「来年こそは」と師走に想う
2024.11.27
「来年こそは」と師走に想う
2024年もいよいよ最終章を迎えました。今年こそはと期待と希望をもって臨んだ年、皆様方にとって、満足のいくものでしたか。それとも来年こそはと新しい年に望みをつなげているのでしょうか。どちらにしても2024年は私たちの人生において、それが重要であるかは別として、後になって考えてみれば、大きなターニングポイントになったと思われるかもしれません。その大事な見過ごすことのできない2024年もあと一か月、今年充実したと思っている人もそうでないと勘違いをしている人も、残された31日間を絶対後悔しない日々にしましょう。
時間は誰にも平等であると同時に誰をも待ってくれません。この瞬間も今は過去になり、未来は現在になっている。過去が咲いている今、未来の蕾でいっぱいな今なのです。「好奇心こそ進歩の糧」とか「前例踏襲は最後の手段」等とよく言われますが、まわりまわってその言葉を生かしきれない自分がいる。この11か月間、どのように日々過ごされたのでしょうか。大きな喜びはなくとも、たとえそれが他人から見れば本当に小さなものであっても、それは人生における至福の時であり、喜びの瞬間だと思う。不幸しかやってこないと言う人も実は周辺に沢山の幸せがころがっているかもしれません。ただそれをつかみ取る努力や意志や意欲がないだけかもしれない。自分を正当化する弁解は何の役にも立たないし、その人を守ってくれることもない。
四月に進級、入園して八か月、子どもたちは様々な試練を乗り越え、経験や体験を積み、努力を重ねてきました。友達との交わり、交流する経験や喜び、新しいまだ知らない物への旺盛な好奇心を持ち、又肉体を鍛え、頭脳を磨き上げ、手先の器用さも会得しました。様々な行事を積み重ねて、今やだれにも負けない子どもの輝きを身につけました。もうどの舞台に立っても正々堂々とその年齢以上の活躍ができ、其の上、十分な知識も身につけています。今月のクリスマス会やお餅つきで、西洋や東洋の風俗習慣を体得し、未来への大きな一歩を踏み出します。政府も大人への投資よりも格段の効率の良い子どもたちへの大きな投資を決めています。就学前の子供たちの活躍は何かと暗い世の中にあって、光り輝く未来への大きな期待がいっぱいです。
ところでトランプ氏が大統領になってからフェイクニュースという言葉をよく聞くようになりました。フェイクと言えば、偽の毛皮とか一般に偽物等によく使われていましたが、ニュースがフェイクとは最近の傾向なのでしょう。それ以前に、何がフェイクで何が真実なのでしょう。為政者に都合の良いニュースが真実で、都合の悪いものはフェイクなのか。アメリカの次期保健省長官に選ばれたケネディ氏はワクチン等もフェイクであると言い又トランプ氏の言う事にはフェイクが多いと主張する人もいる。
国内に目を転じても、あの人は民に選ばれるほど高潔でないとか、実はあの人は裏と表を器用に使い分けていると言う。自分の意見や思想に合致していれば、一般の真実と少し異なっていても、それがその人たちの中で真実として受け入れられていくきらいがあると考えれば、客観的な真実がない場合は、自分の規範に照らして、それが合致していればフェイクでないと考え、又多数の人が信じているのだから、それは真実に違いないと思ってしまう。
関東大震災時の震撼させるような人種偏見に基づくニュース、太平洋戦争に至る真実、政府が、学者が、上司や先輩が言っている、信じているから、それは本当の真実であるという理屈は今の世界には当てはまらないことが多い。何が本当で、何が嘘なのか、年末の今、純粋な気持ちになってよく考えることも必要なことだ。疑わしきは罰せず、とは裁判でよく使われる常套句であるが、私たちは何が真実で、何が嘘か、そしてその中間がないのか、生きていく上で、難しい判断を迫られる私たちは、様々な誘惑を排除して決めるのが難しい社会に住んでいる。しかし未来の子どもたちのためにも、清濁併せ持つ社会でなく、もっとクリアに人が人を疑うことのない社会を作り上げたい。
師走、12月、この一年間、保護者の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。ご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。
2024年もいよいよ最終章を迎えました。今年こそはと期待と希望をもって臨んだ年、皆様方にとって、満足のいくものでしたか。それとも来年こそはと新しい年に望みをつなげているのでしょうか。どちらにしても2024年は私たちの人生において、それが重要であるかは別として、後になって考えてみれば、大きなターニングポイントになったと思われるかもしれません。その大事な見過ごすことのできない2024年もあと一か月、今年充実したと思っている人もそうでないと勘違いをしている人も、残された31日間を絶対後悔しない日々にしましょう。
時間は誰にも平等であると同時に誰をも待ってくれません。この瞬間も今は過去になり、未来は現在になっている。過去が咲いている今、未来の蕾でいっぱいな今なのです。「好奇心こそ進歩の糧」とか「前例踏襲は最後の手段」等とよく言われますが、まわりまわってその言葉を生かしきれない自分がいる。この11か月間、どのように日々過ごされたのでしょうか。大きな喜びはなくとも、たとえそれが他人から見れば本当に小さなものであっても、それは人生における至福の時であり、喜びの瞬間だと思う。不幸しかやってこないと言う人も実は周辺に沢山の幸せがころがっているかもしれません。ただそれをつかみ取る努力や意志や意欲がないだけかもしれない。自分を正当化する弁解は何の役にも立たないし、その人を守ってくれることもない。
四月に進級、入園して八か月、子どもたちは様々な試練を乗り越え、経験や体験を積み、努力を重ねてきました。友達との交わり、交流する経験や喜び、新しいまだ知らない物への旺盛な好奇心を持ち、又肉体を鍛え、頭脳を磨き上げ、手先の器用さも会得しました。様々な行事を積み重ねて、今やだれにも負けない子どもの輝きを身につけました。もうどの舞台に立っても正々堂々とその年齢以上の活躍ができ、其の上、十分な知識も身につけています。今月のクリスマス会やお餅つきで、西洋や東洋の風俗習慣を体得し、未来への大きな一歩を踏み出します。政府も大人への投資よりも格段の効率の良い子どもたちへの大きな投資を決めています。就学前の子供たちの活躍は何かと暗い世の中にあって、光り輝く未来への大きな期待がいっぱいです。
ところでトランプ氏が大統領になってからフェイクニュースという言葉をよく聞くようになりました。フェイクと言えば、偽の毛皮とか一般に偽物等によく使われていましたが、ニュースがフェイクとは最近の傾向なのでしょう。それ以前に、何がフェイクで何が真実なのでしょう。為政者に都合の良いニュースが真実で、都合の悪いものはフェイクなのか。アメリカの次期保健省長官に選ばれたケネディ氏はワクチン等もフェイクであると言い又トランプ氏の言う事にはフェイクが多いと主張する人もいる。
国内に目を転じても、あの人は民に選ばれるほど高潔でないとか、実はあの人は裏と表を器用に使い分けていると言う。自分の意見や思想に合致していれば、一般の真実と少し異なっていても、それがその人たちの中で真実として受け入れられていくきらいがあると考えれば、客観的な真実がない場合は、自分の規範に照らして、それが合致していればフェイクでないと考え、又多数の人が信じているのだから、それは真実に違いないと思ってしまう。
関東大震災時の震撼させるような人種偏見に基づくニュース、太平洋戦争に至る真実、政府が、学者が、上司や先輩が言っている、信じているから、それは本当の真実であるという理屈は今の世界には当てはまらないことが多い。何が本当で、何が嘘なのか、年末の今、純粋な気持ちになってよく考えることも必要なことだ。疑わしきは罰せず、とは裁判でよく使われる常套句であるが、私たちは何が真実で、何が嘘か、そしてその中間がないのか、生きていく上で、難しい判断を迫られる私たちは、様々な誘惑を排除して決めるのが難しい社会に住んでいる。しかし未来の子どもたちのためにも、清濁併せ持つ社会でなく、もっとクリアに人が人を疑うことのない社会を作り上げたい。
師走、12月、この一年間、保護者の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。ご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。