梅の花が満開、弥生三月
2025.03.01
梅の花が満開、弥生三月
庭の一輪の清楚な白い梅の花がいつの間にか仲間を増やして、三分咲きになり、それが七分になって、満開になった。いよいよ弥生三月の到来です。長い眠りから目を覚まし、命の活動を始めました。少しは例外があるとしても、異常気象には関係なく、ほぼ決められた季節にそれぞれの樹木はそれぞれにふさわしい装いをまとっておめかしをする。樹木や花々は私たちを裏切ることなくその季節が来たことを知らせてくれる。
人間だったら体内時計、植物だったら何というのだろうか。様々な事象を見せられ、意識するにつれて、私たちは本当に自然の中で生きる、生かされているちっぽけな存在だという事を痛感させられる。ある人が出てきて、様々なことを行い、暴論や強い口調を繰り返して脚光を浴びても、所詮それはコップの中の小さな争いや揉め事、自然の輪廻の流れには逆らうことはできない。そんな自然に生かされて 12か月目、三月、一年の節目を迎えました。
生活音楽発表会の時にも、思いを述べさせていただきましたが、本当に一年間の子どもたちの成長にはすごいものがあります。あんなこと、こんなことが言えなかった、あるいはできなかった事、それが大人の想像を超えるくらいの速さで次々と達成していく。その発言にはまだまだ幼さが残ると言え、大人顔負けの口調や話し方、内容になったりする。又行動面においても、優しさや指導性、協調性を発揮し始めてきた。最近よく言われる非認知能力がますます身についてきた。
年長さんはいよいよ卒園、巣立ちの時がやってきました。幼稚園で学んだこと、遊んだこと、一生懸命練習したこと、遠足に行き、田畑に出かけたこと、山に登ったこと、楽しかったこと、しんどかったこと、涙を流したこと、友達になったこと、様々なことを幼稚園で身に着けました。皆さんは立派に随分大きく成長しました。もうどこの小学校に行っても、誰にも負けることはありません。誰とでも友達になって、うまく小学校生活を送ることができます。
今、文科省では小学校と幼稚園との架け橋教育のことが盛んに言われ始めました。幼稚園で最高の教育を受けた子どもたちが小学校の一番低学年になっても、様々な面で、うまく乗り切っていくことができるように小学校と幼稚園が今まで以上に連携を密にしてその能力を高めていきます。卒園児の皆さんは幼稚園の在園生活で、今の年齢以上のことを学び、経験しました。正々堂々と自信をもって小学校の門をくぐってください。
年少年中の皆さん、「三つ子の魂百まで」の諺通り、皆さんの人生の根幹部分は幼稚園生活で十分会得したと思いますが、残りの年中年長でそれをより完璧なもの、充実したものにしていくと同時に、今まで以上に認知能力だけでなく、友達をたくさん作ったり、何事にも意欲的に取り組んだりして、非認知能力も高め、幼稚園生活を一緒に楽しみましょう。最近読んだ本や新聞から次の文章が気になりました。「子供の頃の楽しい思い出など何一つない。思い出したくないことばかりだった。それに対して、今このように命があって、生かされているということは、あなたに誰かが寄り添ってくれていた何よりの証拠です。
人は一人では絶対に生きていけないのです。一人ひとりの命は無数の縁によって育まれたものです。そう考えれば決して命を軽んじたり、無駄にしたりすることはできません」又アメリカの有名人、デービークロケットの言葉「私の判決は一度も控訴されなかったし、仮に控訴されたとしても、覆されることはなかった。なぜなら、常識の正義と人間同士の誠実という原則に基づいて判決を下したものであり、又人間本来の判断力を信頼し、法の知識を信頼しなかった。私は生まれてこのかた法律の本など一ページでも読んだことはない」若干の極論と思えなくもないのですが。
庭の一輪の清楚な白い梅の花がいつの間にか仲間を増やして、三分咲きになり、それが七分になって、満開になった。いよいよ弥生三月の到来です。長い眠りから目を覚まし、命の活動を始めました。少しは例外があるとしても、異常気象には関係なく、ほぼ決められた季節にそれぞれの樹木はそれぞれにふさわしい装いをまとっておめかしをする。樹木や花々は私たちを裏切ることなくその季節が来たことを知らせてくれる。
人間だったら体内時計、植物だったら何というのだろうか。様々な事象を見せられ、意識するにつれて、私たちは本当に自然の中で生きる、生かされているちっぽけな存在だという事を痛感させられる。ある人が出てきて、様々なことを行い、暴論や強い口調を繰り返して脚光を浴びても、所詮それはコップの中の小さな争いや揉め事、自然の輪廻の流れには逆らうことはできない。そんな自然に生かされて 12か月目、三月、一年の節目を迎えました。
生活音楽発表会の時にも、思いを述べさせていただきましたが、本当に一年間の子どもたちの成長にはすごいものがあります。あんなこと、こんなことが言えなかった、あるいはできなかった事、それが大人の想像を超えるくらいの速さで次々と達成していく。その発言にはまだまだ幼さが残ると言え、大人顔負けの口調や話し方、内容になったりする。又行動面においても、優しさや指導性、協調性を発揮し始めてきた。最近よく言われる非認知能力がますます身についてきた。
年長さんはいよいよ卒園、巣立ちの時がやってきました。幼稚園で学んだこと、遊んだこと、一生懸命練習したこと、遠足に行き、田畑に出かけたこと、山に登ったこと、楽しかったこと、しんどかったこと、涙を流したこと、友達になったこと、様々なことを幼稚園で身に着けました。皆さんは立派に随分大きく成長しました。もうどこの小学校に行っても、誰にも負けることはありません。誰とでも友達になって、うまく小学校生活を送ることができます。
今、文科省では小学校と幼稚園との架け橋教育のことが盛んに言われ始めました。幼稚園で最高の教育を受けた子どもたちが小学校の一番低学年になっても、様々な面で、うまく乗り切っていくことができるように小学校と幼稚園が今まで以上に連携を密にしてその能力を高めていきます。卒園児の皆さんは幼稚園の在園生活で、今の年齢以上のことを学び、経験しました。正々堂々と自信をもって小学校の門をくぐってください。
年少年中の皆さん、「三つ子の魂百まで」の諺通り、皆さんの人生の根幹部分は幼稚園生活で十分会得したと思いますが、残りの年中年長でそれをより完璧なもの、充実したものにしていくと同時に、今まで以上に認知能力だけでなく、友達をたくさん作ったり、何事にも意欲的に取り組んだりして、非認知能力も高め、幼稚園生活を一緒に楽しみましょう。最近読んだ本や新聞から次の文章が気になりました。「子供の頃の楽しい思い出など何一つない。思い出したくないことばかりだった。それに対して、今このように命があって、生かされているということは、あなたに誰かが寄り添ってくれていた何よりの証拠です。
人は一人では絶対に生きていけないのです。一人ひとりの命は無数の縁によって育まれたものです。そう考えれば決して命を軽んじたり、無駄にしたりすることはできません」又アメリカの有名人、デービークロケットの言葉「私の判決は一度も控訴されなかったし、仮に控訴されたとしても、覆されることはなかった。なぜなら、常識の正義と人間同士の誠実という原則に基づいて判決を下したものであり、又人間本来の判断力を信頼し、法の知識を信頼しなかった。私は生まれてこのかた法律の本など一ページでも読んだことはない」若干の極論と思えなくもないのですが。
大気が澄み渡り、月や星が最も美しく見える如月
2025.02.03
大気が澄み渡り、月や星が最も美しく見える如月
一年で一番寒い2月がやってきました。解けかけた氷が再び凍てつくような寒さの空気で凍り付く頃であり、大気が澄み渡り月や星が最も美しく見える2月です。日本の四季は空、山、森、野原、田畑、花々等、大自然が大きな役割を担っています。そんな自然界の中で私たちは生かされている事に大きな感謝を持ちたいものです。
「冬来たりなば春遠からじ」大学の共通テストが終わり、その結果を参考にしながら「思ったよりも良かったからもう一ランク上をねらおうか」「失敗したから、浪人は嫌だから、一段落とそうか」揺れ動く受験生が多い。「貴重な青年時代を誰でも入学できる制度に変えて、もっと楽にした方がよい」とか「いや青年時代の勉学や努力は将来の大きな成功の糧になるのだから、苦労するのはあたりまえ」様々な意見が交差する現実、「今苦労するのがいいのか、後で苦労する方がいいのか」と説得して、子どもに勉強へのドライブをかける親も多い。しかし日本人よりもアメリカ、欧州の人たちの方がもっと勉強し、努力しているのではと思う。その時にいくら睡眠を削っても、後になって思い出せば、案外楽しい思い出になっている。それと同時に自分一人の努力、精進だけで自分がうまくいったと思ってほしくない。その人には誰かが寄り添ってくれていた。人は一人では絶対生きていけない。一人ひとりの命は数多くの縁によって育まれてきた。そう考えると命を軽んじたり、無駄にすることは絶対にできない。
日本の冬は寒い、寒いと言う。しかし最近シカゴから一時的に帰ってきた息子はシカゴでは-20度の日がよくあるという。雪がほとんど降らないが、川も凍り、寒さを通り越した寒さだそうだ。そんな厳寒の地に家族の一員として、ひよこ組と小学一年生の孫が行った。大学の医学研究員として働いている親の下で、どのような変化を遂げて日本に帰ってくるのだろうか。55年前にアルゼンチンで2年半を過ごしたことがオーバーラップして頭に浮かんでくる。
突然の出来事であった。ブラジル出身、家族を連れてアメリカに移住したゴンカルべス、頭角を現し、今やアメリカ大手鉄鋼メーカーの経営者、その人が新年早々から日本製鉄のUSスティールの買収計画に関して吠えた。「中国は悪い。中国は悪だ。しかし日本の方がもっと悪い。我々はアメリカだ!日本!自分たちは何者なのかを理解していないことに気づけ。1945年の敗戦から何も学んでいない」年初から日本そして日本人を侮蔑するような発言、例え一企業家の言葉としても私たちは看過できない。
世界は混沌としている。相手を罵った方が好ましいと考えているのだろうか。相手を強く非難し、強弁し、言葉でやり込める事によって、頼れる者のいない社会で人生を切り開いてきたのだろうか。本人も死ぬとは自覚していない一瞬のうちに何の罪もない10万人の民間人が虫けらのように殺害された原爆投下、それを乗り越え、恩讐の彼方でアメリカと歩調を合わせてきた日本、私たちはもっと主張すべきことも多い。
日本人は幸せに生きるという事は周りを幸せにすることであるという考え方がしみついていて、そのために無私と忍耐を培う必要があると教えられてきた。幸せな人生を送る為には?と聞かれ、ある人は「正直に生きるという一点に尽きます」と答えた。「人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と付け加えた。
今月は一年の掉尾を飾る、幼稚園にとって大きな行事、音楽・生活発表会があります。舞台で、また楽器を前にしての練習、練習の毎日です。子どもたちは年齢を超えた大きな成長を遂げていると思います。そんな努力の成果を保護者の皆様に披露します。二月、如月(きさらぎ)、寒い、しかし希望の月、今月も応援よろしくお願いします。
一年で一番寒い2月がやってきました。解けかけた氷が再び凍てつくような寒さの空気で凍り付く頃であり、大気が澄み渡り月や星が最も美しく見える2月です。日本の四季は空、山、森、野原、田畑、花々等、大自然が大きな役割を担っています。そんな自然界の中で私たちは生かされている事に大きな感謝を持ちたいものです。
「冬来たりなば春遠からじ」大学の共通テストが終わり、その結果を参考にしながら「思ったよりも良かったからもう一ランク上をねらおうか」「失敗したから、浪人は嫌だから、一段落とそうか」揺れ動く受験生が多い。「貴重な青年時代を誰でも入学できる制度に変えて、もっと楽にした方がよい」とか「いや青年時代の勉学や努力は将来の大きな成功の糧になるのだから、苦労するのはあたりまえ」様々な意見が交差する現実、「今苦労するのがいいのか、後で苦労する方がいいのか」と説得して、子どもに勉強へのドライブをかける親も多い。しかし日本人よりもアメリカ、欧州の人たちの方がもっと勉強し、努力しているのではと思う。その時にいくら睡眠を削っても、後になって思い出せば、案外楽しい思い出になっている。それと同時に自分一人の努力、精進だけで自分がうまくいったと思ってほしくない。その人には誰かが寄り添ってくれていた。人は一人では絶対生きていけない。一人ひとりの命は数多くの縁によって育まれてきた。そう考えると命を軽んじたり、無駄にすることは絶対にできない。
日本の冬は寒い、寒いと言う。しかし最近シカゴから一時的に帰ってきた息子はシカゴでは-20度の日がよくあるという。雪がほとんど降らないが、川も凍り、寒さを通り越した寒さだそうだ。そんな厳寒の地に家族の一員として、ひよこ組と小学一年生の孫が行った。大学の医学研究員として働いている親の下で、どのような変化を遂げて日本に帰ってくるのだろうか。55年前にアルゼンチンで2年半を過ごしたことがオーバーラップして頭に浮かんでくる。
突然の出来事であった。ブラジル出身、家族を連れてアメリカに移住したゴンカルべス、頭角を現し、今やアメリカ大手鉄鋼メーカーの経営者、その人が新年早々から日本製鉄のUSスティールの買収計画に関して吠えた。「中国は悪い。中国は悪だ。しかし日本の方がもっと悪い。我々はアメリカだ!日本!自分たちは何者なのかを理解していないことに気づけ。1945年の敗戦から何も学んでいない」年初から日本そして日本人を侮蔑するような発言、例え一企業家の言葉としても私たちは看過できない。
世界は混沌としている。相手を罵った方が好ましいと考えているのだろうか。相手を強く非難し、強弁し、言葉でやり込める事によって、頼れる者のいない社会で人生を切り開いてきたのだろうか。本人も死ぬとは自覚していない一瞬のうちに何の罪もない10万人の民間人が虫けらのように殺害された原爆投下、それを乗り越え、恩讐の彼方でアメリカと歩調を合わせてきた日本、私たちはもっと主張すべきことも多い。
日本人は幸せに生きるという事は周りを幸せにすることであるという考え方がしみついていて、そのために無私と忍耐を培う必要があると教えられてきた。幸せな人生を送る為には?と聞かれ、ある人は「正直に生きるという一点に尽きます」と答えた。「人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と付け加えた。今月は一年の掉尾を飾る、幼稚園にとって大きな行事、音楽・生活発表会があります。舞台で、また楽器を前にしての練習、練習の毎日です。子どもたちは年齢を超えた大きな成長を遂げていると思います。そんな努力の成果を保護者の皆様に披露します。二月、如月(きさらぎ)、寒い、しかし希望の月、今月も応援よろしくお願いします。
前を向いて今年も進もう
2024.12.19
前を向いて今年も進もう
2025年1月1日、新しい年、新しい月日が始まりました。あけましておめでとうございます。年の瀬の喧騒がどこへ行ったのかのように静まり返り、家の内外に何かしら厳粛な空気がみなぎっています。家の前を通る神社の参拝客にも、気のせいか昨日までの佇まいとは異なって感じてしまう。無事に新年を迎えることができたことを神様はじめ、様々な人に感謝の気持ちを伝えねばなりません。
人はどんな逆境や窮地にあっても、最後の一瞬まで希望を忘れてはならない、これはよく言われる言葉です。前を向き、活力にあふれて生きようとする人はこの信念を無条件に祝い、大きな夢を託すものです。私たちの中には新年と言ってもそれは読みが変わるだけで、何も変化がない、平凡な日々の連続の一日に過ぎないと言う人もいます。
私たちが学校で習った鴨長明の方丈記冒頭文には「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖又かくのごとし」(流れゆく川の水は絶えることがありません。しかもよく見ると、新しい水を常に入れ替えています。変化しています。流れが止まっている水面には、ブクブクと泡が浮かんできます。しかも大きな泡も生まれたかと思うとすぐに消えていきます。いつまでもふくらんでいる泡等見たことがありません。まさに人の一生も同じではないでしょうか。川の流れのように、幸せも悲しみも時と共に過ぎていきます。大切な家も財産もはかなく消えていきます)家も財産も一瞬のうちになくなる大変な時代に生きた鴨長明は無常感あふれる文章を書いていますが、正月は暦の連続性ではなく、新しい動きのあらわれとして、この方丈記を勝手に解釈してしまいます。昨年2024年はどのような年だったのでしょうか。
大谷選手、パリ五輪、能登半島地震、裏金問題、トランプ氏圧勝、ウクライナと中東情勢、自民党過半数割れなど等の嬉しいニュースと悲しいニュース、見たり聞いたりしたくないニュースがありました。宗教、民族が異なると言うだけで、人を殺害することを平気でできるのでしょうか。日本にも最近外国人とのいざこざが頻発していることの懸念もあります。矛盾に満ちた世界、ダブルスタンダードの基準、独りよがりの政策、世界がもっと楽しく、有意義に生きることを学ばねばなりません。せっかく日本の被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞をもらったのだから。2年前の文章では日本の出生数が80万人を切る事の不安を書きました。そして今、70万人を切ることがささやかれています。
ある幼稚園の経営者は幼稚園の未来は明るくないと言って、子どもを幼稚園以外に就職させました。しかし子どもたちがいる限り、幼稚園の存続、存在意義はあり得ることだと私は思っています。その対策の先頭に立っているのが、三原じゅん子大臣、子ども政策、少子化対策、若者活躍、女性活躍担当です。若い時の活動からすれば、今の職責は隔世の感があり、任命権者の決断はある意味英断であると思います。丁度堺市の民間人校長にアメリカ人が抜擢されたように、教育委員会の素晴らしい決断だったのでしょう。過去や国籍や民族での判断基準の変更は必然的なものになってきました。私たちの社会に大きなプラスになるのか、はたまた社会に大きな亀裂を生み出すことになるのか、避けて通れない大きな問題かもしれない。
今学期は音楽生活発表会の大きな行事があります。今それに向けて先生と子どもたちは必死です。又3月には卒園式で、年長さんは巣立っていきます。それぞれの学年の子どもたちも進級を迎えます。子どもたちは一歩一歩大きな成長過程のレールに乗っています。いつの間にかこんなこともできるようになったことも目立ってきました。幼児期は人生で一番大切な成長、発達の基礎作りの時期、これまで同様、積極的に取り組んでまいります。子どもたちの未来は前途洋々です。私たち大人はそれが実現できる環境作りを頑張っていきましょう。
保護者の皆様には今まで同様のお力添え、ご支援、よろしくお願い申し上げます。輝かしい初日の出に向けていざ出帆です。Bon voyage.
2025年1月1日、新しい年、新しい月日が始まりました。あけましておめでとうございます。年の瀬の喧騒がどこへ行ったのかのように静まり返り、家の内外に何かしら厳粛な空気がみなぎっています。家の前を通る神社の参拝客にも、気のせいか昨日までの佇まいとは異なって感じてしまう。無事に新年を迎えることができたことを神様はじめ、様々な人に感謝の気持ちを伝えねばなりません。
人はどんな逆境や窮地にあっても、最後の一瞬まで希望を忘れてはならない、これはよく言われる言葉です。前を向き、活力にあふれて生きようとする人はこの信念を無条件に祝い、大きな夢を託すものです。私たちの中には新年と言ってもそれは読みが変わるだけで、何も変化がない、平凡な日々の連続の一日に過ぎないと言う人もいます。
私たちが学校で習った鴨長明の方丈記冒頭文には「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖又かくのごとし」(流れゆく川の水は絶えることがありません。しかもよく見ると、新しい水を常に入れ替えています。変化しています。流れが止まっている水面には、ブクブクと泡が浮かんできます。しかも大きな泡も生まれたかと思うとすぐに消えていきます。いつまでもふくらんでいる泡等見たことがありません。まさに人の一生も同じではないでしょうか。川の流れのように、幸せも悲しみも時と共に過ぎていきます。大切な家も財産もはかなく消えていきます)家も財産も一瞬のうちになくなる大変な時代に生きた鴨長明は無常感あふれる文章を書いていますが、正月は暦の連続性ではなく、新しい動きのあらわれとして、この方丈記を勝手に解釈してしまいます。昨年2024年はどのような年だったのでしょうか。
大谷選手、パリ五輪、能登半島地震、裏金問題、トランプ氏圧勝、ウクライナと中東情勢、自民党過半数割れなど等の嬉しいニュースと悲しいニュース、見たり聞いたりしたくないニュースがありました。宗教、民族が異なると言うだけで、人を殺害することを平気でできるのでしょうか。日本にも最近外国人とのいざこざが頻発していることの懸念もあります。矛盾に満ちた世界、ダブルスタンダードの基準、独りよがりの政策、世界がもっと楽しく、有意義に生きることを学ばねばなりません。せっかく日本の被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞をもらったのだから。2年前の文章では日本の出生数が80万人を切る事の不安を書きました。そして今、70万人を切ることがささやかれています。
ある幼稚園の経営者は幼稚園の未来は明るくないと言って、子どもを幼稚園以外に就職させました。しかし子どもたちがいる限り、幼稚園の存続、存在意義はあり得ることだと私は思っています。その対策の先頭に立っているのが、三原じゅん子大臣、子ども政策、少子化対策、若者活躍、女性活躍担当です。若い時の活動からすれば、今の職責は隔世の感があり、任命権者の決断はある意味英断であると思います。丁度堺市の民間人校長にアメリカ人が抜擢されたように、教育委員会の素晴らしい決断だったのでしょう。過去や国籍や民族での判断基準の変更は必然的なものになってきました。私たちの社会に大きなプラスになるのか、はたまた社会に大きな亀裂を生み出すことになるのか、避けて通れない大きな問題かもしれない。
今学期は音楽生活発表会の大きな行事があります。今それに向けて先生と子どもたちは必死です。又3月には卒園式で、年長さんは巣立っていきます。それぞれの学年の子どもたちも進級を迎えます。子どもたちは一歩一歩大きな成長過程のレールに乗っています。いつの間にかこんなこともできるようになったことも目立ってきました。幼児期は人生で一番大切な成長、発達の基礎作りの時期、これまで同様、積極的に取り組んでまいります。子どもたちの未来は前途洋々です。私たち大人はそれが実現できる環境作りを頑張っていきましょう。
保護者の皆様には今まで同様のお力添え、ご支援、よろしくお願い申し上げます。輝かしい初日の出に向けていざ出帆です。Bon voyage.