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仲良く交流する夢の世界

2019.04.01


 41年間歌い継がれてきた私達の幼稚園のオリジナルの「お別れの歌」、あの若かりし頃に子どもを思い、保護者の気持ちに寄り添い、子どもの活動や成長を願って、思いを込めて作った「お別れの歌」、同じ内容で、同じリズムで41年間、歌い継がれてきたことを考えると、思わず目に涙が浮かび、卒園式では無様な姿を見せてしまいました。しかし何かしら感動できることを持てて、幸せであると思う。保護者の皆様も人生で感動する思い出、場面、情景、達成感、喜び等、たくさんお持ちだと思います。例えばお子様の誕生、学校生活の始まりの入園式も感動の一シーンではないでしょうか。感動は何も大きなことばかりとは限りません。ほんの小さな些細なことであっても、そして他人がそれをほんの出来事と片付けることになっても、その人にとっては記憶に残る感動になることもあるでしょう。感動には基準が無く、大小もありません。私達は喜びの中から感動が生まれ、心が震え、生きている実感が伝わってきます。
新入園児の皆さん、ご入園おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます・。幼稚園では皆さんが来られることを今か今かとお待ちしていました。「ようこそ私達の仲間へ」の思いが募ります。今まで過ごしてきた環境とは異なる環境が始まります。保育の世界から教育の世界へ。そして人の根幹を形作る幼児教育の世界へ。未知の世界から可視化の世界へ。不安な世界から安全・安心の世界へ。あなただけではありません、誰もみんな心配で、不安なのです。しかし不安な人が集まって、友達になり、強力な人間関係が形成され、自信あふれる活動が生まれます。幼稚園が素敵な出会いの場所になり、幼稚園に行くことが当たり前のことになり、楽しくなっていきます。それは人によって早い、遅いの差があるものの、ほぼ同じような形となって収束していきます。その中で独自の個性が生まれ、ユニークな存在として活動することもありますが、優しさが生まれ、みんな友達の世界になっていきます。幼稚園では何も心配は要りません。冒険心富んだ遊具、優しい先生、花や緑の環境、さあ楽しい園生活の始まりです。
りんご、年少、年中組であった皆さん、ご進級本当におめでとうございます。入園以来過ごしてきた幼稚園で、皆さんは心身ともに大きな成長を遂げました。見違えるほど立派になりました。今まで大好きなお友達と大好きな遊びやさまざまな活動をしてきました。りんご、年少組であった皆さんは今年は大きくなっての活動です。まだまだ知らない魅力が幼稚園にいっぱいあります。保育室に、園庭に、まだまだ見つけていない宝物もたくさんあると思います。多くの知らない優しいたくさんの先生に会えるかもしれません。又新しく幼稚園に入園してきたお友達に、幼稚園のことをいっぱい教えてあげてください。頼りがいのあるおにいちゃん、お姉ちゃんに、皆さんならきっとなれます。そして年中組から年長組に進級した皆さん、いよいよ幼稚園で一番上の学年になりました。本当に年少、年中組さんから慕われ、敬われ、頼られる存在になりました。後輩をよろしくお願いします。皆さんは幼稚園のことをほぼ全て理解していると思います。又友達もたくさん作ったことでしょう。先生方は皆さんに年長としての大きな活動を期待しています。運動会での組立やリレー、リズム運動、作品展での個性的な作品つくり、そして一人セリフや合奏やきれいなハーモニーを奏でる合唱、は言うまでも無く、活動の一つ一つが注目の的です。先生方も大きな期待を寄せています。その上、小学校につなぐ教育活動もあります。文字の練習から始まって数の学習まで、小学校の先取り教育はしませんが、小学校に行っても誰にも負けない、誰とでも上手くやっていく知識も身につけなければなりません。充実した楽しい最後の幼稚園生活を味わっていただきたいと思います。今から20年後、皆さんは青年であり、若者です。世界のファッションリーダーであり、技術革新の担い手です。30年後、40年後はますます進む少子化の中、日本を支える頼もしい存在になっていることでしょう。日本の矜持を守りながら、世界の人々と仲良く交流する夢の世界、私が皆さんに託する大きなお願いです。

思いと贈る言葉

2019.03.01


 卒園・進級おめでとうございます。自分の意思とは関係ないとはいえ、この世に生を受け、健康に、順調に成長を遂げてきた皆さん、人生の長いスパンで考えると、まだまだ「ひよこ」の時代、しかしこのひよこの時代こそ、これからの長い人生の基礎・基本が形成される大切な時、その不可逆的でお金ではけっして買えない貴重な時をこの幼稚園で過ごした皆さんには、他の誰にも負けない人間としての生きる力、生き抜く力が備わっています。これからの21世紀の日本を支える皆さんの活躍は、取りも直さず、日本の輝きにも通じるものがあります。今まで培ってきた基礎の上に、人生の中でのさまざまな事象を経験して、応用力をつけ、心豊かな立派な人に育って欲しいと思います。ここでいう立派な人というのは、世間から脚光を浴び、有名になり、お金持ちになることを意味しているのではありません。それらのことは偶然この世で通じたとしても、別の世界ではなんらの価値を持たないかもしれません。例え金銭的にそれ程恵まれなくとも、社会の片隅で光り輝いている人がいます。その人が居れば輪が和み、協力しようとする機運が生まれる、安心感があり、生きる勇気が湧いてくる、ひたむきに一生懸命生きている、そんな素晴らしい人たちです。私の若い頃は、末は博士か大臣かという、はやり言葉がありました。蛍雪の功を成し遂げた人、私財を投げ打って人のために大きな働きをした人もたくさんおられますが、それ以上に名も無く、貧しく、しかし幸福に後悔しない人生を歩んだ人がいます。
1.個人情報の保持
前はそんなことは言わなかった。おおらかであった。みんなが隣人であり、お互い助け合った。冠婚葬祭全てにわたった。しかし、いつのまにか隣人のぬくもりが消え、知らない他人が増えていった。何事にも助け合い、悲しみ、喜び合ったことが億劫になった。一つには機器の発達・普及と共に助け合うことの必要性がなくなったこと、もう一つにはストレス社会の拡大が進み、他人を思いやる余裕やゆとりがなくなった。それと共に個人情報の秘匿が言われ、ますます息苦しさを覚える人も増加した。反面、ネット社会ではそんな秘密性を、匿名を利用して、次から次へと容赦なく、暴いていく。人が人を信用しなくなった社会、会話や話し合いの全てが音声と映像で記録される社会、何でも言える社会はどこへいったのだろうか?過去にスイングしているのだろうか?
2.個性尊重の社会
過去の有名な人の中には変人扱いされ、評価されなかった人も多い。しかし今から考えると、果たしてそんなに個性が強く、変わり者だったのか。今の社会は個性の尊重が強調され、少々のことには目をつぶって見逃されていく。個性尊重も必要だが、所詮人間は人間の中でしか生きていくことができない、換言すれば、何らかの形で他人との関わり無しでは生活できないのも事実になっている。個性尊重、弱者保護も優先事項だが、今までの慣例や習慣、考え方が全て否定され、変えられるのにも違和感を覚える人も多い。先日テレビのドラマでの中で、弱者に焦点を当てることはどんな立派な正義よりも効果があると言っていたが、まさに正鵠を得ているのかもしれない。
3.真面目・正直・素直
一番評価されるべき人はこのような素質を備えている人であろう。しかしそれを逆手にとって、自分の利益を図り、立場を守ろうとする人が多い。特に人の善意や無知に付け込んで、人をだます悪人が増えたのは嘆かわしい。それがセールスの極意であるというならば、セールスや話術の曲解であろう。日本人が古来から守り続けた真面目・正直・素直な気持ちは一時にそれを悪用する卑怯者が増えたとしても、究極的には人の信頼を勝ち取り、生きることを後悔せず、喜びに変わっていくものだろう。と同時に自分のためでなく、人のために何ができるかという利他の気持ちを持つことは結局自分の反映につながっていく。最後になりましたが、皆さんの前には前途洋洋たる海原、未来が広がっています。それを無事航海していくのか、途中で沈没してしまうのかは、全てこれからの皆さんの努力や強い意志、頑張りにかかっています。人を信じ、自分を信じて荒波を乗り切っていきましょう。皆さんならきっとできます。未来が皆さんを待っています。

el Camino de Santiago (サンチアゴへの道)

2019.02.01
el Camino de Santiago (サンチアゴへの道)

 時刻は夜の11時過ぎ、イベリア航空3894便は着陸装置を出して、高度を下げているにもかかわらず、窓から見える景色は霧一色で何も見えない。突然の音で着陸を知り、機は濃い霧の中を滑走してターミナルに向かった。バルセロナ午後7時30分の出発だったが、途中マドリッドに寄航した為に倍以上の時間がかかった。50年以上前に大学でスペイン語を勉強して、この名前を何回も聞いていた。しかし私にとっては初めての地であった。サンチアゴ デ コンポステラ(Santiago de Compostela)、その地の名前であった。スペイン北西部、ポルトガルに接したガリシア地方の一都市に過ぎないが、9世紀に12使徒(ペテロ、マタイ、ヨハネ、ヤコブ、ユダ等が良く知られる)の一人聖ヤコブの遺骸が発見され、カトリック教徒にとっては三大聖地(エルサレム、ローマ、サンチアゴ)の一つになった。それ以降、スペインのイスラムに対する国土回復運動等で、この地が喧伝され、カトリック教徒が巡礼する都市になり、特にフランスからピレネー山脈を越え、スペイン北部を通ってサンチアゴに至る道は el Camino de Santiago と言われ、巡礼の道として良く知られ、現在は世界文化遺産として登録されている。フランスからピレネー山脈を越えて、貝殻のついた杖を持って1000km以上の道程を巡礼する人は何を求めて苦難の道を進んでいったのか?人の弱さを知る反面、神の強さを意識させるのだろうか?Santiago という名前は世界中で見受けられる。Santiago de Chile (チリ)、de Cuba(キューバ)、del Estero (アルゼンチン)、de los Caballeros (ドミニカ)のように、どこのSantiago か知るために、後ろにその国の名前や都市の名前をつける。ここも正式にはSantiago de Compostela だが、スペインでは Santiago といえば Compostela の事で、航空券にもSantiagoの記述しかない。さて、話がさかのぼって、無事ターミナルに到着後、タクシーに乗って霧の中、20分あまり山を下って、国が運営するホテル、パラドールに着いた。ここは15世紀に建設された建物で、昔は病院として使われていた古い建物、それなりの威容を誇る重厚な建物であった。ここまで来ると、さすがにアジア系の観光客はほとんどいない。日本人はよく来るせいか、私は日本人(ハポネス)と何回も聞かれた。人は皆親切(アマブレ)であった。建物は古いが快適なホテルで、料金もリーズナブルであった。ホテルの前は大きなオブラドイロ広場で、その前には巡礼の最終地、12世紀に建立され、その後増築された巡礼大聖堂(カテドラル、Catedral)が華麗で荘厳な趣で聳え立っていた。巡礼者達(Peregrinos a Santiago)はこの大聖堂に着いて、大きな感動と安堵と達成感を覚え、高揚とした気持ちで神の世界への入り口を意識したかもしれない。確たる宗教を持たない私でも確かに身震いするような気持ちになった。大聖堂の中に入った。中を一周させていただいた。時刻はちょうど12時前、疲れたので、祭壇の正面でなく、両サイドの長椅子の一番前に座った。ミサが何時にあるか知らなかった。まもなく神父やシスターが現れ、ミサが始まった。観光客がいたが、ほとんど信者であった。私はカトリックのマナーや礼儀作法を知らなかった。そして列の一番前であった。子どもでなく、遠い異国から来た年配者であった。その上、ミサのスペイン語は早い上に高尚で、あまり理解できなかった。はるか前方の信者がするようにその作法を真似たが、異教徒が同じ事をしても良いのかと自問自答しながらのミサの時間であった。最後に7人ほどの比較的若い修道士が出てきて、ボタフメイロ(botafumeiro, 香炉、特にサンチアゴ大聖堂の天井から吊るして揺らす巨大な香炉、この煙が身体にかかると幸運が来るといわれ、前列の私にもかかった。今年は私に幸運が来るのかな。)を前後左右に大きく揺らした。今日一日で何人の人が幸運をもらったのだろうか?ただ7人の修道士と思っていたが、実は彼らは学生のアルバイトかもしれない。ミサが終わると、同じ顔の若者が服を着替えて外に出て行った。そうだとすればこの世界でも人手不足なのだろうか。ブラックユーモアだろうか。逆に考えれば、ここは学生の町、だからアルバイトの口を提供しているのだろうか。天国への入り口はまだまだ現実のしがらみが多いのかもしれない。そんなことを考えながら、12月28日17時40分、マドリッド行きのイベリア航空3879便に乗った。
今月は三大行事の中でも大きな発表会、今は練習の真っ最中、是非ともお子様、お孫様の活躍をご堪能しにお越しください。心よりお待ちしています。2月、如月、今月も宜しくお願い申し上げます。

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2019年、平成31年、あけましておめでとうございます

2019.01.01


 2019年、平成31年が始まりました。平成がどんな年号に変わるのか、未知なものを待ち受けるのもどきどき・わくわく感があります。過去の事例に倣って、英知を集めて新しい時代にふさわしい元号が発表されることでしょう。ちょうど平成がそうであったように。
「Time Flies.」「光陰矢のごとし」の諺通り、一日がゆっくり流れ、一年たっても10年たっても、50年たっても、同じ環境、同じ風景の時代から何もかもすぐに変わり行く時代への変遷、過去、現在、未来が走馬灯のようにめまぐるしく変わっていく。過去は瞬く間に遠いかなたへ飛び去り、現在は一瞬のうちに過去になり、未来は限りない速さで現在になっていく。高齢者の意見は一括りで同一視され、それは昔のこと、今は時代が違うと揶揄される。こんな激動の、めまぐるしい時代に精神的、肉体的に対応できない人も増加の一途をたどっている。個人情報とかハラスメントという妖怪が徘徊し、言葉以上に重く私たちの上にのしかかってくる。何事も適切な対応と常識的な包容力が必要とされるのかも知れない。最近同窓会に招かれることがあった。と言っても私が教員時代の教え子のそれである。彼ら、彼女らは50代前半、とかくこの年齢はそれなりの立場の者と、そうでない者との差があって後者の出席者が少ないのだが、今回は立場に関係なく集まった。そこでは昔の呼び方で接し、40年前の同じ仲良しであった。和泉高校の担任団の同窓会もあった。学年主任の先生が亡くなられ、彼女を偲んでの集まりも兼ねていた。私自身は1年生、2年生と担任したが、次の年に鳳高校に転勤したために3年生は担任していなかった。30年経過して校長で残っている者、講師として勤めている者、又私学の校長として働いている者等、さまざまであったが、リタイアしている人も多かった。30年は人をこのように変えるのだろうか。しかし話の内容は当時のことが中心で、生徒のこと、行事のこと、活躍した事等、昔話に花を咲かせた。4月には学年全体の同窓会があり、それにも招かれるそうだ。過去を思い出したりする事はあまりないが、これらの同窓会を通じて、そんなこともあった、そんな経験もしたと懐かしく又感傷的になった。クラスの合唱コンクールを見守ったあの時、教壇にたって英語の構文を教えていたあのとき、クラス全員と観光バスに乗って十津川へ行ったあの時も私であり、何十年かたった今も、過去とは違った形の私がいる。思い出が、過去の経験や体験が私を形作り、私の心の中に宿っている。過去は戻ってこないが私の片隅で小さい炎を燃やし続けている。瞬間、その儚さを悔恨と甘いメロディーで思い出すが、すぐに遠くに飛び去ってしまう。過去があって、現在がある。その思いがいっそう具現化していく。今の幼稚園児はある意味幸せであろう。映像と記録で生まれたそのときから確かな過去といつも向き合うことができる。そして一瞬のうちに過去の自分に浸ることができる。良いように考えれば、自分史を作るのも簡単なことだ。
さて、今年は十二支の亥(い)の年、中国流の獣に当てはめれば猪、うりぼう(瓜坊)は可愛いが成長すると人に害を与え、時には死に至らしめることもある動物。20年少し前、河内長野の小さな鮨屋さんで「和泉市から河内長野の山にいるすべての猪を狩猟した」と豪語している人がいたが、何と可哀想な事をしたのかと強い憤りを覚えた。猪も生きる権利がある。今金剛山系に猪がいると聞いて少し安心した。人とうまく共存して欲しいとの思いが強い。しかし何と言っても猪の特徴は猪突猛進、私たち人間にもそんなバイタリティーに富んだ人も見受けられるが、少し立ち止まってみることをすれば、もっと素晴らしい人になることも多い。幼稚園児たちも今年は猪のようにしっかり前を向いて、元気に突き進んで欲しい。しかしそれが間違った道であれば、お父さんやお母さん、友や先生や君たちを支えてくれる多くの人の意見を聞いて元の正道に戻って頑張っていこう。いつまでも元気で、前を向いて、しっかり行動することを今年の目標にしよう。

師走を迎えて

2018.12.01


 2018年もあと一ヶ月を残すだけになりました。師走、12月、昔は一年の決算の時期として支払いに追われ、「越すに越されぬ歳の暮」などと言われたが、今では支払いが月ぎめになり、必ずしも歳末は総決算の時点でなくなり、むしろ三月末が総決算の時期になった。しかし、それでも一年の終末ともなれば、過去一年を振り返り、悔恨や反省を思うようになる。翻って考えれば、この12月は「来年こそは」と思う時期ではないだろうか。日本では年と年度の違いがあり、何かと煩雑なことも多いが、カレンダーの区切りで考えると、この一年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。全てが良かったと言える人も中にはおられるかもしれませんが、総じて2割や3割の満足があれば、幸せな年を送れたと考えてもいいのではと思ったりします。しかし、それはあくまで主観的な満足、他人から見て、そうでないように見えても、当事者がそれで満足と考えているのであれば、それも十分ありかなと思う。限りがない欲を持った人も多いが、「足るを知る」を自覚している人も多い。他人の満足、不満足の判断を第三者が声高に言うのも奇異な感じがする。皆さんのご家庭ではどうでしょうか。小さな幸せ、人に言えないような満足、お子さんの成長、働く楽しさ、友人、知人との邂逅、家の内外でうれしかったこと、又反対にどうしようもない悲しみやつらさ、不幸に襲われたこともあったのかも知れません。しかし逆に考えれば、そんな悲しいことがいっぱいあったのだから、そしてそれを耐え抜いてきたのだから、今度は楽しみと幸せの連続であるかも分かりません。人の喜びと悲しみの総量は誰にとっても同じようなものです。一代目で非常に差が出たとしても、二代目、三代目となると、平準化されていくのです。喜びや楽しみは心を広くし、悲しみやつらさは心を強くします。今月は22日頃に冬至があります。幼稚園でも伝えますが、昼が短く、夜が一番長いことを教えてあげましょう。23日は天皇誕生日です。今の天皇陛下が即位されてから30年の歳月がたちました。そしてこの天皇誕生日も今年平成30年で終わりです。来年はどんな年号になるか。もう決まっているという人もいますが、いろんな観点から考えて決められるのでしょう。平成30年、31年は一つの大きな区切りになりました。そういう意味で来年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック、さらに進んで2025年の大阪万博(私には50年前の青春時代の思い出ですが)も、子ども達にとっては、私のように、後に思い出す大きなイベントになるでしょう。25日はクリスマス、西欧の大きな行事とはいえ、何事も宗教に関係なく祝う日本人にとっては、老若男女を問わず、心躍るロマンの香りがするイベントです。そして31日の大晦日、普段の月では味わうことのない12月、子ども達ともども幸せを感じる瞬間であって欲しいと思います。今年の冬休みは12月22日から1月6日までの17日間、例年に比べて長くなっています。この間に先ほどのクリスマスやお正月があります。正月も昔ほどでないといっても、特別な感情や雰囲気があります。子ども達にもその気分を味わってもらいたい。この長い休みがあるから休むのではなく、少しでも休みを利用しての活動や知識の吸収をしてみたらどうでしょうか。この時期この季節にしかできないこと、例えば雪とか、氷とか、寒さとか、年が変わるとか、街角のイルミネーション、町の様子、動物園の動物たち、さまざまな事象を体験したり、経験したり、知識を吸収することも将来きっと何かの役に立ちます。無駄な経験や仕事は何もない、換言すれば、全ての経験や体験は子ども達の血となり肉となって成長の過程で欠かせないものになるのです。私もそろそろ退場しなければと思うようなさまざまな事象が現れたり、弱者の論理が優先されたりして、それらがすぐに正当化されていく。判官びいきでないにしても、こつこつとまじめに努力した人が正当な評価を受け、安心して人を信頼し、天寿を全うできる世の中であって欲しい。槇原敬之の「世界に一つだけの花」、歌は大好きで、彼の非凡な才能を認めるのにやぶさかでないが、「僕ら人間は比べたがる」とか「一番になりたがる」の歌詞には少し違和感を覚えることもある。「一生懸命勉強しなさい」「精一杯働きなさい」。偉くなるのだったら、勉強しなければいけない。会社でそれなりの地位を得るためには粉骨砕身働かなければならない。私が学び、経験してきた世界であった。成る程、今の世の中の状態が変わってきた。働き方改革のせいでないが、働くことが生活をしていく上での単なる手段であると考える人が多くなった。これからは松下幸之助や本田宗一郎、稲盛和夫のような人が出ないのだろうか。最近新聞紙上を賑わしている不良品、欠陥品の多くを読んでいると、品質確保で争ったデミング賞やISOの規格はなんだったのか。下町の太陽は単なる作り話で終わってしまうのか。この一年間ご支援、お力添え本当にありがとうございました。来る年も今まで同様宜しくお願い申し上げます。
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