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前を向いて今年も進もう

2024.12.19
前を向いて今年も進もう


202511日、新しい年、新しい月日が始まりました。あけましておめでとうございます。年の瀬の喧騒がどこへ行ったのかのように静まり返り、家の内外に何かしら厳粛な空気がみなぎっています。家の前を通る神社の参拝客にも、気のせいか昨日までの佇まいとは異なって感じてしまう。無事に新年を迎えることができたことを神様はじめ、様々な人に感謝の気持ちを伝えねばなりません。

人はどんな逆境や窮地にあっても、最後の一瞬まで希望を忘れてはならない、これはよく言われる言葉です。前を向き、活力にあふれて生きようとする人はこの信念を無条件に祝い、大きな夢を託すものです。私たちの中には新年と言ってもそれは読みが変わるだけで、何も変化がない、平凡な日々の連続の一日に過ぎないと言う人もいます。

私たちが学校で習った鴨長明の方丈記冒頭文には「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖又かくのごとし」(流れゆく川の水は絶えることがありません。しかもよく見ると、新しい水を常に入れ替えています。変化しています。流れが止まっている水面には、ブクブクと泡が浮かんできます。しかも大きな泡も生まれたかと思うとすぐに消えていきます。いつまでもふくらんでいる泡等見たことがありません。まさに人の一生も同じではないでしょうか。川の流れのように、幸せも悲しみも時と共に過ぎていきます。大切な家も財産もはかなく消えていきます)家も財産も一瞬のうちになくなる大変な時代に生きた鴨長明は無常感あふれる文章を書いていますが、正月は暦の連続性ではなく、新しい動きのあらわれとして、この方丈記を勝手に解釈してしまいます。昨年2024年はどのような年だったのでしょうか。

大谷選手、パリ五輪、能登半島地震、裏金問題、トランプ氏圧勝、ウクライナと中東情勢、自民党過半数割れなど等の嬉しいニュースと悲しいニュース、見たり聞いたりしたくないニュースがありました。宗教、民族が異なると言うだけで、人を殺害することを平気でできるのでしょうか。日本にも最近外国人とのいざこざが頻発していることの懸念もあります。矛盾に満ちた世界、ダブルスタンダードの基準、独りよがりの政策、世界がもっと楽しく、有意義に生きることを学ばねばなりません。せっかく日本の被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞をもらったのだから。2年前の文章では日本の出生数が80万人を切る事の不安を書きました。そして今、70万人を切ることがささやかれています。

ある幼稚園の経営者は幼稚園の未来は明るくないと言って、子どもを幼稚園以外に就職させました。しかし子どもたちがいる限り、幼稚園の存続、存在意義はあり得ることだと私は思っています。その対策の先頭に立っているのが、三原じゅん子大臣、子ども政策、少子化対策、若者活躍、女性活躍担当です。若い時の活動からすれば、今の職責は隔世の感があり、任命権者の決断はある意味英断であると思います。丁度堺市の民間人校長にアメリカ人が抜擢されたように、教育委員会の素晴らしい決断だったのでしょう。過去や国籍や民族での判断基準の変更は必然的なものになってきました。私たちの社会に大きなプラスになるのか、はたまた社会に大きな亀裂を生み出すことになるのか、避けて通れない大きな問題かもしれない。

今学期は音楽生活発表会の大きな行事があります。今それに向けて先生と子どもたちは必死です。又3月には卒園式で、年長さんは巣立っていきます。それぞれの学年の子どもたちも進級を迎えます。子どもたちは一歩一歩大きな成長過程のレールに乗っています。いつの間にかこんなこともできるようになったことも目立ってきました。幼児期は人生で一番大切な成長、発達の基礎作りの時期、これまで同様、積極的に取り組んでまいります。子どもたちの未来は前途洋々です。私たち大人はそれが実現できる環境作りを頑張っていきましょう。

保護者の皆様には今まで同様のお力添え、ご支援、よろしくお願い申し上げます。輝かしい初日の出に向けていざ出帆です。Bon voyage.

「来年こそは」と師走に想う

2024.11.27
「来年こそは」と師走に想う

2024年もいよいよ最終章を迎えました。今年こそはと期待と希望をもって臨んだ年、皆様方にとって、満足のいくものでしたか。それとも来年こそはと新しい年に望みをつなげているのでしょうか。どちらにしても2024年は私たちの人生において、それが重要であるかは別として、後になって考えてみれば、大きなターニングポイントになったと思われるかもしれません。その大事な見過ごすことのできない2024年もあと一か月、今年充実したと思っている人もそうでないと勘違いをしている人も、残された31日間を絶対後悔しない日々にしましょう。

時間は誰にも平等であると同時に誰をも待ってくれません。この瞬間も今は過去になり、未来は現在になっている。過去が咲いている今、未来の蕾でいっぱいな今なのです。「好奇心こそ進歩の糧」とか「前例踏襲は最後の手段」等とよく言われますが、まわりまわってその言葉を生かしきれない自分がいる。この11か月間、どのように日々過ごされたのでしょうか。大きな喜びはなくとも、たとえそれが他人から見れば本当に小さなものであっても、それは人生における至福の時であり、喜びの瞬間だと思う。不幸しかやってこないと言う人も実は周辺に沢山の幸せがころがっているかもしれません。ただそれをつかみ取る努力や意志や意欲がないだけかもしれない。自分を正当化する弁解は何の役にも立たないし、その人を守ってくれることもない。

四月に進級、入園して八か月、子どもたちは様々な試練を乗り越え、経験や体験を積み、努力を重ねてきました。友達との交わり、交流する経験や喜び、新しいまだ知らない物への旺盛な好奇心を持ち、又肉体を鍛え、頭脳を磨き上げ、手先の器用さも会得しました。様々な行事を積み重ねて、今やだれにも負けない子どもの輝きを身につけました。もうどの舞台に立っても正々堂々とその年齢以上の活躍ができ、其の上、十分な知識も身につけています。今月のクリスマス会やお餅つきで、西洋や東洋の風俗習慣を体得し、未来への大きな一歩を踏み出します。政府も大人への投資よりも格段の効率の良い子どもたちへの大きな投資を決めています。就学前の子供たちの活躍は何かと暗い世の中にあって、光り輝く未来への大きな期待がいっぱいです。

ところでトランプ氏が大統領になってからフェイクニュースという言葉をよく聞くようになりました。フェイクと言えば、偽の毛皮とか一般に偽物等によく使われていましたが、ニュースがフェイクとは最近の傾向なのでしょう。それ以前に、何がフェイクで何が真実なのでしょう。為政者に都合の良いニュースが真実で、都合の悪いものはフェイクなのか。アメリカの次期保健省長官に選ばれたケネディ氏はワクチン等もフェイクであると言い又トランプ氏の言う事にはフェイクが多いと主張する人もいる。

国内に目を転じても、あの人は民に選ばれるほど高潔でないとか、実はあの人は裏と表を器用に使い分けていると言う。自分の意見や思想に合致していれば、一般の真実と少し異なっていても、それがその人たちの中で真実として受け入れられていくきらいがあると考えれば、客観的な真実がない場合は、自分の規範に照らして、それが合致していればフェイクでないと考え、又多数の人が信じているのだから、それは真実に違いないと思ってしまう。

関東大震災時の震撼させるような人種偏見に基づくニュース、太平洋戦争に至る真実、政府が、学者が、上司や先輩が言っている、信じているから、それは本当の真実であるという理屈は今の世界には当てはまらないことが多い。何が本当で、何が嘘なのか、年末の今、純粋な気持ちになってよく考えることも必要なことだ。疑わしきは罰せず、とは裁判でよく使われる常套句であるが、私たちは何が真実で、何が嘘か、そしてその中間がないのか、生きていく上で、難しい判断を迫られる私たちは、様々な誘惑を排除して決めるのが難しい社会に住んでいる。しかし未来の子どもたちのためにも、清濁併せ持つ社会でなく、もっとクリアに人が人を疑うことのない社会を作り上げたい。

師走、12月、この一年間、保護者の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。

どうぞよいお年をお迎えください。ご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。

Arrogance kills

2024.10.31

Arrogance kills

9月になったとはいえ、まだまだ30度を超えるような気温が続いた日本の秋、そんな中、時間を限定し、水分補給をこまめに行い、担任や体育指導の先生方が考え、構成した運動会の演目を汗を流しながらの必死の練習です。本番さながらの予行演習も行いました。懸命な努力、必死な姿の先生と子どもたち、努力は裏切ることはなかった。運動会本番での子どもたちのやり切った顔、満足そうな姿、ひたむきに演じる子どもたち、私たち大人は何物にも代えがたい大きな喜びを感じ、成長した子どもたちの姿を再認識したのではないでしょうか。やらされたり、強制されたものでない、内からほとばしるような、満足そうな顔の表情や笑顔、誰もその感動を否定できません。作り物でない、内から出た演技、競技は本当の本物です。

保護者の皆さんの大きな声援に励まされて、子どもたちも大きな達成感を得たものと信じています。一つ一つの大きな山を乗り越えて、確実に大きく成長する軌道を進んでいます。成績だけの認知能力だけでなく、誠実に立派に楽しく人生の道を歩む一つの指標の非認知能力も確実に身につけてきました。幼稚園生活を立派に送ることはすなわち良い人生を得ることができる事にもつながっています。これからが楽しみな子どもたち、同時に今後の日本を支える重要な構成員でもあります。

青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものだ。又ある人は70歳であろうと16歳であろうと、驚異に惹かれる心、幼子のような未知への探求心や人生への興味の歓喜がある限りその人は青春だ。

We are only young once. 若い時は一度しかない。というようにyoung は一般的に若い人を指すことが多いのだが、先日89歳、85歳、84歳の人と一緒になった時、言語的にはold であり、elder であるのだが、私は youngest だと言われた。そんな使い方もあるのかと感心したのだが、人が集まると、昔は一番若かったのだが、だんだん真ん中になり、今ではほとんどの場合年長になっている。高校の担任をしている時に、最初はほとんどの保護者が年配であったが、いつのまにか保護者と同じ年齢になり、そして保護者が後輩になっていった。その時はyoungestと言われたが、誰も年齢を感じさせない溌溂さにも驚かされた。人が意欲を持っている限り、希望を持っている限り、その人は青春だと思う。 

さて、私はめったに電車に乗らないし、道路を長く歩くことはない。しかしこの間やむなく歩道のない狭い市道を歩くことを余儀なくされた。いつもは何とも思わない道が歩行者の立場になると、歩くのが怖いくらい恐怖に感じた。車が凶器に思えた。歩くスピードと横を走る車の速さの違い、一瞬のハンドルさばきのミスが歩行者に打撃を与えてしまう。歩道のないことは勿論問題だが、時には逆の立場になってみるのも必要だと強く思った。普段何気なく見ていることが、それが普通でなく、危険な状態であることを改めて思い知らされた。

さて、人には様々な人生訓があり、それは国や町やビジネス界の規範になっている。この間、日経新聞の「私の履歴書」で見かけた記事が気になった。それは洋の東西を問わず、成功する、あるいは成功した人の不可欠な処世訓だろう。アメリカの投資ファンドKKRの会長の座右の銘は「arrogance kills」であった。これは日本にある諺「実るほど頭が下がる稲穂かな」と全く同じ意味、すなわち傲慢になる事を戒めたものだった。

ある人は幸せな人生を送るためにはどうすべきかと問われ、「正直に生きるという一点に尽きます。人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と答えた。正直に生きる、それがお天道様に恥じない生き方なのです。そしていただいたご縁を大切に、誠心誠意尽くしていけば、信頼の輪は着実に広がっていく。又人の死はいつ訪れるかわからないので、だから今日一日でやり残したことがないよう日々悔いなく生きることの大切さを述べている。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」は学問でも、技能、財産、地位でも、持てば持つほど謙虚になる事だが、言うのはたやすいが、ある程度物を持ち、教育を受けた人が実行するのは少し厳しいかもしれない。しかしそれに向けて、一層謙虚に素直になり、感謝の気持ちを持つことが必要なのです。とその人は述べている。

出雲から神々が各地に帰ってきました。11月、霜月、文化かおる月、そして又働く人への感謝の月、今月も皆様方にとっては素晴らしい月になります様にご健康、ご多幸を祈念しています。秋の夜長のつれづれに少し長々と書いてしまいました。 

激動の20代

2024.10.01
激動の20代

もう戦前を超えたとか凌駕したという言葉を何回聞いただろうか。朝鮮戦争の特需でそれまで打ちひしがれていた日本の経済は飛躍的に発展への道を歩み始めた。池田首相の「貧乏人は麦を食え」は当時としては当たり前のことを言っただけだが、白米にあこがれる消費者に忖度するマスコミが貧しい人々を侮蔑する言葉として取り上げた。実際、戦前まで、例えコメ作りの農家であっても、かなりの農家が米を食べていなかった。供出米として政府に差し出し、年貢米として地主に米を引き渡すことで、手元に残るコメは少なかった。年に数回のお祭りや祝い事の時に白米を食べただけであった。麦ごはんが主流を占めた。私自身も農家の出であるが、祖父が麦を作り、それを米に入れて食べることがあった。

池田首相は所得の高い人は米を、低い人は麦を食べると言う当たり前のことを言っただけであった。池田首相の所得倍増計画や日本人の勤勉さと相まって、国力が大幅に伸びた。輸出にもドライブがかかり、商社マンや会社員が世界狭しと日本製品を売りまわった。又戦前の「安かろう、悪かろう」の欧米人の日本商品に対するイメージを払拭するために、デミング賞等を筆頭に品質管理にも力を入れ、大きな成功をおさめ、世界中から求められるようになった。それと軌を一にして、驕れる日本人が話題になったのもこの頃である。

今はコンピューターからAIへの大きな科学の進歩が言われているが、私の20代も留まることのない大きな変化の波に翻弄された。1963年(19才)、初めての衛星放送がアメリカから中継された。しかしそれがあまりにも悲劇的なケネディ大統領の暗殺のニュースであった。日本国民誰もが暗澹たる気持ちになった。同じ年、名神高速道路が尼崎―栗東間で一部開通した。ドライブした友人が「やはり外車が違うわ」と言った言葉が印象的であった。その時日本人で車を持つ人は本当に少なかった。豊中で乗って栗東で降り、琵琶湖大橋を渡って帰ってくるのがお決まりのデートコースになった。次の年になると、新幹線が開通した。それまで東京までは8時間、それが3時間30分になった。誰も用事もないのに新幹線に乗りたがった。京都や名古屋までが定番になった。そしてこの年東京オリンピックが開催され、私と同じ年齢の広島の被ばく青年が最終ランナーとなって、長い階段を駆け上って聖火台に火をつけた。

同じ頃、紆余曲折があった名阪国道も無料の一般国道25号として、時の河野一郎運輸大臣のもと、1000日道路として開通した。今や名古屋と大阪を結ぶ重要なインフラとしてその役割を果たしている。そして196925才)年アメリカNASAのアポロ11号で人類が初めて月に降り立った。これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。Thats one small step for a man, one giantleap for mankind. 3人の宇宙飛行士が持ち帰った月の石は大阪万博に展示された。この時私は日本にいなかった。日本から遠く離れた南米アルゼンチンのブエノスアイレスでスペイン語で書かれたこの言葉を新聞で読んでいた。同じ頃、空前のブームになったライアン・オニールとアン・マックグロー主演の映画「Love Story, ある愛の詩」とその主題歌に大きな感動と感銘を受けていた。愛とは決して後悔しないこと。Love means never having to say you are sorry.余談だが、当時ブエノスアイレスではミニスカートが流行っていた。白人(アルゼンチンはほとんど白人)の女性がそのプロポーションのとれた体に着けたミニスカートは私には何か異質の世界に紛れ込んだようだった。しかしそれもわずか3か月ですっかり慣れてしまった。そして最後は1970年の大阪万博であった。残念ながら日本にいなかったので、人から伝え聞いただけであった。私の家族や知人、そして日本に行って帰ってきたアルゼンチン人の誰からも興奮をもって伝えられた。

10代から20代半ばまでの多感な青春時代、あまりにも大きな出来事の数々であった。どれ一つ取り上げても大きなストーリーができる豊かな内容であった。日本の輸出ドライブは続いていた。私も会社員の一員として、各国を回って商品説明をし、日本に来た外国人に日本の良さ、優れた日本の製品を紹介した。ドル不足に悩む日本では官民一体になって日本の盛り上げを図り、ドルを買って海外に行く旅行者に厳しかったが、外国から帰ってきた会社員は税関フリーパスの優遇措置を受けたこともあった。

当時日本人はよく働いた。働き方が猛烈であった。それが何の苦にもならなかった。それが当たり前であった。誰もが何もない日本が生き延び、世界に認められるのは品質の優れた商品と日本人の勤勉さであった。それが豊かになる道であった。そう誰もが信じていた。今の働き方改革を見、日本の国力が2位から30位以下に落ちている現状を考えれば、戦後の発展の礎を築いてきた今は亡き人々はどう思うのだろうか。今は今、今は昔と違うと言ってしまえばそれまでだが、日本人が受け継いできた、世界に称賛された、精神的支柱までも失うことになれば、昔の日本人が営々と築き、作り上げてきた遺物や遺産で外国の観光客を呼び集めている現状をどう思うだろうか。

幼稚園の子どもたちが暮らす日本、彼らの青春時代はどんなものが待ち受けているだろうか。空飛ぶタクシー、リニア新幹線の開通や北陸新幹線の京都延伸、AI導入による失業率のアップ、出生数50万人を切るますますの少子化、外国人労働者の取り合い、人種問題の勃発、現金がなくなり、超音速旅客機の開発などによって世界はますます狭くなってくる。国境はあまり意味をなさないが、宗教的対立や人種間の争いも頻発するだろう。逆に考えれば、狭い偏狭ナショナリズムを捨ててしまえば、収まる可能性もあるが、誰もがアイデンティティの確立を求める今、対立は一朝一夕に解決するものではない。

10月、運動会があります。子どもたちは今一生懸命練習に励んでいます。どうぞご家族そろってのご来園お待ちしています。




水ゆたか、流れる河、イムジン江(河)

2024.09.02
水ゆたか、流れる河、イムジン江(河

久しぶりに幼稚園に帰ってきた子どもたちは、毎年そう思うのですが、一段と大きく成長している。しばらく見ていないための錯覚だろうか。いや、実際にこの夏休み中の成長の度合いは大きい。話の内容にも、その話し方にも、それなりの大きな発達を見ることができる。身長も伸び、体重も増えて、大げさに言えば、これからの人生の荒波に向かって進んでいくための基礎的な体力が徐々に形成されつつある。これから頼もしい人間に成長していく楽しみの過程と言っても過言ではない。

そんな子どもたちにとって、これから始まる二学期は幼稚園生活の充実、発展、完成への過渡期、登山で言えば、中腹から山頂を目指しての一番大事だが、ある意味、ゴールを目前にした頑張りどころです。この学期は運動会、作品展、目を外に向けると、様々な収穫体験や遠足や自然との触れ合い、よく言われる非認知能力の涵養、収得にも大きな成果が得られる活動がいっぱいの時です。

今月はまだまだ残暑が厳しいですが、体調、健康に十分注意して、10月の運動会の練習に全力で取り組んでまいります。又中旬には子どもたちを誰よりも慈しみ、その成長を目を細めて見守ってくれているおじいさん、おばあさんの敬老の日参観があります。子どもたちを通して、50年ほど前の自分の姿を過ぎ去った子供時代を思い出しながら、嬉しい年月の経過を実感していただけるのではないかと密かに思っています。幼稚園は私たち先生、子どもたち、保護者の皆様そしてご家族の人々が一緒に集うファミリーです。人が生まれてきた以上は、何か社会的貢献、例えそれが路傍の草引きでも、ごみ集めでもいい、だとすれば、保護者の皆様を含めた私たちの活動は幼児たちの発達・成長の大きな手助けをしている、未来の有能な人材への社会的貢献をしていると言えるのでしょう。それが我が子だけでなく、他人の子どもであっても、手を差し伸べていくことに繋がっていく。

そういう意味ではアメリカは一代で築いた財産を大学などに大きな寄付をして、自分の名前を冠した建物を作るとか、あるいは純粋に大学に寄付したりする。アメリカの有名な大学はほぼ私学だが、その結果それらの大学は想像に絶するほど資金力があり、その運用については株式やその他の投資にまで影響があるそうだ。最近ではコロンビア大学やハーバード大学の学長が辞職を余儀なくされたのも、ユダヤ系の大口寄付者によるところも大きいと報道された。又それらの資金を活用して、世界中から若手研究者を集め、研究成果を競っている。それらの資金を頼って海外に招かれて研究している日本の研究者も多い。ある意味、寄付と税金は密接に関係していて、寄付すれば、税金の控除を受けられる場合が多い。日本でも最近の文科省はこの寄付制度の促進を促している。少子化によって、学校の運営が厳しくなった中で、この寄付金控除の拡大は大きな前進と言える。

8月初め、韓国に行った。関空から1時間30分、韓国は身近な隣国だ。25歳の時に関釜フェリーで、下関から釜山に着き、その後400kmあまりドライブしてソウルに着いた。1971年であった。街はきれいでなかった。貧しかった。明洞通りもごみごみしていた。そして20年後再び韓国に行った。前よりは印象が良かったが、それでもあまり行きたいとは思わなかった。そして今年、ソウルは変わっていた。私の持っていた昔のソウルのイメージは全く払拭された。漢江の奇跡だとよく言われるが、都市は大阪と同じかそれ以上だと思った。通りはわずかなレクサスとドイツ車以外はほとんどヒュンダイかkiaの車であった。所得は日本と同じかそれ以上とのこと、ソウル大学に続くナンバー2の延世大学のキャンパスの広さに驚いた。  

1970年代は韓国の中高齢者はほとんど日本語が通じた。今のソウルの街でも韓国語がわからなくても、ある程度日本語は通用することが驚きであった。街は活気にあふれ、昔の不潔なイメージが全くなかった。私が見たのはソウルの光が当たる一部分だけなので、国全体のイメージではない。個人的にはキムチが好きだが、韓国で食べたキムチや冷麺、焼肉などは本当に魅力的であった。二日目、ガイドさんと一緒に5人で38度線に向かった。北朝鮮に続く道路は片道3車線以上の堂々とした高速道路であった。北朝鮮から流れてくるイムジン江(河)が豊富な水量を湛えながら韓国に向かって流れていた。私の世代ではザ・フォーク・クルセダーズのイムジン河が有名であった。しばらくするとゲートがあり、それ以上進めなかった。その時、戦車を積んだトラックが通り過ぎた。静かな場所だが、何か空気の張りつめた緊張感があった。その場所からイムジン河をロープウェーで超え、米軍が駐留していた場所まで行った。ロープウェーの出発地には大きな遊園地があり、誰でも来ることができた。南北融和を演出しているのだろうか。あわただしい二泊三日の韓国旅行であったが、韓国を身近に感じることができ、日本から韓流ブームで沢山の人が韓国に行く理由がわかるような気がした。この旅の大きな収穫であった。

9月1日より、願書配布になっています。ご近所、お知り合いで、入園対象のお子様がおられましたら、是非お勧めしていただきますよう宜しくお願い致します。

9月、長月、天高く馬肥える秋、今月も子どもたちと楽しく有意義に過ごしてまいります。

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