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徒然草

2020.12.01


 徒然なるままに頭に浮かぶものを起承転結なしで筆をすべらせた。私たちはある意味、非現実的な世界、バーチャルな世界に住んでいると言っても過言ではない。そこでは何が正解で、何が間違いであるのか、本当のニュースであるのか、フェイク・ニュースであるのか、黒白をはっきりしなければいけないのか、ファジーのままではダメなのか?誰が善悪を見極めるのか?トランプ大統領は本当に負けたのか、それとも劇的な復活はあるのか?バイデン支持者にとっては議論の余地がないことだと言うし、トランプ派にとってはフロリダもテキサスも奪取したのに、負けたはずがないと今でも思っている。それにマスコミは何と罪深いのだろう。前回はトランプを好意的に捉え、今回はバイデンを好ましく報道している。巨大IT企業も両者平等に扱っているのではなく、一方に偏ったりしている。真の勝者は本当にアメリカ国民だろうか?それとも連日連夜、それが本当であれ、フェイクであれ、報道を流し続けたマスコミの勝利と言ってもいいのかも。反トランプのニューヨークタイムズ紙はそれを売りにして、反トランプ派の大きな購買力を得て、青息吐息であった部数が大幅に伸びたと言われている。真実を報道すると言われているマスコミもいわばビジネス、ビジネスも大事、どちらに立てばよりビジネスが成功するのかを見極めての行動、ビジネスは真実よりも大事なのか?それぞれの人がそれぞれの意見をもって行動している。すべて同じ意見というのはあり得ない話、ありえるとしたら、相手が様々な立場を考えて、意見を合わせているだけ、忖度の世界では普通のこと、生活の知恵として、日本人の中に存在し続けたが、それが白日の下にさらされ、非難の対象になってきた。一方、それに反すると、つまはじきにされ、変わったやつだとレッテルを貼られてしまう。忖度のない世界に生きる子どもたちにとって、目に見えたもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、口で味わったもの、皮膚で感じたもの、それらが全て忖度の必要もないし、そんな言葉や知恵もない。彼らは見えたままに、匂ったままに、感じたままに表現し、誰に遠慮することもない。正直そのもの、一点の曇りもない。しかし大人は他人からどう思われているのかは大変気になり、自分の意見が発言する人のそれと異なっていても、相手が強い立場の人だったら、黙り込み、意に反して同調の声を上げる。このことは日本人のある意味良き点でもあるが、太平洋戦争に突入していった悲劇の根源でもあった。逆に考えれば、そういう一致協力の関係を築きやすいが故に、団体として、大きな力、国力の発揚に寄与している。1970年、大阪万博が千里丘陵の竹藪を造成して華々しく開催された。25歳の時であった。三波春夫や佐良直美が得意気に万博の歌を披露していた。その当時私が勤務していた会社は今から言えば何でもないことだが、1インチのTVを開発して世間を驚かせた。50年後、100年後に掘り出すタイムカプセル、未来から過去を見直すこの言葉が流行った。今年はあの時から50年、今はタイムカプセルを開けるには早すぎる。あの時月から石を持ち帰ったのだから、技術的にはびっくりするほどの大きな進歩がないのかも。自分の生きているうちにその成果を見ようと考える人は多いが、自分の亡き後を考え、長期的な視野をもって都市計画を作ったり、公園や街路に小さな木を植樹して、次の世代に残したり(最も日本ではすぐに頭の先を切り落とされてしまうが)する人は少ない。昔、田舎の人は先祖から受け継いだ田畑をしっかりと次の世代に引き継ぎ、その世代はまた次の世代へ送っていく。少しでも財産を失うと、周りから白い目で見られ、批判され、その場所に住むことは居心地が悪くなる。個人のものであってもそうではない、いわば運命共同体のようなもの。神社仏閣に対する寄付も同じこと。
さて、11月の作品展のアンケートをすべて読ませていただきました。コロナ禍の中でも頑張って作品展を開催したこと、展示がよかったこと、絵画の説明を受けて納得したとか、9割以上の人が私たちにとって心地よい意見を書いていただきました。しかし記名式であったが故に、書きたいことも書けなかったという保護者さんがおられたかもわかりません。私たちは保護者の皆様すべての意見を、それが好意的であれ、私たちへの叱咤激励の言葉であれ、真摯に受け止め、次への大きな飛躍への通り道だと考え、より一層努力してまいります。今後とも大きな励ましをよろしくお願いします。
さて、今月はクリスマスの月、幼稚園もイルミネーションでいっぱいです。南半球の真夏のクリスマスも趣があってよい。しかし私たちには白銀とトナカイのイメージがいっぱいです。西洋の風習といえども、良いもの、ロマンあふれるものは、洋の東西を問わず、子どもたちの成長の過程には欠かせないもの。早くコロナが終息して、冬の野山を子どもたちと楽しみたい。2020年、いろいろありがとうございました。来る2021年も変わらぬご厚情とお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

道徳と倫理

2020.11.01


 中には私たちを叱咤激励するお言葉もありましたが、圧倒的にお褒めの言葉を頂いた運動会、暑い中頑張った先生(それが仕事だと言われれば何の反論もありませんが)それにみなさまの大事な大事なお子さん、その努力が結実した瞬間だったと思います。何よりも子どもたちの表情が素晴らしい。生き生きして、得意気に演技に取り組んでいる姿は人に感動を与え、思わず目頭が熱くなるものです。新型コロナの影響で様々なご不便を保護者の皆さんに強いる結果となり、申し訳なく思っています。しかし皆様方のご協力とお力添えで無事運動会を終えることができ、本当に良かったと思っています。今年もあと半分、コロナの終息が予想できませんが、与えられた環境の中で、精一杯前向きに取り組んでまいります。私たちの役割は勿論保育・教育活動を通じて、子どもたちの成長、発達を促し、将来への持続可能な生活基盤を確立することにあります。しかしながらこの世に生を受けた限りは、大小関係なく、社会貢献をすること、他人の役に立つことをすることと教えられてきた、換言すれば、広義の意味で人に感動を与えることではないでしょうか。幼稚園活動を通じて、毎日毎日そしてその瞬間、瞬間に人に感動を与える、そしてその対象者によって感動を受ける、感動を与え、感銘を受けることによって世の中が緊張から和らぎ,鷹揚の世界に代わっていく。昔は今ほどストレスのかかる社会ではなかった。人が人を打ち負かし、非難し、自分の存在を誇示するような人は少数であった。確固たる自分の意見を持つ人も少なかった。その意味で50年前に初めて外国に駐在したときに、議論ばかりが沸騰して、まとまりがつかない場面を何度も経験した。多民族国家であるが故に、自分の存在を認めさすことが必要だったのだろう。それとも生存本能のなせる業だったのか。翻って今の日本を見てみると、50年前の外国の光景によく似た気がする。自分の権利を主張し、意見を言い、相手を打ち負かそうとする気風が顕著になってsilent majority でなんとなく決まっていた過程が、物言う少数派によって奪われかねない状態になってきた。50年前にアメリカの後を追ってそれを模倣してきた日本では識者が危惧したことが現実になってきた。弁護士の大量生産もその一環だろう。と同時に恥という言葉が死語になりつつある。黙っていても先輩から、世間から無言のうちに教えられてきた道徳や戒めが壊れつつある。私は幼稚園の子供たちが将来、豊かで、人間的・文化的な生活を享受することを心より望んでいるが、同時に他人に寄り添い、他人の幸せをも希求するような道徳心を持ち合わせてほしいと思う。道徳と聞けばアレルギー反応を起こす人もあるが、私も若い時にそんな感情にかられたこともあり、おざなりな道徳教育をホームルームで行ったこともある。しかし年齢を積み重ねるにつれて、日本人の本質は道徳や克己心に裏付けされた豊かな心の輝きではないだろうか?と思うようになった。人をだまし、裏切り、私腹を肥やす、それが能力のある、できる人の典型と言われれば、そんな人はこの世では表面的には褒められ、崇められても、きっちりした道徳心に裏打ちされた表現や思想の持ち主にかなうはずがない。この園たよりが配布される頃には大阪市の存続に決着がついている。私は泉北郡美木多村に生まれ、70数年間今は堺市となった地に住んでいる。大阪市には何回も行ったことがあるし、梅田にも何となくよく行った。ある時高校の中間試験が終わって、梅田の阪急百貨店でカメラかラジオの新製品を見ていた時に、警察官に呼び止められて、カバンに中を見せるように言われたことがあった。昼過ぎなので、何か不審者のように思われたのか。又市電が走っていた。天王寺から上本町8丁目の大阪外国語大学にはその市電に乗って通学した。授業が終わるとその市電に乗って淀屋橋経由で梅田に行ったこともよくあった。市電は足であった。それがなくなって久しい。そして今度は大阪市が無くなる?世の中の動きは私たちの思いを考慮せずに変化していく。変化についていけない人、変化を喜ぶ人、様々な意見の中で私たちは今存在し、命をつないでいる。それともう一つ、USAの大統領も決まっている。4年前には友達とどちらが勝つか、ヒラリーとトランプ、私は前者を言い、負けてしまった。今の時点では圧倒的にバイデンが強い。そして勝ち馬に乗ろうとトランプ減税で大儲けしたウォール街の投資家たちが莫大な金額を安全パイとして、バイデンに寄付している。3年前にアメリカに行ったとき、カリフォルニア州ではトランプの評判は惨憺たるものであった。私の旅でお世話になった人はほぼ民主党支持者で反トランプであった。そうでない岩盤支持者のトランプ応援団も数多く存在した。私はトランプ大統領の思想・信条はわからないが、その実行力は人一倍であり、アメリカを思う気持ち、昔の良きアメリカへのノスタルジアが目に見えて強い。Black Lives Matter 運動も理念としては何も非難されることはないが、それに付随する暴力行為が頻発すれば、それもアメリカなのだろうか。統制経済の大国、中国がヒタヒタと背後に迫る中、アメリカのとるべき道は何だろうか?アメリカの威信の低下、衰退もささやかれるけれども、アメリカは昔の輝きを取り戻し、American Dream の国になって欲しい。

死と生とラボァジェ

2020.10.01


 9月初めAさんが死んだ。享年93才、若い年ではなかったが、死んでいい年は存在しない。長年JAの組合長の運転手として、定年まで勤めあげた。いろいろ秘密なことも知っていたと思うが、そんな個人的なことは、だれもが知っている以上のことは決して口外しなかった。定年後も3年間、同じ職を務め、63才の時に縁あって美木多幼稚園のバスの運転手になった。Aさんは一番の年長者でなかったが、持ち前の性格の良さによるものか、すぐに運転手の取りまとめ役になると同時に、その損得のない気性からか、若い先生にも人気があり、何でも相談に乗っていた。又幼稚園の為に率先して先頭に立って活躍した。その後70才になり、東区南野田に特別養護老人ホームハーモニーを開設したために、そこの運転手になった。家に近いことも大きな理由であった。そこでも人に好かれる性格と男意気でどの職員からも慕われ、信頼され、自分の居場所を確保することができた。80歳くらいまでは近場の送迎などをしていたが、それ以降は施設内で軽トラックの運転があっても、送迎に出ることはなかった。90歳を目前にして、免許証の返納をし、息子さんに送ってもらってハーモニーに通勤した。ハーモニーに移ってしばらくして、Aさんに「一生ハーモニーで面倒見るから、途中でやめてもらうようなことはしないから、たのむで」と本気で言った。そのことがAさんには本当にうれしかったらしく「理事長がこんな事言うてんね」と知り合いなどによく言うことがあった。そのためでもないが、本当によく働いていただいた。送迎バスの運転手をやめた後、さまざまな樹木に囲まれた9000㎡のハーモニーと6000m²のハーモニー美木多グループホームの植木の剪定と草刈りを一年かけて毎年行ってくれた。そのお陰で、いつも花の絶えることのない老人施設を維持できた。そのAさんが今年になって弱弱しくなってきた。私も口には出さなかったが、心配していた。そしてある日、息子さんからトイレで倒れて、病院に入院したとの知らせを受けた。今の時期面会はできなかった。しばらくして療養型老人病院に転院した。この世で最後の場所であった。転院してからあまり日がたっていなかった。葬儀は家族で行い、だれも参列しなかった。施設と職員からのお悔やみを届けに行った。職員にはお墓の場所を知らせるように言われていた。死んでよかったとはだれも言えない。人に良い影響を残してこの世を去ったという事実は私にとっても一つの区切りであった。最近の敬老の日に因んで、100歳以上の人が5万人を超えたとか、毎年1万人の減少なのに、今年は5万人も新生児が減ったとかの報道がなされている。そんな中でも元気に私たちの仲間に加わる赤ちゃんの誕生がある。10年後、30年後、50年後、どのような運命が待っているのだろうか。個人の意思で解決できる問題もあれば、社会的状況に翻弄される問題もある。どんな場合でもお父さん、お母さんの愛情を受けて生まれ、育ったお子さんが天寿を全うしてほしい。それはご両親の願いだけでなく、この地球上に住むすべての人の願いでもあるのです。ラボァジェの質量不変の法則でないが、誰かが死ぬと、同じ質量の誰かが生まれる。日本では死ぬ人が圧倒的に多いが、その分アフリカなどで増えているのか、はたまた未知の惑星で増えているのだろうか?人は生物体である以上、死はだれにでもやってくる厳粛な事実、そして誰も気が付かないふりをしている事実、直視したくない事実。Aさんは優しさと無私の心で一隅を照らしてこの世に別れを告げた。
10月からは2020年度の後半部、運動会、作品展、発表会などの様々な行事が控えています。子どもたちは着実に肉体的、精神的に大きく育っています。保護者の皆さまのご協力、ご支援を得て、充実した後半になるよう教職員一同精いっぱい努力してまいります。

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