師走を迎えて
2018.12.01
2018年もあと一ヶ月を残すだけになりました。師走、12月、昔は一年の決算の時期として支払いに追われ、「越すに越されぬ歳の暮」などと言われたが、今では支払いが月ぎめになり、必ずしも歳末は総決算の時点でなくなり、むしろ三月末が総決算の時期になった。しかし、それでも一年の終末ともなれば、過去一年を振り返り、悔恨や反省を思うようになる。翻って考えれば、この12月は「来年こそは」と思う時期ではないだろうか。日本では年と年度の違いがあり、何かと煩雑なことも多いが、カレンダーの区切りで考えると、この一年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。全てが良かったと言える人も中にはおられるかもしれませんが、総じて2割や3割の満足があれば、幸せな年を送れたと考えてもいいのではと思ったりします。しかし、それはあくまで主観的な満足、他人から見て、そうでないように見えても、当事者がそれで満足と考えているのであれば、それも十分ありかなと思う。限りがない欲を持った人も多いが、「足るを知る」を自覚している人も多い。他人の満足、不満足の判断を第三者が声高に言うのも奇異な感じがする。皆さんのご家庭ではどうでしょうか。小さな幸せ、人に言えないような満足、お子さんの成長、働く楽しさ、友人、知人との邂逅、家の内外でうれしかったこと、又反対にどうしようもない悲しみやつらさ、不幸に襲われたこともあったのかも知れません。しかし逆に考えれば、そんな悲しいことがいっぱいあったのだから、そしてそれを耐え抜いてきたのだから、今度は楽しみと幸せの連続であるかも分かりません。人の喜びと悲しみの総量は誰にとっても同じようなものです。一代目で非常に差が出たとしても、二代目、三代目となると、平準化されていくのです。喜びや楽しみは心を広くし、悲しみやつらさは心を強くします。今月は22日頃に冬至があります。幼稚園でも伝えますが、昼が短く、夜が一番長いことを教えてあげましょう。23日は天皇誕生日です。今の天皇陛下が即位されてから30年の歳月がたちました。そしてこの天皇誕生日も今年平成30年で終わりです。来年はどんな年号になるか。もう決まっているという人もいますが、いろんな観点から考えて決められるのでしょう。平成30年、31年は一つの大きな区切りになりました。そういう意味で来年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック、さらに進んで2025年の大阪万博(私には50年前の青春時代の思い出ですが)も、子ども達にとっては、私のように、後に思い出す大きなイベントになるでしょう。25日はクリスマス、西欧の大きな行事とはいえ、何事も宗教に関係なく祝う日本人にとっては、老若男女を問わず、心躍るロマンの香りがするイベントです。そして31日の大晦日、普段の月では味わうことのない12月、子ども達ともども幸せを感じる瞬間であって欲しいと思います。今年の冬休みは12月22日から1月6日までの17日間、例年に比べて長くなっています。この間に先ほどのクリスマスやお正月があります。正月も昔ほどでないといっても、特別な感情や雰囲気があります。子ども達にもその気分を味わってもらいたい。この長い休みがあるから休むのではなく、少しでも休みを利用しての活動や知識の吸収をしてみたらどうでしょうか。この時期この季節にしかできないこと、例えば雪とか、氷とか、寒さとか、年が変わるとか、街角のイルミネーション、町の様子、動物園の動物たち、さまざまな事象を体験したり、経験したり、知識を吸収することも将来きっと何かの役に立ちます。無駄な経験や仕事は何もない、換言すれば、全ての経験や体験は子ども達の血となり肉となって成長の過程で欠かせないものになるのです。私もそろそろ退場しなければと思うようなさまざまな事象が現れたり、弱者の論理が優先されたりして、それらがすぐに正当化されていく。判官びいきでないにしても、こつこつとまじめに努力した人が正当な評価を受け、安心して人を信頼し、天寿を全うできる世の中であって欲しい。槇原敬之の「世界に一つだけの花」、歌は大好きで、彼の非凡な才能を認めるのにやぶさかでないが、「僕ら人間は比べたがる」とか「一番になりたがる」の歌詞には少し違和感を覚えることもある。「一生懸命勉強しなさい」「精一杯働きなさい」。偉くなるのだったら、勉強しなければいけない。会社でそれなりの地位を得るためには粉骨砕身働かなければならない。私が学び、経験してきた世界であった。成る程、今の世の中の状態が変わってきた。働き方改革のせいでないが、働くことが生活をしていく上での単なる手段であると考える人が多くなった。これからは松下幸之助や本田宗一郎、稲盛和夫のような人が出ないのだろうか。最近新聞紙上を賑わしている不良品、欠陥品の多くを読んでいると、品質確保で争ったデミング賞やISOの規格はなんだったのか。下町の太陽は単なる作り話で終わってしまうのか。この一年間ご支援、お力添え本当にありがとうございました。来る年も今まで同様宜しくお願い申し上げます。
2018.12.01
2018年もあと一ヶ月を残すだけになりました。師走、12月、昔は一年の決算の時期として支払いに追われ、「越すに越されぬ歳の暮」などと言われたが、今では支払いが月ぎめになり、必ずしも歳末は総決算の時点でなくなり、むしろ三月末が総決算の時期になった。しかし、それでも一年の終末ともなれば、過去一年を振り返り、悔恨や反省を思うようになる。翻って考えれば、この12月は「来年こそは」と思う時期ではないだろうか。日本では年と年度の違いがあり、何かと煩雑なことも多いが、カレンダーの区切りで考えると、この一年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。全てが良かったと言える人も中にはおられるかもしれませんが、総じて2割や3割の満足があれば、幸せな年を送れたと考えてもいいのではと思ったりします。しかし、それはあくまで主観的な満足、他人から見て、そうでないように見えても、当事者がそれで満足と考えているのであれば、それも十分ありかなと思う。限りがない欲を持った人も多いが、「足るを知る」を自覚している人も多い。他人の満足、不満足の判断を第三者が声高に言うのも奇異な感じがする。皆さんのご家庭ではどうでしょうか。小さな幸せ、人に言えないような満足、お子さんの成長、働く楽しさ、友人、知人との邂逅、家の内外でうれしかったこと、又反対にどうしようもない悲しみやつらさ、不幸に襲われたこともあったのかも知れません。しかし逆に考えれば、そんな悲しいことがいっぱいあったのだから、そしてそれを耐え抜いてきたのだから、今度は楽しみと幸せの連続であるかも分かりません。人の喜びと悲しみの総量は誰にとっても同じようなものです。一代目で非常に差が出たとしても、二代目、三代目となると、平準化されていくのです。喜びや楽しみは心を広くし、悲しみやつらさは心を強くします。今月は22日頃に冬至があります。幼稚園でも伝えますが、昼が短く、夜が一番長いことを教えてあげましょう。23日は天皇誕生日です。今の天皇陛下が即位されてから30年の歳月がたちました。そしてこの天皇誕生日も今年平成30年で終わりです。来年はどんな年号になるか。もう決まっているという人もいますが、いろんな観点から考えて決められるのでしょう。平成30年、31年は一つの大きな区切りになりました。そういう意味で来年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック、さらに進んで2025年の大阪万博(私には50年前の青春時代の思い出ですが)も、子ども達にとっては、私のように、後に思い出す大きなイベントになるでしょう。25日はクリスマス、西欧の大きな行事とはいえ、何事も宗教に関係なく祝う日本人にとっては、老若男女を問わず、心躍るロマンの香りがするイベントです。そして31日の大晦日、普段の月では味わうことのない12月、子ども達ともども幸せを感じる瞬間であって欲しいと思います。今年の冬休みは12月22日から1月6日までの17日間、例年に比べて長くなっています。この間に先ほどのクリスマスやお正月があります。正月も昔ほどでないといっても、特別な感情や雰囲気があります。子ども達にもその気分を味わってもらいたい。この長い休みがあるから休むのではなく、少しでも休みを利用しての活動や知識の吸収をしてみたらどうでしょうか。この時期この季節にしかできないこと、例えば雪とか、氷とか、寒さとか、年が変わるとか、街角のイルミネーション、町の様子、動物園の動物たち、さまざまな事象を体験したり、経験したり、知識を吸収することも将来きっと何かの役に立ちます。無駄な経験や仕事は何もない、換言すれば、全ての経験や体験は子ども達の血となり肉となって成長の過程で欠かせないものになるのです。私もそろそろ退場しなければと思うようなさまざまな事象が現れたり、弱者の論理が優先されたりして、それらがすぐに正当化されていく。判官びいきでないにしても、こつこつとまじめに努力した人が正当な評価を受け、安心して人を信頼し、天寿を全うできる世の中であって欲しい。槇原敬之の「世界に一つだけの花」、歌は大好きで、彼の非凡な才能を認めるのにやぶさかでないが、「僕ら人間は比べたがる」とか「一番になりたがる」の歌詞には少し違和感を覚えることもある。「一生懸命勉強しなさい」「精一杯働きなさい」。偉くなるのだったら、勉強しなければいけない。会社でそれなりの地位を得るためには粉骨砕身働かなければならない。私が学び、経験してきた世界であった。成る程、今の世の中の状態が変わってきた。働き方改革のせいでないが、働くことが生活をしていく上での単なる手段であると考える人が多くなった。これからは松下幸之助や本田宗一郎、稲盛和夫のような人が出ないのだろうか。最近新聞紙上を賑わしている不良品、欠陥品の多くを読んでいると、品質確保で争ったデミング賞やISOの規格はなんだったのか。下町の太陽は単なる作り話で終わってしまうのか。この一年間ご支援、お力添え本当にありがとうございました。来る年も今まで同様宜しくお願い申し上げます。