤激励されることもありますが、皆様方の信頼に応えていくことができるよう取り組んでまいります。ご支援、お力添え宜しくお願い致します。



ご入園、ご進級おめでとうございます

2024.04.01


ご入園、ご進級 おめでとうございます

 カタクリの花が咲き、遣唐使が中国からもたらした梅が土筆や蕨を従えてそれに続き、コブシ、椿にその場所を譲っている。様々な色の椿がある中で、清楚で村里でひっそりと咲く、その存在感を誇示していないヤブ椿が一番好きだ。「巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ偲(しの)はな巨勢の春野を」椿は日本原産で、椿という字は日本でできた文字とか。そんな椿の終わり頃、待ちに待った桜満開の季節の到来です。まさに春爛漫、土の中で惰眠を貪っていた小動物も生命を吹き返し、命の鼓動が聞こえるようになった。街に、野山に、至る所にも芽吹きも見られるようになり、私たちも厚着から解放され、より軽快に、より自由に動き回る季節が到来しました。

ご入園、ご進級誠におめでとうございます。

皆さんがやってくるのを今か今かと首を長くして待っていました。皆さんは今日から私たちの仲間です。何でもわからない事があれば、聞いてくださいね。いろいろなことを経験し、体験し、突然のことに遭遇しても、皆さんには優しい先生、強い先生、明るい先生や何でもよく気が付く先生が周りにいっぱいいます。何の心配もいりません。いろいろなことをしましょう。沢山遊びましょう。様々な場所にも出かけましょう。そしておいしい給食をたくさん食べましょう。元気になる秘訣です。先生はいつも皆さんの味方です。じっといつも皆さんのことを見守っています。怖がったり、泣いたりすることは何もありません。これから生きていく上での大きな成長、発達へとつなげていきましょう。

「三つ子の魂百まで」、古今場所を問わずの原理原則です。今をしっかり生き続け、将来の土台作りをしましょう。困ったことや悲しいことがあったら、なんでも先生に話をしてください。きっと楽しい、素晴らしい解決方法がそこにあります。進級児の皆さん、楽しい、新しい学年が始まりました。今までの幼稚園生活で経験したこと、体験したこと、教わったことを土台にして、この一年、大きな飛躍の年になるように努力していきましょう。それと同時に新入園児の皆さんに優しく何でも教えてあげましょう。人生は教え、教えられての繰り返しなのです。仲間たちと楽しく過ごし、今しかできないことをしっかりやっていきましょう。幼稚園で過ごした貴重な幼児期が皆さんにとって大きな役割を果たす時が必ずあります。最後に気になった言葉を引用させていただきます。

忘れてならぬものは恩義、捨ててならぬものは義理、人に与えるものは人情、繰り返してならぬものは過失、通してならぬものは我意、笑ってならぬものは人の失敗、聞いてはならぬものは秘密、金で買えぬものは信用。 近藤勇の言葉より

20244月、卯月、新しい年度の始まりです。始めよければ、終わりよし。(A good beginning makes a good ending.)手をたずさえて頑張りぬきましょう。

今年一年間、ご支援、お力添えをいただきますよう、お願い申し上げます。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 »

記事検索

カテゴリー

アーカイブ

- CafeLog -