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2021年、あけましておめでとうございます。

2021.01.01


 新しい年、新しい希望と意欲に燃える時、保護者の皆様には2021年が本当に思い出深い、素晴らしい年になりますよう心よりご祈念申し上げます。人生にはやり直しがない、漫然と日を暮らしていたのではじきに終焉を迎えてしまう。「今年こそは」という意気込みをもってこの一年に挑戦したい。さて、その前に2020年は皆様にとって、どのような年だったでしょうか。幸せな1年であった、健康に恵まれた1年であった、子どもが生まれ、仲間が増えた、給与が上がった、昇進した、友だちが沢山できた、欲しかったものを手に入れた、行きたかった所へ行くことができた、子どもが嫌がらずに元気に幼稚園に通園している、小さな喜びの連続が大きな喜びに変わった。反対に経済的には恵まれなかった、家族や仲間に不幸があった、先々を考えて欲しかったものをあきらめた、行きたいところにも我慢した、と少し嘆きの人もおられるでしょう。しかし幸せや幸運の神はいつまでも寄り添ってくれるとは限らないし、反対に不幸せは未来永劫続くわけでもない。お金や地位や物質的豊かさの人だけがこの世の勝ち組であり、幸せを一手に引き受けているとは限らない。実際そうではない。ある知り合いの牧師が大学の学長を目の前にして、その大学をあえて退職して、一牧師に戻った。妻は収入が減ることを嘆いたが、牧師にとっては自分の進むべき神の道であり、使命に燃えた選択だった。我々凡人には考えの及ばない超越した考えである。幸せ、不幸せは外から見ただけではわからない。ある人が不幸せであると嘆いていることが、他人から見ればうらやましいほどの幸せであり、反対に幸せだと感じていることが、別の人にとっては不幸に違いないと思うかもしれない。すべてが相対的なものであり、絶対的な基準がない所に、又面白みや機微がある。少し2020年を振り返ってみよう。この年は誰もが予想しえなかったことであふれている。何と言っても新型コロナの世界的pandemic、東京オリンピックの延期、安倍長期政権の突然の崩壊と菅首相のジェットコースターの様な政権、幼稚園を始めとする学校、大学の休園,休校とズームの普及、テレワークやマスクの着用と密からの回避、有名人の死と死への恐怖、私たちの小さな脳が張り裂ける位の大きな変化にさらされた未曽有の年でもあった。いつ終息するかわからない展望のない状態では私たちの恐怖心は治まらない。そんな2020年にも別れを告げての2021年、社会、経済、政治の世界を見てみると、新型コロナとワクチンの問題、オリンピックの問題、首相選挙と衆議院選挙、日本特有の派閥の問題、経済の落ち込みと中国の問題、様々な思惑の絡まるこの年、大きな問題も大事だが、目の前の一つ一つの障害を取り除き、約束や決まり事を守って、一歩一歩着実に進んでいくことが、困難から身を守る方法であると思える。100年前に未知のスペイン風邪と恐れながらも勇敢に戦った祖先の例を見るまでもなく、近い将来、あれは何だったのだろうと思える日が来る。そしてその日も先が見えている。この2月下旬、諏訪森、鳳、美木多の年長組の第2回合同音楽発表会を西文化会館で開催する予定でした。その為の合唱曲も練習してきました。しかし会館のほうから舞台には50名しか登場できないと言われ、残念ながら今年は見送ることにしました。来年度はしっかり実現していきます。コロナだからとか、すべてコロナが悪いから、その為だからと言ってそのせいにするつもりはありませんが、感染を避けると同時に、子どもたちの今しかない活動、行事を実現するためにも、注意深くコロナと付き合っていかねばと考えています。私たちはお父さん、お母さんの子供を思う気持ちを痛いほど感じています。バスの車掌さんからもそのことを聞きますし、保護者の皆さんの何気ない言葉やしぐさにも、子を思う母の気持ち、父の気持ちが十分伝わってきます。そんな熱い気持ちに支えられた私たちの幼稚園です。その気持ちに少しでも応えるべく、今年も精一杯努力してまいります。小学校では幼稚園で学んだ基礎、基本が大きな実を結ぶことを、そして年少、年中さんにはますます活発な幼稚園生活が送れますことを願ってやみません。今年も、今年こそは保護者のみなさま全てが、限りない幸せと健康な人生を送られますように心より願っています。厚かましいお願いですが、今年もご支援、お力添えいただきますようお願い申し上げます。Gentlemen, Start your Engines.

徒然草

2020.12.01


 徒然なるままに頭に浮かぶものを起承転結なしで筆をすべらせた。私たちはある意味、非現実的な世界、バーチャルな世界に住んでいると言っても過言ではない。そこでは何が正解で、何が間違いであるのか、本当のニュースであるのか、フェイク・ニュースであるのか、黒白をはっきりしなければいけないのか、ファジーのままではダメなのか?誰が善悪を見極めるのか?トランプ大統領は本当に負けたのか、それとも劇的な復活はあるのか?バイデン支持者にとっては議論の余地がないことだと言うし、トランプ派にとってはフロリダもテキサスも奪取したのに、負けたはずがないと今でも思っている。それにマスコミは何と罪深いのだろう。前回はトランプを好意的に捉え、今回はバイデンを好ましく報道している。巨大IT企業も両者平等に扱っているのではなく、一方に偏ったりしている。真の勝者は本当にアメリカ国民だろうか?それとも連日連夜、それが本当であれ、フェイクであれ、報道を流し続けたマスコミの勝利と言ってもいいのかも。反トランプのニューヨークタイムズ紙はそれを売りにして、反トランプ派の大きな購買力を得て、青息吐息であった部数が大幅に伸びたと言われている。真実を報道すると言われているマスコミもいわばビジネス、ビジネスも大事、どちらに立てばよりビジネスが成功するのかを見極めての行動、ビジネスは真実よりも大事なのか?それぞれの人がそれぞれの意見をもって行動している。すべて同じ意見というのはあり得ない話、ありえるとしたら、相手が様々な立場を考えて、意見を合わせているだけ、忖度の世界では普通のこと、生活の知恵として、日本人の中に存在し続けたが、それが白日の下にさらされ、非難の対象になってきた。一方、それに反すると、つまはじきにされ、変わったやつだとレッテルを貼られてしまう。忖度のない世界に生きる子どもたちにとって、目に見えたもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、口で味わったもの、皮膚で感じたもの、それらが全て忖度の必要もないし、そんな言葉や知恵もない。彼らは見えたままに、匂ったままに、感じたままに表現し、誰に遠慮することもない。正直そのもの、一点の曇りもない。しかし大人は他人からどう思われているのかは大変気になり、自分の意見が発言する人のそれと異なっていても、相手が強い立場の人だったら、黙り込み、意に反して同調の声を上げる。このことは日本人のある意味良き点でもあるが、太平洋戦争に突入していった悲劇の根源でもあった。逆に考えれば、そういう一致協力の関係を築きやすいが故に、団体として、大きな力、国力の発揚に寄与している。1970年、大阪万博が千里丘陵の竹藪を造成して華々しく開催された。25歳の時であった。三波春夫や佐良直美が得意気に万博の歌を披露していた。その当時私が勤務していた会社は今から言えば何でもないことだが、1インチのTVを開発して世間を驚かせた。50年後、100年後に掘り出すタイムカプセル、未来から過去を見直すこの言葉が流行った。今年はあの時から50年、今はタイムカプセルを開けるには早すぎる。あの時月から石を持ち帰ったのだから、技術的にはびっくりするほどの大きな進歩がないのかも。自分の生きているうちにその成果を見ようと考える人は多いが、自分の亡き後を考え、長期的な視野をもって都市計画を作ったり、公園や街路に小さな木を植樹して、次の世代に残したり(最も日本ではすぐに頭の先を切り落とされてしまうが)する人は少ない。昔、田舎の人は先祖から受け継いだ田畑をしっかりと次の世代に引き継ぎ、その世代はまた次の世代へ送っていく。少しでも財産を失うと、周りから白い目で見られ、批判され、その場所に住むことは居心地が悪くなる。個人のものであってもそうではない、いわば運命共同体のようなもの。神社仏閣に対する寄付も同じこと。
さて、11月の作品展のアンケートをすべて読ませていただきました。コロナ禍の中でも頑張って作品展を開催したこと、展示がよかったこと、絵画の説明を受けて納得したとか、9割以上の人が私たちにとって心地よい意見を書いていただきました。しかし記名式であったが故に、書きたいことも書けなかったという保護者さんがおられたかもわかりません。私たちは保護者の皆様すべての意見を、それが好意的であれ、私たちへの叱咤激励の言葉であれ、真摯に受け止め、次への大きな飛躍への通り道だと考え、より一層努力してまいります。今後とも大きな励ましをよろしくお願いします。
さて、今月はクリスマスの月、幼稚園もイルミネーションでいっぱいです。南半球の真夏のクリスマスも趣があってよい。しかし私たちには白銀とトナカイのイメージがいっぱいです。西洋の風習といえども、良いもの、ロマンあふれるものは、洋の東西を問わず、子どもたちの成長の過程には欠かせないもの。早くコロナが終息して、冬の野山を子どもたちと楽しみたい。2020年、いろいろありがとうございました。来る2021年も変わらぬご厚情とお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

道徳と倫理

2020.11.01


 中には私たちを叱咤激励するお言葉もありましたが、圧倒的にお褒めの言葉を頂いた運動会、暑い中頑張った先生(それが仕事だと言われれば何の反論もありませんが)それにみなさまの大事な大事なお子さん、その努力が結実した瞬間だったと思います。何よりも子どもたちの表情が素晴らしい。生き生きして、得意気に演技に取り組んでいる姿は人に感動を与え、思わず目頭が熱くなるものです。新型コロナの影響で様々なご不便を保護者の皆さんに強いる結果となり、申し訳なく思っています。しかし皆様方のご協力とお力添えで無事運動会を終えることができ、本当に良かったと思っています。今年もあと半分、コロナの終息が予想できませんが、与えられた環境の中で、精一杯前向きに取り組んでまいります。私たちの役割は勿論保育・教育活動を通じて、子どもたちの成長、発達を促し、将来への持続可能な生活基盤を確立することにあります。しかしながらこの世に生を受けた限りは、大小関係なく、社会貢献をすること、他人の役に立つことをすることと教えられてきた、換言すれば、広義の意味で人に感動を与えることではないでしょうか。幼稚園活動を通じて、毎日毎日そしてその瞬間、瞬間に人に感動を与える、そしてその対象者によって感動を受ける、感動を与え、感銘を受けることによって世の中が緊張から和らぎ,鷹揚の世界に代わっていく。昔は今ほどストレスのかかる社会ではなかった。人が人を打ち負かし、非難し、自分の存在を誇示するような人は少数であった。確固たる自分の意見を持つ人も少なかった。その意味で50年前に初めて外国に駐在したときに、議論ばかりが沸騰して、まとまりがつかない場面を何度も経験した。多民族国家であるが故に、自分の存在を認めさすことが必要だったのだろう。それとも生存本能のなせる業だったのか。翻って今の日本を見てみると、50年前の外国の光景によく似た気がする。自分の権利を主張し、意見を言い、相手を打ち負かそうとする気風が顕著になってsilent majority でなんとなく決まっていた過程が、物言う少数派によって奪われかねない状態になってきた。50年前にアメリカの後を追ってそれを模倣してきた日本では識者が危惧したことが現実になってきた。弁護士の大量生産もその一環だろう。と同時に恥という言葉が死語になりつつある。黙っていても先輩から、世間から無言のうちに教えられてきた道徳や戒めが壊れつつある。私は幼稚園の子供たちが将来、豊かで、人間的・文化的な生活を享受することを心より望んでいるが、同時に他人に寄り添い、他人の幸せをも希求するような道徳心を持ち合わせてほしいと思う。道徳と聞けばアレルギー反応を起こす人もあるが、私も若い時にそんな感情にかられたこともあり、おざなりな道徳教育をホームルームで行ったこともある。しかし年齢を積み重ねるにつれて、日本人の本質は道徳や克己心に裏付けされた豊かな心の輝きではないだろうか?と思うようになった。人をだまし、裏切り、私腹を肥やす、それが能力のある、できる人の典型と言われれば、そんな人はこの世では表面的には褒められ、崇められても、きっちりした道徳心に裏打ちされた表現や思想の持ち主にかなうはずがない。この園たよりが配布される頃には大阪市の存続に決着がついている。私は泉北郡美木多村に生まれ、70数年間今は堺市となった地に住んでいる。大阪市には何回も行ったことがあるし、梅田にも何となくよく行った。ある時高校の中間試験が終わって、梅田の阪急百貨店でカメラかラジオの新製品を見ていた時に、警察官に呼び止められて、カバンに中を見せるように言われたことがあった。昼過ぎなので、何か不審者のように思われたのか。又市電が走っていた。天王寺から上本町8丁目の大阪外国語大学にはその市電に乗って通学した。授業が終わるとその市電に乗って淀屋橋経由で梅田に行ったこともよくあった。市電は足であった。それがなくなって久しい。そして今度は大阪市が無くなる?世の中の動きは私たちの思いを考慮せずに変化していく。変化についていけない人、変化を喜ぶ人、様々な意見の中で私たちは今存在し、命をつないでいる。それともう一つ、USAの大統領も決まっている。4年前には友達とどちらが勝つか、ヒラリーとトランプ、私は前者を言い、負けてしまった。今の時点では圧倒的にバイデンが強い。そして勝ち馬に乗ろうとトランプ減税で大儲けしたウォール街の投資家たちが莫大な金額を安全パイとして、バイデンに寄付している。3年前にアメリカに行ったとき、カリフォルニア州ではトランプの評判は惨憺たるものであった。私の旅でお世話になった人はほぼ民主党支持者で反トランプであった。そうでない岩盤支持者のトランプ応援団も数多く存在した。私はトランプ大統領の思想・信条はわからないが、その実行力は人一倍であり、アメリカを思う気持ち、昔の良きアメリカへのノスタルジアが目に見えて強い。Black Lives Matter 運動も理念としては何も非難されることはないが、それに付随する暴力行為が頻発すれば、それもアメリカなのだろうか。統制経済の大国、中国がヒタヒタと背後に迫る中、アメリカのとるべき道は何だろうか?アメリカの威信の低下、衰退もささやかれるけれども、アメリカは昔の輝きを取り戻し、American Dream の国になって欲しい。

死と生とラボァジェ

2020.10.01


 9月初めAさんが死んだ。享年93才、若い年ではなかったが、死んでいい年は存在しない。長年JAの組合長の運転手として、定年まで勤めあげた。いろいろ秘密なことも知っていたと思うが、そんな個人的なことは、だれもが知っている以上のことは決して口外しなかった。定年後も3年間、同じ職を務め、63才の時に縁あって美木多幼稚園のバスの運転手になった。Aさんは一番の年長者でなかったが、持ち前の性格の良さによるものか、すぐに運転手の取りまとめ役になると同時に、その損得のない気性からか、若い先生にも人気があり、何でも相談に乗っていた。又幼稚園の為に率先して先頭に立って活躍した。その後70才になり、東区南野田に特別養護老人ホームハーモニーを開設したために、そこの運転手になった。家に近いことも大きな理由であった。そこでも人に好かれる性格と男意気でどの職員からも慕われ、信頼され、自分の居場所を確保することができた。80歳くらいまでは近場の送迎などをしていたが、それ以降は施設内で軽トラックの運転があっても、送迎に出ることはなかった。90歳を目前にして、免許証の返納をし、息子さんに送ってもらってハーモニーに通勤した。ハーモニーに移ってしばらくして、Aさんに「一生ハーモニーで面倒見るから、途中でやめてもらうようなことはしないから、たのむで」と本気で言った。そのことがAさんには本当にうれしかったらしく「理事長がこんな事言うてんね」と知り合いなどによく言うことがあった。そのためでもないが、本当によく働いていただいた。送迎バスの運転手をやめた後、さまざまな樹木に囲まれた9000㎡のハーモニーと6000m²のハーモニー美木多グループホームの植木の剪定と草刈りを一年かけて毎年行ってくれた。そのお陰で、いつも花の絶えることのない老人施設を維持できた。そのAさんが今年になって弱弱しくなってきた。私も口には出さなかったが、心配していた。そしてある日、息子さんからトイレで倒れて、病院に入院したとの知らせを受けた。今の時期面会はできなかった。しばらくして療養型老人病院に転院した。この世で最後の場所であった。転院してからあまり日がたっていなかった。葬儀は家族で行い、だれも参列しなかった。施設と職員からのお悔やみを届けに行った。職員にはお墓の場所を知らせるように言われていた。死んでよかったとはだれも言えない。人に良い影響を残してこの世を去ったという事実は私にとっても一つの区切りであった。最近の敬老の日に因んで、100歳以上の人が5万人を超えたとか、毎年1万人の減少なのに、今年は5万人も新生児が減ったとかの報道がなされている。そんな中でも元気に私たちの仲間に加わる赤ちゃんの誕生がある。10年後、30年後、50年後、どのような運命が待っているのだろうか。個人の意思で解決できる問題もあれば、社会的状況に翻弄される問題もある。どんな場合でもお父さん、お母さんの愛情を受けて生まれ、育ったお子さんが天寿を全うしてほしい。それはご両親の願いだけでなく、この地球上に住むすべての人の願いでもあるのです。ラボァジェの質量不変の法則でないが、誰かが死ぬと、同じ質量の誰かが生まれる。日本では死ぬ人が圧倒的に多いが、その分アフリカなどで増えているのか、はたまた未知の惑星で増えているのだろうか?人は生物体である以上、死はだれにでもやってくる厳粛な事実、そして誰も気が付かないふりをしている事実、直視したくない事実。Aさんは優しさと無私の心で一隅を照らしてこの世に別れを告げた。
10月からは2020年度の後半部、運動会、作品展、発表会などの様々な行事が控えています。子どもたちは着実に肉体的、精神的に大きく育っています。保護者の皆さまのご協力、ご支援を得て、充実した後半になるよう教職員一同精いっぱい努力してまいります。

9月を迎えて

2020.09.01


 爽涼の候、というにはもう少し待たねばならないようで、今年の残暑は非常に厳しいものがあります。初夏のころは比較的涼しかったせいか、その暑さが余計身に染みる感じがします。今年は普段の季節の変化に新型コロナ感染拡大を加味しなければならず、余計複雑な思いでいっぱいです。しかし時はその心配事や悩みの上を超越して過ぎてゆきます。野山に咲く花や樹木もその流れに沿って実をつけたり、花を咲かせたり、老葉を散らせたりして、目に見える形で季節の移り変わりを知らせてくれます。私たちにとって、とても大きな出来事であっても、自然界の支配者から見れば、何をちっぽけなことで悩んでいるのだ?という感覚になるのでしょう。換言すれば、コップの中の嵐、どんぐりの背比べ、五十歩百歩、中国風に言えば、蝸牛角上の争い、だろうか。しかし現実に戻ってみると、私たちにとってとても大きな問題、例えばコロナ一つにしても即座に解決できない。さて、パンデミックは忘れて、9月に浸ってみよう。9月は何と言っても食欲の秋、おいしい野菜や様々な果物が所狭しと八百屋の店先を占拠しています。昔は色や形、見た目そして下品な形であれば触覚で判断したのが、今や糖度計、それを信じると、思わぬ期待外れに終わってしまうことがある。それにスポーツの秋、2020 Olympic は延期されたものの、2021 Olympicは無観客の開催か中止になる可能性も。現実クラスターを心配する声もあるが、私たちのまわりにスポーツや運動をする人が目立ってきた。所詮人は動物、一か所に留まってじっとしているわけにはいかない。それに今月は敬老の日、踏みとどまって敬老の意味を考えたい。長幼の序という言葉を知っている人は少ない。年配者を敬うということなのだが、一般に老人の心は秋のように淋しい。だからたとえ一日であっても高齢者の心を慰める心遣いが必要だろう。若い時にあんなに速く走れたのに、あんなに高く飛べたのに、あんな動作も簡単にできたのに、取扱説明書なんか簡単に読んで、すぐに商品の使い方を習得できたのに、しかし今やスマホやパソコンの使い方も不得手、動作の緩慢さと繰り返される質問によって若い人にはのけ者にされ、邪魔者扱い。極端に言えば、不用品と不遜なことを言う輩もいる。成る程老人の中にはプライドが高く、声高に叫んでクレーマーになる人もいるが、今の日本はよいか悪いかは別にして、老人のおかげによるところも多い。もちろん若者と同じように同じように元気な高齢者はこの頃増えてきましたが、このことについて、よく考える日にしましょう。そして秋分の日、私たちは今あるのは祖先のおかげ、先祖に敬意を表し、亡くなった人たちをしのぶ大切な日、NHKのfamily history でないが、自分のルーツをたどり、祖先の活躍や生き様を知り、自身のこれからの指標作りの一助にしてもと思う。中には天災や戦争で短い生涯を閉じた人がその中にいるかもしれない。あるいは大きな武勲を挙げたり、大きな勢力を築いた人もいるかもしれない。アメリカのフォード自動車の創業者は昔の古代帝国の統治者の生まれかわりだと言った。そんなことはユートピアだとしても、過去を知ることは現代にも役立つ。私の父はあの土地もこの土地も戦前までは所有地であったとよく言っていた。しかし歴史は輪廻、今いくら栄華を極めていても、次の世代、又次の世代まで永遠に続くわけではない。過去を振り返ることは現在いることの感謝に繋がっている。今月で最後に気を付けなければいけないのは、昔よく言われた210日であり、220日。最近は異常気象で計算できない時に嵐や大雨がやってくる。防災教育の徹底を図っていくと同時に安全、安心の環境作りをしていきます。4月から始まった幼稚園も9月で半分、折り返し地点、いろいろな行事が詰まった後半を控えて、助走期間の最終段階をうまく乗り切って次につなげていきます。今月もご指導、お力添えをよろしくお願いします。また10月1日は園児募集の日になっています。どうぞ大きな力を私たちに与えていただきますようお願いいたします。決して期待を裏切ることのないように全身全霊頑張ってまいります。
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