民主主義 ? それとも 独裁主義 ?
2016.10.01

季節がいつの間にか流れ、秋たけなわ、3月から数えて8番目を表すOctober,10月を迎えた。「光陰矢のごとし」ではないにしても、絶え間ない時の刻みが私たちを何処かに急がせているような気がする。学びの季節、食の季節、一番素敵な季節にしては今年は特に天気がすっきりしない。秋晴れを経験したのは何日あるだろうか。そしてこれからもこのような天候が続くのか。2016年秋、私たちに本当にすがすがしい秋の気配を運んできてほしい。そしてその気があるなら、私たちに自然の豊かな恵み、海の幸、山の幸を、子どもたちには大地の上で動く喜びを届けて欲しい。今、1日の運動会に向けて先生も子どもたちも獅子奮迅です。10月の特異日よりも少し早いけれども、青空のもとで子どもたちに思う存分活躍させてあげたい、そして保護者の皆さんと感動を分かち合いたい。その為にいくらテルテル坊主を作っても作りすぎることはない。どうぞ当日は自分のお子様だけでなくて、集団の中でのお子さまの様子もご覧ください。そして少しでも感動で涙してもらえることがあれば、私たち教職員も報われた思いで一杯です。又10月1日は願書受付の日、是非とも私たちの仲間に加わって欲しい。物を売買するようには幼稚園選びは出来ませんが、選んでいただいて決して後悔させない教育活動を目指しています。安心して私たちにお任せいただきますよう心よりお願い申し上げます。さて、飛行機の乗ろうと待っていると機内への案内の放送と同時にすぐに長い列ができる。優先登場の案内。いろいろな会員の人たち、JALによるとマイレージ会員3000万人のうち、20万人がグローバル会員だそうだ。そして一度その資格を得ると、ほぼ永久的に様々な特典を受けることが出来る。JALの宣伝にのせられたかどうか知らないが、若い息子も俄然その取得を目指した。休みを利用して遠い所に行ったり、東京からでも沖縄からでも国際料金が同じだがマイルを稼げることを考えて、大阪 → 沖縄 → 東京 → シンガポール の往復便に乗ったりした。そのシンガポールに9月の三連休を利用して、東京から直接に行った。少し前に切符の手配をしたが、ほぼ満席、それを見越したのかどうか、エコノミーの値段が普通の時のビジネスと同じくらいの高い料金、それでも買わざるを得ない心境と、怒りはどこにも向けることが出来ない。後で知った事だが、土、日の2日間は彼の地でF1グランプリレースが開催されるために、観光客が多かった。私も何回かその関係者か?と聞かれた。たくさんの高層ビルやホテルが林立しているがビルの谷間を、一般車を閉めだして、夜その競技が行われていた。現に土曜日の夜にシンガポールの象徴、マーライオン(上がライオンで下が魚、口から噴水が出ている)の横のパームビーチという名前のレストランで名物のチリクラブと、ペパークラブの料理を食べていると、チケットを買った人だけが見ることが出来る道路を強烈なエキゾーストノイズを轟かせて、煌々とした照明の下、ヘッドライトとテールランプを点灯させながら走り抜けていった。シンガポールの入国カードの下の方に「麻薬密輸は死刑です」書かれていた。非常に違和感があった。有無言わさず死刑なのだ。日本では「死刑になることがある」と書くだろう。昨年亡くなった初代首相のリー・クアン・ユーはマレーシアからの独立を余儀なくされ、シンガポールを超一流の国にしようとして、民主政治とは異なって、ほぼ独裁的な方法で国を治め、発展させた。建国の父と呼ばれるのも不思議ではない。エリート教育を進め、優秀な人材を作り、産業、金融、教育の驚異的な成長発展を達成し、都市の美観を維持し、様々な優遇策を設けると同時に、マナー違反に対しては厳しい罰金刑を科した。ゴミの投げ捨ては勿論のこと、列車や駅での飲食はその対象であった。人口550万人のうち75%は中国系、ある意味、光の部分ばかりに脚光を浴びているが、影の部分もあるような気がする。空港から町への道路は花が咲き乱れてきれいだ。南米から持ち込まれた木々も美しい風景を作り出す大きな役割を担っている。狭いシンガポールは埋め立てで領土を広げていった。泊まったマリーナ・ベイ・サンズというホテルもそうだ。57F建ての三つのタワーの屋上に巨大なプールがあった。入ってはいないが、そこから見下ろす風景は別世界の感がある。と同時に地震のない常夏のこの国ではありだとしても、日本では許可されない建物だろう。それに私の部屋は29Fだったが、簡単にベランダに出ることが出来、そこに1m位の高さのフェンスがあるだけでその向こうは奈落の底。横のガーデンズ・バイ・ザ・ベイの公園には池があり、概して水が汚いが、その淵に木で作った小道があった。誰でも通れるのだが、池との間にフェンスがない。落ちて事故でもすると責任問題だが、それを知って行動している人の自己責任。昔の日本はそうであったが、今や批判を怖れて何でもかんでも安全策を取る日本、少々の危険を恐れずに新しいことにチャレンジしていく、テクノクラートが支配し繁栄する国シンガポール、強権政治を批判し、貧富の差を攻撃する人もいるが、アジア第一の教育水準を達成し、世界有数の金融市場を成し遂げたのも事実だ。シンガポールの今日ある姿を見ると、国の統治を一人の優秀なエリートに任せた方がいいのではないだろうか思う面もあるが、税金が安いからと言って、この国に居を移す日本人が多いのも少し残念な気がする。

マーライオン

初代首相リー・クアン・ユー

マリーナ・ベイ・サンズ

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
2016.10.01

季節がいつの間にか流れ、秋たけなわ、3月から数えて8番目を表すOctober,10月を迎えた。「光陰矢のごとし」ではないにしても、絶え間ない時の刻みが私たちを何処かに急がせているような気がする。学びの季節、食の季節、一番素敵な季節にしては今年は特に天気がすっきりしない。秋晴れを経験したのは何日あるだろうか。そしてこれからもこのような天候が続くのか。2016年秋、私たちに本当にすがすがしい秋の気配を運んできてほしい。そしてその気があるなら、私たちに自然の豊かな恵み、海の幸、山の幸を、子どもたちには大地の上で動く喜びを届けて欲しい。今、1日の運動会に向けて先生も子どもたちも獅子奮迅です。10月の特異日よりも少し早いけれども、青空のもとで子どもたちに思う存分活躍させてあげたい、そして保護者の皆さんと感動を分かち合いたい。その為にいくらテルテル坊主を作っても作りすぎることはない。どうぞ当日は自分のお子様だけでなくて、集団の中でのお子さまの様子もご覧ください。そして少しでも感動で涙してもらえることがあれば、私たち教職員も報われた思いで一杯です。又10月1日は願書受付の日、是非とも私たちの仲間に加わって欲しい。物を売買するようには幼稚園選びは出来ませんが、選んでいただいて決して後悔させない教育活動を目指しています。安心して私たちにお任せいただきますよう心よりお願い申し上げます。さて、飛行機の乗ろうと待っていると機内への案内の放送と同時にすぐに長い列ができる。優先登場の案内。いろいろな会員の人たち、JALによるとマイレージ会員3000万人のうち、20万人がグローバル会員だそうだ。そして一度その資格を得ると、ほぼ永久的に様々な特典を受けることが出来る。JALの宣伝にのせられたかどうか知らないが、若い息子も俄然その取得を目指した。休みを利用して遠い所に行ったり、東京からでも沖縄からでも国際料金が同じだがマイルを稼げることを考えて、大阪 → 沖縄 → 東京 → シンガポール の往復便に乗ったりした。そのシンガポールに9月の三連休を利用して、東京から直接に行った。少し前に切符の手配をしたが、ほぼ満席、それを見越したのかどうか、エコノミーの値段が普通の時のビジネスと同じくらいの高い料金、それでも買わざるを得ない心境と、怒りはどこにも向けることが出来ない。後で知った事だが、土、日の2日間は彼の地でF1グランプリレースが開催されるために、観光客が多かった。私も何回かその関係者か?と聞かれた。たくさんの高層ビルやホテルが林立しているがビルの谷間を、一般車を閉めだして、夜その競技が行われていた。現に土曜日の夜にシンガポールの象徴、マーライオン(上がライオンで下が魚、口から噴水が出ている)の横のパームビーチという名前のレストランで名物のチリクラブと、ペパークラブの料理を食べていると、チケットを買った人だけが見ることが出来る道路を強烈なエキゾーストノイズを轟かせて、煌々とした照明の下、ヘッドライトとテールランプを点灯させながら走り抜けていった。シンガポールの入国カードの下の方に「麻薬密輸は死刑です」書かれていた。非常に違和感があった。有無言わさず死刑なのだ。日本では「死刑になることがある」と書くだろう。昨年亡くなった初代首相のリー・クアン・ユーはマレーシアからの独立を余儀なくされ、シンガポールを超一流の国にしようとして、民主政治とは異なって、ほぼ独裁的な方法で国を治め、発展させた。建国の父と呼ばれるのも不思議ではない。エリート教育を進め、優秀な人材を作り、産業、金融、教育の驚異的な成長発展を達成し、都市の美観を維持し、様々な優遇策を設けると同時に、マナー違反に対しては厳しい罰金刑を科した。ゴミの投げ捨ては勿論のこと、列車や駅での飲食はその対象であった。人口550万人のうち75%は中国系、ある意味、光の部分ばかりに脚光を浴びているが、影の部分もあるような気がする。空港から町への道路は花が咲き乱れてきれいだ。南米から持ち込まれた木々も美しい風景を作り出す大きな役割を担っている。狭いシンガポールは埋め立てで領土を広げていった。泊まったマリーナ・ベイ・サンズというホテルもそうだ。57F建ての三つのタワーの屋上に巨大なプールがあった。入ってはいないが、そこから見下ろす風景は別世界の感がある。と同時に地震のない常夏のこの国ではありだとしても、日本では許可されない建物だろう。それに私の部屋は29Fだったが、簡単にベランダに出ることが出来、そこに1m位の高さのフェンスがあるだけでその向こうは奈落の底。横のガーデンズ・バイ・ザ・ベイの公園には池があり、概して水が汚いが、その淵に木で作った小道があった。誰でも通れるのだが、池との間にフェンスがない。落ちて事故でもすると責任問題だが、それを知って行動している人の自己責任。昔の日本はそうであったが、今や批判を怖れて何でもかんでも安全策を取る日本、少々の危険を恐れずに新しいことにチャレンジしていく、テクノクラートが支配し繁栄する国シンガポール、強権政治を批判し、貧富の差を攻撃する人もいるが、アジア第一の教育水準を達成し、世界有数の金融市場を成し遂げたのも事実だ。シンガポールの今日ある姿を見ると、国の統治を一人の優秀なエリートに任せた方がいいのではないだろうか思う面もあるが、税金が安いからと言って、この国に居を移す日本人が多いのも少し残念な気がする。

マーライオン

初代首相リー・クアン・ユー

マリーナ・ベイ・サンズ

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
ドクターと3台の携帯電話
2016.09.01
長かった夏休みも終わりを迎えました。お子様が家にいる日常はどのようだったでしょうか。近くであれ、遠くであれ、子ども達と一緒に何処かに行って、楽しい忘れがたい思い出が作れたというご家族もいれば、疲れてくたくたになったというファミリーもおられるのではと思います。小さな子供たちのいるご家族を見ると、私も何人かの小さなわが子と過ごしたあの時を思い出します。今になったら、あの時に子どもたちにあのようにしておけばよかったと思うこともありますが、子どもといる生活、子どもを育てる喜びは子どもたちが親元を離れて初めて分かる何事にも代えられないものと思います。嫌なニュースに毎日苛まされているこの頃ですが、なぜあんな残酷なことが出来るのでしょうか。日本人は子どもを親の所有物と考えているのだろうか。アメリカで合った現地に長く住んでいる日本人は「アメリカは子どもたちの権利が十分に守られている社会、一人で子どもに留守番をさせたり、強い体罰を加えると、近所の人がすぐに警察に連絡して保護者は逮捕される。まして車に子どもを置き忘れて、その子供が死んだりすると、保護者は死刑になりかねない。子どもは親の所有物ではなくて一人の独立した人格である。」と言った。又付け加えて、韓国系の社会では儒教の影響だろうか、親子のきずなが強い故に、子どもに対する厳しい指導で警察のお世話になる事が多いと言った。子どもが家にいて楽しく過ごした人も、もう限界と感じた人も、それぞれ貴重な経験をされたことと思います。子ども達はきっといい思い出を持って、幼稚園に帰ってきたと思います。二学期は運動会を始め、様々な行事があります。皆様方のご支援、お力添えを頂いて、より素晴らしいものを目指してまいります。ご期待ください。
さて、今日は8月28日、私のいる部屋からガラス越しに、夏に三か月咲く花、サルスベリ(百日紅)の赤い花が私の心を和ませている。そのサルスベリの花を至る所でたくさん見た。そこは桜で有名なワシントン、日本から送られた桜の木も多いが、今花盛りのサルスベリも無視できない。中国や東南アジア原産のサルスベリがなぜワシントンに多いか私にはわからない。ホワイトハウスの敷地にもそれが咲いていた。その時見学中の私たちにそこから離れるように警官の厳しい声、バスに戻って出発したその時、爆音とともに、どこからともなく飛んできた三機の大きな黒いヘリコプターが川の上を機首をホワイトハウスに向けて降下していった。オバマ大統領が広島に来た時にテレビを通してみたのと同じ光景、おとり、本物、予備、それぞれ役割があるのだろう。そのワシントンへはニューヨークからアムトラック(列車)で3時間、日本の新幹線なら、1時間余りでついてしまうのにという個人的な思い、しかし飛行機との競争や、資金的な問題、その他私たちにわからない問題がたくさんあるのだろう。今回初めて関空からアメリカ西海岸に飛んだ。昨年就航した関空ロスアンゼルス線、10時間の旅、日本のエンタテイメントや日本語でのたくさんのビデオや映画を見られるので、JALが好きだ。昔アメリカ・日本・フィリピン路線にノースウエスト航空(今のデルタ)が飛んでいたが、この路線には一番古い機材を使用していた。乗っていて怖い思いをしたこともあった。JALも最新の機材でなく、座席レイアウトも古いものであった。昔乗った東京・シドニー線ほどでもなかったが。アメリカに行くのにはESTAの登録が必要。今回初めてLA空港でコンピューターでの入国手続き、日本語を選んで済ませたが、それでもまだ入国審査官の手続き、だいぶ並び、待たされた。厳格な審査が必要なある国の大きな飛行機が同じ時刻に到着したためにそのあおりを食ったと思うのは考えすぎだろうか。そこから乗り換えてアメリカ大陸横断、5時間余り、最初の目的地オーランド(ORLANDO)に真夜中に到着。日本を出て実に18時間、長いことは長いが18時間でアメリカ東海岸フロリダ半島にいるのは奇跡だ。戦前、志賀直哉や武者小路実篤が活躍した時代に比べると、隔世の感だ。ここはDisney World、日本の何百倍もあるとか、次の日、見学を終えて、一人部屋で日本から持っていった梅干し、ラーメン、ビン詰のなめたけや鮭のほぐし身、それに江戸っ子煮の缶詰、を食べて少し休憩していると、体に何か違和感、持っていった血圧計で図ると、普段は120~130余りが、180を超え、少し下がっても160くらいでそれ以上は下がらない。安静にしていても一向に下がらず、その上不安を感じてきたので、午前1時頃、日本で入った旅行保険のアメリカの担当者に電話、ガイドもいない中でこの時ほど携帯電話がありがたかったことはない。医療保険も含まれていることを伝え、この近くのEmergency(救急)の病院を教えてもらう。私の場合、Dr.Philip Hospital であった。夜2時頃、付き添ってもらって病院に到着、院内に入る前に飛行場と同じ荷物検査があった。すぐにトリアージ(triage, 患者の受診優先順位を決める)に行き、その後血圧と血中酸素濃度を調べてもらううちに不安感が消えていった。ドクターが出てきてどうしたのかと聞いたが、専門用語がわからずにいると、携帯電話を渡された。私が1台、ドクターが1台、そして1000km以上離れたニューヨークの保険会社の日本人女性が1台の3台で私が日本語で症状を説明し、N.Y.の彼女はそれを英語で説明し、ドクターはそれに応えて英語で彼女に、彼女は日本語で私に、まるで日本にいるように何ら不自由を感じなかった。その後少し診察を受けたが、1時間くらいでホテルに帰った。料金は無料、タクシー代も保険会社支払であった。次の日は朝から元気で体調が戻っていた。私にとっては初めての貴重な経験であった。いつも無駄金と思って払っていたが、保険は今回本当に役立った。

JAL

ホワイトハウス

Disney World

Dr.Philip Hospital
2016.09.01
さて、今日は8月28日、私のいる部屋からガラス越しに、夏に三か月咲く花、サルスベリ(百日紅)の赤い花が私の心を和ませている。そのサルスベリの花を至る所でたくさん見た。そこは桜で有名なワシントン、日本から送られた桜の木も多いが、今花盛りのサルスベリも無視できない。中国や東南アジア原産のサルスベリがなぜワシントンに多いか私にはわからない。ホワイトハウスの敷地にもそれが咲いていた。その時見学中の私たちにそこから離れるように警官の厳しい声、バスに戻って出発したその時、爆音とともに、どこからともなく飛んできた三機の大きな黒いヘリコプターが川の上を機首をホワイトハウスに向けて降下していった。オバマ大統領が広島に来た時にテレビを通してみたのと同じ光景、おとり、本物、予備、それぞれ役割があるのだろう。そのワシントンへはニューヨークからアムトラック(列車)で3時間、日本の新幹線なら、1時間余りでついてしまうのにという個人的な思い、しかし飛行機との競争や、資金的な問題、その他私たちにわからない問題がたくさんあるのだろう。今回初めて関空からアメリカ西海岸に飛んだ。昨年就航した関空ロスアンゼルス線、10時間の旅、日本のエンタテイメントや日本語でのたくさんのビデオや映画を見られるので、JALが好きだ。昔アメリカ・日本・フィリピン路線にノースウエスト航空(今のデルタ)が飛んでいたが、この路線には一番古い機材を使用していた。乗っていて怖い思いをしたこともあった。JALも最新の機材でなく、座席レイアウトも古いものであった。昔乗った東京・シドニー線ほどでもなかったが。アメリカに行くのにはESTAの登録が必要。今回初めてLA空港でコンピューターでの入国手続き、日本語を選んで済ませたが、それでもまだ入国審査官の手続き、だいぶ並び、待たされた。厳格な審査が必要なある国の大きな飛行機が同じ時刻に到着したためにそのあおりを食ったと思うのは考えすぎだろうか。そこから乗り換えてアメリカ大陸横断、5時間余り、最初の目的地オーランド(ORLANDO)に真夜中に到着。日本を出て実に18時間、長いことは長いが18時間でアメリカ東海岸フロリダ半島にいるのは奇跡だ。戦前、志賀直哉や武者小路実篤が活躍した時代に比べると、隔世の感だ。ここはDisney World、日本の何百倍もあるとか、次の日、見学を終えて、一人部屋で日本から持っていった梅干し、ラーメン、ビン詰のなめたけや鮭のほぐし身、それに江戸っ子煮の缶詰、を食べて少し休憩していると、体に何か違和感、持っていった血圧計で図ると、普段は120~130余りが、180を超え、少し下がっても160くらいでそれ以上は下がらない。安静にしていても一向に下がらず、その上不安を感じてきたので、午前1時頃、日本で入った旅行保険のアメリカの担当者に電話、ガイドもいない中でこの時ほど携帯電話がありがたかったことはない。医療保険も含まれていることを伝え、この近くのEmergency(救急)の病院を教えてもらう。私の場合、Dr.Philip Hospital であった。夜2時頃、付き添ってもらって病院に到着、院内に入る前に飛行場と同じ荷物検査があった。すぐにトリアージ(triage, 患者の受診優先順位を決める)に行き、その後血圧と血中酸素濃度を調べてもらううちに不安感が消えていった。ドクターが出てきてどうしたのかと聞いたが、専門用語がわからずにいると、携帯電話を渡された。私が1台、ドクターが1台、そして1000km以上離れたニューヨークの保険会社の日本人女性が1台の3台で私が日本語で症状を説明し、N.Y.の彼女はそれを英語で説明し、ドクターはそれに応えて英語で彼女に、彼女は日本語で私に、まるで日本にいるように何ら不自由を感じなかった。その後少し診察を受けたが、1時間くらいでホテルに帰った。料金は無料、タクシー代も保険会社支払であった。次の日は朝から元気で体調が戻っていた。私にとっては初めての貴重な経験であった。いつも無駄金と思って払っていたが、保険は今回本当に役立った。

JAL

ホワイトハウス

Disney World

Dr.Philip Hospital
一段とたくましくなった姿を見せて下さい
2016.08.01

中国>日本>イギリス>アメリカ
私たちは得てして誤解しがちである。現在超先進国であるがゆえに歴史も古いだろうと。 企業の世界に置き換えてみれば、大企業で重厚で基幹産業であり、実力ある企業であるが故にその歴史が古いと。しかし企業は生き物、その繁栄の歴史は一般に50年だと昔は言われたので、国とは少し異なるが、冒頭の国は歴史の古い順に並べたもの。悠久の歴史を誇る主に漢民族の中国は様々な人種の人たちが作った新興国アメリカに次いで経済的実力は2位、新しい国と古い国が1位と2位を競い合うのは歴史の皮肉でもある。歴史の皮肉と言えば、欧州で今大きなうねりとなっているのが民族大移動。今から1700年あまり前に始まったそれは、明白な国境がなかった時代に、一部は自由意志であったかもしれないが、時の権力者の恣意的な行動によってなされたもの、北から南へ、北欧からイタリアやスペインへ、そしてそのうねりはついにはアフリカまで到着した。21世紀の今の欧州で潮流となり、各地で様々な問題を引き起こしているのも、現代版民族大移動。皮肉なことに今回は前回の真逆、南から北への大移動。アフリカから中東から、欧州への追い立てられるようにしての動きは政治的迫害が認められるものの、自由と豊かさを求めての命をかけての必死の移動。最近まで国境という概念がなかった中東は別にして、今の欧州はヨーロッパ共同体になっているとはいえ、まだまだ祖国という概念が強く、強烈なアイデンティティを持っている国の集まり。離脱を考えている国もあり、自由に国境を行き来できる理想主義の建前と他民族排斥運動という本音の狭間で、欧州人が持つ葛藤が深く、大きな政治的対立の源流となっている。家族、市町村、都道府県、国、人はその中で連帯を強め、安らぎを得、存在を確認し、競争が芽生え、闘争心がわき上がる。卑近な例では、家族に有名人が出ると、急に親族が増えたりする。市町村単位では学力の向上を目指しての競争が起こり、国体などでは自分の都道府県を今そこに住んでいるだけで、応援に熱くなる。オリンピックや国外試合又はノーベル賞や先端科学技術では、日頃は見向きもしない人も、日の丸を見るや否や目頭を押さえ、涙を流して応援を始める。国威発揚と言ってしまえばそれまでだが、何かしら大きなつながりを感じてしまう。危険なサインと言う人もいるが単純に喜んでいいのかもしれない。これが民族の同一性のもたらすものであり、その中では人は快適であり、仲間意識が培養され、それを邪魔するものは排斥されかねない。大きな力となるものであり、危険な力にもなり得る可能性もある。どちらにしても、自民族だけが、自国だけが豊かであり続けることは出来ないし、そんな甘い考えは許されるものでないことは歴史が証明している。アメリカの新聞に日本の事が掲載されることは少ないが、東南アジアの新聞には日本についての記事が多い。1970年、1980年代、台湾や、東南アジア、中国は日本との収入格差が顕著であり、富裕層もほとんど見られなかった。しかし今はどうだろうか。日本との収入格差はあまり見られず、中国の富裕層に至っては日本国民の半分くらいにまでなっているとか。私たちは昔のイメージを払しょくして、新しい時代に適応した考えを持つことが大事になってきた。しかし日本人であるという昔からの誇りは心の中に持ち続けることも必要である。時あたかもその象徴的存在の天皇陛下が生前退位を考えておられるとか。フィリピン、パラオという激戦地を訪問されて、一区切りと考えられたのでしょうか。歴史は確実に動いている。
一学期が終わりました。保護者の皆様も実感されていると思いますが、子ども達は肉体的、精神的に随分成長を遂げました。本当に褒めてあげて下さい。これからいよいよ長い夏休み、ただ怠惰に日々を送るのではなくて、この機会にしかできないことを一つでも、二つでもしてあげて欲しいと思います。たとえどんな小さなことでも、子どもたちの記憶の中に大きな思い出となって蓄積されていきます。そして何よりも病気になったり、怪我をしたりしないように気を付けてあげて下さい。掛け替えのない命、掛け替えのない子どもたち、私たちは暖かい気持ちと強い気持ちで彼らの成長をやさしく見守っていきましょう。夏休み明けの9月、一段とたくましくなった姿で私たちの前に帰ってくるのを楽しみにしています。しばしのお別れです。
2016.08.01

中国>日本>イギリス>アメリカ
私たちは得てして誤解しがちである。現在超先進国であるがゆえに歴史も古いだろうと。 企業の世界に置き換えてみれば、大企業で重厚で基幹産業であり、実力ある企業であるが故にその歴史が古いと。しかし企業は生き物、その繁栄の歴史は一般に50年だと昔は言われたので、国とは少し異なるが、冒頭の国は歴史の古い順に並べたもの。悠久の歴史を誇る主に漢民族の中国は様々な人種の人たちが作った新興国アメリカに次いで経済的実力は2位、新しい国と古い国が1位と2位を競い合うのは歴史の皮肉でもある。歴史の皮肉と言えば、欧州で今大きなうねりとなっているのが民族大移動。今から1700年あまり前に始まったそれは、明白な国境がなかった時代に、一部は自由意志であったかもしれないが、時の権力者の恣意的な行動によってなされたもの、北から南へ、北欧からイタリアやスペインへ、そしてそのうねりはついにはアフリカまで到着した。21世紀の今の欧州で潮流となり、各地で様々な問題を引き起こしているのも、現代版民族大移動。皮肉なことに今回は前回の真逆、南から北への大移動。アフリカから中東から、欧州への追い立てられるようにしての動きは政治的迫害が認められるものの、自由と豊かさを求めての命をかけての必死の移動。最近まで国境という概念がなかった中東は別にして、今の欧州はヨーロッパ共同体になっているとはいえ、まだまだ祖国という概念が強く、強烈なアイデンティティを持っている国の集まり。離脱を考えている国もあり、自由に国境を行き来できる理想主義の建前と他民族排斥運動という本音の狭間で、欧州人が持つ葛藤が深く、大きな政治的対立の源流となっている。家族、市町村、都道府県、国、人はその中で連帯を強め、安らぎを得、存在を確認し、競争が芽生え、闘争心がわき上がる。卑近な例では、家族に有名人が出ると、急に親族が増えたりする。市町村単位では学力の向上を目指しての競争が起こり、国体などでは自分の都道府県を今そこに住んでいるだけで、応援に熱くなる。オリンピックや国外試合又はノーベル賞や先端科学技術では、日頃は見向きもしない人も、日の丸を見るや否や目頭を押さえ、涙を流して応援を始める。国威発揚と言ってしまえばそれまでだが、何かしら大きなつながりを感じてしまう。危険なサインと言う人もいるが単純に喜んでいいのかもしれない。これが民族の同一性のもたらすものであり、その中では人は快適であり、仲間意識が培養され、それを邪魔するものは排斥されかねない。大きな力となるものであり、危険な力にもなり得る可能性もある。どちらにしても、自民族だけが、自国だけが豊かであり続けることは出来ないし、そんな甘い考えは許されるものでないことは歴史が証明している。アメリカの新聞に日本の事が掲載されることは少ないが、東南アジアの新聞には日本についての記事が多い。1970年、1980年代、台湾や、東南アジア、中国は日本との収入格差が顕著であり、富裕層もほとんど見られなかった。しかし今はどうだろうか。日本との収入格差はあまり見られず、中国の富裕層に至っては日本国民の半分くらいにまでなっているとか。私たちは昔のイメージを払しょくして、新しい時代に適応した考えを持つことが大事になってきた。しかし日本人であるという昔からの誇りは心の中に持ち続けることも必要である。時あたかもその象徴的存在の天皇陛下が生前退位を考えておられるとか。フィリピン、パラオという激戦地を訪問されて、一区切りと考えられたのでしょうか。歴史は確実に動いている。
一学期が終わりました。保護者の皆様も実感されていると思いますが、子ども達は肉体的、精神的に随分成長を遂げました。本当に褒めてあげて下さい。これからいよいよ長い夏休み、ただ怠惰に日々を送るのではなくて、この機会にしかできないことを一つでも、二つでもしてあげて欲しいと思います。たとえどんな小さなことでも、子どもたちの記憶の中に大きな思い出となって蓄積されていきます。そして何よりも病気になったり、怪我をしたりしないように気を付けてあげて下さい。掛け替えのない命、掛け替えのない子どもたち、私たちは暖かい気持ちと強い気持ちで彼らの成長をやさしく見守っていきましょう。夏休み明けの9月、一段とたくましくなった姿で私たちの前に帰ってくるのを楽しみにしています。しばしのお別れです。