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変化と順応

2021.06.01


 最近、子ども庁の創設が議論され、就学前教育や小学校・中学校の問題を一元的に扱うとされ、近い将来本格的に活動することが報道されている。その中で就学前の教育・保育を10年後を目途に、一元化、すなわち、幼稚園、認定こども園、保育所が同一の施設として機能することが一部の委員の間で検討されていると報じられた。その後さまざまな人や団体からの意見があり、その案は一応凍結された。それぞれの三つの組織の生い立ち、役割、仕事内容、目標が違っている。最近、幼児教育を受けた大卒の70%近くが保育所志望だとか。幼稚園は音楽をはじめ、様々な教育活動、仕事内容、時間的制約の面でも忌避されている。しかし私たちは就学前の教育・保育を充実したものとし、立派に小学校につないでいきたい。3施設の役割が異なり、それぞれの施設が存在することに大きなメリットがある。
さて、世の中は刻々と変化を続けてきたし、今も不断に変化している。これからも留まることなく変わっていくだろう。その中で昔の常識が現代ではそうでなくなり、今の常識が未来の非常識になりえる。その変革のスピードに取り残され、順応していかなくなると、世間からの疎外感を味わうことになりかねない。私事で申し訳ないが、高校では理科系に入っていたが、大学は文系を受験した。海外で働きたいとの思いであった。小・中学生頃から宇宙にあこがれ、頭上に浮かぶ無数の星や天の川、北斗七星に心を奪われた。ソ連の人工衛星スプートニクの成功が興味を加速させた。実際私が生まれ、今も住む南区のこの場所でも南米の真っ暗なパンパスの草原で見た空と同じように、無論星の種類が異なるが、無限の数の星が空から降るようであった。毎日、誠文堂新光社の宇宙の本や星座表を片手に持ちながら空を眺めていた。電気のことも大好きで、大学を卒業して入社した会社では輸出用の外国語のパンフレット作りに励み、技術的なこともそれなりに習得に努めた。当時はオーディオ全盛時代であり、どこのアンプやスピーカーがよいとか、トランジスターか真空管か?評論家が好きなことを言い、それがまたマニアに受け入れられた。メーカーは技術を競い、人は新技術を求め、競って購入した。ドルビーもCD―4も開発され、今では見ることのできないAKAIやTEACのオープンデッキが垂涎の的であった。輸出用カセットデッキ付属のデモテープ作りに東京青山にあったビクタースタジオに行ったのもこの頃であった。音楽や楽曲にそんなに精通していたわけではなかったが、その当時の流行の曲やダイナミックで、心に響く曲を選んだ。会社を離れ、教育の世界に身を置き、時代が過ぎ去るままに身を任せていると、急速な技術の発展、アナログならまだしも、デジタルの世界には取り残されてしまった。何よりもむかし根を詰めて読んだ取扱書を読まなくなった。というより面倒くさくなった。今までやってきたのだから、わざわざ取説まで読む必要もないだろうと思うことが多くなった。根気の問題だろう。そしてこの位なら大丈夫と思うことが世間からは高齢者になれば注意散漫につながっていく所以でもある。まだまだ若いと思っていたのが、他人から見れば、そうではない。時代の流れに取り残されないように前を向いて進まねばならない。どのような変化を遂げたのか、少し書いてみたい。1960年代、アポロ宇宙船が月に到達した時代、北欧やアメリカを中心にして、ベトナム反戦運動と相まって、いわゆる性の解放が叫ばれ、自由恋愛やエロ・グロ全盛時代を迎えた。その時に清涼感あふれるLove Story が公開され、清純プラトニックへ少し舵が切られた。同時にウーマンリブ運動がおこり、女性解放が叫ばれ始めた。池田首相の所得倍増計画があり、月給は目を見張るほど増えていった。それに伴い、1ドル360円の固定相場が変動相場に移行し、1ドル200円から100円、それ以下になった。航空券も半額以下になった。外貨を稼ぐ方針が180度見直され、輸入奨励に切り替わった。日本の首相がデパートで輸入ネクタイを買うパフォーマンスも放映された。エズラボーゲル教授によるJapan as No.1 が刊行され、日本人は有頂天になってニューヨーク、ロスやロンドンで不動産や絵画を買いあさった。買えないものは何もないように思えた。バブルがはじけ、失われた10年、20年が始まった。高値で買った不動産は二束三文で買い戻された。絵画もしかりであった。60年代にそんな国に行くことは不潔感をもって見られた韓国や台湾、シンガポールに今や個人所得も抜かれ、世界第3位の立場も危うくなってきた。出生率の低下、人口減、未来への希望が潰えてきた。最近多様性が主張され、男女別姓が大きな問題となり、LGBTも声高に主張されている。それらに何も反対するつもりはないが、様々な急激な運動には常識はどのように対応していくのだろう。社会制度が安定していたころは常識が幅を利かせていたが、今はAさんとBさんの常識が異なることが多々ある。倫理観の違いと言ってもいいのだろうか。うかつにも「それが常識だろう」と言えなくなってきた。私たちは大量の役にも立たない情報に翻弄され、個人情報も白日の下にさらされている。人との共通点は必要だが、流されない自分の意見は世間の常識と違っても大事にしなければならない。何日も早くに始まった梅雨、水の大事さ、怖さを学びながら、この6月を乗り切っていきます。今月もよろしくお願いします。

食欲と給食

2021.05.01


 この間のたけのこご飯についてお子さんの反応はいかがでしたか?たけのこは以前は業者から国産品の調達がなぜか難しくて、食材で唯一中国産でしたが、10数年前に岸和田市内畑から購入が始まり、そこの竹藪も人手不足により、良いたけのこが収穫できないということで、今年はミカン狩りでお世話になっている村木農園の親族のムラタケ農園の村木さんにお世話になりました。村木さんは本来の計画の日であれば、たけのこはもう既に地上に出ているから、黒くなっている。出来るだけ土の中にいるたけのこを提供したいという思いで、調理する一日前に孟宗竹の藪から掘っていただいて、諏訪森、美木多、鳳の給食に使いました。やわらかくて、おいしいたけのこだったと思います。私のまわりにはコメ作り、野菜作り、果物作りで生業をしている友だちや知り合いが沢山いて、道の駅やハーベストにも出荷しているのですが、たけのこを見落としていました。何でもそうですが、スーパーやお店で売っている食品がそのものの本来の味と思っていますが、そうではなくて、もぎ取ったばかりの果物、収穫したばかりの根菜類や新米は本当においしい。少しでもスペースがあれば、野菜作りをしようとする目的は、なるほど健康上の理由もありますが取れたてのおいしさも大きな要因になっているようです。食材が持っているそれぞれの食感だけでなくて、本来のそのおいしさを最大限に引き出すことが食事を提供している私たちに求められる大きな役目です。勿論衛生面での重要性は大切ですが、それをあまりにも過度に考えて、何もかも煮沸処理して本来の味を損なうことを残念に思う。45年前の創立期より業者の給食に頼らずに、食材を選び、調味料を取捨選択し、安全・安心の言葉と共に、おいしさも追及してきた美木多幼稚園の給食、できるだけ旬の食材、信頼できる食品を使い、時には豪華にマッタケいっぱいのマッタケご飯(これだけは外国産)や富山県氷見市直送の冬の寒ブリを使い、子どもたちの食べる意欲を高めることも考えている。国産のウナギを使ったうな丼や混ぜご飯、おいしい牛肉がいっぱいのすき焼き風煮物、子どもたちの残食がほとんどなくなっている。10年前に厨房がなかった諏訪森幼稚園に、厨房の設備ができるまでの少しの間、美木多幼稚園で調理して、ワゴン車で運んだことも今は懐かしい思い出、その後にできた鳳幼稚園も同じように美木多幼稚園の給食システムを導入して今につないでいる。最近ではそれぞれの幼稚園の管理栄養士がカロリー計算をしながら子どもたちの健康の向上に努めている。私たちは外食するときはその料理がどんな食材、どの国の食材を使っているかはわからない。私たちはどうしてもの場合は外国産を使うことがあるが、そんなことは頻繁にあるわけでない。子どもの口に入るものは当然大人の責任です。そんな基本的なことをかみしめながら、これからも愚直に給食作りに励んでいきます。
さわやかな薫風の季節の到来です。木漏れ日が豊かに私たちに降り注ぎ、生きる清涼感や喜びをもたらしてくれます。そんな安らぎの瞬間もいたずら好きなメイストームによって厳しい試練の中に追いやられることがある。それらすべてがあっての人生、若い時に裏日本(日本海側)と表日本(太平洋側)と比べるとなぜ裏日本の人が、外国で言うと、なぜ重苦しい空のドイツ人が陽光注ぐイタリア人よりも成功者が多いのだろうか?必然的に努力を強いられる為だろうか。裏日本と表日本、ドイツとイタリア、それぞれの前者と後者には、環境以外に特筆すべき差はないし、それぞれ能力的にも何ら問題はないが、そう考えさせられるのは、一つには成功者を羨むことがあるのだろうか。子どもたちにとっては少しは慣れてきた5月、この月を無事乗り切ると、幼稚園生活の楽しさが見えてきます。子どもたちがそうなるように精一杯努力を傾注してまいります。5月、さつき、今月もフルパワーで発信です。

ご入園・ご進級おめでとうございます

2021.04.01


 心と体が一体のものであり、体が朽ちても心が未来永劫に残るものと仮定すれば、そしてそれが過去から未来につながるものと考えれば、私たち個人個人は果てることのない長い長い歴史の中で生き続けている。そんな悠久の歴史の中で、ほんのわずかな瞬間、心と体が一緒になる。それは何億分の一の瞬間であるかもしれないが、そんな瞬間の現世で巡り合えた皆さんとの偶然としか言いようがない邂逅、本当に神からの贈り物として、この縁を大事に大事にしたい。そしてそれが一期一会の世界、ほんの少し前まで宇宙のどこかに漂っていた皆さんが具体的な形となって、私たちの前に現れました。ようこそ私たちの世界へ。これから同じ仲間として、お互い尊重し合い、努力し合って、後に続く人たちのために、少しでも何らかの有意義な貢献をしていきましょう。生まれて1000日前後の年月を経て、私たちのもとに集まってくれた、それも破格の偶然、これから私たちと過ごす時間はこれからの人となりを形成する本当に大事な時間、基礎基本を形作る時、友を作り、規律を知り、物を学ぶ姿勢を身につけましょう。今の今の習慣や得たものは将来の君たちにとっては大きな財産となり、人生を渡るうえでの的確な判断基準を形成していくことでしょう。先生と過ごす時間、友だちと接触するひと時、外へ行った時の経験や刺激、物事を学んだり、音に触れたり、体を鍛えたり、自分の思いを白紙のキャンバスや画帳に表す動作、すなわち、知識、音感、体力、絵画表現、それらすべてが有機的に結びついて、これからの君たちの生きる指標(道しるべ)となっていく。幼稚園の先生や君たちのお父さん、お母さんは必死になってそのお手伝いをしていきます。
新入園児の皆さん、そして進級児の皆さん、幼稚園は君たちがのびのびと過ごし、学び、心休める場所です。幼稚園の先生は皆さんを励まし、皆さんに寄り添い、皆さんを見守っています。
保護者の皆様、お子様のご入園そしてご進級おめでとうございます。私たちは皆様方に委託されたお子様、大事に大事にされた宝物のお子様を保護者の皆様の愛情に勝ることはないとしても、それに近い愛情を注いで、寄り添い、見守ってまいります。そして子どもたちと同じように、幼稚園を大好きと言ってもらえるように頑張ってまいります。そして卒園、進級時には幼稚園にやってよかったと言ってもらえるように努力を積み重ねてまいります。4月から始まる今年度は途中でオリンピックが開催予定ですが、まだまだ新型コロナウィルスが跋扈し、この一年間は全く安心というわけではありませんが、適切な感染症対策を立てながら、保護者の皆様の期待にも応えてまいります。この一年、保護者の皆様からのご支援、お力添えを受けながら、私たちは全身全霊頑張ってまいります。2021年(令和3年)4月、いよいよ大海に向けて出帆です。

卒園、進級、おめでとうございます

2021.03.01


 「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」、菅原道真が九州に左遷された時に読んだこの歌にもあるように、東風が吹いたら、その匂いを九州まで届けてほしい。決して忘れてはいけないよ。大宰府に行ったことがないが、冬から春への季節の移り変わりを告げる梅の花、家の庭に咲く白い枝垂れ梅と幼稚園に咲く黄色や白のクロッカスの花で冬と春のせめぎあいの季節を知り、又その花の桜以上のはかなさを毎年毎年過ぎていく時間の速さに一抹の人生の黄昏を実感する。自然界は「私たちは毎年毎年の営みをしているにすぎない」と言うだろうが、それを愛で、心の豊かさを求める私たちにとっては永遠にそれが続くわけではない。未曾有のコロナ禍の中で、昨年大学生になった若者はどのような学生生活を送っているのだろうか。3年生、4年生の就職はうまくいっているのだろうか。私たちの幼稚園を卒園した人の中にも今そんな境遇に置かれている人もいるだろう。蛍雪の功なって、今年志望校に晴れて合格した学生にはどのような運命が待っているのだろうか。捲土重来を余儀なくされた受験生もいるだろう。どうか人生を甘く見たり、あきらめたりしないでほしい。「努力は決して裏切ることはない」私はこのことわざが好きだ。今の苦悩や苦しさ、困難を耐えてこそ、その何倍もの価値となって返ってくる。そのようにして大きな人物になった人を探せば、枚挙にいとまがない。そんな先輩や祖先の人が身を犠牲にしてまで築いてきた日本は先進国の中では一人当たりの所得が最下位と言われている。日本に住んでいる限り、実感することはないが、外国に旅すれば痛いほど思い知らされる。私たちの愛する円がなぜこんなに価値がないのかと、ある経済学者は働いている人の給料を低く抑えているからだと言うし、又ある人は日本人の生産性が低いからだと言う。中国に負け、台湾に負け、韓国に負け、そしてフィリピンにまで負けるようなことがあれば、安閑としていられない。若い時にそれらの国に行くと言えば、遊びのツアーとして、非難されてきた。最近の日本はどこまでその地位が下がるのだろうか。GDPはまもなくインドに抜かれるという。人が減り、住まなくなり、価値が下がった国土が外国から狙われているという。そのことが事実だとしたら、私たちは惰眠から目を覚まし、一致協力して日本のアイデンティティーを守っていかねばならない。連綿と歯を食いしばって守り続けてきた先祖の人々に申し訳が立たない。勿論、地球全体で考えたら、日本の土地をどこの国の人が売買し、住みつくのも、自由であるのかもしれない。さて、本題に戻そう。私たちは何のために勉強するのだろうか。勉強しなくても、立派に成長し、事業を起こし、成功する人も沢山いる。勿論それ以上にその反対の人もいるが。勉強することは良い会社や役所に入り、良い職業に就き、収入を安定させて、生活を楽にする、勿論そのこともあるだろう。私たちは勉強することによって、心の豊かさを確実なものにする。たとえその過程で失敗しても次の成功への足掛かりを見つけることの選択肢を多数知ることができる。勿論、勉強だけでは完璧でないかもしれないが、少なくとも何もしないよりは何倍も何倍も確率が高い。
年長組の皆さん、卒園おめでとうございます。皆さんは前途洋洋です。怖いものは何もありません。昔と違って、努力すれば、与えられるものが沢山あります。これから続く長い学校生活、いろいろ悩み、苦しみ、戸惑うこともいっぱいあるでしょう。自分一人で無理に解決しようとしないでください。親がいます。兄弟がいます。そして友がいます。先輩も後輩も控えています。君たちの成功をみんな応援しています。いろいろな人のアドバイスを受け、参考にしながら、逞しく自分の道を勇気をもって切り開いていってください。リンゴ、年少、年中組の皆さん、来年も先生と一緒に幼稚園で過ごします。まだまだ幼稚園で学ぶこと、経験することがいっぱいあります。今が人生の中で一番大切な時です。心行くまで、楽しく、元気よく過ごしてください。病気になったり、事故にあったりして、お父さん、お母さんを悲しませないでください。皆さんを見守り、皆さんに期待している人が皆さんのまわりにはいっぱいです。
保護者の皆さん、この一年間、本当にありがとうございました。今後とも今まで同様、ご支援、お力添えを賜りますようお願い申し上げます。

私たちの役割

2021.02.01


 Argentina legalizes abortion. Japan Times のNew York Times 版3ページに載っていた大きな見出し。まず懐かしいアルゼンチンという単語に目が留まり、次にlegalize(合法化する)に目が移り、最後のabortion (中絶)という言葉に隔世の思いを感じた。1969年、ビジネスで降り立った南米の大国アルゼンチン(と言っても、ほとんどの人はそんな国の名前も知らないし、ましてその内情となると、その国に関係する人しか知らない)に降り立った。東京・羽田を出発してニューヨークを経由して24時間、まさに日本の裏側であった。サッカーに興味のある人なら違った感想を持ったかもしれないが、ワールドカップもその当時の有名な釜本の名前も知らなかった。ただパンパとか牛の数が人間の数よりも多く、南極に近くて、パタゴニアという地域があって、白人の国、スペイン語を話す国くらいの知識しかなかった。日本人の私は一応仏教徒であり、真言宗であったが、仏壇とか、葬式でかかわりを持つ程度であった。しかしこの国は違った。ローマカトリックの流れを受け継いだ敬虔なカトリックの国であった。その力は絶対的と言ってもよかった。離婚は勿論、中絶はもってのほかであった.その時私は24歳、その地の同じ世代の若者は宗教と現実の狭間で苦悶していた。それから50年、やっと中絶が法制化された。今までの数多くの悲劇や非合法が合法的になった。それも議会の賛成が反対を大幅に上回った。あの時若かった人はどのような心境だろうか。恋の国アルゼンチン、情熱の国アルゼンチン、こぶしを挙げ、抱き合って喜ぶ人々の写真は長かったその歴史を雄弁に語りかけていた。 偶然私はその記事が目に留まったから私なりに知ることが出来た。しかし私たちは四六時中アンテナを張り巡らせているわけではない。見逃した事実、知らないうちに過ぎ去った過去、事実が次々と私たちの周りに現れ、ほとんどのそれが私たちに無視され、つかみ取られずに消えていく。人はそんなすべてを知ってどうする?取捨選択して受け止めていれば十分だと反論する人もいる。この頃よく思う。あの事実は知った方が良かったのか?あるいは知らずに人生を送った方がよかったのだろうか?何でも、たとえそれが自分に不利な状態になるとしても、今の幸せな生活が暗転して、もがき苦しむような状態になるとしても、真実を希求する人がいる。他人が好意的に考えて、隠し通そうとしても、その善意は通じない。反対に自分のすべての不利な状態をシャットアウトして、今の瞬間が満ち足りたものであれば、過去がどういう状況であっても、どういう立場であったとしても、関知しない人がいる。幸せとは何か、プライドとはどんなものか。人は他人を面白おかしく、たとえそれが事実でないとしても、さも見てきたように得意げに話すことがある。知人や親族や関係する人の自慢をしても、それを聞く人はまたかとうんざりしているのに、それを自覚せずに滔々と続ける。真実はすべて正しいとしても真実を知ることは不幸の始まりになるかもしれない。案外作家の原点はそんなところにあるのかも。翻って私たちのこの世での役割を考えてみると、それは誰かに幸せや喜びをもたらすこと、大きな意味では利他の心を持つことである。えてして人は自分を中心にして、地球が回っていると考えがちだが、人の幸せを考え、人の喜びを追い求めるなら、私たちの社会は概して明るい未来が待っている。そのためにはどんな仕事でも仕事を好きになろう。個人的には学校を出てからPanasonicの社員、府立高校の英語の教師、幼稚園や特別養護老人ホームやケアハウスに携わってきたが、幸いなことにそれぞれの仕事に音を上げる程いやになったことはない。老人施設設立前は年寄りや死の淵にいる人の面倒なんか嫌だと思ったこともあったが、実際に接してみると、人生の先輩たちに教えられたことも多いし、頼りにされたことも多かった。人のお役に立っている。たとえ小さくても、何かの社会的貢献していると自覚が芽生えた。この人たちを喜ばせるために何をなすべきか、どうしたら最後の短い期間を楽しく過ごしてもらえるか、それなりに考えることが出来た。幼稚園でも同じ、未来を支える子どもたちが少しでも立派に成長するように、どういう保育、どういうカリキュラム、どういう環境がいいのか。いろいろ思い悩ますことが多い。先人たちが長年にわたって努力し、考えてきた幼児教育をその根幹を大事にしながら、未来発展へのシナリオ作りをする,仕事に不平、不満を言っている時間がない。今月も先生。園児、保護者の皆さんと密接に連携を取りながら、皆を喜ばす保育を目指して努力してまいります。
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