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隠された真意

2021.10.01


 その高齢の弁護士の一言が忘れられない。「代々続いて私で4代目、ずっとその仕事に就いてきて、本当に弁護士であってよかった。私にとって弁護士は本当に天職だ。いかなる圧力や意見にも屈せず、正しいことを言い、行い、正義を貫いてきた。この仕事を続けることができて良かった。近頃お金に絡まることで、弁護士が不祥事を行うことがよく見受けられる。私はそのために3年間仕事がなくても、収入が途絶えても、それを補うことができる不動産や配当収入を心がけてきた。それ故、自分の主張が脅かされ、脅迫されても、正義を貫くことができる」成る程、誘惑はお金だけではないが、それも一つの大きな人生転落の原因となっている。80歳を超えた老弁護士にとって、いままでの来し方は自信にあふれ、満足したものであった。最近の若い人を中心に、天職を求めて、頻繁に仕事を変わる傾向を考えれば、ある意味、うらやましいほどの自信のなせる業だ。何が天職かは誰も決めることはできないが、その人が満足し、自信をもって天職と言っているのであれば、他人がとやかく言うことではない。その人にとってはそれが天職なのだろう。勿論天職は自由業の人だけでなく、市井の目立たない、片隅の小さな仕事でも、それは大きな社会的貢献の礎であり、その人にとっては光り輝く天職となっている。短い人生、一度限りの人生、後戻りのできない人生、天職に巡り合う、というより自分が今一生懸命取り組んでいる仕事はまぎれもなく天職に違いない。
最近読んだ新聞記事に犬ぞりの話があった。政治家の話だが、あるエリート政治家が総裁選挙の応援で、自分の属する派閥の領袖で、総裁候補者に、選挙資金の融通をお願いした。その時にその派閥の長に「君、犬ぞりを知っているか?」と問われ、「ハイ、犬が引っ張るそりですね」と普通に答えた。それに対して「たくさんの犬が引っ張るそりのことだ。ただその犬の中には、そんなそぶりも見せずに、一生懸命引っ張っている犬もいれば、見かけは一心不乱そうだが、適当に引っ張っている犬もいる。さまざまだ」と言った。それを聞いたその政治家はそれ以降、今以上に忠誠をつくし、そのボスのために何事にも懸命に取り組んだそうだ。その言葉の裏に隠された真意を理解して、直接の表現以上に底知れぬ恐怖を感じたのかもしれない。
ある小学校で二宮尊徳の銅像を見た。彼が偉いとか、蛍雪で勉強したのが立派だというのではないが、少なくともその精神から学ぶことは多い。車を運転していると、自分の家や会社は雑草一本もないのだが、それにつながる公共用地は雑草だらけの風景に出くわす。そしてそんな人ほど、役所に雑草を刈ることを強く要請していることがある。自分の土地の雑草を刈る時に、少し広げてそこもきれいにしたらと思うのだが、損得勘定が働くのか、公徳心の面で欠けるきらいがあるが、言うは易し、行うは難しなのだろう。私たちは一般に変化に対して、損得に対して、理性的、合理的な判断を超えて身構えてしまう傾向がある。案外大昔のように、所有権の概念がない時のほうが、公共心があったかもしれない。
10月、いよいよ運動会がやってきました。私の願いは演技の上手下手、運動能力の優劣よりも、その子が汗水を垂らして真剣に取り組んでいるその姿、その表情をしっかり見ていただきたい。その思いが運動会のすべてだと思っています。 2021年10月、すべての神が出雲に行ってしまう神無月、今月も子供の成長発達を夢見ながら、前を向いて進み続けます。ご期待ください。

時の流れの中で

2021.09.00


 日本語の語呂合わせで必死に覚えた英単語、その中には考えたくもないような「死刑だ」の発音の単語があった。そう、cicada, 蝉だ。今年アメリカでその大量発生で話題になった。英字新聞に興味のある記述があった。 The Cicadas are coming. It’s not an invasion. It’s a miracle.のタイトルでマーガレットさんが寄稿していた。Deep beneath the spring-warmed soil, a great thrumming force is beginning to stir. Trillions strong, these insects have been living in the dark since George W. Bush’s first term as president. Now they are ready for the light. They are climbing out of the darkness, out of their own skins and into the trees. They are here to sing a love song. Their only purpose among the green leaves is love.  (蝉がやってくる。それは殺到ではなく、奇跡だ。春の温かくなった地中深くで、コツコツと力強い音がし始めた。数えきれないほどの多くのこれらの昆虫はブッシュ大統領が一期の頃から暗闇で住み続けてきた。そして今、光を求める準備ができた。そして脱皮して、暗闇から樹木に登り始めた。そして愛の歌を歌っている。緑の葉の中での唯一の目的は愛) 実際蝉のオスは求愛のために鳴くが、メスは鳴かない。擬人化したその表現や長年暗闇の中で木の根の養分などで生きながらえていること、そしてその年月の長さを表現するのに、過去の大統領の治世を持ってきたことに惹かれてこの文章を引用させていただきました。日本の蝉はもっと短いというかもしれないが、アメリカの17年蝉だと考えると、日本ではどんな時だったのでしょう?2004年、個人的には還暦を迎えたとき、又鳳幼稚園も諏訪森幼稚園も私たちの仲間になる少し前の出来事。この17年で私達はどう変わったのだろうか。日本は高齢化社会になると言われ、特別養護老人ホームや新しい形態の施設が雨後の筍のように次々建設された。労働力不足が叫ばれ、そのターゲットが家庭にいる主婦層に向けられ、それに伴い子どもを預かる保育所不足が声高に叫ばれ、認定こども園の制度ができ、幼稚園では預かり保育のニーズが高まり、行政からも要求されるようになった。最近になって乱立された老人介護の施設はその形態によっては入所希望者も介護する人も集まらず、倒産件数も増え、大きな問題になりつつある。又幼児教育の世界でもコロナ禍と相まって、出生数が極端に減り、幼稚園や保育所の定員と実員が大きく乖離している場面も見られる。50年前に新設ラッシュだった新設高校の今はどうなっているのでしょう。世界中が少子化に悩まされている。西欧のリーダー、特にイギリスのボリス・ジョンソンとの違いはなんだろうか?同一歩調を求める日本の国民性との違いはどうなのだろうか?詳しくはわからないが、新聞記事などから類推すると、サッカー場に多数の観客を入れて、コロナの感染状況を調べたり、死者が増えない限り、規制を撤廃したり、マスクを着用しない。翻って日本では様々な分野で矛盾ある政策が報告され、人の命よりも法を優先することもある。日本は横並び方式で他人と異なることに違和感を覚え、村八分的に批判することも見られるが、概して寛容的でない。誰もが感じていることだが、法にのっとることは免罪符のように言わるが、臨機応変的な対応が遅れることもある。時には恐れることなく、勇気と決断が必要なこともある。何が良いか誰もわからない。しかし出来るだけ早くコロナ禍が収束して欲しいとの思いは共通の願いです。長く続いた降雨の後は少しは涼しくなると思いきや、真夏がその勢いを取り戻すかのように毎日猛暑が続いている。そんな中でも二学期の大事な、充実した行事が私たちを待っている。子どもたちを信じ、可能性を信じ、様々なことに注意を払いながら、一緒に楽しく幼稚園生活を送ってまいります。食欲とスポーツの秋、今月も思い出作りの保育の旅を続けていきます。尚,9月から来年度の願書の配布が始まります。就学前の教育に関して、私たち幼稚園は絶対の自信と実績を持っています。是非とも幼稚園への入園を考えていただき、又ご近所、お知り合いの皆様にも勧めていただきますようにお願い申し上げます。働くお母さんを応援する制度も充実しています。9月、長月、今月も元気に出発です。

夏が来れば

2021.08.01


 「夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬、遠い空」夏の定番のこの歌は私たちを無意識のうちに尾瀬に誘ってくる。「夏を愛する人は心強き人、岩をくだく波のようなぼくの父親」冬のお母さんに対する夏のお父さん、夏を好きな人の心情は強い心の持ち主だろうか?思わず自問自答してしまう。「あの夏の日がなかったら 楽しい日々が続いたのに」アリスの秋止符、夏にはどんなことがあったのだろうか。夏は開放的ですぐに恋に陥りやすい環境、しかし冷静になって考えれば、それが自分の意志でなかったと苦い思い出に浸る夏の日。いろいろな思いを秘めた夏、2021年、又その夏がやってきた。昨年は行動も制限されての一週間の夏休みでした。今年はコロナの影響はまだまだ残るものの夏休みは従来通りの期間、行動自粛の要請はあるものの、ワクチン接種が進み、少しは行動様式が緩和されつつある。そんな中で密にならない対策を維持しながら、夏にしかできない、この時期にしかできない事に取り組むことも子供たちの成長発達にとっては大事なこと、それと共に家庭にいる子どもたちにとっても、ただ怠惰に夏休みを過ごし、それが過ぎるのを待っているだけでなくて、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんとの良好な関係を築き、子どもたちの節度ある日々の生活が求められています。私たちは子どもたちが病気になり、事故に遭遇しないか本当に心配しています。どうぞ安全・安心にも十分ご配慮お願いします。私は福泉町立美木多中学校出身です。その3年前は美木多村立美木多中学校と呼ばれていました。今の美木多中学校とは名前が無くなった時期があって、縁が切れていますが、今その跡地は住宅地になっています。そこでの3年間は一学年60人の友達と話をしたり、スポーツを楽しんだり、夏になると近くの池でおよいだり、何かあると、光明池まで行ったりしました。少しは家の農業を手伝ったことがありましたが、真っ黒になりながら日々野球をして過ごし、3年生になってから受験勉強を頑張り、この年2人、田舎の中学校から三国丘高校に入学しました。高校では運動部も考えたのですが小説や随筆などのいわゆる書き物が好きだったこともあり、図書部に入りました。そこで手あたり次第本を読み、そのことが確実に何らかの形で役立っているように思います。それ故、高校の教師をしていた時も「本を読もう」「どんな本でもいいから活字を読もう」「それが君たちの生きる力になる」等と何回も言ったことがあります。ネットが発達してきたから新聞、雑誌はいらない、よく言われます。しかし瞬間的に消えるネットのニュースと印刷された新聞のニュースとは大きな違いがあるように思います。マスコミはそれぞれの会社が主義主張を持っていて、偏向とは言わないまでも、中立ではありません。私は読売,産経、日経、The Japan Times(大きなタイトルを読むくらい)の4紙に目を通していますが、今日(7月15日)の読売の時代の証言者のコラムに田村哲夫(渋谷教育学園理事長)さんの話が連載されています。その中で大学時代の恩師丸山真男先生がロマン ロランの一節を引用した次の文章に感銘を受けて、生涯その一節を持っているそうです。「力の限り善きことを為せ、何ものにもまして自由を愛せよ、たとえ王座の階(きざはし)にあるとも、絶えて真理を忘れるな」私たちは日常の雑念に追われて自分を見失うことが多いが、時には心の洗われる文章に接していたい。

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