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明日に向けて

2023.11.01


明日に向かって


1022日夜715分、ANAのボーイング737が爆音を後に残して伊丹空港を離陸した。1時間後の820分、何事が起ったかびっくりするほどの大きな音と衝撃を伴って、兎に角福島空港に着陸した。昼は大阪と同じくらいの気温でも、夜になるとさすがに寒い。福島交通のバスで約40分、郡山に到着、歩いてダイワロイネットホテルに歩いて移動、駅前の便利なビジネスホテルだ。第38回全日本私立幼稚園研修大会が102324日、山形市のホテルメトロポリタン山形で行われる。

それに先立って上杉鷹山の米沢市を、そして上杉神社をどうしても見ておきたかった。翌朝830分、レンタカーを借りて、一人で東北自動車道を北進し、福島市で東北中央自動車道に進んだ。こんな峻険な山々が連なる場所によく高速道路を建設したと思うくらいトンネルが続き、そのトンネルを数多くの橋でつないでいた。高速道路があるのは当たり前だろうか?土地の地権者との交渉、買収、設計、土木、建設、付帯工事、その他、どのくらい多くの人々がこの道路を作るのに、携わったのだろうか。どのくらい努力し、どのくらい頭を絞って設計したのだろうか?

日本には数多くの高速道路があるが、ここも難工事の一つだったのではと思うと同時に、日本の土木工事の技術力の高さを見せつけられた思いだ。戦前、戦後を通じて蓄積された技術、人数が多かった団塊の世代の頑張り、そしてその後を受け継いでいる現役世代、GNPが世界4位になったとはいえ、日本にはまだまだ世界に誇るものがある。

「為せば成る、なさねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」上杉神社にはこれをしたためた掲示板があった。「どんなことでもやろうと努力すれば、必ず実現できる。逆に無理だと思ってあきらめ、努力をしなければ、絶対に実現できない。」上杉鷹山は莫大な借金を抱え、民衆が苦しんでいた藩を自分から模範を示して節約に努め、新たに産業を起こし、学問所も作り、財政の立て直しに全力で取り組んだ。又子どもや老人を大切にする政治も行った。今でも通用する次の4か条を唱えた。

1.  民の父母の心構えを第一とすること。

2.  学問・武術を怠らないこと。

3.  質素・倹約を忘れぬこと。

4.  賞罰は正しく行うこと。

それにしても隣の会津若松と言い、この米沢藩と言い、質実剛健、幕府に対する毅然とした態度、藩主を支える人々の心意気、山間に囲まれた厳しい環境のなせる業かもしれない。

山形空港は「おいしい山形空港」と呼ばれる程、果物をはじめ、米、肉、なんでも美味しいと副知事や市長の言葉、そのおいしさの代表として、初めに「出羽桜」酒造の仲野益美社長の記念講演があった。その中で心に残った一つが、山形の作り酒造は10社あって、皆、仲が良い事、「他の酒の犠牲の上に立った酒でないこと」すなわち自分だけ、自分の会社だけ良いというのではない。またチャレンジ精神をうたい、「チャレンジすれば苦労を伴うが、未来が開拓できる」と説く。又輸出にも力を入れ、5年度は475億円であった。

次に文科省の幼児教育課長の藤岡謙一さんが幼児教育の現状と将来について講演した。教育は幼児教育から小、中、高等学校教育までの積み重ねであり、基礎、スタートが大事である。幼児教育では総合的に育む次の3つの資質能力をバランスよく習得する必要がある。すなわち、知識・技能の基礎、思考力、判断力、表現力などの基礎、学びに向かう力、人間性などであり、幼稚園などでの普段の活動、遊びなどが小学校での本質的理解、正確な知識、技能の習得、思考力・判断力・表現力の育成に繋がっていく。

幼児教育の良し悪しの状況によっては今後の人生を左右するものであり、幼児教育にお金を使うことは将来への大きな投資である。日本でもその子どもたちはどのように成長し、どのような人となっていったのか、大規模な追跡調査を始めるそうだ。

この講演の中で私の興味を引いたのは幼稚園・保育所を選ぶ場合、保護者は何を基準としているかであった。1.アクセス、2.施設の雰囲気、3.保育時間・預かり時間、4.保育者の信頼度や安全への配慮などであり、体を動かすこと、外遊びなどの身体面の成長、施設の教育・保育方針、保育教育内容、施設設備(園庭などの有無)はあまり重視されていない。極端な話をすれば、保護者への様々なサービスの提供は教育。保育内容よりも重視されているということであった。


例え一般的にそうであったとしても幼児教育はこれからの人生の出発点であり、人生の根幹をなす部分、認知能力及び外遊びや友達関係で育まれる非認知能力の向上を目指して保育内容の充実に努めてまいります。今後とも暖かいご支援、お力添えを賜りますよう、心よりお願いします。



10月、神無月、神の月

2023.10.02


10月、神無月、神の月




八百万(やおよろず)の神々が何を相談するのか、この月に出雲大社に集まり、他の国にいないことなのか、はたまた神の月の意味なのか。兎に角10月、今年度も半分が過ぎ去りました。

この月の始まりは法の日、「人の支配から法の支配へ」と言われるが、独裁制や君主制の場合は優れた名君や政治家が出現すれば、国は長足の進歩を遂げる。個人的には戦後大きな成長発達を遂げたシンガポールがその例だと思う。

反対に暴君や冷血な独裁者が現れると、市民は大きな苦しみを背負わされる。法の支配は大きな飛躍がない代わりに、急激な社会の変動による不安がない。そのうえ、「法による支配」は法律を制定した支配者自身もその法律によって束縛されてしまう。その意味、時には忸怩たる思いに駆られることもあるが、ある意味市民にとって安全である。

法は社会秩序のための規範であり、一般的に国家権力による強制を伴うものであるが、それを忌み嫌う若者たちによる反乱も数多くみられることも又事実であり、そのことが法律の改正につながることもあった。しかし私たちは法治国家の一員としてそれを自覚し、法律の許される範囲で大きな活動をすべきだと思う。 

四季がある豊かで美しい自然、昔からの言語、礼儀正しさと聡明で清らかな美しい心、それを支える恥の文化と武士道精神や思いやり、他人に対する尊敬、信頼、慈しみ、次の世代にもぜひ受け継いで残していきたい。

人が見ていないところでも天に恥じないように素直に正直に生きていく。「四時の序、功を成す者は去る」すなわち春は春の役割を精一杯果たし、夏にその立場を譲っていく。夏は夏の立場を精一杯果たして秋に譲っていく。秋は秋の、冬は冬の役割を精一杯果たして次の季節に譲っていく。四季が巡るように、人もまたそれぞれの役割を果たして次の人にその立場を引き継いでいかねばならない。

今の日本は国民の自助努力の精神が求められているが、世の中の風潮は政府や自治体に依存するばかりで、自分でやればできる事すら積極的にやろうとしない。税金を払っているのだからそうするのが当たり前、権利を主張しているだけだという。そうであれば本当に義務をはたしているのだろうか。国や自治体の費用がかさむばかりで、いずれ国家が倒れてしまうかもしれない。国家、自治体も無尽蔵にお金を持っているわけでない。自分の財布と考えたらそう安易に支出するだろうか。 

文科省による幼児教育の現状についての研修があった。家庭の就労状況の変化(女性や共働き家庭の増加)によって少子化のスピードが加速化し、それにつれて待機児童が急激に減少し、幼稚園・保育所の大幅な定員割れがみられるようになった。逆に考えれば経営を続けていくうえで大きな困難が予想されるようになった。そんな中で、より一層質の高い幼児教育が求められるようになった。 

 

1.1.教育の連続性・一貫性の確保 

5歳児から小学校1年生の2年間を「架け橋期」として、この間の教育の充実を図り、生涯にわたる学びや生活の基盤を作る。 

2.2.質の高い人材の確保・定着・資質能力の向上 

その為に職員の処遇改善や専門リーダーや若手リーダーの研修を充実させる。 

3.3.安定的な経営の支援

その為に一般補助や特別支援教育への支援を行う。 

4.4.幼児教育の重要性の理解・促進

幼児教育において、子どもの将来への影響に関する大規模で長期的な調査を実施する。 

5.5.地域における「面」での幼児教育の質的向上

 

幼児教育体制を活用した地域の幼児教育の質向上の強化、域内全体への波及を図っていく。

「子育て支援は幼稚園にとっても重要な役割」であることを鑑みて、幼稚園の運営に当たっては子育て支援のために保護者や地域の人々に機能や施設を開放して、地域における幼児教育センターとしての役割を果たすように努める。 

今年度も半分が過ぎ10月からは後半、前期は慣らし期間、そして後期は発展・向上・充実の大事な期間、運動会、発表会など等の様々な行事を通じて子どもたちを肉体的・精神的に大きな成長軌道に引き上げ、幼稚園教育の真骨頂を発揮していきます。

小学校の先取り教育は本意ではありませんが、他の子どもたちと同等かそれ以上の能力を発揮できる下地を作ってまいります。「三つ子の魂百まで」、将来の基礎となる幼児教育の重要性を重く受け止め、過去から受け継いできた伝統、それに新たに加味した最近のカリキュラムや情報教育を取り入れて、高い能力を涵養し、誰とでも臆せずにうまくやっていけるよう教育活動を目指していきます。保護者の皆様の忌憚のないご意見、叱咤激励、よろしくお願いいたします。                                    



西室院から園児募集まで

2023.09.01
西 室 院 か ら 園 児 募 集 ま で

 8月26日、高野山西室院、うす暗い本堂、静かな張り詰めた空気の中で、ご住職の凛とした読経の声が静寂の中で響き渡っている。今日は美木多幼稚園初代園長が鬼籍に入った日、そして25年が過ぎ去った。久しぶりの高野山、何年かぶりの西室院、来てよかった。率直な感想。母親が園長であった時、美木多幼稚園はマンモス幼稚園と言われていた。今は中堅規模になったが、関係する皆さんが力を合わせ、努力して幼児教育に必死に取り組んでいることを報告し、全てのことは「園児の幸せのために」の理念を受け継いでいることを伝えた。
西室院は奥の院の少し手前にある高野山別格本山であり、この日は京都洛南高校の生徒たちが夏季の林間学習をこの寺で行っていた。なぜかこの日(土)は交通量が少なく、参拝客も思ったほど多くなかった。1000m級の山々に囲まれたこの盆地は大阪と比較すると気温が明らかに低く過ごしやすさを感じた。冬と夏とではどちらがいい?何回ともなく問いかけ、問いかけられた陳腐な質問。今年であれば躊躇なく冬と答えるであろう。それほど今年の夏は異常に暑い。明らかに昔と異なっている。
私は今も同じ場所に住んでいる。少年時代は団扇で涼をとり、流れゆく風を感じればそれで充分涼しかった。藁ぶきの家であったがそのままうたた寝してしまうと寝冷えをする位にまで気温が下がった。夜も扉を閉ざすことはなかった。人が人を信頼していた。ただ蚊や虫を避けるために蚊帳を吊った時は暑くて寝苦しかった思い出がある。
ある時ネズミが蚊帳の中に入ってきて、出口がなく、蚊帳の中を走り回っていたのが今ではおかしい思い出になっている。そんな時に病気になれば、木製の冷蔵庫に氷があればそれで冷やすか、冷たい井戸水を絞って額にのせるだけだった。
そんな時よりももっと前、精神的、肉体的に病んで、生きることに絶望し、死に場所を探しに旅に出た学生がいた。ある時遍路と薬売りと偶然同じ部屋宿に泊まった。何日か逗留している間に、病にかかり、薬売りに薬をいただくが遍路に薬代もないことを伝えた。その時遍路が「おぬしは飲めばよい」「おぬし、金などどうでもなることじゃ。おぬしに金のないことぐらい、わしらにはようわかっておることじゃ。わしらの眼は節穴じゃないものな」「のうおぬし、いきることは辛いものじゃが、いきておる方がなんぼよいことか」とぽつんと言った。
この言葉は遍路の人生哲学だったのでしょう。一方薬売りは別れ際に「学生さんよ、治ってよかったのう。生命は粗末にせられんぜよ」また続けて「薬の金がいるもんか、おぬしはそれを心配して薬をのもうとせなんだつうが、そんな気兼ねをするで死にとうならあね」
この二人の言葉は人生のあらゆる辛酸をなめつくした壮絶な体験からうまれたのでしょう。その場限りの都会の経営者の姿、上辺だけの乾いた人間関係と安宿で感じた素朴で温かい人間関係が見事に対象となっているのでしょう。
一万人も志願者が押し寄せるという埼玉栄東高校の校長先生の話。
1. 守りに入ってしまえば前に進めないし、発展もない。たとえ間違っているとしても、とにかく前に進んでいく。
2. 課題を解決するためには「何」が必要なのかをまず設定し、スピード感をもって解決へと突き進む。
3. さまざまな人たちと出逢い助けられてきた。また様々な環境に身を置くことで、自分自身の考え方や生き方が変化してきた。
4. 自分なりの「居甲斐」を見つけ、多様な価値観を認め合える出逢いと学びの場をこれからも提供していく。
5. 今は何が起こるかわからない不透明な時代、知識や学歴以上に、立ち上がって次に進める人間、学んだことを知恵に変え、自分の信じる道を極められる人間になる。
6. 世の中には本当に無駄なことは一つもありません。一見無駄だと思われること、つまらない事にこそ可能性を感じ、目標に向かって日々倦むことなく愚直に努力と挑戦をかさねていくことから、生きる力、他人を思いやる心、ひいては総合的な人間力が養われていく。
少子化の影響ばかりではないですが、幼稚園を取り巻く環境は過去50年間のうちで危機的状態になってきました。中でも株式会社の経営する園では廃園、他企業・法人への譲渡が行われ、法人間の統合も出てきました。しかし私たちはどんなに苦しくても地域に子供たちがいる限り、生き残り、地域から必要とされる幼児教育センター、幼稚園を目指していきます。
9月1日から募集要項配布、10月1日から願書受付です。私たちは保護者の皆様に寄り添い、期待に応える幼稚園、子どもたちの認知能力でも非認知能力でも、その能力が大きく伸びる幼稚園を目指して教職員一同力を合わせて取り組んでまいります。誠に恐縮ですが、ご近所、お知り合いの方にもお勧めしていただきますようお願いいたします。
いよいよ二学期、楽しい行事が目白押しです。子どもたちの頑張る姿、それを支える先生方の必死の姿、どうぞご期待ください。

暑さを超えて

2023.07.20
暑さを超えて


猛暑、猛暑と言っても涼しくなるわけではない。それでも暑いと言いたくなる。日本独特の蒸し暑さが続いています。たとえ40度を超えたとしても、日陰に入ると涼しく感じる国々と違って、海に囲まれた湿度の多いせいだろうか。しかし乾燥した国と湿気の多い国ではそれぞれのいい所とそうでないところ所もあるので、一概にどちらがいいとも言えないのが悩ましい。    

毎日決まった時間に大雨が降るブラジルやいつも傘やパーカーを用意しなければいけないイギリス、どの国にも天候にまつわる悩みや憂いがある。梅雨のひと時、こんなことを考えていると「コロナ禍で5歳児に4か月の発達の遅れ、施設閉鎖やマスク着用が影響か」のニュースが飛び込んできた。幼稚園ではなくて東京都の認可保育所の話。京大や筑波大の研究チームによると「三つ子の魂百まで」のこの社会性を身に着ける時期、保護者以外の大人や子供と交流する機会が減ったことが要因と考えられる一方、1から3歳児でコロナ禍を経験した3歳児にはそうした傾向はみられなかった。

運動や言語理解など9つの領域を130項目以上で評価し、その分析結果によると、5歳児ではコロナ禍経験群は未経験群と比較して、4.39か月の遅れがあった。特に大人に対する社会性やしつけの分野で遅れが目立った。一方3歳児では発達の遅れは明確に見られず、逆にコロナ禍を経験した群のほうが大人に対する社会性や概念の理解について発達が進んでいる傾向があった。これは一対一の交流が重要な13歳の時期にコロナ禍で保護者と過ごす時間が増えたことが発達によい影響を与えた可能性がある。5歳児の発達の遅れについては今後の十分な支援で挽回は可能だとの見方を示す一方、影響が長期的に及ぶかどうかはさらに追跡調査をしていく必要があると報告されている。

この傾向は特に5歳児に限ったことではなく、小学校教育に携わっている教員からも小学生の学力が着実に低下しているとの指摘があった。このことがよく言われている学力などの認知能力だけでなく、意欲、協調、仲間意識、やり遂げようとする力などの非認知能力にも影響があるのかどうか、私たちも大きな関心をもって見ていきたい。私たちは幼小の連携を視野に学力の向上を目指し、自信をもって子どもたちを小学校に送り届けたい。私たちが幼稚園で行ってきた保育・教育活動は決して保護者の皆様の期待を裏切らないものだったと思っています。

さて、この文章を書いているのは714日です。この日は私たちが学校で学び、歴史の試験にも何回も出題された1789年のフランス、バスチーユ監獄襲撃の日、というかフランス革命勃発の日、現代でもラテン系のフランスの熱しやすい言動はしばしばニュースとなって新聞紙上の大きな見出しになっている。フランスではこの日はお祭り騒ぎ、次の日から大方の人はバカンスに行ってしまう。パリに残る人はほとんど外国人だとか。

幼稚園でも夏休みが目前です。今年はコロナの影響も少なくなり、ご家庭でもいろいろ計画されているかと思います。小さい時の経験は具体的に子どもたちの発達・成長にどのような影響を及ぼすかは別として、子どもたちの頭の片隅に又心のどこかに忘れない思い出として残っていくことでしょう。二学期が始まるときには元気いっぱい、日焼けした姿で戻ってきて欲しい。切なるお願いです。しばらくのお別れです。

存在の規範

2023.07.01


存在の規範


「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」「未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように早く飛び去り、過去は永久に静かにたっている」「彼氏や彼女と別れを決めた瞬間、楽しかった思い出が走馬灯のように過ぎていく」「百代過客で時間は待ってくれない。やらないで後悔するより、失敗してでも後悔しない人生を選びたい」時は過ぎ去る。一瞬たりとも待ってくれない。今がハイスピードで過去になっていく。幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期、時の移ろいの速さに対する感覚は異なっている。私たちに平等に与えられた命、いつかは必ず朽ちるという諸行無常、時の流れの速さに驚くばかり。最近45年近く前に高校3年生の担任をしたときの卒業生に出会った。彼女はすでに還暦を超えていた。お子さんの一人の彼氏はイギリス人で、もう一人は結婚してお孫さんもいると話された。瞬間びっくりした。18歳の高校生がもう60歳を超えていたのかという驚きであった。なるほど計算上は確かにそうだが、あまりにも時の流れの速さに身震いを感じてしまった。人は他人の成長の速さに驚くこともあるが、自分も同じように齢を重ねている事に気が付かない。あるいは意識的にそうあることに目をつぶっている。長野高校,和泉高校、鳳高校と続いた25年間の高校教員時代に、偶然教え子と教師という関係になったが、今や40代から60代、人生の壮年期、家庭的にも仕事上でもいろいろ解決すべき問題を抱え、ストレスのある人生を送っている。楽しいことも多いだろう。それに匹敵するくらい苦しくて、悲しいこともあるだろう。限りある時間、どうぞ幸せで健康な毎日を過ごしてほしい。ある人たちが共通して思い、実施に励んでいる言葉。

1.笑顔で話す 2.顔を見て話す 3.第一印象を良くする 4.できると思えばできる 5.目的を忘れない 6.小さな改善努力が後の大きな成功進歩 7.思いは言葉にして初めて伝わる 8.その動作・考えに無駄はないか。

私たちは概して全てのことに自分なりの規範、枠を設定して行動している。それがある意味、秩序だった社会の規範であり、安心して生活していく守護神となっている。例えば、私たちは警察を怖い、先生は子供を守る、弁護士は人を助け、検事は人を訴追する、自衛隊は国土を守り、医者は患者に安心感を与え、公務員は過去の先例にならって行政を進める。犬や猫は人に飼いならされ、ロボットは人に背くことはない。ゴキブリは夜に活動し、ムカデはひっそりと陰で機会をうかがっている。大概の外国人は自分の意見を持ち、強く主張する。私たちは彼らがそのような行動をするものとして、自分たちの行動・規範を守っている。もし自衛隊が国を守らない、警察は秩序が乱れ、人を守ってくれない、犬・猫が人に向かってくるような想定外のことが起こると世の中は混とんの世界に陥ってしまう。私たちは小さな小さな歯車に過ぎない。しかし小さな歯車に何か齟齬があると大きな歯車も動くことができない。個人個人の社会での活躍によって、歯車がいい方向に向かい、大きな社会を動かす歯車につながっていく。

考えによっては私たちの持っている時間は短くない。しかし日々無駄に時間を浪費している為に時間を短く感じている。もし私たちは時間を有効に活用するならば、一つの大きな事業も達成することもできるだろう。しかし良くないことに使ったり、うっかりして無駄に過ごしてしまうと、気がつけば何もできない。残された時間は短いと実感してしまう。突き詰めて言えば、私たちの生涯は短いのではなくて、私たち自身がそれを短くしている。私たちにはそれが足りないのではなくて、私たちはそれを浪費している。古代ローマの哲学者セネカがそう言っている。昔の人、特に古代や中世の人は現代の人よりも劣っているという人もいるが現代も古代も中世も人の考えが変わらない、ただ環境が変化しているだけだ。堺市の教育長が代わり、文部科学省の役人がその地位に就いた。そして講演の中で教育についての考えを述べている。その資料を添付したい。

7月、文月、太陽の季節。私たちの時は海水浴に行き、何回皮膚がめくれたかとか、小麦色の肌が健康なエロティシズムとか、もてはやされ、競って肌を焼いた。しかし今は紫外線が怖いと言って、極力外に出ることを拒み、日焼け止めクリームをたくさん塗っている。次世代はどんなふうになるのだろうか。元気に大地を走り回る子供たちの姿はいつの時代になっても消えることはない。夏祭り、夏休みと続く7月、皆様方の今以上の健康と幸多きことをご祈念いたします。今月もいつもと同じように、お力添え、ご支援お願い申し上げます。

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