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Arrogance kills

2024.10.31

Arrogance kills

9月になったとはいえ、まだまだ30度を超えるような気温が続いた日本の秋、そんな中、時間を限定し、水分補給をこまめに行い、担任や体育指導の先生方が考え、構成した運動会の演目を汗を流しながらの必死の練習です。本番さながらの予行演習も行いました。懸命な努力、必死な姿の先生と子どもたち、努力は裏切ることはなかった。運動会本番での子どもたちのやり切った顔、満足そうな姿、ひたむきに演じる子どもたち、私たち大人は何物にも代えがたい大きな喜びを感じ、成長した子どもたちの姿を再認識したのではないでしょうか。やらされたり、強制されたものでない、内からほとばしるような、満足そうな顔の表情や笑顔、誰もその感動を否定できません。作り物でない、内から出た演技、競技は本当の本物です。

保護者の皆さんの大きな声援に励まされて、子どもたちも大きな達成感を得たものと信じています。一つ一つの大きな山を乗り越えて、確実に大きく成長する軌道を進んでいます。成績だけの認知能力だけでなく、誠実に立派に楽しく人生の道を歩む一つの指標の非認知能力も確実に身につけてきました。幼稚園生活を立派に送ることはすなわち良い人生を得ることができる事にもつながっています。これからが楽しみな子どもたち、同時に今後の日本を支える重要な構成員でもあります。

青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものだ。又ある人は70歳であろうと16歳であろうと、驚異に惹かれる心、幼子のような未知への探求心や人生への興味の歓喜がある限りその人は青春だ。

We are only young once. 若い時は一度しかない。というようにyoung は一般的に若い人を指すことが多いのだが、先日89歳、85歳、84歳の人と一緒になった時、言語的にはold であり、elder であるのだが、私は youngest だと言われた。そんな使い方もあるのかと感心したのだが、人が集まると、昔は一番若かったのだが、だんだん真ん中になり、今ではほとんどの場合年長になっている。高校の担任をしている時に、最初はほとんどの保護者が年配であったが、いつのまにか保護者と同じ年齢になり、そして保護者が後輩になっていった。その時はyoungestと言われたが、誰も年齢を感じさせない溌溂さにも驚かされた。人が意欲を持っている限り、希望を持っている限り、その人は青春だと思う。 

さて、私はめったに電車に乗らないし、道路を長く歩くことはない。しかしこの間やむなく歩道のない狭い市道を歩くことを余儀なくされた。いつもは何とも思わない道が歩行者の立場になると、歩くのが怖いくらい恐怖に感じた。車が凶器に思えた。歩くスピードと横を走る車の速さの違い、一瞬のハンドルさばきのミスが歩行者に打撃を与えてしまう。歩道のないことは勿論問題だが、時には逆の立場になってみるのも必要だと強く思った。普段何気なく見ていることが、それが普通でなく、危険な状態であることを改めて思い知らされた。

さて、人には様々な人生訓があり、それは国や町やビジネス界の規範になっている。この間、日経新聞の「私の履歴書」で見かけた記事が気になった。それは洋の東西を問わず、成功する、あるいは成功した人の不可欠な処世訓だろう。アメリカの投資ファンドKKRの会長の座右の銘は「arrogance kills」であった。これは日本にある諺「実るほど頭が下がる稲穂かな」と全く同じ意味、すなわち傲慢になる事を戒めたものだった。

ある人は幸せな人生を送るためにはどうすべきかと問われ、「正直に生きるという一点に尽きます。人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と答えた。正直に生きる、それがお天道様に恥じない生き方なのです。そしていただいたご縁を大切に、誠心誠意尽くしていけば、信頼の輪は着実に広がっていく。又人の死はいつ訪れるかわからないので、だから今日一日でやり残したことがないよう日々悔いなく生きることの大切さを述べている。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」は学問でも、技能、財産、地位でも、持てば持つほど謙虚になる事だが、言うのはたやすいが、ある程度物を持ち、教育を受けた人が実行するのは少し厳しいかもしれない。しかしそれに向けて、一層謙虚に素直になり、感謝の気持ちを持つことが必要なのです。とその人は述べている。

出雲から神々が各地に帰ってきました。11月、霜月、文化かおる月、そして又働く人への感謝の月、今月も皆様方にとっては素晴らしい月になります様にご健康、ご多幸を祈念しています。秋の夜長のつれづれに少し長々と書いてしまいました。 

激動の20代

2024.10.01
激動の20代

もう戦前を超えたとか凌駕したという言葉を何回聞いただろうか。朝鮮戦争の特需でそれまで打ちひしがれていた日本の経済は飛躍的に発展への道を歩み始めた。池田首相の「貧乏人は麦を食え」は当時としては当たり前のことを言っただけだが、白米にあこがれる消費者に忖度するマスコミが貧しい人々を侮蔑する言葉として取り上げた。実際、戦前まで、例えコメ作りの農家であっても、かなりの農家が米を食べていなかった。供出米として政府に差し出し、年貢米として地主に米を引き渡すことで、手元に残るコメは少なかった。年に数回のお祭りや祝い事の時に白米を食べただけであった。麦ごはんが主流を占めた。私自身も農家の出であるが、祖父が麦を作り、それを米に入れて食べることがあった。

池田首相は所得の高い人は米を、低い人は麦を食べると言う当たり前のことを言っただけであった。池田首相の所得倍増計画や日本人の勤勉さと相まって、国力が大幅に伸びた。輸出にもドライブがかかり、商社マンや会社員が世界狭しと日本製品を売りまわった。又戦前の「安かろう、悪かろう」の欧米人の日本商品に対するイメージを払拭するために、デミング賞等を筆頭に品質管理にも力を入れ、大きな成功をおさめ、世界中から求められるようになった。それと軌を一にして、驕れる日本人が話題になったのもこの頃である。

今はコンピューターからAIへの大きな科学の進歩が言われているが、私の20代も留まることのない大きな変化の波に翻弄された。1963年(19才)、初めての衛星放送がアメリカから中継された。しかしそれがあまりにも悲劇的なケネディ大統領の暗殺のニュースであった。日本国民誰もが暗澹たる気持ちになった。同じ年、名神高速道路が尼崎―栗東間で一部開通した。ドライブした友人が「やはり外車が違うわ」と言った言葉が印象的であった。その時日本人で車を持つ人は本当に少なかった。豊中で乗って栗東で降り、琵琶湖大橋を渡って帰ってくるのがお決まりのデートコースになった。次の年になると、新幹線が開通した。それまで東京までは8時間、それが3時間30分になった。誰も用事もないのに新幹線に乗りたがった。京都や名古屋までが定番になった。そしてこの年東京オリンピックが開催され、私と同じ年齢の広島の被ばく青年が最終ランナーとなって、長い階段を駆け上って聖火台に火をつけた。

同じ頃、紆余曲折があった名阪国道も無料の一般国道25号として、時の河野一郎運輸大臣のもと、1000日道路として開通した。今や名古屋と大阪を結ぶ重要なインフラとしてその役割を果たしている。そして196925才)年アメリカNASAのアポロ11号で人類が初めて月に降り立った。これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。Thats one small step for a man, one giantleap for mankind. 3人の宇宙飛行士が持ち帰った月の石は大阪万博に展示された。この時私は日本にいなかった。日本から遠く離れた南米アルゼンチンのブエノスアイレスでスペイン語で書かれたこの言葉を新聞で読んでいた。同じ頃、空前のブームになったライアン・オニールとアン・マックグロー主演の映画「Love Story, ある愛の詩」とその主題歌に大きな感動と感銘を受けていた。愛とは決して後悔しないこと。Love means never having to say you are sorry.余談だが、当時ブエノスアイレスではミニスカートが流行っていた。白人(アルゼンチンはほとんど白人)の女性がそのプロポーションのとれた体に着けたミニスカートは私には何か異質の世界に紛れ込んだようだった。しかしそれもわずか3か月ですっかり慣れてしまった。そして最後は1970年の大阪万博であった。残念ながら日本にいなかったので、人から伝え聞いただけであった。私の家族や知人、そして日本に行って帰ってきたアルゼンチン人の誰からも興奮をもって伝えられた。

10代から20代半ばまでの多感な青春時代、あまりにも大きな出来事の数々であった。どれ一つ取り上げても大きなストーリーができる豊かな内容であった。日本の輸出ドライブは続いていた。私も会社員の一員として、各国を回って商品説明をし、日本に来た外国人に日本の良さ、優れた日本の製品を紹介した。ドル不足に悩む日本では官民一体になって日本の盛り上げを図り、ドルを買って海外に行く旅行者に厳しかったが、外国から帰ってきた会社員は税関フリーパスの優遇措置を受けたこともあった。

当時日本人はよく働いた。働き方が猛烈であった。それが何の苦にもならなかった。それが当たり前であった。誰もが何もない日本が生き延び、世界に認められるのは品質の優れた商品と日本人の勤勉さであった。それが豊かになる道であった。そう誰もが信じていた。今の働き方改革を見、日本の国力が2位から30位以下に落ちている現状を考えれば、戦後の発展の礎を築いてきた今は亡き人々はどう思うのだろうか。今は今、今は昔と違うと言ってしまえばそれまでだが、日本人が受け継いできた、世界に称賛された、精神的支柱までも失うことになれば、昔の日本人が営々と築き、作り上げてきた遺物や遺産で外国の観光客を呼び集めている現状をどう思うだろうか。

幼稚園の子どもたちが暮らす日本、彼らの青春時代はどんなものが待ち受けているだろうか。空飛ぶタクシー、リニア新幹線の開通や北陸新幹線の京都延伸、AI導入による失業率のアップ、出生数50万人を切るますますの少子化、外国人労働者の取り合い、人種問題の勃発、現金がなくなり、超音速旅客機の開発などによって世界はますます狭くなってくる。国境はあまり意味をなさないが、宗教的対立や人種間の争いも頻発するだろう。逆に考えれば、狭い偏狭ナショナリズムを捨ててしまえば、収まる可能性もあるが、誰もがアイデンティティの確立を求める今、対立は一朝一夕に解決するものではない。

10月、運動会があります。子どもたちは今一生懸命練習に励んでいます。どうぞご家族そろってのご来園お待ちしています。




水ゆたか、流れる河、イムジン江(河)

2024.09.02
水ゆたか、流れる河、イムジン江(河

久しぶりに幼稚園に帰ってきた子どもたちは、毎年そう思うのですが、一段と大きく成長している。しばらく見ていないための錯覚だろうか。いや、実際にこの夏休み中の成長の度合いは大きい。話の内容にも、その話し方にも、それなりの大きな発達を見ることができる。身長も伸び、体重も増えて、大げさに言えば、これからの人生の荒波に向かって進んでいくための基礎的な体力が徐々に形成されつつある。これから頼もしい人間に成長していく楽しみの過程と言っても過言ではない。

そんな子どもたちにとって、これから始まる二学期は幼稚園生活の充実、発展、完成への過渡期、登山で言えば、中腹から山頂を目指しての一番大事だが、ある意味、ゴールを目前にした頑張りどころです。この学期は運動会、作品展、目を外に向けると、様々な収穫体験や遠足や自然との触れ合い、よく言われる非認知能力の涵養、収得にも大きな成果が得られる活動がいっぱいの時です。

今月はまだまだ残暑が厳しいですが、体調、健康に十分注意して、10月の運動会の練習に全力で取り組んでまいります。又中旬には子どもたちを誰よりも慈しみ、その成長を目を細めて見守ってくれているおじいさん、おばあさんの敬老の日参観があります。子どもたちを通して、50年ほど前の自分の姿を過ぎ去った子供時代を思い出しながら、嬉しい年月の経過を実感していただけるのではないかと密かに思っています。幼稚園は私たち先生、子どもたち、保護者の皆様そしてご家族の人々が一緒に集うファミリーです。人が生まれてきた以上は、何か社会的貢献、例えそれが路傍の草引きでも、ごみ集めでもいい、だとすれば、保護者の皆様を含めた私たちの活動は幼児たちの発達・成長の大きな手助けをしている、未来の有能な人材への社会的貢献をしていると言えるのでしょう。それが我が子だけでなく、他人の子どもであっても、手を差し伸べていくことに繋がっていく。

そういう意味ではアメリカは一代で築いた財産を大学などに大きな寄付をして、自分の名前を冠した建物を作るとか、あるいは純粋に大学に寄付したりする。アメリカの有名な大学はほぼ私学だが、その結果それらの大学は想像に絶するほど資金力があり、その運用については株式やその他の投資にまで影響があるそうだ。最近ではコロンビア大学やハーバード大学の学長が辞職を余儀なくされたのも、ユダヤ系の大口寄付者によるところも大きいと報道された。又それらの資金を活用して、世界中から若手研究者を集め、研究成果を競っている。それらの資金を頼って海外に招かれて研究している日本の研究者も多い。ある意味、寄付と税金は密接に関係していて、寄付すれば、税金の控除を受けられる場合が多い。日本でも最近の文科省はこの寄付制度の促進を促している。少子化によって、学校の運営が厳しくなった中で、この寄付金控除の拡大は大きな前進と言える。

8月初め、韓国に行った。関空から1時間30分、韓国は身近な隣国だ。25歳の時に関釜フェリーで、下関から釜山に着き、その後400kmあまりドライブしてソウルに着いた。1971年であった。街はきれいでなかった。貧しかった。明洞通りもごみごみしていた。そして20年後再び韓国に行った。前よりは印象が良かったが、それでもあまり行きたいとは思わなかった。そして今年、ソウルは変わっていた。私の持っていた昔のソウルのイメージは全く払拭された。漢江の奇跡だとよく言われるが、都市は大阪と同じかそれ以上だと思った。通りはわずかなレクサスとドイツ車以外はほとんどヒュンダイかkiaの車であった。所得は日本と同じかそれ以上とのこと、ソウル大学に続くナンバー2の延世大学のキャンパスの広さに驚いた。  

1970年代は韓国の中高齢者はほとんど日本語が通じた。今のソウルの街でも韓国語がわからなくても、ある程度日本語は通用することが驚きであった。街は活気にあふれ、昔の不潔なイメージが全くなかった。私が見たのはソウルの光が当たる一部分だけなので、国全体のイメージではない。個人的にはキムチが好きだが、韓国で食べたキムチや冷麺、焼肉などは本当に魅力的であった。二日目、ガイドさんと一緒に5人で38度線に向かった。北朝鮮に続く道路は片道3車線以上の堂々とした高速道路であった。北朝鮮から流れてくるイムジン江(河)が豊富な水量を湛えながら韓国に向かって流れていた。私の世代ではザ・フォーク・クルセダーズのイムジン河が有名であった。しばらくするとゲートがあり、それ以上進めなかった。その時、戦車を積んだトラックが通り過ぎた。静かな場所だが、何か空気の張りつめた緊張感があった。その場所からイムジン河をロープウェーで超え、米軍が駐留していた場所まで行った。ロープウェーの出発地には大きな遊園地があり、誰でも来ることができた。南北融和を演出しているのだろうか。あわただしい二泊三日の韓国旅行であったが、韓国を身近に感じることができ、日本から韓流ブームで沢山の人が韓国に行く理由がわかるような気がした。この旅の大きな収穫であった。

9月1日より、願書配布になっています。ご近所、お知り合いで、入園対象のお子様がおられましたら、是非お勧めしていただきますよう宜しくお願い致します。

9月、長月、天高く馬肥える秋、今月も子どもたちと楽しく有意義に過ごしてまいります。

末は博士か大臣か

2024.07.19
末は博士か大臣か


末は博士か大臣か? 偉くなる人の終着駅と言われていたが、今はどうだろうか?博士は偉いことは偉いが、大量に粗製乱造されている傾向があるし、大臣に至っては実力でなった人もいるが、大半は時の運、人の運、そして権謀術数を駆使してのなせる業。とても誰からも尊敬される絶対的な偉さではない。

なりたくて猟官運動をして、やっとなった人もいれば、棚から牡丹餅式に就任した人もいる。振り子が右に振れるか左に振れるかでその人の人生は大きく分かれていくこともある。「人の一生はやはり運だと思う。実力があってもダメなものはダメ、努力と根気と勉強、こういうものが運をとらえるきっかけとなる」田中角栄。なるほど運も大事なことだ。しかしその運を引き寄せる力は不断の努力であり、好奇心であり、未知の世界への探求心であり、たゆまなく要求される問題意識の持続性でもある。

人は偉いと感じるのは博士だろうか?社長か大学の先生とか大金持ちだろうか?逆に考えると誰の力で今の地位につけたのだろうか。勿論自分の努力、卓越した先見性、能力もあるだろう。しかしそれは取りも直さず自分を支えてくれた人、人々がいたからではないか。沢山の社員のお蔭でないのだろうか。その意味で昨年亡くなられた京セラ創業者の稲森和夫氏の社員に対する態度は非常に厳しい中にも、愛情あふれる接し方で部下を感動させたとよく言われている。

稲森氏の言葉の中で「誰よりも働く」という項目があります。「社長、経営者が会社の中で誰よりも一番働く人でなければなりません。従業員より先に帰って『ガンバレ、ガンバレ』と言っている社長の下で従業員が働くわけがない。上に立つ者が誰よりも一生懸命頑張って、下のものから『かわいそうだ』と思われるほどでなければならないのです。そうでなければ人はついてきてくれません」

又次のようにも述べている。「人は得てして、恵まれた環境にあっても、与えられた仕事をつまらないと思い、不平、不満を口にします。しかしそれで運命が好転するわけでもありません。与えられた仕事を天職だと思い、その仕事を好きになるよう努力し、さらに打ち込むのです。そのうちに不平・不満が消え、仕事も順調に進むようになっていくはずです。さらに懸命に働き続けていくことで、素晴らしい考え方や人格を自分のものにすることができ、結果として、物心共に豊かな人生を送ることができるのです」

現下の働き方改革とは相いれないような働き方、考え方ですが、人が成功するためには精神的な支柱も、異なる考え方の構築も必要なことなのです。私を含め、大多数の人は博士でも、大臣でも、社長でもない。後世に名前を残すことは考えられない。しかし私たちは私たちなりに、地域で、仲間で、家族で、幸せに続く道を探し、作り、共有しようとしている。そしてそれが生活習慣となり、伝統に変貌していく。黄泉の世界から生き返った時、まだ私たちの作った道、通った小道の存在を見つけ、懐かしがるかもしれない。お盆を控えた夏休み、こんな他愛もないことが頭に浮かんでくる。

夏休みをなくせ、という人もいる。しかし私は反対だ。暑い夏を家庭で、郊外で、山で、海で、故郷で、過ごすことも大事だし、学校教育一辺倒の世界から離れて、新しい世界に踏み込んだり、経験や体験したりすることも大事だ。又自然に囲まれた日本を自分の目で見ることも大切なことだ。そして二学期に新たな気持ちで学校教育に帰ってくる。この時代に経験したことは大人になって大きな成果となって表れてくる。

学校時代に与えられた夏休み、大切に、そして有効に活用していこう。諸般の事情で夏休みを十分利用できないお子さんは幼稚園で担当の先生と十分交流を深めあっていきましょう。幼稚園のお友達、病気になったり、事故にあったりすることなく、楽しく元気いっぱい、可能な限り有意義に過ごしましょう。

葉月、八月、盛夏の季節、真剣になりすぎたり、期待しすぎたり、悩んだり、嘆いたりすることなく、人生をもっと軽く、あっさり、気楽に考える月、皆様のご健康とご多幸を祈念しています。

確実に成長・発達の子どもたち

2024.06.29

確実に成長・発達の子どもたち



夏に至る夏至を過ぎ、私たちは真夏の7月を迎えました。4,5,6月のこの三か月間、保護者の皆様にとっても、子どもたちとの関わりで、さまざまな悩みや憂い、反対に喜びや感謝があったと思います。子どもたちにとっても大きな状況の変化の中で、大人以上に緊張を強いられてきた事も多々あったと思います。しかしそんな厳しい環境の変化にもまれ、苦しみながらも子どもたちは大人が考える以上に大きな成長を遂げ、様々な行事を経験して、成長・発達の道を踏み外すことなく、7月の季節を迎えることができました。

ご家庭でも子どもたちの変化や成長を実感されることもあると思います。様々な収穫体験では自然との触れ合いを通じて、自然界の食物を身近に感じたことと思います。又クラス活動を通じて友達との関りを身近なものと考え、時にはトラブルを起こすことがあっても、子どもなりに解決していく、あるいは先生のアドバイスの下で仲良くなっていく、そんな微笑ましい光景も至る所で見られるようになりました。反面、自我が芽生え、自己主張を強める子どもたちも出てきました。いろんな子どもがいてもいい、先生も大きな優しい心でいつも見守っています。

体操の先生の指導の下、2歳児さん、年少組さんは体を動かしたり、運動器具を使ったり、ルールを知ったりして、興味が一層ついた感じです。年中、年長さんは今までの活動内容を踏まえて、より難易度の高い領域を目指しています。10月の運動会では大きな花を咲かせることになるでしょう。

英語そのものを勉強するのではなくて、世の中には人種、言語の異なる様々な人々がいることを知ってもらおうと始めた外人講師による英語、子どもたちは先生を恐れることなく、親しみをもって言葉に取組んでいます。発音に関しては大人よりも上手いのかも?

絵画の先生は、その世界では実力のある先生で、0~2歳児さんもご指導いただいています。年少組さんでは同じ色(単色)を好んで使ったりして絵に対して興味を示し、今までの単色の表現から様々な色を使うことに成長し始めます。子どもの成長と同じように絵画にも成長の段階があることを踏まえての指導です。

音楽は徹底的な歌唱の指導を行い、次に合奏ではいろいろな楽器に慣れ親しんで器楽合奏の向上を目指しています。その為に、小学校以上とは言いませんが、幼稚園には必要以上の十分な楽器が備わっています。

異なった講師の指導を仰ぎながら、幼稚園の先生もこの三か月間フル活動をしてきました。子どもたちの大きな成長要素を形作ったのではと自負しています。その辺のことを7月の個人懇談会で話し合っていただければと思います。長い夏休み前には夏祭り、お泊り保育があります。夕方のひと時をお子様とご一緒にお楽しみください。

ところで純情で無垢な気持ちの子どもたちもびっくりするような発言や方便が政治の世界でまかり通っている。当人たちはうまく相手をやり込めたとかうまく切り抜けたとか、騙された方が悪いと思っているかもしれませんが、日本は聖徳太子の時から性善説が信じられ、「和を以て貴しとなす」の世界、詭弁を駆使して、相手を打ち負かすよりも誠実に、純粋に生きていく方が人間として優れている。私たちはいま人間として「真に守るべき価値とは何か」ということを思慮し、戦争や自然災害の世を生きなければならないという時を迎えているように思う。又礼節とは人間相互だけのものではなく、私共の生きる地球や自然に対しても持つべきものである。当たり前のことが私たちの胸に響くのはどうしてだろうか?

7月、文月、夏休み、海や山の季節、病気になったり、怪我をしたりしないで、元気いっぱい過ごしましょう。ご支援、お力添え、ありがとうございます。




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