団塊 ビートルズ 全共闘 の世代
2022.06.01

久しぶりにアメリカでの出生数が増えたとのニュースが報道されました。コロナ下での自粛や忍耐生活に対する反動ではないか?ちょうど世界大戦の終戦後に各国でベビーブームが起こったように。この現象はアメリカ独自のものか、それともこれから出産ラッシュが世界中で続くのか?日本の昨年の出生数は80万人余り、現状では日本が日出る国から日没する国と揶揄されても仕方がない。適齢期人口の減少、晩婚化、子供を欲しがらない、経済的な悪条件、未来に対する悲観的な考え、自由に生活を満喫したい、漠然とした未来への不安、子どもの人生に責任を持てないこと、様々な要因が浮かび上がる。戦前の産めや増やせや政策は現在には即しないが、子供を持つ喜び、子供を育てる喜びや楽しみを享受する人が増えてもいいのではないかと思ったりもする。その絶望感の裏返しで、強い意見を言うと、パワハラだとかセクハラだと声高に非難される。誰もが本音で本音のことを言うのが難しくなった今の日本、言葉を慎重に選びながらの発言、ダイナミズムに欠けた日本の将来は私たち自身の双肩にかかっている。村八分にされない程度で、自分の意見を大胆に発することも必要だ。ところで、それまで毎年200万人位の出生数が戦争が終わると、270万人に増えた。1947から1949年。いわゆるベビーブーマーの時代、「団塊の世代」とも「ビートルズの世代」とも「全共闘の世代」ともいわれる。日本だけでなく、欧米でも同じ現象が起こり、「ヒッピー」の言葉がはやり、ベトナム反戦運動が最盛期を迎え、様々な反戦歌やフォークソングが一世を風靡した。月から石が届き、「love story」の映画がヒットした。私は団塊の世代より少し上ですが、270万人の勢い、活力はマグマのように大きなうねりとなり、現状の社会に対しての大きなはけ口を求めてさまよい続けた。大学に行っても校門が閉ざされ、ロックダウンの状態であった。毎日警察とデモのせめぎあいがテレビで流れ、それに参加していた有名大企業のエリートの息子たちも大勢逮捕された。中には悲惨なリンチ事件もあったが、デモや闘争はほとばしるエネルギーの発露となっていた。共産党系や社会党が大きな勢力であったが、若いときによく陥る憧憬のようなものであった。勿論それに組しない学生も数多くいた。企業や公務員に就職し、管理職に進むにつれて、それらは青春の時代に罹るハシカのようなものと考えられた。しかし毎年270万から260万人が社会に出てくる迫力、熱量は大きく、経済の成長とともに、それを受け入れる大きな度量が日本国にあった。オリンピック、万博、新幹線、高速道路、新しい技術の創造や品質管理の追求、海外市場の開拓、夢があり、希望があり、企業や社会の応援があった。学生運動に費やした膨大なエネルギーを今度は企業戦士として、大いに発揮した。正直言って、この団塊の世代を社会は吸収できるのかと心配されたが、社会も、企業もものの見事に受け入れ、日本発展の原動力となっていった。一部まだ過去を引きずる人もいるが、全体は穏やかな、心優しい日本人に変身した。日本社会は罪を犯した人には厳しい見方もある半面、すべてを受けいれる寛容さもあった。今は退職しているとは言え、現役世代の時の幹部の中には学生時代の活動家も多い。ハシカがハシカで終わればいいものを、慢性病になるのであれば、困ったものだ。団塊の世代は後期高齢者に差し掛かった。あと何年かそのような状態が続くであろう。社会保険、医療保険、介護保険など等、様々な面で大きな負担が現役世代にもかかってくる。世は先送りとまで言わないが、一時期の日本のダイナミズムの形成に大きな貢献をした団塊の世代にも、豊かな健康で文化的な老後を送ってもらいた。その為にはただ援助を受けるだけでなく、それに感謝し、積極的に対応することも必要なことだ。同じ大地に生まれ、同じ空気を共有する私たちは同じ仲間として、お互い尊重と礼節の精神を持ち続けたい。
「上に居りて驕らず、下と為りて乱れず」人の上に立って傲慢にならず、人の下となっても秩序を乱すようなことはしない。 私たちには限られた命しかない、言い換えれば、私たちの命は有限。その中で切磋琢磨して、楽しく人生を過ごしてみたいものだ。
6月、水無月、アジサイの月、そして 幸せになるというJune brideの月、園児たちと一緒にたくましく前進していきます。
2022.06.01

久しぶりにアメリカでの出生数が増えたとのニュースが報道されました。コロナ下での自粛や忍耐生活に対する反動ではないか?ちょうど世界大戦の終戦後に各国でベビーブームが起こったように。この現象はアメリカ独自のものか、それともこれから出産ラッシュが世界中で続くのか?日本の昨年の出生数は80万人余り、現状では日本が日出る国から日没する国と揶揄されても仕方がない。適齢期人口の減少、晩婚化、子供を欲しがらない、経済的な悪条件、未来に対する悲観的な考え、自由に生活を満喫したい、漠然とした未来への不安、子どもの人生に責任を持てないこと、様々な要因が浮かび上がる。戦前の産めや増やせや政策は現在には即しないが、子供を持つ喜び、子供を育てる喜びや楽しみを享受する人が増えてもいいのではないかと思ったりもする。その絶望感の裏返しで、強い意見を言うと、パワハラだとかセクハラだと声高に非難される。誰もが本音で本音のことを言うのが難しくなった今の日本、言葉を慎重に選びながらの発言、ダイナミズムに欠けた日本の将来は私たち自身の双肩にかかっている。村八分にされない程度で、自分の意見を大胆に発することも必要だ。ところで、それまで毎年200万人位の出生数が戦争が終わると、270万人に増えた。1947から1949年。いわゆるベビーブーマーの時代、「団塊の世代」とも「ビートルズの世代」とも「全共闘の世代」ともいわれる。日本だけでなく、欧米でも同じ現象が起こり、「ヒッピー」の言葉がはやり、ベトナム反戦運動が最盛期を迎え、様々な反戦歌やフォークソングが一世を風靡した。月から石が届き、「love story」の映画がヒットした。私は団塊の世代より少し上ですが、270万人の勢い、活力はマグマのように大きなうねりとなり、現状の社会に対しての大きなはけ口を求めてさまよい続けた。大学に行っても校門が閉ざされ、ロックダウンの状態であった。毎日警察とデモのせめぎあいがテレビで流れ、それに参加していた有名大企業のエリートの息子たちも大勢逮捕された。中には悲惨なリンチ事件もあったが、デモや闘争はほとばしるエネルギーの発露となっていた。共産党系や社会党が大きな勢力であったが、若いときによく陥る憧憬のようなものであった。勿論それに組しない学生も数多くいた。企業や公務員に就職し、管理職に進むにつれて、それらは青春の時代に罹るハシカのようなものと考えられた。しかし毎年270万から260万人が社会に出てくる迫力、熱量は大きく、経済の成長とともに、それを受け入れる大きな度量が日本国にあった。オリンピック、万博、新幹線、高速道路、新しい技術の創造や品質管理の追求、海外市場の開拓、夢があり、希望があり、企業や社会の応援があった。学生運動に費やした膨大なエネルギーを今度は企業戦士として、大いに発揮した。正直言って、この団塊の世代を社会は吸収できるのかと心配されたが、社会も、企業もものの見事に受け入れ、日本発展の原動力となっていった。一部まだ過去を引きずる人もいるが、全体は穏やかな、心優しい日本人に変身した。日本社会は罪を犯した人には厳しい見方もある半面、すべてを受けいれる寛容さもあった。今は退職しているとは言え、現役世代の時の幹部の中には学生時代の活動家も多い。ハシカがハシカで終わればいいものを、慢性病になるのであれば、困ったものだ。団塊の世代は後期高齢者に差し掛かった。あと何年かそのような状態が続くであろう。社会保険、医療保険、介護保険など等、様々な面で大きな負担が現役世代にもかかってくる。世は先送りとまで言わないが、一時期の日本のダイナミズムの形成に大きな貢献をした団塊の世代にも、豊かな健康で文化的な老後を送ってもらいた。その為にはただ援助を受けるだけでなく、それに感謝し、積極的に対応することも必要なことだ。同じ大地に生まれ、同じ空気を共有する私たちは同じ仲間として、お互い尊重と礼節の精神を持ち続けたい。
「上に居りて驕らず、下と為りて乱れず」人の上に立って傲慢にならず、人の下となっても秩序を乱すようなことはしない。 私たちには限られた命しかない、言い換えれば、私たちの命は有限。その中で切磋琢磨して、楽しく人生を過ごしてみたいものだ。
6月、水無月、アジサイの月、そして 幸せになるというJune brideの月、園児たちと一緒にたくましく前進していきます。
明日ありと思う心の仇桜
2022.05.01

地上に住んでいる人、小鳥たちと同じように空中に住んでいる人、北海道に住んでいる人、沖縄に住んでいる人、裏日本や表日本(この表現が不適切ならば、日本海側や太平洋側)に住んでいる人、日本国中に住んでいるすべての人に5月の到来です。5月は行楽の月、一年のうちでもっとも爽やかな季節であり、心行くまで楽しむのもまた5月です。仕事と同じように、楽しむときは徹底的に楽しむことが必要であり、うじうじためらっていれば、いつしか人生の春は過ぎ去ってしまう。人生が限りあるものゆえ、晩年になって悔いを残さないようにこの季節を大いに楽しみましょう。半袖にしようか、ベストが必要か、長袖に戻ろうか、いろいろ考えた4月と違って、5月は半袖、また木々の緑も濃淡様々、こんなに微妙な濃淡の緑色が存在するのかと驚きの連続です。私たちにはまだまだ自然界から教えてもらうことがいっぱいあります。自然を征服すると誰かが言ったとしたら、その人は自然の偉大さに盲目になっているのでしょう。その緑色の隙間から洩れてくる「木漏れ日」、なんという優雅な響きなのでしょう。思わず木々の間につるしたハンモックの中で横たわっている姿を思い浮かべてしまう。大げさに言えば、自然界の大きな力が地上に降りたって、私たちを奮い立たせてくれているような錯覚に陥ってしまう。限りある命、せっかくの与えられた素晴らしい季節、惰眠をむさぼることなく、元気いっぱい爽やかに生きましょう。さて先日、子ども家庭庁が新聞で話題になっていた。幼保一元化が叫ばれ、認定こども園制度が作られ、幼稚園や保育所から参入する施設が増えた。年長5歳児はイギリスのように小学校の義務教育に入れるべきだという意見は一応封印され、子ども家庭庁は認定こども園と保育所を管轄することが決まった。幼稚園は従前通り文科省の監督になった。日本全部で30000園の保育所、幼稚園と認定こども園はそれぞれ8000か所くらいであるが、最近は幼稚園から認定こども園に移行する施設が増えている。これは偏に国からの補助金の増加で経営の安定に寄与することが大きい。幼稚園、認定こども園、保育所の利点などについては又別途お知らせします。
若い9歳の親鸞が仏門に入ることを決心したときに、周囲の人にそんなに急いで決断をしなくても、明日でもよいではないかと言われ、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐のふかぬものかは」という歌を詠んだ。「明日も見ることができると思っていると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。」転じて「今を一生懸命生きたい。明日になれば自分の命がどうなっているかわからない」諸行無常を歌に託した親鸞の心情ですが、私たちは得てして明日も明後日もそしてこれからも、未来が永遠に続くと思い、生活習慣もそういう風に慣れ、今の今を大事にせず、先にのばすことが多い。明日になったら始めよう。もう少し落ち着いたらとりかかろう。まだまだ先が長いからこの辺で一区切りしよう。というように自分に都合のいいように解釈して結局何も手を付けられなかったことが多い。この際、先はないもの、明日は来ないかもしれないと考え、今日できることは今日するという習慣をつけたいものです。と書いたところで、高校で習った英語のフレーズを思い出しました。Do what you can do today. さわやか五月、皐月の季節、元気いっぱい出発です。今月もご支援、お力添え、よろしくお願いします。
2022.05.01

地上に住んでいる人、小鳥たちと同じように空中に住んでいる人、北海道に住んでいる人、沖縄に住んでいる人、裏日本や表日本(この表現が不適切ならば、日本海側や太平洋側)に住んでいる人、日本国中に住んでいるすべての人に5月の到来です。5月は行楽の月、一年のうちでもっとも爽やかな季節であり、心行くまで楽しむのもまた5月です。仕事と同じように、楽しむときは徹底的に楽しむことが必要であり、うじうじためらっていれば、いつしか人生の春は過ぎ去ってしまう。人生が限りあるものゆえ、晩年になって悔いを残さないようにこの季節を大いに楽しみましょう。半袖にしようか、ベストが必要か、長袖に戻ろうか、いろいろ考えた4月と違って、5月は半袖、また木々の緑も濃淡様々、こんなに微妙な濃淡の緑色が存在するのかと驚きの連続です。私たちにはまだまだ自然界から教えてもらうことがいっぱいあります。自然を征服すると誰かが言ったとしたら、その人は自然の偉大さに盲目になっているのでしょう。その緑色の隙間から洩れてくる「木漏れ日」、なんという優雅な響きなのでしょう。思わず木々の間につるしたハンモックの中で横たわっている姿を思い浮かべてしまう。大げさに言えば、自然界の大きな力が地上に降りたって、私たちを奮い立たせてくれているような錯覚に陥ってしまう。限りある命、せっかくの与えられた素晴らしい季節、惰眠をむさぼることなく、元気いっぱい爽やかに生きましょう。さて先日、子ども家庭庁が新聞で話題になっていた。幼保一元化が叫ばれ、認定こども園制度が作られ、幼稚園や保育所から参入する施設が増えた。年長5歳児はイギリスのように小学校の義務教育に入れるべきだという意見は一応封印され、子ども家庭庁は認定こども園と保育所を管轄することが決まった。幼稚園は従前通り文科省の監督になった。日本全部で30000園の保育所、幼稚園と認定こども園はそれぞれ8000か所くらいであるが、最近は幼稚園から認定こども園に移行する施設が増えている。これは偏に国からの補助金の増加で経営の安定に寄与することが大きい。幼稚園、認定こども園、保育所の利点などについては又別途お知らせします。
若い9歳の親鸞が仏門に入ることを決心したときに、周囲の人にそんなに急いで決断をしなくても、明日でもよいではないかと言われ、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐のふかぬものかは」という歌を詠んだ。「明日も見ることができると思っていると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。」転じて「今を一生懸命生きたい。明日になれば自分の命がどうなっているかわからない」諸行無常を歌に託した親鸞の心情ですが、私たちは得てして明日も明後日もそしてこれからも、未来が永遠に続くと思い、生活習慣もそういう風に慣れ、今の今を大事にせず、先にのばすことが多い。明日になったら始めよう。もう少し落ち着いたらとりかかろう。まだまだ先が長いからこの辺で一区切りしよう。というように自分に都合のいいように解釈して結局何も手を付けられなかったことが多い。この際、先はないもの、明日は来ないかもしれないと考え、今日できることは今日するという習慣をつけたいものです。と書いたところで、高校で習った英語のフレーズを思い出しました。Do what you can do today. さわやか五月、皐月の季節、元気いっぱい出発です。今月もご支援、お力添え、よろしくお願いします。
桜満開 春爛漫
2022.04.01

その花の美しさにもかかわらず、不愉快な名前を付けられたボケの花、チューリップ、大好きな椿、トキワ、マンサク、モクレン、こぶし、クレマチス、蘭、数えればきりがないほどの沢山な木々や草花が最大限のおめかしをして、私たちを現世の桃源郷に招待しています。何の装飾も誇大もなく、本当に春爛漫の世界です。そんな世界に皆さんを迎えることができるのは私たちにとっては本当に幸せであり、喜びの極みです。入園・進級おめでとうございます。私たちの仲間に加わっていただき本当に感激です。これからは仲間の一員として、うれしいこと、寂しいこと、喜ばしいこと、悲しいこと等など、様々な環境の中で、手を取り合い、切磋琢磨して、大きな成長を遂げていきましょう。進級する皆さん、幼稚園は第二の故郷です。皆さんはこの一年で大きく、たくましく成長を遂げました。これからは、お兄ちゃん、お姉ちゃんとして優しく、仲良く、時には強く、新しいお友達に接していきましょう。
アフリカやアジアのどこかの国で、種族の違いで争いがあるというニュースが頻繁に報道され、そのことに慣れきっている私でも、大規模の戦争が現にウクライナで行われているということが私たちの理解の範疇を超えている。新式のミサイル、戦車、航空機、対戦車ミサイル、超音速兵器、私たちの想像を超えた殺戮が進行している。極端な話をすれば、それらの兵器を作っている会社の株式を買えというブラックユーモアまで出ている。そんな死の商人みたいなことが許されるだろうか。二つのことを思い浮かべてしまった。ウクライナの男性は国境を超えて避難できない。祖国のために残り、祖国のために戦わねばならない。その先に死が待っているかもしれない。ロシアの若い兵士もあまりその意義を理解せずに、戦場に送り込まれている。そしてそこで命を失う可能性が高い。私たちは生きる世紀を間違えたのだろうか。戦場でたくさんの人を殺害したものは英雄と言われた。現在では犯罪だろう。両親にかわいがられ、育てられた若者が将棋の駒のように配置され、わずか20代でこの世から去ってしまう。理不尽な出来事であり、悔やんでも悔やみきれない。命を全うするのが人間としての荘厳な生き方でないのだろうか。人が虫けらのように近代兵器の犠牲になっていくさまに身の毛のよだつような恐ろしさを感じてしまう。2点目は日本の敗戦のことを考えてしまう。全国民が玉砕するまで戦うということが言われた1945年、しかし時の政府は全面降伏を受け入れた。無意味な殺生を避ける意味でも、日本民族を絶やさないためにも、大義名分を捨て敗戦を受け入れた。毎日毎日放送される戦争の状況、私はそんなことは見たくも聞きたくもない。その原因がなんであるか、そんなことはどうでもよい。人が人を殺める行為だけは決してしてはならない。これ以上その背後にいるお父さん、お母さんを悲しませないためにも。
大事に大事に慈しみ、育てられた園児の皆さん、たとえ私たちが平和ボケだと言われても、皆さんがこの園で、この国で、安全安心、幸せに暮らすことができるように、例え非力であっても、全力を出して何らかの貢献をしていきたい。それが私たちの責務であり、未来につなぐ架け橋と思う。今年は美木多幼稚園45周年、鳳幼稚園10周年、そして諏訪森幼稚園は91歳の誕生日を迎えます。特に諏訪森幼稚園の地域では、私もこの幼稚園の卒園だというお年寄りの話をよく聞く。本当にありがたいことです。少子化や園児減少が止まりませんが、幼稚園に来ていただける園児がいる限り、私たちはしっかりと幼児教育に取り組んでまいります。毛利の三本の矢ではないですが、三園が力を合わせて教えあい、学びあい、協力し合って、皆様方の期待に応えることができますように頑張ってまいります。これからも暖かいご支援、お力添えをよろしくお願いいたします。 四月、卯月、今月も元気いっぱい出発です。
2022.04.01

その花の美しさにもかかわらず、不愉快な名前を付けられたボケの花、チューリップ、大好きな椿、トキワ、マンサク、モクレン、こぶし、クレマチス、蘭、数えればきりがないほどの沢山な木々や草花が最大限のおめかしをして、私たちを現世の桃源郷に招待しています。何の装飾も誇大もなく、本当に春爛漫の世界です。そんな世界に皆さんを迎えることができるのは私たちにとっては本当に幸せであり、喜びの極みです。入園・進級おめでとうございます。私たちの仲間に加わっていただき本当に感激です。これからは仲間の一員として、うれしいこと、寂しいこと、喜ばしいこと、悲しいこと等など、様々な環境の中で、手を取り合い、切磋琢磨して、大きな成長を遂げていきましょう。進級する皆さん、幼稚園は第二の故郷です。皆さんはこの一年で大きく、たくましく成長を遂げました。これからは、お兄ちゃん、お姉ちゃんとして優しく、仲良く、時には強く、新しいお友達に接していきましょう。
アフリカやアジアのどこかの国で、種族の違いで争いがあるというニュースが頻繁に報道され、そのことに慣れきっている私でも、大規模の戦争が現にウクライナで行われているということが私たちの理解の範疇を超えている。新式のミサイル、戦車、航空機、対戦車ミサイル、超音速兵器、私たちの想像を超えた殺戮が進行している。極端な話をすれば、それらの兵器を作っている会社の株式を買えというブラックユーモアまで出ている。そんな死の商人みたいなことが許されるだろうか。二つのことを思い浮かべてしまった。ウクライナの男性は国境を超えて避難できない。祖国のために残り、祖国のために戦わねばならない。その先に死が待っているかもしれない。ロシアの若い兵士もあまりその意義を理解せずに、戦場に送り込まれている。そしてそこで命を失う可能性が高い。私たちは生きる世紀を間違えたのだろうか。戦場でたくさんの人を殺害したものは英雄と言われた。現在では犯罪だろう。両親にかわいがられ、育てられた若者が将棋の駒のように配置され、わずか20代でこの世から去ってしまう。理不尽な出来事であり、悔やんでも悔やみきれない。命を全うするのが人間としての荘厳な生き方でないのだろうか。人が虫けらのように近代兵器の犠牲になっていくさまに身の毛のよだつような恐ろしさを感じてしまう。2点目は日本の敗戦のことを考えてしまう。全国民が玉砕するまで戦うということが言われた1945年、しかし時の政府は全面降伏を受け入れた。無意味な殺生を避ける意味でも、日本民族を絶やさないためにも、大義名分を捨て敗戦を受け入れた。毎日毎日放送される戦争の状況、私はそんなことは見たくも聞きたくもない。その原因がなんであるか、そんなことはどうでもよい。人が人を殺める行為だけは決してしてはならない。これ以上その背後にいるお父さん、お母さんを悲しませないためにも。
大事に大事に慈しみ、育てられた園児の皆さん、たとえ私たちが平和ボケだと言われても、皆さんがこの園で、この国で、安全安心、幸せに暮らすことができるように、例え非力であっても、全力を出して何らかの貢献をしていきたい。それが私たちの責務であり、未来につなぐ架け橋と思う。今年は美木多幼稚園45周年、鳳幼稚園10周年、そして諏訪森幼稚園は91歳の誕生日を迎えます。特に諏訪森幼稚園の地域では、私もこの幼稚園の卒園だというお年寄りの話をよく聞く。本当にありがたいことです。少子化や園児減少が止まりませんが、幼稚園に来ていただける園児がいる限り、私たちはしっかりと幼児教育に取り組んでまいります。毛利の三本の矢ではないですが、三園が力を合わせて教えあい、学びあい、協力し合って、皆様方の期待に応えることができますように頑張ってまいります。これからも暖かいご支援、お力添えをよろしくお願いいたします。 四月、卯月、今月も元気いっぱい出発です。
Viva Primavera (Spring)
2022.03.01

今はビルに囲まれて、そんな風景は想像することもできなくなったが、春はどこから来るかしら、あの山超えて、野超えて、遠い国から来るかしら?という歌は野山に囲まれた土地に住んでいた人にとっては簡単に思い浮かんだ情景だったのでしょう。春にまつわる歌や語句を拾い集めても、すぐに何かが頭をよぎることになる。「愛も希望を作り始める。遮るな、どこまでも続くこの道を」「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯、歌は見えど、時にあらずと」「梅は咲いたか、桜はまだか」「東風吹かば、にほひをこせよ梅の花」「春よ来い、早く来い、あるきはじめたみいちゃんが赤い鼻緒のじょじょはいて、おんもへでたいと待っている」「春のうららの隅田川、のぼりくだりの船人が」「春が来た、春が来た、どこに来た。山に来た、里に来た、野にも来た」「春の小川はさらさら行くよ」「ちょうちょちょうちょ菜の葉にとまれ」「さくらさくらやよいの空は見わたすかぎり」「今春が来て、君はきれいになった。去年よりずっときれいになった」「春を愛する人は心清き人」「白い光の中に、山並みは萌えて、遥かな空の果てまでも」それに「蛍の光」や「仰げば尊し」、「ビリーブ」、「贈る言葉」、そして大好きな中島みゆきの「時代」、春や春を連想させる歌は枚挙にいとまがない。そんな春、大地に根ざしたすべての生き物は眠りから覚め、小躍りして躍動的に走り出す。冬の厳しさから解放された嬉しさはそんなに無上の喜びなのだろうか。厳しい受験競争を勝ち抜いて栄冠を勝ち取った諸君、本当におめでとう。期せずして本望を遂げられなかった君たち、捲土重来の試練に耐え抜いてほしい。神はいたずらに苦難を与えているのではない。君たちの大きな成長と飛躍を期待しているのだ。苦しめば苦しむほどあなたの人格は深くなり、そして人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読み取るようになる。意図せぬ転勤や退職で心が折れかかっている人たち、社会は皆さんに乗り越えるべき大きな試練を与えている。しかしそれは決して絶望ではなくて、これからの生きていくうえでの大きな原動力に繋がるものだ。そして卒業式を迎えた諸君、「どうせ未来は大したことはない」というような事を言わないでほしい。定年を控えた中学校の校長先生が巣立っていく生徒のために書いた「旅立ちの日に」の中で「はるかな空の果てまでも君は飛び立つ 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り、このひろい大空に夢をたくして」と書いている。今の時代は閉塞的ではない。若者にはチャレンジしがいのある時代。人生の終わりになって後悔しないように頑張ろう。何回も言おう、「人生は一度きりだ」と。そして幼稚園の良い子のお友達、ご卒園おめでとうございます。これから始まる小学校、中学校、高等学校、大学や専門学校などへの道では、友を沢山作ろう。勉強しよう、限りある時間を無駄に使わずに有効に活用しよう。そして楽しく生きよう。皆さんの先輩も不断の努力を重ねてきた。誰にも負けない強い意志をもって突き進んでほしい。未来は君たちの指定席だ。保護者の皆様、お子様の卒園、進級おめでとうございます。どれほど苦労されて今まで頑張ってきたことでしょう。しかしその頑張りに応える子どもたちの成長・発達は皆様方に大きな励ましとなって返ってきます。自分を信じ、子どもたちを信じて、掛けがえのない人生を送られますことを心より願っています。年少、年中の皆さん、いよいよ年中、年長への進級です。今までの弟や妹の立場がお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわるのです。小さな子にも優しく接していろいろ教えてあげましょう。皆さんがそうされてきたように。
弥生三月、さまざまな人の思いを乗せて、未来に向かって出発です。
2022.03.01

今はビルに囲まれて、そんな風景は想像することもできなくなったが、春はどこから来るかしら、あの山超えて、野超えて、遠い国から来るかしら?という歌は野山に囲まれた土地に住んでいた人にとっては簡単に思い浮かんだ情景だったのでしょう。春にまつわる歌や語句を拾い集めても、すぐに何かが頭をよぎることになる。「愛も希望を作り始める。遮るな、どこまでも続くこの道を」「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯、歌は見えど、時にあらずと」「梅は咲いたか、桜はまだか」「東風吹かば、にほひをこせよ梅の花」「春よ来い、早く来い、あるきはじめたみいちゃんが赤い鼻緒のじょじょはいて、おんもへでたいと待っている」「春のうららの隅田川、のぼりくだりの船人が」「春が来た、春が来た、どこに来た。山に来た、里に来た、野にも来た」「春の小川はさらさら行くよ」「ちょうちょちょうちょ菜の葉にとまれ」「さくらさくらやよいの空は見わたすかぎり」「今春が来て、君はきれいになった。去年よりずっときれいになった」「春を愛する人は心清き人」「白い光の中に、山並みは萌えて、遥かな空の果てまでも」それに「蛍の光」や「仰げば尊し」、「ビリーブ」、「贈る言葉」、そして大好きな中島みゆきの「時代」、春や春を連想させる歌は枚挙にいとまがない。そんな春、大地に根ざしたすべての生き物は眠りから覚め、小躍りして躍動的に走り出す。冬の厳しさから解放された嬉しさはそんなに無上の喜びなのだろうか。厳しい受験競争を勝ち抜いて栄冠を勝ち取った諸君、本当におめでとう。期せずして本望を遂げられなかった君たち、捲土重来の試練に耐え抜いてほしい。神はいたずらに苦難を与えているのではない。君たちの大きな成長と飛躍を期待しているのだ。苦しめば苦しむほどあなたの人格は深くなり、そして人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読み取るようになる。意図せぬ転勤や退職で心が折れかかっている人たち、社会は皆さんに乗り越えるべき大きな試練を与えている。しかしそれは決して絶望ではなくて、これからの生きていくうえでの大きな原動力に繋がるものだ。そして卒業式を迎えた諸君、「どうせ未来は大したことはない」というような事を言わないでほしい。定年を控えた中学校の校長先生が巣立っていく生徒のために書いた「旅立ちの日に」の中で「はるかな空の果てまでも君は飛び立つ 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り、このひろい大空に夢をたくして」と書いている。今の時代は閉塞的ではない。若者にはチャレンジしがいのある時代。人生の終わりになって後悔しないように頑張ろう。何回も言おう、「人生は一度きりだ」と。そして幼稚園の良い子のお友達、ご卒園おめでとうございます。これから始まる小学校、中学校、高等学校、大学や専門学校などへの道では、友を沢山作ろう。勉強しよう、限りある時間を無駄に使わずに有効に活用しよう。そして楽しく生きよう。皆さんの先輩も不断の努力を重ねてきた。誰にも負けない強い意志をもって突き進んでほしい。未来は君たちの指定席だ。保護者の皆様、お子様の卒園、進級おめでとうございます。どれほど苦労されて今まで頑張ってきたことでしょう。しかしその頑張りに応える子どもたちの成長・発達は皆様方に大きな励ましとなって返ってきます。自分を信じ、子どもたちを信じて、掛けがえのない人生を送られますことを心より願っています。年少、年中の皆さん、いよいよ年中、年長への進級です。今までの弟や妹の立場がお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわるのです。小さな子にも優しく接していろいろ教えてあげましょう。皆さんがそうされてきたように。
弥生三月、さまざまな人の思いを乗せて、未来に向かって出発です。
15の春は泣かせない
2022.02.01

スペインかぜ、いわゆる100年前のパンデミックは3年経過して、終息を迎えた。今のコロナ感染症はもう2年以上たつのに、まだその兆しが見えない。これだけ医学が進んでいるにも関わらず、当時と同じような大きな衝撃を人類に与えている。ある人は今のオミクロンはコロナの最後のあがきで、徐々に終息し、今までの日常生活に戻るだろうと言う。そんなに怖がらなくても、もうそこに明るい光が見えていると楽観的に予想している。又ある人はまだまだ変異株が現れて、終息するまでに時間がかかると悲観的に言う。テレビ出演の大学医学部の関係者はもう単なる風邪に過ぎないので、そんなに恐れる必要はないと言うし、政府にかかわる学者はまだまだ用心しなければいけないと言って様々な規制の解除を先延ばしにしている。正しく恐れることが必要なのだろう。陽性の人が10日間の隔離が続くと、経済も、病院も、高齢者施設も、学校などの教育施設も機能が麻痺しかねない。物事には終わりがある。必ず終息する。いつそれが宣言されるか誰もわからない。イギリスではすべてに規制を撤廃した。日本はどうするのだろうか?積極的な終息宣言や規制の撤廃は大きな責任と非難を伴うだけに日本政府はそのリスクをとることができるだろうか。時あたかも高校大学受験の真っ最中、いろいろ柔軟な試験対策が報じられているが、あくまでフェアで誠実であってほしい。受験人口が減り、多様性のある専門学校や職業を選ぶ人が多くなったとはいえ、不必要で理不尽な挫折感は人の成長に寄与するものでない。京都の蜷川虎三知事は「15の春は泣かせない」と言って、1校区1高校の制度を作り、高校全入の道筋をつけた。勿論当時低かった高校進学率を上げ、働き手の拡充をする狙いもあったかもしれない。現在は反対に学区制が取り払われ、公立高校の序列化が進んできた。40年前、高校3年生の担任をしているときに、「先生、どんな大学でもいいから推薦してほしい」と生徒から言われ、大阪のある大学を紹介し、無事4年間を充実して楽しく過ごした。スポーツマンであった彼は明るい人を引き付ける性格と物事に積極的に取り組む姿勢で、今は立派な企業人になっている。しかし大多数の受験生は自分の実力以上に世間的に評判のいい大学を選びたがる。昔は浪人することは何も気にしなかったが、少子化の今の時代、浪人することはどうなのか。現役で入ったことが将来の栄光につながるのか、苦節10年まではいかないにしても、艱難辛苦の努力が将来の希望に通じるのか。「If winter comes, can Spring be far behind? 」冬来たりなば、春遠からじ。そんな2月、ふと目を下に落とすと、クロッカスが土の中から少し芽を出している。年齢を重ねたからいうのではないが、つい最近黄色に咲くクロッカスを見つけたのではなかったか?あれからもう1年もたつのか。梅の花も開花の準備の真っ最中、季節の中で生活しているとはいえ、その移り変わりの速さは私には残酷に感じてしまう。最近読んだ本の中で論語の一遍があった。「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(仕事でも勉強でも知っていることはいいことだが、それを好きだというのには及ばない。好きであるのはいいのだが、それを楽しむのには及ばない)つまり仕事でも勉強でも楽しむ境地に至れば一流の経営者になりえる。ある哲学者は「一生懸命やると楽しくなるのが仕事の本質である」と言った。仕事が楽しみになれば、時間も名誉も金銭も超越することができます。故に仕事を楽しめる人は本当の経営者になれるのです。渋沢栄一流に言えば、このようなことでしょうか。
寒い中にもどことなく春の気配が色濃く感じられます。コロナもまだまだ油断できませんが、明るい未来を夢見て、2月、如月、元気いっぱい乗り切っていきましょう。
2022.02.01

スペインかぜ、いわゆる100年前のパンデミックは3年経過して、終息を迎えた。今のコロナ感染症はもう2年以上たつのに、まだその兆しが見えない。これだけ医学が進んでいるにも関わらず、当時と同じような大きな衝撃を人類に与えている。ある人は今のオミクロンはコロナの最後のあがきで、徐々に終息し、今までの日常生活に戻るだろうと言う。そんなに怖がらなくても、もうそこに明るい光が見えていると楽観的に予想している。又ある人はまだまだ変異株が現れて、終息するまでに時間がかかると悲観的に言う。テレビ出演の大学医学部の関係者はもう単なる風邪に過ぎないので、そんなに恐れる必要はないと言うし、政府にかかわる学者はまだまだ用心しなければいけないと言って様々な規制の解除を先延ばしにしている。正しく恐れることが必要なのだろう。陽性の人が10日間の隔離が続くと、経済も、病院も、高齢者施設も、学校などの教育施設も機能が麻痺しかねない。物事には終わりがある。必ず終息する。いつそれが宣言されるか誰もわからない。イギリスではすべてに規制を撤廃した。日本はどうするのだろうか?積極的な終息宣言や規制の撤廃は大きな責任と非難を伴うだけに日本政府はそのリスクをとることができるだろうか。時あたかも高校大学受験の真っ最中、いろいろ柔軟な試験対策が報じられているが、あくまでフェアで誠実であってほしい。受験人口が減り、多様性のある専門学校や職業を選ぶ人が多くなったとはいえ、不必要で理不尽な挫折感は人の成長に寄与するものでない。京都の蜷川虎三知事は「15の春は泣かせない」と言って、1校区1高校の制度を作り、高校全入の道筋をつけた。勿論当時低かった高校進学率を上げ、働き手の拡充をする狙いもあったかもしれない。現在は反対に学区制が取り払われ、公立高校の序列化が進んできた。40年前、高校3年生の担任をしているときに、「先生、どんな大学でもいいから推薦してほしい」と生徒から言われ、大阪のある大学を紹介し、無事4年間を充実して楽しく過ごした。スポーツマンであった彼は明るい人を引き付ける性格と物事に積極的に取り組む姿勢で、今は立派な企業人になっている。しかし大多数の受験生は自分の実力以上に世間的に評判のいい大学を選びたがる。昔は浪人することは何も気にしなかったが、少子化の今の時代、浪人することはどうなのか。現役で入ったことが将来の栄光につながるのか、苦節10年まではいかないにしても、艱難辛苦の努力が将来の希望に通じるのか。「If winter comes, can Spring be far behind? 」冬来たりなば、春遠からじ。そんな2月、ふと目を下に落とすと、クロッカスが土の中から少し芽を出している。年齢を重ねたからいうのではないが、つい最近黄色に咲くクロッカスを見つけたのではなかったか?あれからもう1年もたつのか。梅の花も開花の準備の真っ最中、季節の中で生活しているとはいえ、その移り変わりの速さは私には残酷に感じてしまう。最近読んだ本の中で論語の一遍があった。「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(仕事でも勉強でも知っていることはいいことだが、それを好きだというのには及ばない。好きであるのはいいのだが、それを楽しむのには及ばない)つまり仕事でも勉強でも楽しむ境地に至れば一流の経営者になりえる。ある哲学者は「一生懸命やると楽しくなるのが仕事の本質である」と言った。仕事が楽しみになれば、時間も名誉も金銭も超越することができます。故に仕事を楽しめる人は本当の経営者になれるのです。渋沢栄一流に言えば、このようなことでしょうか。
寒い中にもどことなく春の気配が色濃く感じられます。コロナもまだまだ油断できませんが、明るい未来を夢見て、2月、如月、元気いっぱい乗り切っていきましょう。