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道徳と倫理

2020.11.01


 中には私たちを叱咤激励するお言葉もありましたが、圧倒的にお褒めの言葉を頂いた運動会、暑い中頑張った先生(それが仕事だと言われれば何の反論もありませんが)それにみなさまの大事な大事なお子さん、その努力が結実した瞬間だったと思います。何よりも子どもたちの表情が素晴らしい。生き生きして、得意気に演技に取り組んでいる姿は人に感動を与え、思わず目頭が熱くなるものです。新型コロナの影響で様々なご不便を保護者の皆さんに強いる結果となり、申し訳なく思っています。しかし皆様方のご協力とお力添えで無事運動会を終えることができ、本当に良かったと思っています。今年もあと半分、コロナの終息が予想できませんが、与えられた環境の中で、精一杯前向きに取り組んでまいります。私たちの役割は勿論保育・教育活動を通じて、子どもたちの成長、発達を促し、将来への持続可能な生活基盤を確立することにあります。しかしながらこの世に生を受けた限りは、大小関係なく、社会貢献をすること、他人の役に立つことをすることと教えられてきた、換言すれば、広義の意味で人に感動を与えることではないでしょうか。幼稚園活動を通じて、毎日毎日そしてその瞬間、瞬間に人に感動を与える、そしてその対象者によって感動を受ける、感動を与え、感銘を受けることによって世の中が緊張から和らぎ,鷹揚の世界に代わっていく。昔は今ほどストレスのかかる社会ではなかった。人が人を打ち負かし、非難し、自分の存在を誇示するような人は少数であった。確固たる自分の意見を持つ人も少なかった。その意味で50年前に初めて外国に駐在したときに、議論ばかりが沸騰して、まとまりがつかない場面を何度も経験した。多民族国家であるが故に、自分の存在を認めさすことが必要だったのだろう。それとも生存本能のなせる業だったのか。翻って今の日本を見てみると、50年前の外国の光景によく似た気がする。自分の権利を主張し、意見を言い、相手を打ち負かそうとする気風が顕著になってsilent majority でなんとなく決まっていた過程が、物言う少数派によって奪われかねない状態になってきた。50年前にアメリカの後を追ってそれを模倣してきた日本では識者が危惧したことが現実になってきた。弁護士の大量生産もその一環だろう。と同時に恥という言葉が死語になりつつある。黙っていても先輩から、世間から無言のうちに教えられてきた道徳や戒めが壊れつつある。私は幼稚園の子供たちが将来、豊かで、人間的・文化的な生活を享受することを心より望んでいるが、同時に他人に寄り添い、他人の幸せをも希求するような道徳心を持ち合わせてほしいと思う。道徳と聞けばアレルギー反応を起こす人もあるが、私も若い時にそんな感情にかられたこともあり、おざなりな道徳教育をホームルームで行ったこともある。しかし年齢を積み重ねるにつれて、日本人の本質は道徳や克己心に裏付けされた豊かな心の輝きではないだろうか?と思うようになった。人をだまし、裏切り、私腹を肥やす、それが能力のある、できる人の典型と言われれば、そんな人はこの世では表面的には褒められ、崇められても、きっちりした道徳心に裏打ちされた表現や思想の持ち主にかなうはずがない。この園たよりが配布される頃には大阪市の存続に決着がついている。私は泉北郡美木多村に生まれ、70数年間今は堺市となった地に住んでいる。大阪市には何回も行ったことがあるし、梅田にも何となくよく行った。ある時高校の中間試験が終わって、梅田の阪急百貨店でカメラかラジオの新製品を見ていた時に、警察官に呼び止められて、カバンに中を見せるように言われたことがあった。昼過ぎなので、何か不審者のように思われたのか。又市電が走っていた。天王寺から上本町8丁目の大阪外国語大学にはその市電に乗って通学した。授業が終わるとその市電に乗って淀屋橋経由で梅田に行ったこともよくあった。市電は足であった。それがなくなって久しい。そして今度は大阪市が無くなる?世の中の動きは私たちの思いを考慮せずに変化していく。変化についていけない人、変化を喜ぶ人、様々な意見の中で私たちは今存在し、命をつないでいる。それともう一つ、USAの大統領も決まっている。4年前には友達とどちらが勝つか、ヒラリーとトランプ、私は前者を言い、負けてしまった。今の時点では圧倒的にバイデンが強い。そして勝ち馬に乗ろうとトランプ減税で大儲けしたウォール街の投資家たちが莫大な金額を安全パイとして、バイデンに寄付している。3年前にアメリカに行ったとき、カリフォルニア州ではトランプの評判は惨憺たるものであった。私の旅でお世話になった人はほぼ民主党支持者で反トランプであった。そうでない岩盤支持者のトランプ応援団も数多く存在した。私はトランプ大統領の思想・信条はわからないが、その実行力は人一倍であり、アメリカを思う気持ち、昔の良きアメリカへのノスタルジアが目に見えて強い。Black Lives Matter 運動も理念としては何も非難されることはないが、それに付随する暴力行為が頻発すれば、それもアメリカなのだろうか。統制経済の大国、中国がヒタヒタと背後に迫る中、アメリカのとるべき道は何だろうか?アメリカの威信の低下、衰退もささやかれるけれども、アメリカは昔の輝きを取り戻し、American Dream の国になって欲しい。

死と生とラボァジェ

2020.10.01


 9月初めAさんが死んだ。享年93才、若い年ではなかったが、死んでいい年は存在しない。長年JAの組合長の運転手として、定年まで勤めあげた。いろいろ秘密なことも知っていたと思うが、そんな個人的なことは、だれもが知っている以上のことは決して口外しなかった。定年後も3年間、同じ職を務め、63才の時に縁あって美木多幼稚園のバスの運転手になった。Aさんは一番の年長者でなかったが、持ち前の性格の良さによるものか、すぐに運転手の取りまとめ役になると同時に、その損得のない気性からか、若い先生にも人気があり、何でも相談に乗っていた。又幼稚園の為に率先して先頭に立って活躍した。その後70才になり、東区南野田に特別養護老人ホームハーモニーを開設したために、そこの運転手になった。家に近いことも大きな理由であった。そこでも人に好かれる性格と男意気でどの職員からも慕われ、信頼され、自分の居場所を確保することができた。80歳くらいまでは近場の送迎などをしていたが、それ以降は施設内で軽トラックの運転があっても、送迎に出ることはなかった。90歳を目前にして、免許証の返納をし、息子さんに送ってもらってハーモニーに通勤した。ハーモニーに移ってしばらくして、Aさんに「一生ハーモニーで面倒見るから、途中でやめてもらうようなことはしないから、たのむで」と本気で言った。そのことがAさんには本当にうれしかったらしく「理事長がこんな事言うてんね」と知り合いなどによく言うことがあった。そのためでもないが、本当によく働いていただいた。送迎バスの運転手をやめた後、さまざまな樹木に囲まれた9000㎡のハーモニーと6000m²のハーモニー美木多グループホームの植木の剪定と草刈りを一年かけて毎年行ってくれた。そのお陰で、いつも花の絶えることのない老人施設を維持できた。そのAさんが今年になって弱弱しくなってきた。私も口には出さなかったが、心配していた。そしてある日、息子さんからトイレで倒れて、病院に入院したとの知らせを受けた。今の時期面会はできなかった。しばらくして療養型老人病院に転院した。この世で最後の場所であった。転院してからあまり日がたっていなかった。葬儀は家族で行い、だれも参列しなかった。施設と職員からのお悔やみを届けに行った。職員にはお墓の場所を知らせるように言われていた。死んでよかったとはだれも言えない。人に良い影響を残してこの世を去ったという事実は私にとっても一つの区切りであった。最近の敬老の日に因んで、100歳以上の人が5万人を超えたとか、毎年1万人の減少なのに、今年は5万人も新生児が減ったとかの報道がなされている。そんな中でも元気に私たちの仲間に加わる赤ちゃんの誕生がある。10年後、30年後、50年後、どのような運命が待っているのだろうか。個人の意思で解決できる問題もあれば、社会的状況に翻弄される問題もある。どんな場合でもお父さん、お母さんの愛情を受けて生まれ、育ったお子さんが天寿を全うしてほしい。それはご両親の願いだけでなく、この地球上に住むすべての人の願いでもあるのです。ラボァジェの質量不変の法則でないが、誰かが死ぬと、同じ質量の誰かが生まれる。日本では死ぬ人が圧倒的に多いが、その分アフリカなどで増えているのか、はたまた未知の惑星で増えているのだろうか?人は生物体である以上、死はだれにでもやってくる厳粛な事実、そして誰も気が付かないふりをしている事実、直視したくない事実。Aさんは優しさと無私の心で一隅を照らしてこの世に別れを告げた。
10月からは2020年度の後半部、運動会、作品展、発表会などの様々な行事が控えています。子どもたちは着実に肉体的、精神的に大きく育っています。保護者の皆さまのご協力、ご支援を得て、充実した後半になるよう教職員一同精いっぱい努力してまいります。

9月を迎えて

2020.09.01


 爽涼の候、というにはもう少し待たねばならないようで、今年の残暑は非常に厳しいものがあります。初夏のころは比較的涼しかったせいか、その暑さが余計身に染みる感じがします。今年は普段の季節の変化に新型コロナ感染拡大を加味しなければならず、余計複雑な思いでいっぱいです。しかし時はその心配事や悩みの上を超越して過ぎてゆきます。野山に咲く花や樹木もその流れに沿って実をつけたり、花を咲かせたり、老葉を散らせたりして、目に見える形で季節の移り変わりを知らせてくれます。私たちにとって、とても大きな出来事であっても、自然界の支配者から見れば、何をちっぽけなことで悩んでいるのだ?という感覚になるのでしょう。換言すれば、コップの中の嵐、どんぐりの背比べ、五十歩百歩、中国風に言えば、蝸牛角上の争い、だろうか。しかし現実に戻ってみると、私たちにとってとても大きな問題、例えばコロナ一つにしても即座に解決できない。さて、パンデミックは忘れて、9月に浸ってみよう。9月は何と言っても食欲の秋、おいしい野菜や様々な果物が所狭しと八百屋の店先を占拠しています。昔は色や形、見た目そして下品な形であれば触覚で判断したのが、今や糖度計、それを信じると、思わぬ期待外れに終わってしまうことがある。それにスポーツの秋、2020 Olympic は延期されたものの、2021 Olympicは無観客の開催か中止になる可能性も。現実クラスターを心配する声もあるが、私たちのまわりにスポーツや運動をする人が目立ってきた。所詮人は動物、一か所に留まってじっとしているわけにはいかない。それに今月は敬老の日、踏みとどまって敬老の意味を考えたい。長幼の序という言葉を知っている人は少ない。年配者を敬うということなのだが、一般に老人の心は秋のように淋しい。だからたとえ一日であっても高齢者の心を慰める心遣いが必要だろう。若い時にあんなに速く走れたのに、あんなに高く飛べたのに、あんな動作も簡単にできたのに、取扱説明書なんか簡単に読んで、すぐに商品の使い方を習得できたのに、しかし今やスマホやパソコンの使い方も不得手、動作の緩慢さと繰り返される質問によって若い人にはのけ者にされ、邪魔者扱い。極端に言えば、不用品と不遜なことを言う輩もいる。成る程老人の中にはプライドが高く、声高に叫んでクレーマーになる人もいるが、今の日本はよいか悪いかは別にして、老人のおかげによるところも多い。もちろん若者と同じように同じように元気な高齢者はこの頃増えてきましたが、このことについて、よく考える日にしましょう。そして秋分の日、私たちは今あるのは祖先のおかげ、先祖に敬意を表し、亡くなった人たちをしのぶ大切な日、NHKのfamily history でないが、自分のルーツをたどり、祖先の活躍や生き様を知り、自身のこれからの指標作りの一助にしてもと思う。中には天災や戦争で短い生涯を閉じた人がその中にいるかもしれない。あるいは大きな武勲を挙げたり、大きな勢力を築いた人もいるかもしれない。アメリカのフォード自動車の創業者は昔の古代帝国の統治者の生まれかわりだと言った。そんなことはユートピアだとしても、過去を知ることは現代にも役立つ。私の父はあの土地もこの土地も戦前までは所有地であったとよく言っていた。しかし歴史は輪廻、今いくら栄華を極めていても、次の世代、又次の世代まで永遠に続くわけではない。過去を振り返ることは現在いることの感謝に繋がっている。今月で最後に気を付けなければいけないのは、昔よく言われた210日であり、220日。最近は異常気象で計算できない時に嵐や大雨がやってくる。防災教育の徹底を図っていくと同時に安全、安心の環境作りをしていきます。4月から始まった幼稚園も9月で半分、折り返し地点、いろいろな行事が詰まった後半を控えて、助走期間の最終段階をうまく乗り切って次につなげていきます。今月もご指導、お力添えをよろしくお願いします。また10月1日は園児募集の日になっています。どうぞ大きな力を私たちに与えていただきますようお願いいたします。決して期待を裏切ることのないように全身全霊頑張ってまいります。

艱難に感謝

2020.08.01


 8月、葉月、夏の盛り、いつもであれば夏休み、海に、山に、旅行に,帰省にと汗をかいている真っ最中、今年は収束しかけたコロナが息を吹き返し、大きな脅威となって私達に迫ってきた。人はインフルエンザのようなものだから過度に怖がることはないと言うが、最初の報道が事実を伝えたのか、誇張して伝えたのかは知らないが、死の恐怖が付きまとう新型コロナには例外なく誰もおびえている。正しくおびえ、正しく怖がることは絶対必要なことであり、その為には冷静で、沈着な行動様式が望まれる。若者は軽く済むからと言って、無謀な行動を繰り返すと、家族の高齢者に大きな負担をかける。みんな同じ地球の乗組員、助け合い、協力し合って安全航海をしなければいけない。しかしながらある意味、トリアージ(triage)とも言えるのでしょうか。そして皆様はどう思われますか。フランスやスペイン、イギリス等の欧州諸国は限りある医療資源を有効活用するために、トリアージ(治療の優先順位)によって分類している。例えば75歳以上の人には積極的な治療や有効な医療器具の使用を行わず、若い人の命を優先して助けていく。又、日本では80歳、90歳以上の高齢者にも保険医療から何千万円の医療費を使うこともある。そのほとんど99%を保険(税金)で負担する。治療してもあと何年生きながらえるのか。このことについて、疑問視している医師も沢山いるだろう。年齢に関係なく人の命は重い。最大限の敬意を払うべきだと考える人から見れば、それは理にかなった正当な治療行為だろう。しかし、限りある資金や資源を考えればと思う人もいるかもしれない。コロナによって人の命の重さが再認識され、これは私達の避けて通れない問題である。1%の大金持ちが20%の富を独占し、国民健康保険がないアメリカでは人の命は金次第、そしてファーベラ〈貧民街〉のあるブラジルでは貧困層の感染がすさまじい。そんな中で日本電産の社長がピンチはチャンスだといって、M&A(合併、買収)によって会社を次々と買収していった。そしてそのほとんどを3Q6Sの標語の下に結束し、大きな成果を上げた。3Qとはquality worker,良い社員、quality company,良い会社、quality product,良い製品であり、6Sとは整理(いつもきっちり片付けられた職場)整頓(いつも全てのものが使いやすい職場)清掃(いつも汚れのないすがすがしい職場)清潔(身だしなみのさっぱりした社員)作法(正しい行動ができる社員)躾(決められたとおり正しく実行できるよう習慣付けられる社員)。
コロナは邪魔で忌まわしい存在だが、考えによってはいいことがあるかもしれない。明治、大正、昭和を駆け抜けた有名なキリスト教者で評論家の内村鑑三は様々なたとえをあげて、「艱難に感謝する」と言った。苦労をし、挫折を経験してこそ、人は成長し、成功体験も大きなものになると述べている。成る程、コロナショックはリーマンショックを上回るものだろうし、私自身こんな一つの小さなウィルスが人類を恐怖に陥れ、世界経済を麻痺させ、軍事大国や経済大国の威信を低下させるとはまったくの驚きであった。何も武器やお金は要らない。小さなウィルスだけで世界を征服できると思うと空恐ろしい気持ちになる。よく世間では、この世で起きたことはどんなことでもこの世で解決できると人は言う。まさに私達の英知を結集すれば、このコロナ問題も過去の遺物として、解決されることになるだろう。それは今に始まったことでないが、近頃の若い者はと年配者はよく言う。特に60歳を過ぎると、又、スポーツ関係者において、特によくそんな言葉が発せられる。しかし、今の世界の困難、日本の苦境を切り開き、解決できるのはそんな若い世代の人々だ。10年後、20年後のリーダーとして、今の幼稚園児が活躍しているかもしれない。期待と夢を膨らませながら、真夏の8月を乗り切っていきましょう。
二学期には様々な大きな行事を予定し、今そのための準備や練習の最中ですが、コロナ感染の拡がりで非常に流動的です。その都度的確な情報をお伝えしてまいります。

諦観と希望

2020.07.01


 7月文月が始まりました。普通であれば、いよいよ2020 TOKYO Olympicのまさにその月ですが、その開催も来年に延期され、そして次の2024 Paris Olympicが決まっているために、2021 Olympicは正念場、肯定的に考える人もあれば、悲観的な人もいる。果たしてどうなることやら。20代、30代は感染しても死の恐怖はないと言われ、そのせいでないかもしれないが、若い人の感染者の報告が多い。ウイルスが勝つか、人の英知がそれを凌駕するか、今はせめぎあいが続いている。未来を担う小さな子供たちがそんな災禍に見舞われないためにも、より一層安心、安全と保育・教育活動の共存を目指して、保護者の皆様と協力し合って、様々な行事を進めてまいります。さて、私たちは生涯にいろいろな人に出会い、感動し、教えられ、心豊かになり、また反対に悲しい気持ちにさせられる事もあります。運命のいたずらと言うべきか、その出会いによって上昇のきっかけをつかみ、頂点にまで上り詰めた人もいれば、疫病神的な存在の人に出会い、感化され、悪の道に誘われ、身を亡ぼす人もいる。それが長く続く友情のきっかけになりえるし、反対に一期一会のように、生涯にただ一度まみえること、一生に一度限りである場合もある。それ故、一期一会を大切にと考えるのが本来の筋だが、概して旅の恥はかき捨て的な気持ちでやり過ごしている。その結果不本意な評価がどこからともなく聞こえ、戸惑い、不利益を被ることがある。最近マドンナ主演のエビータ「EVITA」のビデオを再び見る機会があった。第2次世界大戦中のアルゼンチンは何の影響も受けないどころか、反対に豊富な農産物を輸出して、莫大な富を蓄積した。その時に労働者階級の圧倒的な支援を受けて、大統領になったのがフアン・ペロンであった。一方エバ・ペロン(EVITA)はブエノスアイレスから遠く離れた田舎で私生児として育ち、15歳で野心と成功への夢を見ながら大都会へ無一文でやってきた。大きな声で言えないような様々な仕事や人間関係を通じて、次第に頭角を現し、ついにはペロン大統領と知り合い、結婚するようになった。詳細は映画の中で語られている。豊かな富を惜しげなく人々や戦争で疲弊した欧州や日本にまで差し出し、その人気は絶大であったが、若いころの無理がたたったのか、33歳で子宮がんでこの世を去った。彼女の葬儀には数十万人の市民が参列した。映画の中でも描かれているが、彼女のモットーは「負けを嫌って強いものになびく」又「鋼鉄のような強い意志を持っていても、それを包む肉体が朽ちていく」とも言った。当然と言えば当然、非情といえば非情であった。しかしどんなに栄華を極めようとも、どんなに人から好かれようともいつか人は朽ちていく。その諦観の中で古代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは次のように書いている。絶えず思うがいい、どれほど多くの医者たちが、病人の為にしばしば眉をひそめながらやがて自分も死んでいったか、どれほど多くの占い師が他人の死を何か大ごとのように予言しながら、死んでいったか、またどれほど多くの哲学者が死や不死について幾多議論を繰り広げながら自分たちも死んでいったか、またいかに多くの英雄が、多くの人を殺しながら死んでいき、どれほど多くの暴君があたかも自分は不死身であるかのように、恐ろしい傲慢さで他人の生命を左右しながら、自分も死んでいったか。またおよそ君の知っていた者を一人一人数えてみるがいい。一人が他の人を世話して、それから自分が参ってしまい、その人を第三の人が世話をする、これらすべてはちょっとの間のことだ。一言でいえば、人間的なことはいかにはかなく、つまらなく、そして昨日の小滴は今日はミイラか灰であることをいつも思え。かくてこの短い時間を自然に従って通り過ぎ、ちょうどイチジクが熟すると、産んでくれたものをほめ、養ってくれた木を感謝して落ちるように、おちついて旅路を終わるがいい。
一学期は8月7日まで、元気いっぱい夏を乗り切っていきましょう。
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