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私たちの仲間

2017.09.01


8月のお盆の時期になると、幼稚園をいつも支えてくださった人々のことを思い出す。その人が物故者であっても、生存中の人であっても。美木多幼稚園40年、最初先生は3人であった。その3人の先生一人は熊本、二人は南区在住、元気でおられるのが本当にうれしい。今まで250人あまりの先生に支えられてきた美木多幼稚園、誰も亡くなったという報告は受けていない。社会の様々な分野で又は家庭の中でこの世に生まれてきたことの大きな責任を果たしている。残念ながら、安全、安心送迎に尽力を尽くしていただいた運転手の中には鬼籍に入った人も。40年ほど前に最初に私たちの仲間になったAさんは観光バス出身の運転手、2年後には友達のBさんも仲間に入った。AさんもBさんも観光バスの経験を活かして、本当に誰からも信頼され、好かれた運転を心がけていただいた。5年後にはCさんも路線バスの運転手から私たちの仲間に入っていただいた。アームをあげたフォークリフトと軽い接触事故があったが、それ以外は毎日定時運行、何年か後には姪御さんも私たちの仲間に加わった。沢山の先生や職員の姿が走馬燈のように私の頭の中を駆け巡っている。私の母親の初代園長は、本人にはその意識がなかったが、創立期の苦労を一身に背負って頑張った。長年の小学校の経験を生かし、目に触れるもの、身近なもの全てが教材であった。野の花を摘み、生け花として園内に飾り、川や田んぼで生き物を捕っては園児に見せて興味付けをし、好奇心を刺激した。父である初代理事長は田舎育ちの地方公務員であったが、何事にもあまり逆らうことはせず、黙々と仕事をこなした好人物であった。いろいろな人に支えられての40年、私には全てが貴重な勉強であった。諏訪森幼稚園は80有余年の歴史、様々な先生が創立以来大活躍して、今に引き継がれてきた。私がバトンを受け継いで8年、その時の先生は、意見が異なったり、方針が違ったりして、今はもう誰もいない。しかし時々いただく便りによれば、同じ分野で大活躍しているとのこと、働く場所が異なっても、幼児教育に架ける情熱は何ら変わることはない。ますますの健康と活躍を祈るばかりだ。5年目の鳳幼稚園も仲良し先生の集団だ。家から遠いという理由で八尾市の幼稚園に行ったDさんも、そこの園長先生から良い先生を紹介していただいたとお礼の電話があった。今の先生方には先人たちの熱い教えや体験を踏まえ、今いる目の前の子どもたちにその大きな遺産を引き継いでいってもらいたい。8月初め、関空からロスに行った。夕食を食べて、映画を一、二本見ていると到着した。アメリカ西海岸は本当に近く感じた。ロスは砂漠の町、というより、何百キロ先から水を供給されて生きている大都会、トランプ大統領のことをよく言わない人が多いのにびっくりする。通過点のラスベガスはロス以上に砂漠の中に忽然と現れる大都市、ホテルは勿論、飛行場までスロットルマシンが沢山あって、さすがギャンブルの町、しかし生き抜くために、エンタテイメントにこだわり、人を喜ばすために精一杯努力している町という印象は大きかった。カジノに行くためにここに来たわけではなかった。グランドキャニオンに行くための15人乗りの小さなプロペラ機から見た光景は何万年もの間に削り取られた奇岩より、それらの岩の一番下を蛇行して流れているコロラド川が気になった。スペイン語のコロラド(カラード、色のついた)は本当に川の色を表しているのだろうか。次回もし来ることがあったなら、是非観光ヘリコプターでもっと近くに行きたいと思った。昔々絵本で見た幹の中を車が通る程大きな木がある(今は折れて禁止しているそうだが)ヨセミテ公園、あちこちに山火事のあとがある。山火事は自然の摂理に任せていて、消さないそうだ。この公園は緑一杯で、やはり大きな岩が有名だそうだが、(アメリカの有名なスポーツメーカーのマークになっているとのこと)交通渋滞が激しい。総じてアメリカの国立公園は大味の感じである。サンフランシスコでお世話になった日系人(若いときに日本からやってきた)のガイドはお金の話を頻繁にしたのが気になった。シスコでは年収1000万円(10万ドル弱)では下層だそうだ。IT長者が多いシリコンバレー近くのシスコは家賃を含め、全て割高だそうだ。何人かの日系人はおしなべて「自己責任」と言うことを口にした。何事をするにもほぼ自由だが、それに伴う責任は自分でとらなければいけない。その為に自己主張をし、自分を売り込むことも必要なのだろう。日本は何かあれば、国や市町村が助けてくれることが多い。資本主義のアメリカと比べれば、みんな助け合いのいわば社会主義国家であるのかもしれない。自己責任が良いのか、それとも多少自由が犠牲になったとしても庇護を求めるのが良いのか。若い人は前者で、高齢者は後者という人もいる。トランプ大統領賛成、トランプ大統領反対の世論が揺れ動くアメリカ、誰が大統領になってもその偉大さは変わりようがない。すでに2学期が始まっています。9月は入園説明会、10月は園児募集があります。少しでも私たちの仲間が増えてほしい。その願いは切実です。私たちは子どもたちの現状と未来を考え、精一杯努力して参ります。入園させてよかったと心より言ってもらえる保育を目指して頑張ります。よろしくお願い申し上げます。

就学前教育

2017.08.01


普通の会社生活では、ほぼあり得ない長期にわたる夏休み、教育を受ける生徒、学生として、又教える立場の教員として、私の人生の大半でこの夏休みに関わっている。この夏休みが最近大きく様変わりしてきた。学習指導要領もゆとり教育から教科・知識重視教育へ転換が図られ、それに伴い、夏休みの縮小、補修の充実、教員の毎日の出勤、等が実施されてきた。幼稚園でもほとんど欠勤のない先生の為に、変形時間勤務が採用され、夏休みに充当されている。私たちの園は小学校に準じたと言うよりも自主的に、より一層の保育日数の確保、充実を図るために、今年度より8月25日からの保育になります。まだ少し残暑の厳しさが残りますが、環境を整え、保育活動を進めてまいります。さて、過去に入園前説明会やその他の機会に何回も述べた言葉、「就学前に立派な幼児教育を受けた子供は小学校、中学校に行ってもますます伸びていくが、就学前の教育が不十分、あるいは全然ない場合は伸びる率は相対的に低い」この話は簡略化して特徴的に言ったものだが、その根源を辿れば、シカゴ大学教授で、ノーベル経済学賞受賞のジェームズ・J・ヘックマン氏の理論によるところが大きい。彼はその著Giving kids a fair chance, (子供たちに公平なチャンスを与える)日本語版「幼児教育の経済学」で ペリー就学前プロジェクト(1962年から1967年にミシガン州で低所得のアフリカ系の58世帯の子どもを対象に特別教育や個別指導を行う)、アベセダリアン プロジェクト(1972年から1977年に生まれたリスク指数の高い家庭の恵まれない子供111人を対象に実施、当初平均年齢は4,4か月で年間を通じて8歳になるまでプログラムが実施された。その後21歳まで継続され、30歳時点の追跡調査も行われた。)などを参考にしながら、幼児教育の重要性や幼児教育への投資の効果を主張した。IQを高める効果は小さかったが、14歳の時点で学力検査をしたところ、就学前教育を受けた子供は受けなかった子供よりも学校へ行っている率が高く、より多くを学んできたことから、成績が良かった。最終的な追跡調査(ペリー-では40才、アベセダリアンでは30歳)では就学前教育を受けた子供は受けなかった子供よりも学力検査の成績がよく、学歴が高く、特別支援教育の対象者が少なく、収入が多く、持ち家率が高く、生活保護受給率や逮捕者率が低かった。経済学的見地からすると、「貧困に対処し、社会的流動性を促進するために、所得の再分配を求める声は多いが最新の研究では、ある時点で、確実に社会の不公平を減じるものの、それ自体が長期的な社会的流動性や社会的包容力(立場の弱い人々を排除、孤立させるのでなく共に支え合って生活していこうとする考え方)を向上させない」と主張している。事前分配―恵まれない子供の幼少期の生活改善をすることーは社会的包容力を育成すると同時に、経済効率や労働力の生産性を高めるうえで単純な再配分よりもはるかに効果的である。事前分配政策は公平であり、経済効率がいい。これは幼児期の子どもに投資した方が、成長した子供に投資するよりははるかに安くつき、効率的であると言っている。この面では今日本では幼児教育の無償化が言われているのは正しい選択なのだろう。しかしアメリカでは政治が介入することを嫌い、子どもを自宅で教育するホームスクールの自由化を推進して、学校教育を崩壊させようとしている人も多数いる。ホームスクールで教育されている子どもは200万人を超えている。このような人々に彼の主張は全く受け入れられないだろう。ヘックマン教授の意見に反対の人も多い。例えば、物事を恣意的に(自分に都合のよいように)考えているとか。「社会計画の成果の評価が素晴らしく設計されている程、正味の成果はゼロだと評価される」とか。しかしヘックマン教授の提言は一つの大きな方策かもしれない。夏祭りを経て、長い夏休み、この機会にしかできないことを一つでもいいからやり遂げよう。いろいろな場所に行く機会も増えるだろう。しかし決して事故にあったり、病気になったりしてお父さん、お母さんを悲しませないでほしい。そして8月25日には元気いっぱいな姿を先生に見せてほしい。しばしの別れです。

謙虚 or 卑屈

2017.07.01
謙虚 or 卑屈

今年は空梅雨かなと思っていた矢先、どんより曇り、頭を押さえつけられるような空模様、やはり今年も梅雨は日本にやってきた。水の大切なことは十分理解しているつもりだが、戦後すぐには梅雨が来るたびに悲惨な災害がもたらされ、失う人的被害も大きかったが、高度成長が進むにつれ、河川、山林が整備され、損失が少なくなってきた。しかし自然の力にはとても勝てず、今でも謙虚に自然の怒りが鎮まるのを今か今かと待っている。私たちは静かな安らぎの生活環境の中で暮らしたいと願っている。がしかしそれを希求していくと、ある種の矛盾に遭遇してしまう。人は個人の安寧さ、快適さを極度に追求、すなわち働く時間を減らし、余暇を限りなく増やしていくと、どのような結果が生じるだろうか。生活レベルが下がってもよい、働く時間を見直し、家族の絆を深め、自分の時間を出来るだけ沢山持ちたいと願う人には幸いであろう。高校の教師をしていたときの英語の例文を思い出す。Japanese people are (industrious) (industrial).どちらが正解かよく問題に出した。日本人は世界中から勤勉な民族だと言われてきた。果たして今も同じだろうか。疑問に思うことも多い。実際にアメリカ人や他のアジア人で日本人以上によく働く人も多い。というか熾烈な生存競争を繰り広げている。日本は資源のない国であり、その日本が世界で互角に戦い、存在続けるためには、その優れた頭脳を生かしてよく働く以外に方法がない。それが日本の存在を確固たるものにし、世界に大きく貢献できる道と思う。幸い日本人は個よりも集団を大事にし、又強く日本人であることを意識し、団結する力がある。日本人が活躍していると、熱くなって支援したり必死の応援をしたりするし、made in Japan と書かれていたら、優先的に買いたい気持ちになる。自然科学だけでなく、人文科学の分野においても、ノーベル賞を始め、世界的権威の賞を授かっている人は多い。それはそれで私たちにとって、とても大きい精神的な励みになることは自明の理として、特にスポーツ面での若者の活躍が顕著である。テニス、ゴルフ、卓球、短距離、野球、サッカー、バドミントン、そしてモータースポーツの一つの頂点、インディー500を制した佐藤琢磨選手。彼らの活躍ぶりは私たちの想定の範囲を超えて世界的である。アメリカは?ドイツは?中国は?どうだろうか。日本と同じような国民性だろうか。その違いをまざまざと見せつけられた。6月のある土曜日、朝、関空を飛び立って、昼過ぎに上海に到着した。初めての中国であった。長崎県の真上を通り、長江の河口にある大都市上海の浦東(プートン)空港に着いた。目的はなかった。行く場所も決めていなかった。何の下調べもしなかった。ただトムクルーズの映画に出てくるあの背の高いビルのある地域だけは見たかった。空港の案内所で町の中心街に行きたいと言った。外灘(ワイタン)バンドに行けと言った。すぐにつくものだと思ってタクシーに乗ったが50kmは優に離れていた。タクシーで降りた目の前に日本食レストランがあったので、そこで少し食べ、反対側から上に出た。驚きであった。目の前の風景、カーブを描いた大きな河の向こうには、映画で見たのと同じ風景があった。ここは外灘 バンドと言うのだと初めて知った。その風景は私に強い印象をもたらしたが、反面シンガポールに似ているかなと思った。同じJAL機で時差の1時間異なった上海空港を6時に出発して、関空に戻った。慌ただしい一日であったが、それなりの収穫もあった。日本は外国からの観光客を出来るだけ沢山呼ぼうと努力している。空港だけに限らず、町のあちこち、そして便器にまで英語、韓国語、中国語の案内標識がある。外国人にとっては快適であろう。ドイツはドイツ語だけだし、観光客の多いアメリカ、フランス、イギリスでも母国語以外せいぜい英語くらいだ。先月の台湾でも、今月の上海でも日本語の案内はなかった。逆に考えれば、韓国人や中国人は英語も読めないから母国語で表記してあげているのだと、傲慢に考えていると思われても仕方がない。外国は自国にプライドを持ち、その国を訪れる人はその国やその言語を少しでも調べてくるべきと思っているのか。反対に考えれば、日本人は外国人には奇妙にへりくだり、プライドがなく、「おもてなし」と言って過剰な接待、歓迎をしているだけなのか。小さなこと一つとってみてもそれぞれの国情を垣間見ることが出来る。
 7月、July、文月、今月も子どもたちの成長を願って一歩一歩進んで参ります。

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外灘(ワイタン)バンド地区

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上海の浦東(プートン)空港

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関西空港

Formosa 美しい(島)

2017.06.01
Formosa 美しい(島)

15から16世紀にかけての大航海時代、新大陸発見に意欲を燃やすポルトガル船に乗った乗員が台湾海峡に浮かぶ大きな島が、実際そう見えたのだろうか、それとも故郷を離れての寂しさで、うっすらと浮かぶ島影を見て思わずそう言ったのだろうか。その一言がその国の国名にまでなったことがある。私たちにとって、とても近くて、親日的である国、台湾。その国の企業が日本の大企業を買収したとか、卓球の選手がその国の人と結婚したとか、東日本大震災の時には多額のお金を日本に寄付したとか、日本の新幹線が唯一走っている国とか、日本との結びつきも深く、話題も多い。今まで遠くの国を沢山知っているのに、近い国はほとんど知らなかった。まだ中国にも行ったことがない。それにしても台湾は近い。時差は1時間、関空を飛び立ち、四国、宮崎、鹿児島の上空を飛行して、実質2時間あまり、キャセイパシフィック機は台湾桃園空港に降り立った。近い松山空港ではなくて、台北(タイペイ)から遠い飛行場であった。タクシーに乗ってホテルまで行ったが、高速道路経由とはいえ、結構時間がかかった。何の知識も持っていなかった。ただ航空券があったために、土曜日に行って、日曜日に帰ってきただけであった。ホテルは市内中心部にあり、立派であった。時間があったが何も計画がなかった。ホテルで聞き、ネットで調べて、九フンと高層ビル台北101へ行くことにした。九フンは千と千尋の神隠しの映画で有名になったところだそうだ。ホテルは日本語の話せるタクシーを手配してくれた。女性であった。東京に4年間いたそうだ。そのタクシーでも結構遠かった。キールン(基隆)を超えて、山に登っていった。タクシーを降りた所から両側にそれこそ沢山の台湾料理やお土産屋が並んでいる細い道を大勢の観光客と一緒に進んだ。独特の臭いと雑踏で少しつらい道程であった。結局何が沢山の観光客をこの地に引き寄せるのか理解できなかった。比較するのは申し訳ないが、日本にはもっと素敵な景色が一杯あると思った。しかし台湾にあると言うことが、大きな意義を持つのだろう。乗ってきたタクシーで市内まで戻った。台北101が目的地であった。最近のドバイの高層ビルが出来るまでは世界一高いビルであった。ビルには上らなかった。フードコートがあって、いろいろ美味しそうであったが、それもスルーした。夜はホテルで中華料理と決めていた。2F,3Fのブランドショップにも行ってみたが、日本よりも高い値段にびっくりした。今回の目的の一つは美味しい台湾料理を食べることであった。ホテルの中華レストランへ行った。一品は大変高いので、コースにした。それでも日本のホテルと同じくらい値段がした。日本のホテルの中華料理と台湾の人たちの中華料理は基本的に味が違うのだろうか。それとも健康を考えているのだろうか。どの料理も薄味で私にはなじめなかった。中華料理とは本来この様なものだろうか。次の日に、同じホテルのイタリア料理を食べたが、スパゲッティーが三千円以上することにびっくりした。料理は私の嗜好とは異なっていたが、日曜日の朝に行った国立故宮博物院の建物とそこに展示してある中国古来の伝統的芸術品は立派であった。日本でよく書物で見た翠玉白菜もひときわ異彩を放っていた。タクシーでホテルから飛行場まで行ったが失敗した。タクシーの運転手は私を日本人だからJALだと思ってそのターミナルで下ろしたが、私はキャセイパシフィックであった。別のターミナルまで歩き、列車に乗って移動した。迷惑な勘違いであったが、いろいろ勉強できてよかった。それは国民性だろうか。おしなべて建物はきれいでない。リフォームすれば見違えるようになると思うのだが、そんな気はないのだろう。しかし台湾は本当に近い隣人、地政学的な位置関係を変えることが出来ない私たちにとって、これからも大切につきあっていかねばならない大事な隣国だと思った。
梅雨はもうそこまで近づいてきている。雨を鬱陶しいと思わず、大地に恵みをもたらす貴重な天からの授かり物として子どもたちに教えていきます。またこの季節は食中毒も蔓延する時期、食材、調理には十分すぎるくらいの慎重な態度で安全、安心をスローガンに美味しい給食を園児とともに味わっていきます。
水無月、6月、June、 今月も楽しく、元気に、有意義に少しでも園児の成長に寄与できるように努力して参ります。

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ホテル

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国立故宮博物院

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翠玉白菜

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九フン

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九フンは千と千尋の神隠しの映画で有名

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高層ビル台北101

美しい自然との共生

2017.05.01
美 し い 自 然 と の 共 生

 3月の梅の花、4月の桜の花は確かに私たち日本人の心に共鳴するものがあり、誰もその優雅さや美しさ、はかなさを否定するものはいないと思う。しかし、花の散った後の葉桜の姿に感銘を受ける人も少なくないのも事実だろう。その葉桜が、さも幼児が大きくなって大人に成長するように、弱々しかった葉の形状が本来の姿に変わり、薄緑色が濃い緑色に変わっていく5月、山や野原を歩くと、山ツツジや名も知らない無数の草木や樹木が私たちを気持ちの良い、爽やかな自然の優しさの中に引き込もうとする。例えば、木漏れ日は樹木から受ける大きな恵みだ。その中にいると、生きているという実感が湧いてくる。人は自然の全てのものから享受するものは大きすぎると言っても過言ではないし、私たちはその一部を活用させていただいているに過ぎない。考えれば、人間は本当にミクロの存在だ。たとえば樹木はどうだろうか。個人的には花の咲く木、実のなる木も含めて全ての樹木が好きだ。西洋では自殺すると木に変身させられると言われる。ディズニーの映画では木が擬人化されて、しゃべったり、走ったりしている。その真意は別にして、樹木は私たちの生活に密接にリンクしている。昔、防風林、防火林として、また、美的満足を得るために競って家の周辺に樹木を植えた。成長し、大きくなって立派にその役割を果たした。今は核家族化し、住宅も狭くなった。その為か昔のように大きな木を植える場所が存在しないので、京都風の矮小化した樹木を植えることが多くなった。それはそれでほっとした心の安らぎを得る意味で大きな役割を果たしている。街の植木屋さんも樹木の種類や大きさをそちらの方にシフトしている。人に寿命があるように、木にも寿命がある。日本人が大好きなソメイヨシノの桜の花は60年あまりと言われている。成長するのも早いが、散って朽ちるのもそれにひけをとらない。ひょっとすると近い将来この花は全滅するかもしれない。しかし、これは例外だ。大阪のシンボルツリーの楠は何百年いや千年を超えるかもしれない。私たちの仲間のハーモニー美木多のグループホームの敷地にある楠は、樹齢何百年の後半だろう。考えれば、明治時代も、江戸、戦国時代、そして室町時代もその目でしっかりと見、今も私たちをじっと見守っている。その敷地に今年3mくらいの高さの桜を30本程植えた。何十年か後に、そこを通る人が素晴らしいと愛で、先人に思いを巡らしていただければ本望、この上ない喜びだ。リンゴの種を植えて回ったというアメリカのジョニーアップルシードのまねをしたかったわけではない。山林で暮らしている人は、自分の子どもや孫の時代に立派な木を伐採できるように遠い未来を見つめて植樹している。自然との関わりは目先の利益を求めるのではなくて、遠い将来への投資だと言っても過言ではない。樹木は人と同じように、呼吸し、成長し、生きている。歩くことも出来ないし、逃げることも出来ないし、話すことも出来ない。寿命一杯まで生き続けることが出来そうな、人が入り込めないジャングルに生まれてきたらよかったと思っているかもしれない。過酷な環境の中で育った人があるように、樹木も又しかりである。人に守ってもらったり、人の役に立ったりすることもある。ただ先人が良かれと思って植えた樹木をただ邪魔だからといって、役に立たないからといって、無慈悲に切り倒したり、無惨な姿にされているのは非常に残念に思うことがある。樹木との共存共栄を図ることも私たちが心の豊かな人生を送る意味で大いに必要なことだろう。いろいろ主義主張はあるだろう。特に欧米では自己主張する人が多くて驚いたことがあった。今、日本にも自分の意見を押し殺した奥ゆかしさよりも、自分を主張することに重きを置く人が増えた。批判は甘んじて受け入れるとしても、私は樹木が一本もない施設よりも、緑あふれる施設の方が遙かに好きだ。仲間の幼稚園や老人施設は事情が許す限りの緑で一杯だ。しかし落ち葉や日陰のことで人に迷惑をかけるのであれば本末転倒だ。京都の庭園とまでは遙かに届かないとしても、美しい自然と共生することは大事なお子様の幼児期を預かる私たちにとって本当に大切なことであり、ひいては幼子たちの明るい未来につながっていくのも事実だろう。皐月、五月、緊張がほぐれて、ちょっぴり寂しく感じる月、十分見守りながら、進んで参ります。

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美木多幼稚園

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鳳幼稚園

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諏訪森幼稚園

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特別養護老人ホーム「ハーモニー」、ケアハウス「ハーモニーコート」

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ハーモニー美木多 大きな樟

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