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2024年、平和で安心な世界が訪れますように

2023.12.19
2024年、平和で安心な世界が訪れますように

あけましておめでとうございます。2024年1月、新しい年が始まりました。新しい年と言ってもただ単に年号が変わるだけで、何の変化もないと醒めた目でシニカルに言う人もいるでしょう。しかし新しい年はやはり何かしらドキドキ、ワクワク、ある期待感を私たちにもたらしてくれるのも事実、悠久の歴史の中で人類は何回新しい年や四季の移り変わりを身をもって体験したことでしょう。そして今年こそは、今年こそはと思いを新たに挑戦してきたか、あるいは挑戦しようとしたことでしょう。一年の計は元旦にあり、とは名言とはいえ、どれ程の人がそれを自分のことと捉え、実行してきたのでしょう。それがいいか悪いかは別として、明治以前は、20年たっても、30年たっても、例え50年たっても世の中の変化はなかった。大きなほぼ決まった枠組みの中で、人は生まれ、成長し、結婚し、出産し、老いて死んでいった。自分の意志で大きな変化にチャレンジすることはほぼなかった。 
しかし21世紀の今、人間の能力や才能には昔とそれほど相違はないが、時代やその背景は大きく異なり、人との交わりも希薄化されてきた。それと同時に島国日本も容赦なく世界の荒波に翻弄され、日本だけが他国と別でいることができなくなった。否応なくグローバリゼーションの世界に飲み込まれるようになった。それは体制や人種の問題にとどまらず、私たちの心の中にまで変革を迫られるようになった。古くから維持してきた道徳や公共心、考え方、習慣などが諸外国からの激しいパッシングにさらされるようにもなった。
又今まではあり得なかった考えや思想もそれが正しいものと認識され、受け入れることを余儀なくされるようになった。私たちは昔の人なら、こう考える、このように物事を進めていく、あるいはそれは独りよがりの思いで、そんなことは考えられないといったことが諸外国とのフィルターに掛けられ、それは当然とか、当然のこととして処理されるようになった。21世紀に入り世界は混とんとした状態になり、対決や力の世紀になってきた。いたる所で民族、宗教、領土などの問題で、人が人を平気で殺し、傷つけることが日常茶飯事、まさに狂気の時代に私たちは翻弄されていると言っても過言ではない。又誰が悪いと声高に叫ぶことも躊躇され、口をつぐむ傾向もある。1980年、ニューヨークのダコタハウスで不本意に生涯を閉じた John Lenon と Yokoの「imagine」はベトナム戦争の最中、一部共産主義、左翼思想と揶揄されることもあったが、その内容には共鳴することが多い。「想像してみて、天国などないと。その気になればかんたんさ、大地の下に地獄など無く、頭の上にあるのは空だけ。想像してごらんよ、みんなが今日を生きている。想像してみて、国など無いと、難しい事じゃないさ、殺したり、殺されたりすることもなく、宗教も無い。想像してごらんよ、みんなが平和に暮らしている。君は僕を夢想家だと言うかも、でも僕だけじゃない。いつか君が仲間になってくれたら、世界は一つになるんだよ。想像してみて、独り占めも無いと、君にできるかな。欲張る必要も、飢える必要もなくなって、人類は兄弟だ。想像してごらんよ、人々が世界を分かち合う」戦争で犠牲になるのはいつも若者や名もない市井の一般市民、平和に心安らかに暮らせる日がいつ来るのだろうか。 
幼稚園の3学期は音楽・生活発表会と卒園進級です。作品展が終わり、すぐに発表会に向けて取り組み始めました。過去から引き継いだ豊富な衣装、教職員が作った新しい衣装、それらを身に着けると別人のように子どもたちは光り輝いて見えます。合唱や合奏、音楽も大きな進化を目指して練習にまい進です。そして幼児教育の最後の大きなイベント、卒園式です。大きな成長を遂げたことを本当に誇らしげに語ってほしいと思います。この子たちが理不尽な環境に巻き込まれることなく、まさに堂々と道の真ん中を進まれることを心より期待しています。この2024年がお子さまにとっても、ご家族の皆様にとっても、幸多く、健康で心豊かな年でありますように心よりご祈念申し上げます。
 

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