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イギリスが向かう道と日本

2016.07.01


大きなニュースが次から次へ生まれる、というか作り出されている。先月のオバマ大統領の広島訪問とその地での感動的なスピーチ、そして51.9%、1741万人、イギリスの国民投票(Brexit referendum)の結果であった。人口6000万人余り、有権者4660万人、投票率72%(3356万人)以上の中で過半数の人が離脱(leave)を選んだ。なぜ離脱なのか。日本が国際連盟を抜けた時に使った脱退でないのかわからない。とにかく喧々諤々、甲論乙駁の争いは終わった。キャメロン首相はその結果を踏まえて、官邸前ですぐに辞任のスピーチを行った。どうしてこうもオバマ大統領といい、キャメロン首相といい、ゴーストライターがいるとはいえ、スピーチがうまいのだろうか。「これから何週間か何か月、船を安定させるために首相として出来る限りのことをしよう。しかし船を次の目的地に向かわせるのに私はふさわしくない」 I will do everything I can as Prime Minister to steady the ship over the coming weeks and months but I do not think it would be right for me to try to be the captain that steers our country to its next destination.又 スコットランド離脱の国民投票ではこんなことも言った。If you don’t like me, I won’t be here forever. If you don’t like this government, it won’t last forever. But if you leave the UK, that will be forever.(私を嫌いでも、私は永遠にいるわけでない。この政府を嫌いでも、永遠に続くわけでない。しかし今イギリスを離脱すれば、それは永遠の別れになるだろう) 幼稚園の毎日の職員朝礼で、国民投票の結果が分かる日の朝、イギリスは絶対E.U.を離脱しないだろう。と言い切った。昼過ぎにはものの見事に裏切られた。よくよく考えてみれば、当然の帰結であったかもしれない。七つの海を支配する大英帝国、世界中から冨が集まり、戦前の日本はいくらもがいてもその足元にも近づけなかった。その国がイギリス病と揶揄されるほどストライキやサボタージュの国になり、権利意識やプライドだけの高慢な国になった。サッチャー首相によって目を覚まされたイギリスは驚異的な成長発達を遂げたが、今のイギリスはどうだろうか。ロンドンで買い物をしても、純粋なイギリス人の従業員に出くわすことはほとんどない。ヒースロー空港、水道事業を始め、公共施設から大手百貨店、自動車産業等に至るまで、多くの企業はイギリス以外の企業によって支配されている。原子力発電までもが中国の資本によって運営されるとか。ナチスがロンドンをV2ロケットで攻めた時もロンドン市民は耐えることが出来た。すぐに降伏したフランスとはアイデンティティの高さが違う。そんな弱い仏や一強の独の言いなりになるのはむかつくところもあるのだろう。イギリスを日本に置き換えてみたらどうだろうか。S社は台湾資本の軍門に落ちた。韓国や中国の経営者にとって代わられている企業は少なからず見られるが、大企業ではほとんど例がない。株主構成までは分からないが。もし日本の有力産業や公共施設が殆ど外国人の手におちたら、日本は果たして「もっとたくさんの企業を経営してください」と懇願するのだろうか。日本人はプライドの高い民族、今は国論が割れて、どこの国の政治家と思えるような発言をしている人も、きっと目を覚ますかもしれない。ほとんどすべての新聞は離脱に対して批判的な記事を書いていた。経済的に不況が来て、リセッションになればだれでも困る。しかし当事国の半部以上の人が選んだ道、第三者が批判するのはおこがましい気がする。昔行ったイギリスの湖水地方、そしてピーターラビットの世界、本当に美しいイギリスの原風景だと思った。そして至る所にnational trust の文字、環境保護にも一歩先んじていた。英国出身の作家、C.W.ニコルさんは読売新聞に「為替や株価への影響を気にする日本人も多いが経済的な観点だけで考えないでほしい。英国は近年自然保護に力を入れ、環境、教育などで日英が交流できる場面が多い。両国の友好が続いてほしい。」歴史は経済のみによって動くものではない。そこに住む人の営みが歴史を変え、歴史を作り出していく。それにしてもキャメロン首相の国民投票はゴールに向かっては失敗したが、さすがイギリスのdemocracyの真髄を見た気がした。今までの意見はあくまで私の個人的な感想を述べたもの。私には若者のような輝かしい未来があるわけでない。イギリスには残された時間が短い高齢者によって決められたという不満もある。しかし老若男女が住み着いて構成する社会が国であり、その意見は種々雑多である。幼稚園児たちが大人になる頃にはもっとグローバリゼーションが進み、日本も多国籍者であふれているかもしれない。しかしそれはそれでその時の住民が選んだ道、第三者がとかく批判すべきでない。逆に大統領候補のトランプ氏が主張しているようにモンロー主義、孤立主義の道を選んでいるかもしれない。批判は謙虚に受け止め、決まったことは尊重されねばならない。園児の皆さんが将来幸せに人生を送れることを夢見て、今月号を終わりにします。

「主義主張を貫いて」 「阪神タイガース・北條史也君」

2016.06.01
主義主張を貫いて

 オバマ大統領を広島に行かせたのは、任期最後になって実現にこぎつけたその主張、主義、希望、思いだったのだろうか。原爆投下を正当化させるアメリカ国民が多い中にあって、その障害があまり無くなった今の段階でしか成しえなかったと多くの報道が述べている。その動機がどんなものであれ、現職の大統領が広島に来て、例え謝罪がなくとも、その思いを述べることは非常に大きな歴史的事実であり、私たち日本人も心から評価するのにやぶさかでない。だれが書いたにせよ、広島で述べた格調高いスピーチの冒頭で、大統領は71年前、雲のない明るい朝と表現した。この年、私は0歳であった。どんなことが進行していたかは知る由もなかった。両親もあまりその事を言わなかった。ただ次期大統領を目指していたマッカーサーの事はよく話した。その71年間にアメリカ大統領は何人いたかを調べてみた。原爆投下を命令したトルーマン、ヨーロッパ戦線で活躍し、マッカーサー打ちのめしたアイゼンハワー、43歳で大統領になったケネディー、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(息子)、オバマ。歴史の教科書で学んだトルーマン以外は新聞や、映画、テレビでその名前を聞いたり、顔を見たことがある。アメリカは演出が好きだといつも思う。アメリカに着いた時に見るアメリカ大統領の大きな肖像画、大統領の紋章、町へ入ると目につく星条旗のオンパレード、多民族、多人種を一つにする象徴だ。来年の受験生にとっては試験に出るかもしれないと思って英文と日本文を対訳で勉強することになるかもしれないが、アメリカ大統領のスピーチはなぜかくも格調高いものになるのだろうか。全世界の指導者、警察官を意識しているのか。大統領の就任スピーチにしろ、この文章にしろ、ゴーストライターがいるとはいえ、推敲に推敲を重ね、歴史に耐える文章になっていくのだろう。日本の政治家でこれほど厳かで品位あるスピーチにまだお目にかかれない。ひょっとしたら私の勉強不足かもしれないが。成る程謝罪的な文章はないし、反対に個人を許し、憎むべき対象を位置づけている。日本でよく言う、罪を憎んで人を憎まずの論理であろう。私がと言うより多くの人が共鳴したのは「すべての人の掛け替えのない価値、すべての命が貴重であるという主張、我々は人類と言う一つの家族の仲間であるという根源的で必要な考え」である。そして具体的な事例、今の幸せな家族の日々の生活が71年前に広島や長崎で存在し、それが一瞬のうちに消え去ったこと。歴史は繰り返すと言うが、大統領はこんな悲劇は二度と繰り返してはいけないと言いたかった。それにしても同じ日に終わったサミットはパリ郊外のランブイエ城での第1回以来今年で42回目、30歳以降であったせいか、よく覚えている。最初は今ほどテロやデモの脅威もなく、警備も比較的軽微であったがこんなに厳重に警備するようになったのは主に欧州メインの会議であるせいなのか。物見遊山的な会議で何を話し、何を決めることが出来るか、疑問を持つ人も多いが、高級官僚の果たしてきた役割は、表に決して出ないが、大きなものなのだろう。日本の良い面をちょっとでも理解し、持ち帰ってもらったらそれだけで成功かもしれない。裏方で活躍した警護から会議の立案した人まで私たちは純粋に感謝すべきと思う。

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阪神タイガース・北條史也君
平成6年に生を受けた史也君は古くから私の家の近所、周りは北條姓が圧倒的に多い。美木多幼稚園で3年間過ごし、美木多小、美木多中で頭角を現し、青森光星学院高校で1年からレギュラーとして大活躍。甲子園では決勝戦で藤浪擁する大阪桐蔭に惜しくも負けて準優勝、彼の祖父は甲子園出場の度に、バナーや垂れ幕を掲げていた。それほど思い入れは強かったのだろう。今年になって監督が代わり、一軍での出場が増えた。これからますます活躍してほしい。担任やその時に係った先生はファームから応援していたとのこと、末永く活躍してほしい。食中毒が心配な6月、健康に一段と注意して、鬱陶しい梅雨の季節を乗り切ろう。今月も教職員一同力を合わせて頑張ります。



未来への遺伝子

2016.05.01


新緑の緑が目にまぶしい。光に照らされたそれは誇らしげにその存在感を示している。 5月、その声を聴くと、頼りげない生まれたばかりの若葉が青年期の力強い、勢いのある大人の葉に成長してくる。この間の体操集会の冒頭で人の命を木々の葉に例えて話をした。理解している子もいれば、そうでない子もいたかもしれない。しかし何らかの形で頭の片隅に残っているはずだ。春になると、今まで枯れて、死んだふりをしていた木々が一斉に芽吹きを始める。薄緑色の小さな若葉は太陽の洗礼を受けて、徐々にその色を深めると同時に形も大きくなり、野山に木漏れ日を作っていく。成長し、最大限のおめかしをして、花や実で私たちに大きな楽しみを与え、次世代へ遺伝子を引き継いでいく。その後朽ち果てて、次の世代の養分になるよう最後の貢献をする。同じように、人類のできる最大で最高の創造物である人も、大きな愛情を持って育てられ、持てる能力に磨きがかけられ、善良な大人に育っていく。そして、純情無垢で怖いもの知らずの、見目麗しき青春時代に、お互い認め合う伴侶を得て、次世代へのバトンタッチの準備をしていく。その後さまざまな教養を後継者に傾注して、自身は大きな期待と満足感を持ってステージから消えていく。ただその期間が1年であるのか、80年であるかの違い、というような事を話した。人生80年は長いか短いかは人それぞれだろう。ある人はもう十分だと言い、別の人はまだまだもっともっとと言うだろう。しかし何歳だから死んでもいいとかいう事はない。死んでよい年齢は存在ないし、許される限り生き続けるのが、人の一生だろう。もし人以外の動植物が話すことが出来るなら、何と答えるか聞いてみたい。瞬間に生きるカゲロウ、命が短いトンボやチョウ、それに私たちのペットになっている猫や、犬、反対に鶴や亀にも聞いてみたい。樹齢何百年の大木にも問いたい。「長く生きてきて幸せだったか」と。人間界では男女共同参画が当たり前のように言われ、女性の社会進出が当たり前のようになっている。事実男性の育児への参加が急激に増えている。しかし家庭を持ち、子どもを育てる仕事は大変な仕事であり、これは女性の持つ種の保存能力に支えられた非凡な能力のなせるわざであり、この面に於いて、家事と育児という大きな仕事を遂行していることを女性は大いに自慢すべきかもしれない。子どもの一挙手一投足に喜怒哀楽を感じているお母さん、相談に乗ってくれる人が身近にいないお母さん、私たちはそんな不安や喜び一杯のお母さんと一緒に、子どもたちの生長を喜び、大きな発展につながっていく努力を一生懸命行ってまいります。私は昔の話をテレビや映画でよく見ることがあります。そして今だったら死なずに済んだのにとか、あの時なら松並木が枯れることもなかっただろうし、海ももっと綺麗だったなと思う時があります。そう、それが事実なのです。しかし当時治療法が分からなかったので死んだことが果たして不幸せであったのだろうか。反対に100年、200年後の人が振り返って、西暦2000年の人はあんな病気で死んだ、今なら何でもないのにと思うかもしれない。それは人の運命であり、限界かもしれない。逆に考えれば、昔の人はそのことを意識しなくても、今よりはるかに環境のいいところ、景色の素晴らしい所で生活していた。人は決められた器の中で生まれ、育ち、精いっぱい努力し次世代に遺伝子を残していく。そしてその中で最高の幸福を求めていく。考えれば小さな生き物であり、また大きな存在でもある。そんな夢みたいなことを考えている5月当初、今月も諏訪森丸は幸せと成長探しの旅に出ていきます。

春、四月 諏訪森幼稚園

2016.04.01


遠い異国の地で生まれた春、極寒の北極海を横断し、国境を超え、流氷を俯瞰しながら、長い旅路を終えて、私たちの暮らす祖国日本にたどり着いた。そして休む間もなく、野を超え、山を越え、河川を渡り、飛ぶ様な勢いで私たちの元にたどり着いた。待ちに待った春がやってきたのです。嬉しい、幸せな季節の到来です。今年は少し到着が早いかなと思っていると、日にちを間違えたと考えたのか、寒の戻りできっちり季節を調節している。にくい演出家でもある春、諏訪森幼稚園に86回目の春が音もなく静かに今到着しました。春と聞いただけで、私たちの閉ざされた心が無意識のうちに開き、体に生気が満ち溢れ、躍動感がもたらされるのも不思議なものです。冬の寒い真っ只中に、様々な形で春と言う言葉を多用しているのも、春が私たちを何かから解放してくれるという暗示を得たいためかもしれません。兎に角、今は春を目で見、その近づく足音を耳で聞き、それが醸し出す匂いを満喫するのです。わたしたちが自慢し、誇りに思っている日本の春、日本人だけが悦に入り、喜び、至福の時を過ごしていた掛け替えのない日本の春が、異国の人にもその素晴らしさが知れるようになって、日本の春を愛でる外国人が増えたとか。そんな春爛漫の四月、新入園児の皆さん、「ようこそ諏訪森幼稚園に」、今日から私たちの仲間です。楽しいこと、うれしいことが一杯溢れています。又ちょっぴり悲しくなる事や寂しくなることもあるでしょう。でも大丈夫。皆さんは一人ぼっちでないのです。たくさんの仲間が一緒です。優しい先生も皆さんをじっと見守っています。皆さんはこれから諏訪森幼稚園で2年、3年、4年の年月を仲間と一緒に過ごします。その間に未体験の経験を数多くすることになります。野山に行ったり、山に登ったり、自然と一杯触れ合ったりします。運動会、作品展、音楽・生活発表会などの大きな行事や近くの公園や田畑に行ったりする小さな活動にも喜んで参加します。楽しい行事、期待される行事もたくさんあります。お誕生会にはいろいろな人に来て頂いて、この世に生まれたことを皆で祝福します。皆さんの幼稚園生活が本当に充実したものになるよう私たち教職員は精一杯知恵を絞り、頭や体を働かせていきます。さあ、いよいよ期待と希望の始まりです。私たちにとっても皆さんを幼稚園に迎え入れて、本当の嬉しい、幸せな幕が開きます。保護者の皆さん、お子様のご入園心よりお喜び申し上げます。生まれてこの方、今まで子育てに大変なご苦労をされたことと思います。これからは私たちも仲間に加わって、子ども達が立派に大きく成長されますよう手を携えていきましょう。幼児期は人生の根の部分を形作る大事な時期であると同時に大きな成長も期待できる大切な時でもあります。この時期が将来を左右すると言っても過言ではありません。保護者の皆さんが諏訪森幼稚園にお子様の幼児教育を託されたことを本当にうれしく感じると同時に責任の重さもひしひしと伝わってきます。保護者の皆さんと一緒になって何がこの子たちにとって大事なのか、どうしてあげたらいいのか、経験と体験を踏まえながら、よく考えて実践していきましょう。又同様に子供たちの安全、安心の面にも十分注意を注いでまいりましょう。在園児に皆さん、ご進級おめでとうございます。皆さんはすでに諏訪森幼稚園で1年、2年を過ごしました。その間に先生もびっくりする程、体も大きくなり、心も豊かになりました。知識の量も以前と比べ物にならないくらい増えました。これからの1年でもっと大きく成長することと思います。先生と一緒になって楽しく有意義に幼稚園生活を送りましょう。最後になりますが、在園児の皆さんも、新入園児に皆さんもお父さん、お母さんを悲しませることのないよう、事故にあわないよう、怪我をしないよう又病気にならないよう体と健康に十分気をつけましょう。私たちは保護者の皆様の負託に十分こたえることが出来ますよう、誠心誠意力を尽くしてまいります。今後ともご支援、お力添えをよろしくお願い申し上げます。そして又皆様方がご多幸でご健勝で過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。

時には傷つき、時には喜び

2016.03.01


 どんよりした冬空、玄関を開けた途端、冷気が体を覆ってしまう。身震いすると同時に今日一日の緊張の瞬間だ。予報では快晴を伝えているがその兆しは何も見えない。相変わらず頭上は雲一面だ。ガレージに行くと、さも「早く乗れ」と言っているかの如くに、車がそこで私を待っている。ドアを開け、座席に身を沈め、荒々しくエンジンキーを回す。寒い中でも一発始動、徐々に体が車になじんでくる。何気ない普段の動作の繰り返しに過ぎない行為の裏に、車作りに賭ける技術者の努力とその結晶が感じられる。昔はよく故障した。何回もセルモーターを回してエンジンがかかったことが多い。バッテリーも今と比べて、品質や寿命の面でかなり落ちていた。極端な話、ただエンジンと燃料があれば動くというものであった。車は故障するもの、そうなっても仕方がないという意識があるが、めったに故障しない車に乗っていると、何万分の一の確率でそんな故障に遭遇すると、口汚くののしって、攻撃は車メーカーに向かってしまう。逆説的に考えると、故障する車を作る方がよいのかもと思ったりする。しかし今は電子機器で武装され、高性能、安定性、機能性、快適性、安全性などが求められてきた。中には昔の古いレシプロエンジンにノスタルジーを感じる人もいるが世間の大半は今の車に満足に近いレベルを感じている。幼稚園に着くと、寒空に凛として耐え、その樹形を保って、私たちに心の安らぎと安心感を与えてくれる木々や低木、鮮やかな色と形で園児の到着を待ちわびている遊具に出会う。毎日の出来事と言え、何とも言えない瞬間だ。今日の新聞は国立大二次試験の掲載、今の時期、高校や大学の受験や資格試験の話題が多い。どんな大人も時間がゆっくり流れる青春時代の試練を乗り越えて今に至っている。甘い、苦いもあるだろう。しかしそんなこと全てひっくるめての青春時代、努力がすぐに報われた人もいるだろうし、努力の甲斐もむなしくの人もいるだろう。しかし努力したという事は確かだし、それが真実であれば、その人に努力の跡が蓄積され、次の機会にはもっといい結果が生まれるだろう。私個人的にも努力してそれが実現できた可能性が驚くほど低い。しかしすべて失敗だったわけでなく、上手くいき、満足を得られたこともある。「努力は決して人を裏切ることはない」言い古された言葉だが、巣立ちゆく年長組の皆さんに贈りたい。これから小学校、中学校、高校、大学と進んでいくだろう。少年時代から青春時代、10代から20代の多感な年月、時には傷つき、時には喜び、涙を流すこともあるだろう。しかしどんな時にあっても「努力する」という事を忘れないでほしい。そして付け加えるならば、前を向いて貪欲に生きて欲しい。不運だと言う人も多いが、運は誰にもやってくる。ただその運をつかみ取るのは努力し、意欲的に人生を生きている人だと思う。同時に友を大切にしてほしい。掛け替えのない友を作ってほしい。君たちの人生がより豊かで楽しいものになるだろう。しかし何よりも何よりもまず体を愛しがって欲しい。健康な体があってこそ、実現できることが多い。親を嘆き悲しませることだけは絶対しないでほしい。君たちには未来がある、将来がある、希望がある。何でもできる可能性がある。あるお年寄りが「年を取り返せることが出来るなら、1年を1億で買ってもよい」と言ったが、それほど高価で誰からも羨ましがられる時代が君たちの目の前にある。さあ、勇気を持って進んでいこう。年少、年中組の皆さん、いよいよ年中、年長組です。また一段と心も体も大きくたくましくなりました。来る年月も毎日毎日、君たちのために何ができるか、どうしてあげたらいいか、真剣に考え、行動している優しい先生と一緒になって、日々楽しく過ごしていこう。毎日毎日が君たちの生長発達の大きな過程、立派になってお父さん、お母さんをびっくりさせてあげよう。弥生、3月、いよいよ最後の月、子どもたちと過ごす残された日々を数えながら、今月も頑張ってまいります。この1年間、ご支援、お力添え本当にありがとうございました。

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