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山滴る季節

2023.06.01

山滴る季節



山が萌え、山が色づき、山が笑っている、そんな表情豊かな山の樹木の間を吹き抜け、味付けされた風は薫風となって、私たちに心地よい最上の自然の営みをもたらしてくれる。そんなそよ風、木漏れ日の5月が過ぎ、山滴る季節、早くも水無月(水の月)を迎えました。
10代に長く感じた時の流れも、年齢を重ねるにつれ、その動きが加速度的になってきた。今となっては1年前の出来事がほんの昨日の出来事のように感じてしまう。もう何回6月を経験しただろうか?との感慨にふけ、又いやがうえにもそのスピード感に恐れおののいてしまう。梅雨のない北海道は別として、日本全国6月は雨の多いレイニーシーズン(rainy season)、それを鬱陶しいと捉えるのか貴重な水の季節と考えるのか。淡水魚のアユが躍動するときであり、野山では普段草木に覆われて隠れていた清楚な山ユリが一斉にその姿を白日の下にさらけだしている時でもある。上を見上げると時鳥(ホトトギス)が忙しそうに思い思いに鳴いている。田舎では夜になると、蛍が夏の風物詩となって私たちに幻想的な情景を醸し出し、サクランボや青梅が店頭に並び、七変化のアジサイが私たちに迫ってくる。水の大切さを園児にも話をしている。人の体の70%は水でできているとか、水がなければコメなどの食べ物もできない、水は本当に大切なものだよと。すぐに理解できなくとも、頭の片隅のどこかに、そんな知識が蓄えてあれば、素晴らしいことだと思う。6月はゼウスの妻、ユノ(Juno)の月、ユノは結婚の守護神、6月の花嫁はまさに祝福されたJune bride。日本では水の月であっても例えばイギリスでは最も快適な月、賑わいを見せる月、私たちはそんなバラと夏至の月を心行くまで楽しみたい。
そんなことを考えていると、私たちは本当に自然に生かされている、自然と共生し、自然のやさしさに、慈愛に満ちた心に包まれて感謝していかされている。そんな大事な自然を支配下に置こうと考えると、大きな天罰の災害となって私たちに襲い掛かってくる。私たちは豊かな自然の恵みを享受し、生活の質を広げていきたい。こんなことを考えている一方、世界ではいまだ原始的な人が人を殺しあう戦争が繰り広げられている。大義名分はいろいろあるだろう。しかしせっかく貰った命、生かされた命を齢20歳の若者が失っていいのだろうか。生気を失い、言葉を発しない、もはや一つの物体に変わり果てた君たち、何のために生まれてきたのか、何のために両親に慈しみ育てられてきたのか、人生の楽しみを享受したのか。国のため、祖国のため、愛する人のために死ぬこともあり得ると言う人もいるが、本当に死ぬことの大義名分があるのだろうか。価値観の違いとはいえ、私にはそうは思えない。最も中世の騎士道精神を受け継ぐノブレス オブリージュ(貴族や上流階級の財産、権力、地位を持つものはそれ相応の社会的責任や義務を負うこと)を尊ぶ人にはそうでないかもしれないが。近頃かまびすしいCSR(corporate social responsibility 企業の社会的責任)にも通じることがあるのかも。
それはさておき、欧州でもアフリカでもその他の地域でも、戦いを終えて平和な世の中が一刻も早く訪れてほしい。人が武器の実験のターゲットであってほしくない。先日ある保育所を見学させていただき、いろいろ説明を受けた。その保育所は体育、運動遊びが有名で高い跳び箱を飛んだり、ブリッジして歩いたり、逆立ちも全員ができ、運動能力の向上に努めていた。又漢字や文字などの習得にも力を入れ、あり意味小学校の先取り教育的なことも行っていた。先生方もそれに対して非常に機敏で意欲的で、子どもたちの資質の向上に一生懸命務めていた。私たちにとっては大変勉強になり、教えられることも多かった。ただそこは建物だけの80人規模の保育所で、園庭がないことに大きな違和感があった。その分、子どもたちは毎日散歩で外の公園に出かけていた。非認知能力を高めると言われる広い園庭がある幼稚園はある意味、理想的。子供たちが園庭を走り回り、片隅にいる小動物や様々な樹木に好奇心を募らせ、豊かな人間へと成長していく。その一歩が大事な幼児教育の原点だと思う。残念ながらお隣の韓国でもそうですが、少子化の波が止まらない。私の同級生が200万人以上もいたのに、今や70万人に減少した。団塊の世代の250万人がどのようにして社会に吸収されていったのか。路頭に迷うことなく、日本社会のダイナミズムの中に取り込まれ、日本をGNP世界第2位の地位にまで押し上げた。アメリカの経済学者からも大いにもてはやされた。日本にはまだまだ柔軟性があった。しかし今やまったくその逆、一部の超有名な大企業以外の全ての業界で人手不足が叫ばれ、幼稚園や保育所の規模縮小や廃園、小中学校の統廃合、半数の大学が定員割れ、又大学を廃止する動きもにわかに目立ってきた。私たち日本の経済や産業界は1億人を超える優秀な消費者によって繁栄してきた。人口が減ることに対しては生産性の向上を図ってそれに対峙するだろう。しかし先進国の中で、日本よりもはるかに人口が少なくても、繁栄を極めている国家が多数存在する。日本人の英知をもってすれば、この少子化の困難を必ず乗り切っていくことができるだろう。困難の時こそ私たちの力を見せたいものだ。移民の力も必要だが、まず私たちの底力を発揮しよう。

毛利元就の三矢の訓

2023.05.01


春を彩る桜の花が終わり、それに代わるかのようにツツジは今を盛りと咲き乱れています。五月晴れの空には鯉のぼりが気持ちよく泳いでいます。みどりの風が心地よい5月、一年のうちで最も華やかな季節の到来です。爽やかなこの季節、心行くまで楽しみたいものです。
いつか楽しもう、いつか行楽に行こうと思っているだけで、何となくためらっていると、いつしか季節が過ぎ、人生の春も過ぎ去ってしまう。人生は限りあるもの、あとになって悔いを残すことのないように、よく働き、よく遊ぶのも人生の一つの処世訓、さわやかに、精一杯楽しくこの5月の環境を享受しましょう。
4月の遠足のお子様の反応はどうでしたか。新しいクラスでの初めての経験、初めてのお友達、戸惑ったり、悲しくなったり、寂しくなったりした半面、仲間が見つかり、嬉しくなった、楽しくなったこともあるでしょう。
年長組は諏訪森、鳳、美木多も同じ日、同じ時間に天王寺動物園に行きました。あいにくの雨に少したたられましたが、その分、動物園は空いていて、十分に動物たちの動作、行動や表情、様子を見ることができ、又写真もかなりの枚数撮ることができました。それに何よりも子どもたちの満足そうな表情、喜びを感じることができました。これまでお家から動物園に行かれたことがあると思いますが、仲間と行く動物園は子どもたちにとっては格別の喜びだと感じました。動物たちの何気ない動作、表情、身振りがさも園児のためにそうしていると感じてしまうのです。充実した春の遠足だったと思っています。これまで私たちは海遊館に行ったり、大泉緑地に行ったり又は3園のそれぞれの幼稚園に行って交流を深めてきました。
美木多幼稚園は泉北ニュータウン光明池駅から歩いて10分、緑に囲まれた、今年46年目を迎える幼稚園です。鳳幼稚園は民営化になってから11年目、それまでの堺市立幼稚園時代を含めると、100年近い歴史があり、住宅街に囲まれた鳳駅より徒歩5分の幼稚園です。そして諏訪森幼稚園は90年以上の歴史があり、高齢者の皆さんに「私もここを卒園した」と時に言われることがあります。古い高野街道の近くに位置し、南海諏訪森駅から歩いて5分、最近前面の道路が都市計画道路に正式に決定され、浜寺東小学校の前を通って国道26号線に接続される広い道路になります。南海電車の高架化と都計道路、少し園の環境が変わるかもわかりません。
美木多幼稚園と鳳幼稚園は幼稚園のままですが、諏訪森幼稚園は認定こども園制度ができた10年前に堺市で最初に認定こども園の指定を受けました。美木多幼稚園と鳳幼稚園は1号の園児だけで、募集は10月1日、幼稚園独自で行います。管轄は大阪府になっています。諏訪森幼稚園は1号、2号、3号(0,1,2才)を受け入れ、1号は10月1日に幼稚園で募集、両親が働いている場合などの2号は堺市に申し込み、幼稚園には堺市から園児の名前が知らされます。認定こども園は堺市の管轄です。募集要領は変わりますが預かり保育などに関してはほとんど遜色ありません。
毛利元就の「三矢の訓」ではありませんが、私たちは3園の協力体制、研修制度、カリキュラム、その他の内容に関しても密接な連携を保っています。新任研修、音楽研修、絵画研修、体育の指導、カウンセラー等の研修もしかりです。幼稚園で使う絵本や教材なども共通のものを使い、その内容については、研鑽を重ねています。又毎月場所を変えて、3園の主任会を行い、活発に意見を交わして、保育の質の向上を目指しています。マンネリに陥ることなく、いいものは残し、新しいものも積極的に取り入れています。又3園とも立地する環境が異なる為に、それぞれの園の独自性も勿論尊重しています。
それぞれの幼稚園には管理栄養士がいますが、毎月集まって給食会議を開いて、メニューの工夫、チェック、栄養価、残食なども話し合っています。稲森和夫さんの言葉を借りれば、「動機善なりや、私心なかりしか」をモットーに子供の成長発展のために何が必要で、何が必要でないか、自問自答しながら保護者の皆様から託された期待に応えてまいります。今後ともご支援、お力添え、よろしくお願い申し上げます。
5月、皐月、心が躍動するとき、 今月も楽しい世界に出発です。

養花一年、看花三日

2023.04.01


 日本の古い歴史の中で、一つのけじめをつけて、始まりとしたのはいつのころだったのでしょう。というか、けじめをつける、或いは始めと終わりを考えるのは何かと好都合に思ったのは随分昔のことだった?日本には他国よりも明確な四季が存在することで、それに拍車をかけたのかもしれない。春の彼岸で天から神の降臨をお願いして、稲作の始まりを祈願し、秋の彼岸では収穫の喜びの感謝で又神を呼んでくる。陰暦にまつわる様々な行事といわれと始まりと終わり、私たちはその始まりや終わりを大事にし、感謝の気持ちを持った人々の集団、私たちだけが選ばれし者との不遜な考えを持たずに、優しく誰とでも仲良くなれる人々の集団、そんな集団生活を送る私たちにとっての大きな始まりは1月と4月、特に後者は日本独自のユニークな始まり、多分すべての生き物が目覚め、花や動物が歓喜の「雄たけび」をあげるこの月を大事な出発点として選んだのでしょうか。「養花一年、看花三年」という言葉通り、一年かけて育てた花もたった三日で散っていく。春風の無情な、そんなはかなく、もろく、無残に散っていくが故に、花は私たちの心をとらえる。ある意味、はかないことで私たちに瞬間のめでる気持ちを高揚させ、ほとぼしる愛情が生まれてくる。今年もそんな季節が到来しました。2023年4月、お子様のご入園、ご進級、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。今まで乳児保育を受けたお子さまもそうでないお子さまも、今日からみんな一緒、幼稚園の仲間、幼稚園っ子です。本当に不思議な縁を感じます。この年幼稚園で一緒に存在すること自体、考えれば考えるほど不思議で、本当に偶然な出来事です。人はその人と人生で少なくとも2回は会うと言われます。そうであればその縁を大事にして輝く未来を進んでいきましょう。幼稚園では今まで経験や体験しなかった事がいっぱい出てくるでしょう。そんなときは臆せずに先生に問いかけてください。寂しくなった時も、悲しくなった時も又有頂天になってうれしくなった時もそっと先生に打ち明けてください。きっと先生は優しくその解を教えてくれることでしょう。寄り添ってくれることでしょう。これから始まる三年間、四年間の就学前教育、きっと皆さんは大きな成長を遂げ、たくましく、立派に育っていくでしょう。いろいろ経験をしましょう。いろいろ体験しましょう。いろいろ知識を増やしましょう。先生はいつも皆さんの味方です。いつも皆さんのそばにいます。安心して幼稚園生活を楽しみましょう。そして進級する皆さん、皆さんは幼稚園ではお兄ちゃん、お姉ちゃんになりました。幼稚園のことは何でも知っています。新しい仲間に優しく、丁寧にいろいろ教えてあげましょう。皆さんが前にそうされたように。
お子様の入園された保護者の皆さまにとっては、初めてお子様を未知の世界に送り出す不安や心配がいっぱいおありだと思いますが、どうぞ安心して私たちにお任せいただきたいと思います。子供たちに寄り添い、様々な問題を解決して、子どもたちの信頼を得て、教育活動に取り組んでまいります。又進級された園児の皆さんのこの一年間の様々な活動は本当に立派でした。この一年で大きく立派に成長を遂げられました。頼もしい限りです。私たちはこれからもこの大事な「三つ子の魂百まで」の幼児期、将来に禍根を残すことなく、全身全霊取り組んでまいります。いよいよ新しい船出です。この一年、お子さまにとって掛け替えのない年であります様に、そして又光り輝く希望と期待の一年でありますよう心より切望しています。春爛漫、いざ出航です。

巣立つ子らへ

2023.03.01


 少しずつ日差しに春を感じ、クロッカスにも小さい黄色の花が咲き始めました。梅の花も満開を迎え、固く閉ざした樹木の蕾もふっくらとなってきました。ボケやモクレンが今か今かとその出番を待っている。いよいよ春の到来です。自然の大地が春の来たことを感じ、草木が徐々に芽吹き、成長しつつあります。北国では山や野が雪化粧を落とし、トドやアザラシが流氷と共に訪れるころになりました。この時期昔ほどでないにしても、霞がたなびく季節であり、なんとなく心もざわめき始める時です。何かしら期待と希望の幕開けです。それらすべては大気と土が潤い、日差しが強まった事の証でしょう。田んぼの畔や土手で顔をのぞかせるツクシやタンポポ、レンゲ、それらの花と匂いが重なり合って私たちに自然と共に生きることの素晴らしさ、魅力を教示している。自然の躍動と私たちの鼓動が相まって、全てが大きく波打っている。生きとし生けるものすべてに万歳です。先日の発表会に際し、ご来園、ご声援ありがとうございました。本人の頑張りもありますが、この一年間の成長・発達は目を見張るものがありました。精一杯頑張った、持てる力を出し切ったとほめてあげたいと思います。それと同時に先生方も子どもたちとかかわり、様々な行事を苦労し、努力して乗り越えたことによって、本当に大きな成長を遂げたと思います。この頃の幼児教育を卒業する短大生、大学生のほとんどが「楽だ」とか「ピアノがいらない」とか言って保育所志望する中にあって、幼稚園で一生懸命子どもたちと交わり、努力し、練習し、前向きに頑張っている先生は本当に立派だと思いました。人は生涯勉強し、努力しなければと言われます。そして又努力は人を裏切ることはしないとも言われます。私の知り合いの中には官僚も大企業の社長さんもいませんがその人たちは時にはマスコミにたたかれ、一般の人からは怨嗟の気持ちで見られることもあります。それは正当な評価でしょうか。日経新聞の私の履歴書を読み、様々な話を聞くと、何倍もの努力をし、勉学に努め、今の地位にたどり着いた人がほとんどです。中には青雲の志が実を結ばなかった人もいることでしょう。しかしそんな人はほかのことで運をもらっているかもわかりませんし、人間として大きな成長を遂げていることもあります。アメリカ人と違って、日本人は人の成功を羨んだり、けなしたり、あるいは何かあるのではと勘繰ったり、はては失敗すればいいと思ったりする。アメリカでは、あの人が成功したのだから、私も頑張ろうと前向きに考えることが多い。長年この日本に住んできて、よく考えるに、若い人は大事に大事に育てられてきたせいか、最後は誰かが助けてくれるだろうと甘い考えを持つ人が多い。それで働き口がいっぱいあるからと言って転職を繰り返す一因になるのかも。腕を磨きたい、技量を盗みたいと言って有名店で修業する若者が多かった。理不尽のことや下働きに堪えて、自分を磨いていった。しかし今やそんな店に修業に行っても、すぐにブラック企業だとか、人使いが荒いとかクレームをつけ、自分のことを棚に上げて人を訴えることがある。必死になって努力しなければ、挫折感だけ味わい、二度とない人生を無為に終わらせることになる。巣立っていく年長の子どもたちには、「友達を作ろう」、「勉強しよう」、「努力しよう」、「時には我慢もしよう」、「そして健康や事故には十分気を付けよう」 とエールを送りたい。そして年長以外の皆さんには「もう少し私たちと一緒に幼稚園で楽しく過ごしていこう」と伝えたい。3月は春の彼岸の月、此岸(現世)に対する別次元の世界であり、拘束のない自由な境遇、身の上を考えてみることもできるし、それは一種の理想郷であり、観念の世界になっている。それ故、この時期に巣立つ子どもたちには、汚れと不自由に満ちた此岸に、理想と意欲に燃えた彼岸をもたらしたいと思う。世間の荒波に翻弄され、悲しくなったり、寂しくなった時には幼稚園のことを思い出してほしい。又幼稚園を見に来てほしい。私たちも精一杯頑張って、いつまでもこの地に幼稚園、皆さんの母園が存在し続けるように努力していきます。Von Voyage, 皆さんに栄光あれ。

惻隠の情と積善の家

2023.02.01


 共通テストが終わった。その結果で志望校の選択を迷っていることでしょう。蛍雪の功とか二宮金次郎という言葉はいよいよ人々、特に若者の中から無くなってきたと報道されています。大学全入時代に突入したと言っても、何倍もの大学があるかと思えば、定員を充足できない大学も多数存在する。ただ単に所属しているのではなくて、その目的を達成するために、そして少しでも自分の能力を向上させる目的で選ぶ、故に競争力の差が出てくるのは当然の帰結、大学という名前に昔ほど重きを置かなくなったし、ステータスのシンボルでもなくなった。とは言え、昔の高校生と同じかそれ以上に勉強し、努力した高校生にはうれしい便りが届いてほしい。残念ながら栄光を手に入れることができなくて、今となっては色褪せた浪人生活を余儀なくされても、次の一年間の頑張りは人生において決して無駄ではない。逆に大きな成功への一歩になるかもしれない。兎に角努力しよう。意欲を持とう。何事にも泣き言を言わずに積極的に取り組もう。そんな姿を人は知っている。言葉に出さなくとも人はじっと見ている。一年間の予備校生活の間にいろいろな友達ができ、様々な環境があることを学ぶだろう。昔は府立高校はオールマイティーで、私立高校は、ある意味、府立高校の不合格者の行くところであった。しかししばらくして、その立場が逆転した。成績優秀者は私立高校へなだれ込んだ。今、受験競争は幼稚園から既に始まっているとも言われている。英語教材も含んだ様々な学習教材、私立小学校への受験、小学校は公立でも、私立中高一貫校への進学、勉強する子とそうでない子の二極化が進んできた。勉強の能力、すなわち認知能力も大事だが、自制心、計画性、協調性、忍耐力、意欲 など等の非認知能力も大事であり、これも人生における大きな成功のカギだと言われる。広い園庭、幼稚園という有利な恵まれた環境を利用して、子どもたちのさらなる能力、隠れた能力を伸ばし、引き出していきたい。ところで、世の中はなぜもこうも索漠としたものになったのでしょうか。円安になり、物価が上がり、給料が上がらなくなって、ドイツに抜かれて、世界ナンバー3からナンバー4になるのは目前、もう抜かれているのかも。毎日のように一部の若者たちが疑いを知らない、あるいは持たない善良なお年寄りをだましてお金を奪う、危害を加える、命を奪うことが大きなニュースとなっている。一部の若者の暴走に過ぎないと言う人もいるが、由々しき事態になってきた。日本は世界で一番安全な国でなかったのか。私たちは恥の文化を忘れてしまったのだろうか。それがグローバル化、コスモポリタン化の悪い一面だろうか。日本や日本人の狭い範疇にとどまり、人と助け合い、人の難儀を見過ごしにできない慈悲心、惻隠の情を忘れてしまった、あるいは持っていないのだろうか。西洋の優れたものを取り入れることも大事だが、足元の日本人の長年にわたって培われてきた文化や思想、考えも本当に大切にしたい。最後に一つの言葉を贈りたい。「積善の家、必ず餘慶あり、積不善の家、必ず餘殃あり」善を積んできた家は必ず孫に至るまで幸福が続く。反対に不善の行いを積む家には必ず子孫に至るまで災禍がつづく。
太陽が少し私たちに近づいたとはいえ、一年のうちで一番寒い時期、天が私たちに与えた試練を克服し、明るい春に向かって一歩踏み出しましょう。
今月もよろしくお願いします。
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