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閉塞感を打破しよう

2018.10.01


 言っても仕方がないことがある。しかし言いたくなり、疑問が湧いてくる。どうして日本で生まれたのだろうか。アメリカで生まれていれば、英語はぺらぺらなのに。いつでも世界の中心、ニューヨークを訪れる事が出来るのに。ひょっとしたら大金持ちになっていたかもしれないのに。しかしアメリカ人でも英語が片言の人がいるし、ニューヨークに行った事のないアメリカ人は本当に多い。アメリカは工業国家であると同時に農業国家であり、地方で働いている人は土、日になると地方の小都市に遊びに行き、ニューヨークやシカゴ、ロスアンゼルスまで足を伸ばす人が少ない。まして一部の人は大金持ちだが、残りの人はそんなに金持ちでなく、質素な面も沢山ある。現実アメリカの国民所得は世界8位で、日本が25位、金額にすると2万ドルほど高いが、物価や家賃などを考えると、日本の方が住みやすいかも。反対に低開発国や戦闘状態の国に生まれてきたらどうだろうか。例えば、アフリカ、近代化されつつあるとはいえ、政治の貧困が目につく。逆に考えればビジネスチャンスの宝庫。ISが悪あがきした中東ではどうだろうか。自分の意思とは関係なく軍隊に徴兵され、あるいは死と隣り合わせの恐怖に満ちた生活を送っているかもしれない。そして時代的にはどうだろうか。戦国時代に生まれていればどんな事をしているだろうか。いまの社会ではあまり活躍していないが、そこではトップとの距離が短く、意思疎通がよく働いて、家老職になっていたかもしれない。又男性の会社員は男がもっと大事にされていた時代に生まれていればと密かに思うかもしれないが、昔から日本では女性の力が比較的強かった事を思い浮かべるとよい。表面的には男性は強そうに見えるが、実は・・・・・である。と考えるとどの時代に生まれても、例え世界大戦の時代に青春時代を過ごしても、それなりに時代に合った凝縮された青春時代を過ごしていて、悔いはない。親の決めた人と結婚させられたと嘆くかもしれないが、自由恋愛で破綻の激しい今の時代では過去の見合い結婚の方がかえって長続きする。日本の今の時代は本当に幸せな誰もが納得できる時代だろうか。他人の失態や失敗、秘密を故意に大きく取り上げて、心にたまった鬱憤を晴らしていないだろうか。プライバシーとか個人情報とかの御旗を掲げている割にはそれを本当に守っているのだろうか。昔から愛され、使われてきた日本語がいつの間にか自主規制で使わなくなり、使う事に躊躇するようになった。言論の自由は果たして自主規制の対象だろうか。「物言えば唇寒し秋の風」(芭蕉)の心境で人は自己防衛をし、本音を語らなくなった。そんな中で臆面もなく強く発言する人の意見に恐れおののいている。困った事が起きるとすぐに弁護士に相談するが、彼らとてオールマイティーではない。法治国家の法の解釈人であって、それ以上でも以下でもない。恣意的にすれば法は右にも左にも解釈される。その意味で正義とは何かという難問にぶつかる。法を守るのが正義なのか、法を破ってでも人の命を優先するのが正義なのか。正義に100%の正義はない。それは時によっても異なり、その人の思想、信条によって、又国によっても異なっている。大多数の人が支持するからと言って正義とはいえない。自己判断、自己責任を軽んじ、全て国や政府におもねようとする日本、すくなくとも私にはそう見える事が少なくないのだが、働き方改革や内部告発の奨励と相まって出口の見えない閉塞感に覆われつつあるように見える。少し前まで影・形もなかったアメリカのgoogle等の所謂GAFA,巨大なAmerican dreamを実現したシリコンバレーの創立者達、そこまでいかなくとも何らかの形でAmerican dream を実現した人たち、そんな人を目指して必死に努力するプラス思考のアメリカの人達、日本人もそんな人達を羨むのでなく、Japanese dreamを目指していきたいものだ。幼稚園っ子が成人を迎える10数年後には又別のイノベーションが待っているはずだ。それに挑戦するのは若者の特権だ。人生は本当に短い。過ぎ去った50年前の出来事を鮮明に覚えている。少し前のように感じる。時間を無駄にしないで今できる事に精一杯チャレンジしよう。明るい未来、自由で平和な未来、そして全ての人が幸せな未来を作るために。

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