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ゆく年くる年、2021 師 走

2021.12.00


 2年前に始まったコロナ狂騒曲、世界中に多大の不幸をもたらし、人々の日常生活をまったく変えてしまった。100年前のインフルと比較され、科学技術が進んだ現代では終息するのも時間の問題と誰もが考えたのに、一部日本では少し落ち着きを取り戻したものの、諸外国ではまだまだ猛威を振るっている。マスクや熱測定から解放されるのは未だ見通しが立たない。そんな中、厳しい対応と子供の成長・発達との相矛盾する中で、日々の保育と行事活動を行ってまいりました。時には叱咤激励のお言葉を頂きながら、保護者の皆様のご期待に応えられる努力も重ねてまいりました。お褒めの言葉も多数いただいた反面、中にはまだまだ対策をという無言の圧力も感じることもありました。これからも子どもたちの安全、安心と保護者からの信頼を目指して、努力してまいります。さて、時は師走、昔流に言えば、盆に延びた支払いも暮れにはどうしても取り立てることで「越すに越されぬ歳の暮」とは打って変わって、現在では年度末の3月のほうが大事、と言っても12月の声を聞くと何かじっとしていられない苛立ちや、一年の悔恨や反省を思う。しかしそんな懸念を払拭して、「来年こそは」と思う者はもっとも良く人生を送ることができるだろう。私の楽観的な見方かもしれませんが。ついでに書くと作家の石坂洋次郎は人生を終えるにあたって、次のように書いた。私自分は働けなくなって、ただ長寿を保つことはごめんだという気持ちである。また、人生は一度だけでたくさんだというのも私の場合の実感である。シミや偽りや傷あとだらけの私の人生をもう一度!そう思える人はよほど神経の鈍い人だと思う。私は地獄、極楽を信じないが、もし人間が死後、そういう世界に移り住むのだとすれば、私は泰平無事だが、少しばかり退屈そうな極楽よりも、血の池、針の山の責め苦がある地獄に住みたいと思う。自分の首を片手にぶらさげて歩いていく亡者であることも変わっていて面白いのではないだろうか。  保護者の皆さんはどう思われますか。というより、まだまだお若い皆様にとって無縁の事象かもしれません。
2021年、今年もいろいろありました。物議をかもした2020東京オリンピック、日本人は大活躍でした。精神的ストレスを告白した二度目の優勝を飾ったテニスの大坂選手、二刀流の前代未聞の大活躍の大谷選手、稲見選手の銀メダル、松山選手のマスターズ優勝、笹生選手の全米オープンの優勝、藤井4冠の超人的な活躍、衆議院選挙と岸田首相の選出、バイデン大統領就任、等々がありました。個人的には60歳から始めて18回目に頂いた生まれ年の新聞、1944年11月3日の記事には「荒鷲レイテ湾を猛攻」の勇ましい記事の反面、「B29悪天候でも爆弾1トン積んで飛来」の記事で、日本の敗戦を予感させるような記事も。10年後の1954年のトップの記事は日本一の健康優良児と優良校が決まったニュース、いまはもう消えてしまったが。様々な事件や出来事が起こり、さまざまな道筋をたどって解決し、消えていく。それは私たちの人生に通じるものであり、喜怒哀楽の境地なんだろう。あるものはハッピーエンドの結末となり、またあるものは後味の悪い結果を残していく。粛々とそれを受け止め、自分の成長の一過程と考え、それに対処する知恵を身につけていく。人はもろい反面、堅固な一面も併せ持っている。  入園、進級で始まった4月以来、先生や友とのふれあい、新しい環境との出会い、いろいろな行事や保育活動を通じて、それぞれの学年にふさわしい知識を身につけ、体験や経験もしてきました。子どもたちは保護者の皆様が思っている以上に大きく立派に成長発達を遂げたと思います。三つ子の魂百まで、幼児教育の大切さを今一度かみしめながら、2022年も全力で子どもたちと楽しい時を過ごしてまいります。ご期待ください。

ならぬことはならぬものです

2021.11.01


 鳳幼稚園や諏訪森幼稚園の入園式や卒園式で使っている有田焼の華やかな花瓶、美木多幼稚園もと思い、70%引きの文字に踊らされて、鉄道を乗り継いで行った佐賀県有田町、何回か行った瀬戸物市の時の賑わいとは天と地の差、有田駅から周囲を見渡しても誰もいない。暇そうにタクシーはこちらを向いている。5月連休のその時との落差にびっくり。この町にある深川製磁も香蘭社も売り上げに苦しんでいるとか。昔は引き出物によく使われた食器類も、今やカタログギフトに代替わり。訪れたことのある70%引きの店には伝統工芸士の作品がいっぱい。美木多幼稚園にも有田焼の花瓶が期待できそうだ。それはさておき、窯元が所狭しと並んでいる有田、先人たちがこの土地に魅惑され、営々と技術を継承されてきたのだろう。しかし近頃は不要不急の物が排除され、又生活様式の変化によって、昔の隆盛が見られないのも残念な事と思う。昨年はコロナ禍で見送られた全日本私立幼稚園連合会の研修大会が福島県郡山市で開催された。今年のテーマは「新しい明日に向けて幼児教育の振興を考える」です。今幼稚園はさまざまな問題に直面しています。団塊の世代では250万人を超えた出生数は今や80万人余りに減少、極端な少子化に直面している。又幼稚園の義務化が俎上に上り、子ども庁の創設も浮上している。この大会で福島の小児科医の菊池先生が講演し、その中で、原子力発電所の事故以来、子どもたちの精神的な恐怖が増大し、内にこもる子どもたちが増え、それに伴って、肥満傾向児の出現が他県よりも多く見られ、又体力、運動能力の低下がみられるようになった。このことはゲームやネット、メール、食事の過多によって日本全国的な傾向だが、特に福島県では顕著に表れている。これはまた保護者の生活環境の変化や保護者のストレスによる虐待、保護者の不安などに伴う子どもの心の不安定化や差別や風評によって助長されていると述べられた。その為には、福島だけの問題ではないのだが、子どもが主役の居心地の良い街作りが必要だと説き、子どもが居心地良ければ、保護者も家族も幼稚園も学校も企業もそして地域が居心地良くなると説明した。そして次のような社会が必要だとしている。子どもたちの心と体が健やかに育つ社会。子ども中心の社会。子どものためにお金が投じられる社会。子育てより子育ちが重んじられる社会。その為にも子どもたちの成育環境の創造が必要だと強調した。この医師の偉い所はただ自説を主張するだけでなく、実際にその為に何をすべきを考え、子どものための施設や遊び場を作って有言実行していることだ。
福島は私にとっては未知の県だった。この機会にこの県を知りたくて、何の前知識を持たずに、一日前に福島に入り、レンタカーで動き回った。私には福島イコール猪苗代湖であり、磐梯山であり、会津藩くらいの知識しかなかった。この県が豊かであるかどうかは別として、福島空港から会津若松に続く道は黄金色に染まっていた。有田へ行った時も佐賀平野に感銘を受けたが、福島南部のこの地域も日本の原風景、私に昔を思い出させるような情景であった。会津の人の故郷を思う気持ちは鶴ヶ城に入ったときにひしひしと実感した。故郷の偉人を尊び、15歳や16歳で身を投じた白虎隊、会津藩の徳川に忠誠をつくしたせいで、青森の下北半島の不毛の地に送られたこと、誇りと挫折の相まみえた展示がされていた。会津藩の什の掟はなぜか心に残った。1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。2.年長者にはおじぎをしなければなりませぬ。3.虚言を言うことはなりませぬ。4.卑怯なふるまいをしてはなりませぬ。5.弱いものをいじめてはなりませぬ。6.戸外でものを食べてはなりませぬ。7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです
善悪は別として、昔の会津藩の矜持が感じられる指針だったのでしょう。
海抜500m以上に存在する猪苗代湖は周囲80㎞、日本で4番目に大きな湖であった。こんな高地にこんな大きなものが、感嘆させられた。高所にあるがゆえに、会津盆地やその他の地域の農作物の水源になる一方、発電にも大きな貢献をしている。湖畔にある野口英世記念館には生家を含め、数多くの展示がなされていた。アメリカに渡った英世はたった一度だけ日本に戻ったきっかけを作った母親の切実として帰国を促す手紙は人の心を打つものであった。
秋が深まり、寒さが増してきました。コロナ禍がまだまだ油断できない中、インフルエンザの流行も心配されています。心と体の健康に気を付けて、今月も元気いっぱい、幼稚園号は出発です。

隠された真意

2021.10.01


 その高齢の弁護士の一言が忘れられない。「代々続いて私で4代目、ずっとその仕事に就いてきて、本当に弁護士であってよかった。私にとって弁護士は本当に天職だ。いかなる圧力や意見にも屈せず、正しいことを言い、行い、正義を貫いてきた。この仕事を続けることができて良かった。近頃お金に絡まることで、弁護士が不祥事を行うことがよく見受けられる。私はそのために3年間仕事がなくても、収入が途絶えても、それを補うことができる不動産や配当収入を心がけてきた。それ故、自分の主張が脅かされ、脅迫されても、正義を貫くことができる」成る程、誘惑はお金だけではないが、それも一つの大きな人生転落の原因となっている。80歳を超えた老弁護士にとって、いままでの来し方は自信にあふれ、満足したものであった。最近の若い人を中心に、天職を求めて、頻繁に仕事を変わる傾向を考えれば、ある意味、うらやましいほどの自信のなせる業だ。何が天職かは誰も決めることはできないが、その人が満足し、自信をもって天職と言っているのであれば、他人がとやかく言うことではない。その人にとってはそれが天職なのだろう。勿論天職は自由業の人だけでなく、市井の目立たない、片隅の小さな仕事でも、それは大きな社会的貢献の礎であり、その人にとっては光り輝く天職となっている。短い人生、一度限りの人生、後戻りのできない人生、天職に巡り合う、というより自分が今一生懸命取り組んでいる仕事はまぎれもなく天職に違いない。
最近読んだ新聞記事に犬ぞりの話があった。政治家の話だが、あるエリート政治家が総裁選挙の応援で、自分の属する派閥の領袖で、総裁候補者に、選挙資金の融通をお願いした。その時にその派閥の長に「君、犬ぞりを知っているか?」と問われ、「ハイ、犬が引っ張るそりですね」と普通に答えた。それに対して「たくさんの犬が引っ張るそりのことだ。ただその犬の中には、そんなそぶりも見せずに、一生懸命引っ張っている犬もいれば、見かけは一心不乱そうだが、適当に引っ張っている犬もいる。さまざまだ」と言った。それを聞いたその政治家はそれ以降、今以上に忠誠をつくし、そのボスのために何事にも懸命に取り組んだそうだ。その言葉の裏に隠された真意を理解して、直接の表現以上に底知れぬ恐怖を感じたのかもしれない。
ある小学校で二宮尊徳の銅像を見た。彼が偉いとか、蛍雪で勉強したのが立派だというのではないが、少なくともその精神から学ぶことは多い。車を運転していると、自分の家や会社は雑草一本もないのだが、それにつながる公共用地は雑草だらけの風景に出くわす。そしてそんな人ほど、役所に雑草を刈ることを強く要請していることがある。自分の土地の雑草を刈る時に、少し広げてそこもきれいにしたらと思うのだが、損得勘定が働くのか、公徳心の面で欠けるきらいがあるが、言うは易し、行うは難しなのだろう。私たちは一般に変化に対して、損得に対して、理性的、合理的な判断を超えて身構えてしまう傾向がある。案外大昔のように、所有権の概念がない時のほうが、公共心があったかもしれない。
10月、いよいよ運動会がやってきました。私の願いは演技の上手下手、運動能力の優劣よりも、その子が汗水を垂らして真剣に取り組んでいるその姿、その表情をしっかり見ていただきたい。その思いが運動会のすべてだと思っています。 2021年10月、すべての神が出雲に行ってしまう神無月、今月も子供の成長発達を夢見ながら、前を向いて進み続けます。ご期待ください。

時の流れの中で

2021.09.00


 日本語の語呂合わせで必死に覚えた英単語、その中には考えたくもないような「死刑だ」の発音の単語があった。そう、cicada, 蝉だ。今年アメリカでその大量発生で話題になった。英字新聞に興味のある記述があった。 The Cicadas are coming. It’s not an invasion. It’s a miracle.のタイトルでマーガレットさんが寄稿していた。Deep beneath the spring-warmed soil, a great thrumming force is beginning to stir. Trillions strong, these insects have been living in the dark since George W. Bush’s first term as president. Now they are ready for the light. They are climbing out of the darkness, out of their own skins and into the trees. They are here to sing a love song. Their only purpose among the green leaves is love.  (蝉がやってくる。それは殺到ではなく、奇跡だ。春の温かくなった地中深くで、コツコツと力強い音がし始めた。数えきれないほどの多くのこれらの昆虫はブッシュ大統領が一期の頃から暗闇で住み続けてきた。そして今、光を求める準備ができた。そして脱皮して、暗闇から樹木に登り始めた。そして愛の歌を歌っている。緑の葉の中での唯一の目的は愛) 実際蝉のオスは求愛のために鳴くが、メスは鳴かない。擬人化したその表現や長年暗闇の中で木の根の養分などで生きながらえていること、そしてその年月の長さを表現するのに、過去の大統領の治世を持ってきたことに惹かれてこの文章を引用させていただきました。日本の蝉はもっと短いというかもしれないが、アメリカの17年蝉だと考えると、日本ではどんな時だったのでしょう?2004年、個人的には還暦を迎えたとき、又鳳幼稚園も諏訪森幼稚園も私たちの仲間になる少し前の出来事。この17年で私達はどう変わったのだろうか。日本は高齢化社会になると言われ、特別養護老人ホームや新しい形態の施設が雨後の筍のように次々建設された。労働力不足が叫ばれ、そのターゲットが家庭にいる主婦層に向けられ、それに伴い子どもを預かる保育所不足が声高に叫ばれ、認定こども園の制度ができ、幼稚園では預かり保育のニーズが高まり、行政からも要求されるようになった。最近になって乱立された老人介護の施設はその形態によっては入所希望者も介護する人も集まらず、倒産件数も増え、大きな問題になりつつある。又幼児教育の世界でもコロナ禍と相まって、出生数が極端に減り、幼稚園や保育所の定員と実員が大きく乖離している場面も見られる。50年前に新設ラッシュだった新設高校の今はどうなっているのでしょう。世界中が少子化に悩まされている。西欧のリーダー、特にイギリスのボリス・ジョンソンとの違いはなんだろうか?同一歩調を求める日本の国民性との違いはどうなのだろうか?詳しくはわからないが、新聞記事などから類推すると、サッカー場に多数の観客を入れて、コロナの感染状況を調べたり、死者が増えない限り、規制を撤廃したり、マスクを着用しない。翻って日本では様々な分野で矛盾ある政策が報告され、人の命よりも法を優先することもある。日本は横並び方式で他人と異なることに違和感を覚え、村八分的に批判することも見られるが、概して寛容的でない。誰もが感じていることだが、法にのっとることは免罪符のように言わるが、臨機応変的な対応が遅れることもある。時には恐れることなく、勇気と決断が必要なこともある。何が良いか誰もわからない。しかし出来るだけ早くコロナ禍が収束して欲しいとの思いは共通の願いです。長く続いた降雨の後は少しは涼しくなると思いきや、真夏がその勢いを取り戻すかのように毎日猛暑が続いている。そんな中でも二学期の大事な、充実した行事が私たちを待っている。子どもたちを信じ、可能性を信じ、様々なことに注意を払いながら、一緒に楽しく幼稚園生活を送ってまいります。食欲とスポーツの秋、今月も思い出作りの保育の旅を続けていきます。尚,9月から来年度の願書の配布が始まります。就学前の教育に関して、私たち幼稚園は絶対の自信と実績を持っています。是非とも幼稚園への入園を考えていただき、又ご近所、お知り合いの皆様にも勧めていただきますようにお願い申し上げます。働くお母さんを応援する制度も充実しています。9月、長月、今月も元気に出発です。

夏が来れば

2021.08.01


 「夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬、遠い空」夏の定番のこの歌は私たちを無意識のうちに尾瀬に誘ってくる。「夏を愛する人は心強き人、岩をくだく波のようなぼくの父親」冬のお母さんに対する夏のお父さん、夏を好きな人の心情は強い心の持ち主だろうか?思わず自問自答してしまう。「あの夏の日がなかったら 楽しい日々が続いたのに」アリスの秋止符、夏にはどんなことがあったのだろうか。夏は開放的ですぐに恋に陥りやすい環境、しかし冷静になって考えれば、それが自分の意志でなかったと苦い思い出に浸る夏の日。いろいろな思いを秘めた夏、2021年、又その夏がやってきた。昨年は行動も制限されての一週間の夏休みでした。今年はコロナの影響はまだまだ残るものの夏休みは従来通りの期間、行動自粛の要請はあるものの、ワクチン接種が進み、少しは行動様式が緩和されつつある。そんな中で密にならない対策を維持しながら、夏にしかできない、この時期にしかできない事に取り組むことも子供たちの成長発達にとっては大事なこと、それと共に家庭にいる子どもたちにとっても、ただ怠惰に夏休みを過ごし、それが過ぎるのを待っているだけでなくて、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんとの良好な関係を築き、子どもたちの節度ある日々の生活が求められています。私たちは子どもたちが病気になり、事故に遭遇しないか本当に心配しています。どうぞ安全・安心にも十分ご配慮お願いします。私は福泉町立美木多中学校出身です。その3年前は美木多村立美木多中学校と呼ばれていました。今の美木多中学校とは名前が無くなった時期があって、縁が切れていますが、今その跡地は住宅地になっています。そこでの3年間は一学年60人の友達と話をしたり、スポーツを楽しんだり、夏になると近くの池でおよいだり、何かあると、光明池まで行ったりしました。少しは家の農業を手伝ったことがありましたが、真っ黒になりながら日々野球をして過ごし、3年生になってから受験勉強を頑張り、この年2人、田舎の中学校から三国丘高校に入学しました。高校では運動部も考えたのですが小説や随筆などのいわゆる書き物が好きだったこともあり、図書部に入りました。そこで手あたり次第本を読み、そのことが確実に何らかの形で役立っているように思います。それ故、高校の教師をしていた時も「本を読もう」「どんな本でもいいから活字を読もう」「それが君たちの生きる力になる」等と何回も言ったことがあります。ネットが発達してきたから新聞、雑誌はいらない、よく言われます。しかし瞬間的に消えるネットのニュースと印刷された新聞のニュースとは大きな違いがあるように思います。マスコミはそれぞれの会社が主義主張を持っていて、偏向とは言わないまでも、中立ではありません。私は読売,産経、日経、The Japan Times(大きなタイトルを読むくらい)の4紙に目を通していますが、今日(7月15日)の読売の時代の証言者のコラムに田村哲夫(渋谷教育学園理事長)さんの話が連載されています。その中で大学時代の恩師丸山真男先生がロマン ロランの一節を引用した次の文章に感銘を受けて、生涯その一節を持っているそうです。「力の限り善きことを為せ、何ものにもまして自由を愛せよ、たとえ王座の階(きざはし)にあるとも、絶えて真理を忘れるな」私たちは日常の雑念に追われて自分を見失うことが多いが、時には心の洗われる文章に接していたい。
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