ドクターと3台の携帯電話
2016.09.01
長かった夏休みも終わりを迎えました。お子様が家にいる日常はどのようだったでしょうか。近くであれ、遠くであれ、子ども達と一緒に何処かに行って、楽しい忘れがたい思い出が作れたというご家族もいれば、疲れてくたくたになったというファミリーもおられるのではと思います。小さな子供たちのいるご家族を見ると、私も何人かの小さなわが子と過ごしたあの時を思い出します。今になったら、あの時に子どもたちにあのようにしておけばよかったと思うこともありますが、子どもといる生活、子どもを育てる喜びは子どもたちが親元を離れて初めて分かる何事にも代えられないものと思います。嫌なニュースに毎日苛まされているこの頃ですが、なぜあんな残酷なことが出来るのでしょうか。日本人は子どもを親の所有物と考えているのだろうか。アメリカで合った現地に長く住んでいる日本人は「アメリカは子どもたちの権利が十分に守られている社会、一人で子どもに留守番をさせたり、強い体罰を加えると、近所の人がすぐに警察に連絡して保護者は逮捕される。まして車に子どもを置き忘れて、その子供が死んだりすると、保護者は死刑になりかねない。子どもは親の所有物ではなくて一人の独立した人格である。」と言った。又付け加えて、韓国系の社会では儒教の影響だろうか、親子のきずなが強い故に、子どもに対する厳しい指導で警察のお世話になる事が多いと言った。子どもが家にいて楽しく過ごした人も、もう限界と感じた人も、それぞれ貴重な経験をされたことと思います。子ども達はきっといい思い出を持って、幼稚園に帰ってきたと思います。二学期は運動会を始め、様々な行事があります。皆様方のご支援、お力添えを頂いて、より素晴らしいものを目指してまいります。ご期待ください。
さて、今日は8月28日、私のいる部屋からガラス越しに、夏に三か月咲く花、サルスベリ(百日紅)の赤い花が私の心を和ませている。そのサルスベリの花を至る所でたくさん見た。そこは桜で有名なワシントン、日本から送られた桜の木も多いが、今花盛りのサルスベリも無視できない。中国や東南アジア原産のサルスベリがなぜワシントンに多いか私にはわからない。ホワイトハウスの敷地にもそれが咲いていた。その時見学中の私たちにそこから離れるように警官の厳しい声、バスに戻って出発したその時、爆音とともに、どこからともなく飛んできた三機の大きな黒いヘリコプターが川の上を機首をホワイトハウスに向けて降下していった。オバマ大統領が広島に来た時にテレビを通してみたのと同じ光景、おとり、本物、予備、それぞれ役割があるのだろう。そのワシントンへはニューヨークからアムトラック(列車)で3時間、日本の新幹線なら、1時間余りでついてしまうのにという個人的な思い、しかし飛行機との競争や、資金的な問題、その他私たちにわからない問題がたくさんあるのだろう。今回初めて関空からアメリカ西海岸に飛んだ。昨年就航した関空ロスアンゼルス線、10時間の旅、日本のエンタテイメントや日本語でのたくさんのビデオや映画を見られるので、JALが好きだ。昔アメリカ・日本・フィリピン路線にノースウエスト航空(今のデルタ)が飛んでいたが、この路線には一番古い機材を使用していた。乗っていて怖い思いをしたこともあった。JALも最新の機材でなく、座席レイアウトも古いものであった。昔乗った東京・シドニー線ほどでもなかったが。アメリカに行くのにはESTAの登録が必要。今回初めてLA空港でコンピューターでの入国手続き、日本語を選んで済ませたが、それでもまだ入国審査官の手続き、だいぶ並び、待たされた。厳格な審査が必要なある国の大きな飛行機が同じ時刻に到着したためにそのあおりを食ったと思うのは考えすぎだろうか。そこから乗り換えてアメリカ大陸横断、5時間余り、最初の目的地オーランド(ORLANDO)に真夜中に到着。日本を出て実に18時間、長いことは長いが18時間でアメリカ東海岸フロリダ半島にいるのは奇跡だ。戦前、志賀直哉や武者小路実篤が活躍した時代に比べると、隔世の感だ。ここはDisney World、日本の何百倍もあるとか、次の日、見学を終えて、一人部屋で日本から持っていった梅干し、ラーメン、ビン詰のなめたけや鮭のほぐし身、それに江戸っ子煮の缶詰、を食べて少し休憩していると、体に何か違和感、持っていった血圧計で図ると、普段は120~130余りが、180を超え、少し下がっても160くらいでそれ以上は下がらない。安静にしていても一向に下がらず、その上不安を感じてきたので、午前1時頃、日本で入った旅行保険のアメリカの担当者に電話、ガイドもいない中でこの時ほど携帯電話がありがたかったことはない。医療保険も含まれていることを伝え、この近くのEmergency(救急)の病院を教えてもらう。私の場合、Dr.Philip Hospital であった。夜2時頃、付き添ってもらって病院に到着、院内に入る前に飛行場と同じ荷物検査があった。すぐにトリアージ(triage, 患者の受診優先順位を決める)に行き、その後血圧と血中酸素濃度を調べてもらううちに不安感が消えていった。ドクターが出てきてどうしたのかと聞いたが、専門用語がわからずにいると、携帯電話を渡された。私が1台、ドクターが1台、そして1000km以上離れたニューヨークの保険会社の日本人女性が1台の3台で私が日本語で症状を説明し、N.Y.の彼女はそれを英語で説明し、ドクターはそれに応えて英語で彼女に、彼女は日本語で私に、まるで日本にいるように何ら不自由を感じなかった。その後少し診察を受けたが、1時間くらいでホテルに帰った。料金は無料、タクシー代も保険会社支払であった。次の日は朝から元気で体調が戻っていた。私にとっては初めての貴重な経験であった。いつも無駄金と思って払っていたが、保険は今回本当に役立った。
JAL
ホワイトハウス
Disney World
Dr.Philip Hospital
2016.09.01
さて、今日は8月28日、私のいる部屋からガラス越しに、夏に三か月咲く花、サルスベリ(百日紅)の赤い花が私の心を和ませている。そのサルスベリの花を至る所でたくさん見た。そこは桜で有名なワシントン、日本から送られた桜の木も多いが、今花盛りのサルスベリも無視できない。中国や東南アジア原産のサルスベリがなぜワシントンに多いか私にはわからない。ホワイトハウスの敷地にもそれが咲いていた。その時見学中の私たちにそこから離れるように警官の厳しい声、バスに戻って出発したその時、爆音とともに、どこからともなく飛んできた三機の大きな黒いヘリコプターが川の上を機首をホワイトハウスに向けて降下していった。オバマ大統領が広島に来た時にテレビを通してみたのと同じ光景、おとり、本物、予備、それぞれ役割があるのだろう。そのワシントンへはニューヨークからアムトラック(列車)で3時間、日本の新幹線なら、1時間余りでついてしまうのにという個人的な思い、しかし飛行機との競争や、資金的な問題、その他私たちにわからない問題がたくさんあるのだろう。今回初めて関空からアメリカ西海岸に飛んだ。昨年就航した関空ロスアンゼルス線、10時間の旅、日本のエンタテイメントや日本語でのたくさんのビデオや映画を見られるので、JALが好きだ。昔アメリカ・日本・フィリピン路線にノースウエスト航空(今のデルタ)が飛んでいたが、この路線には一番古い機材を使用していた。乗っていて怖い思いをしたこともあった。JALも最新の機材でなく、座席レイアウトも古いものであった。昔乗った東京・シドニー線ほどでもなかったが。アメリカに行くのにはESTAの登録が必要。今回初めてLA空港でコンピューターでの入国手続き、日本語を選んで済ませたが、それでもまだ入国審査官の手続き、だいぶ並び、待たされた。厳格な審査が必要なある国の大きな飛行機が同じ時刻に到着したためにそのあおりを食ったと思うのは考えすぎだろうか。そこから乗り換えてアメリカ大陸横断、5時間余り、最初の目的地オーランド(ORLANDO)に真夜中に到着。日本を出て実に18時間、長いことは長いが18時間でアメリカ東海岸フロリダ半島にいるのは奇跡だ。戦前、志賀直哉や武者小路実篤が活躍した時代に比べると、隔世の感だ。ここはDisney World、日本の何百倍もあるとか、次の日、見学を終えて、一人部屋で日本から持っていった梅干し、ラーメン、ビン詰のなめたけや鮭のほぐし身、それに江戸っ子煮の缶詰、を食べて少し休憩していると、体に何か違和感、持っていった血圧計で図ると、普段は120~130余りが、180を超え、少し下がっても160くらいでそれ以上は下がらない。安静にしていても一向に下がらず、その上不安を感じてきたので、午前1時頃、日本で入った旅行保険のアメリカの担当者に電話、ガイドもいない中でこの時ほど携帯電話がありがたかったことはない。医療保険も含まれていることを伝え、この近くのEmergency(救急)の病院を教えてもらう。私の場合、Dr.Philip Hospital であった。夜2時頃、付き添ってもらって病院に到着、院内に入る前に飛行場と同じ荷物検査があった。すぐにトリアージ(triage, 患者の受診優先順位を決める)に行き、その後血圧と血中酸素濃度を調べてもらううちに不安感が消えていった。ドクターが出てきてどうしたのかと聞いたが、専門用語がわからずにいると、携帯電話を渡された。私が1台、ドクターが1台、そして1000km以上離れたニューヨークの保険会社の日本人女性が1台の3台で私が日本語で症状を説明し、N.Y.の彼女はそれを英語で説明し、ドクターはそれに応えて英語で彼女に、彼女は日本語で私に、まるで日本にいるように何ら不自由を感じなかった。その後少し診察を受けたが、1時間くらいでホテルに帰った。料金は無料、タクシー代も保険会社支払であった。次の日は朝から元気で体調が戻っていた。私にとっては初めての貴重な経験であった。いつも無駄金と思って払っていたが、保険は今回本当に役立った。
JAL
ホワイトハウス
Disney World
Dr.Philip Hospital
一段とたくましくなった姿を見せて下さい
2016.08.01
中国>日本>イギリス>アメリカ
私たちは得てして誤解しがちである。現在超先進国であるがゆえに歴史も古いだろうと。 企業の世界に置き換えてみれば、大企業で重厚で基幹産業であり、実力ある企業であるが故にその歴史が古いと。しかし企業は生き物、その繁栄の歴史は一般に50年だと昔は言われたので、国とは少し異なるが、冒頭の国は歴史の古い順に並べたもの。悠久の歴史を誇る主に漢民族の中国は様々な人種の人たちが作った新興国アメリカに次いで経済的実力は2位、新しい国と古い国が1位と2位を競い合うのは歴史の皮肉でもある。歴史の皮肉と言えば、欧州で今大きなうねりとなっているのが民族大移動。今から1700年あまり前に始まったそれは、明白な国境がなかった時代に、一部は自由意志であったかもしれないが、時の権力者の恣意的な行動によってなされたもの、北から南へ、北欧からイタリアやスペインへ、そしてそのうねりはついにはアフリカまで到着した。21世紀の今の欧州で潮流となり、各地で様々な問題を引き起こしているのも、現代版民族大移動。皮肉なことに今回は前回の真逆、南から北への大移動。アフリカから中東から、欧州への追い立てられるようにしての動きは政治的迫害が認められるものの、自由と豊かさを求めての命をかけての必死の移動。最近まで国境という概念がなかった中東は別にして、今の欧州はヨーロッパ共同体になっているとはいえ、まだまだ祖国という概念が強く、強烈なアイデンティティを持っている国の集まり。離脱を考えている国もあり、自由に国境を行き来できる理想主義の建前と他民族排斥運動という本音の狭間で、欧州人が持つ葛藤が深く、大きな政治的対立の源流となっている。家族、市町村、都道府県、国、人はその中で連帯を強め、安らぎを得、存在を確認し、競争が芽生え、闘争心がわき上がる。卑近な例では、家族に有名人が出ると、急に親族が増えたりする。市町村単位では学力の向上を目指しての競争が起こり、国体などでは自分の都道府県を今そこに住んでいるだけで、応援に熱くなる。オリンピックや国外試合又はノーベル賞や先端科学技術では、日頃は見向きもしない人も、日の丸を見るや否や目頭を押さえ、涙を流して応援を始める。国威発揚と言ってしまえばそれまでだが、何かしら大きなつながりを感じてしまう。危険なサインと言う人もいるが単純に喜んでいいのかもしれない。これが民族の同一性のもたらすものであり、その中では人は快適であり、仲間意識が培養され、それを邪魔するものは排斥されかねない。大きな力となるものであり、危険な力にもなり得る可能性もある。どちらにしても、自民族だけが、自国だけが豊かであり続けることは出来ないし、そんな甘い考えは許されるものでないことは歴史が証明している。アメリカの新聞に日本の事が掲載されることは少ないが、東南アジアの新聞には日本についての記事が多い。1970年、1980年代、台湾や、東南アジア、中国は日本との収入格差が顕著であり、富裕層もほとんど見られなかった。しかし今はどうだろうか。日本との収入格差はあまり見られず、中国の富裕層に至っては日本国民の半分くらいにまでなっているとか。私たちは昔のイメージを払しょくして、新しい時代に適応した考えを持つことが大事になってきた。しかし日本人であるという昔からの誇りは心の中に持ち続けることも必要である。時あたかもその象徴的存在の天皇陛下が生前退位を考えておられるとか。フィリピン、パラオという激戦地を訪問されて、一区切りと考えられたのでしょうか。歴史は確実に動いている。
一学期が終わりました。保護者の皆様も実感されていると思いますが、子ども達は肉体的、精神的に随分成長を遂げました。本当に褒めてあげて下さい。これからいよいよ長い夏休み、ただ怠惰に日々を送るのではなくて、この機会にしかできないことを一つでも、二つでもしてあげて欲しいと思います。たとえどんな小さなことでも、子どもたちの記憶の中に大きな思い出となって蓄積されていきます。そして何よりも病気になったり、怪我をしたりしないように気を付けてあげて下さい。掛け替えのない命、掛け替えのない子どもたち、私たちは暖かい気持ちと強い気持ちで彼らの成長をやさしく見守っていきましょう。夏休み明けの9月、一段とたくましくなった姿で私たちの前に帰ってくるのを楽しみにしています。しばしのお別れです。
2016.08.01
中国>日本>イギリス>アメリカ
私たちは得てして誤解しがちである。現在超先進国であるがゆえに歴史も古いだろうと。 企業の世界に置き換えてみれば、大企業で重厚で基幹産業であり、実力ある企業であるが故にその歴史が古いと。しかし企業は生き物、その繁栄の歴史は一般に50年だと昔は言われたので、国とは少し異なるが、冒頭の国は歴史の古い順に並べたもの。悠久の歴史を誇る主に漢民族の中国は様々な人種の人たちが作った新興国アメリカに次いで経済的実力は2位、新しい国と古い国が1位と2位を競い合うのは歴史の皮肉でもある。歴史の皮肉と言えば、欧州で今大きなうねりとなっているのが民族大移動。今から1700年あまり前に始まったそれは、明白な国境がなかった時代に、一部は自由意志であったかもしれないが、時の権力者の恣意的な行動によってなされたもの、北から南へ、北欧からイタリアやスペインへ、そしてそのうねりはついにはアフリカまで到着した。21世紀の今の欧州で潮流となり、各地で様々な問題を引き起こしているのも、現代版民族大移動。皮肉なことに今回は前回の真逆、南から北への大移動。アフリカから中東から、欧州への追い立てられるようにしての動きは政治的迫害が認められるものの、自由と豊かさを求めての命をかけての必死の移動。最近まで国境という概念がなかった中東は別にして、今の欧州はヨーロッパ共同体になっているとはいえ、まだまだ祖国という概念が強く、強烈なアイデンティティを持っている国の集まり。離脱を考えている国もあり、自由に国境を行き来できる理想主義の建前と他民族排斥運動という本音の狭間で、欧州人が持つ葛藤が深く、大きな政治的対立の源流となっている。家族、市町村、都道府県、国、人はその中で連帯を強め、安らぎを得、存在を確認し、競争が芽生え、闘争心がわき上がる。卑近な例では、家族に有名人が出ると、急に親族が増えたりする。市町村単位では学力の向上を目指しての競争が起こり、国体などでは自分の都道府県を今そこに住んでいるだけで、応援に熱くなる。オリンピックや国外試合又はノーベル賞や先端科学技術では、日頃は見向きもしない人も、日の丸を見るや否や目頭を押さえ、涙を流して応援を始める。国威発揚と言ってしまえばそれまでだが、何かしら大きなつながりを感じてしまう。危険なサインと言う人もいるが単純に喜んでいいのかもしれない。これが民族の同一性のもたらすものであり、その中では人は快適であり、仲間意識が培養され、それを邪魔するものは排斥されかねない。大きな力となるものであり、危険な力にもなり得る可能性もある。どちらにしても、自民族だけが、自国だけが豊かであり続けることは出来ないし、そんな甘い考えは許されるものでないことは歴史が証明している。アメリカの新聞に日本の事が掲載されることは少ないが、東南アジアの新聞には日本についての記事が多い。1970年、1980年代、台湾や、東南アジア、中国は日本との収入格差が顕著であり、富裕層もほとんど見られなかった。しかし今はどうだろうか。日本との収入格差はあまり見られず、中国の富裕層に至っては日本国民の半分くらいにまでなっているとか。私たちは昔のイメージを払しょくして、新しい時代に適応した考えを持つことが大事になってきた。しかし日本人であるという昔からの誇りは心の中に持ち続けることも必要である。時あたかもその象徴的存在の天皇陛下が生前退位を考えておられるとか。フィリピン、パラオという激戦地を訪問されて、一区切りと考えられたのでしょうか。歴史は確実に動いている。
一学期が終わりました。保護者の皆様も実感されていると思いますが、子ども達は肉体的、精神的に随分成長を遂げました。本当に褒めてあげて下さい。これからいよいよ長い夏休み、ただ怠惰に日々を送るのではなくて、この機会にしかできないことを一つでも、二つでもしてあげて欲しいと思います。たとえどんな小さなことでも、子どもたちの記憶の中に大きな思い出となって蓄積されていきます。そして何よりも病気になったり、怪我をしたりしないように気を付けてあげて下さい。掛け替えのない命、掛け替えのない子どもたち、私たちは暖かい気持ちと強い気持ちで彼らの成長をやさしく見守っていきましょう。夏休み明けの9月、一段とたくましくなった姿で私たちの前に帰ってくるのを楽しみにしています。しばしのお別れです。
イギリスが向かう道と日本
2016.07.01
大きなニュースが次から次へ生まれる、というか作り出されている。先月のオバマ大統領の広島訪問とその地での感動的なスピーチ、そして51.9%、1741万人、イギリスの国民投票(Brexit referendum)の結果であった。人口6000万人余り、有権者4660万人、投票率72%(3356万人)以上の中で過半数の人が離脱(leave)を選んだ。なぜ離脱なのか。日本が国際連盟を抜けた時に使った脱退でないのかわからない。とにかく喧々諤々、甲論乙駁の争いは終わった。キャメロン首相はその結果を踏まえて、官邸前ですぐに辞任のスピーチを行った。どうしてこうもオバマ大統領といい、キャメロン首相といい、ゴーストライターがいるとはいえ、スピーチがうまいのだろうか。「これから何週間か何か月、船を安定させるために首相として出来る限りのことをしよう。しかし船を次の目的地に向かわせるのに私はふさわしくない」 I will do everything I can as Prime Minister to steady the ship over the coming weeks and months but I do not think it would be right for me to try to be the captain that steers our country to its next destination.又 スコットランド離脱の国民投票ではこんなことも言った。If you don’t like me, I won’t be here forever. If you don’t like this government, it won’t last forever. But if you leave the UK, that will be forever.(私を嫌いでも、私は永遠にいるわけでない。この政府を嫌いでも、永遠に続くわけでない。しかし今イギリスを離脱すれば、それは永遠の別れになるだろう) 幼稚園の毎日の職員朝礼で、国民投票の結果が分かる日の朝、イギリスは絶対E.U.を離脱しないだろう。と言い切った。昼過ぎにはものの見事に裏切られた。よくよく考えてみれば、当然の帰結であったかもしれない。七つの海を支配する大英帝国、世界中から冨が集まり、戦前の日本はいくらもがいてもその足元にも近づけなかった。その国がイギリス病と揶揄されるほどストライキやサボタージュの国になり、権利意識やプライドだけの高慢な国になった。サッチャー首相によって目を覚まされたイギリスは驚異的な成長発達を遂げたが、今のイギリスはどうだろうか。ロンドンで買い物をしても、純粋なイギリス人の従業員に出くわすことはほとんどない。ヒースロー空港、水道事業を始め、公共施設から大手百貨店、自動車産業等に至るまで、多くの企業はイギリス以外の企業によって支配されている。原子力発電までもが中国の資本によって運営されるとか。ナチスがロンドンをV2ロケットで攻めた時もロンドン市民は耐えることが出来た。すぐに降伏したフランスとはアイデンティティの高さが違う。そんな弱い仏や一強の独の言いなりになるのはむかつくところもあるのだろう。イギリスを日本に置き換えてみたらどうだろうか。S社は台湾資本の軍門に落ちた。韓国や中国の経営者にとって代わられている企業は少なからず見られるが、大企業ではほとんど例がない。株主構成までは分からないが。もし日本の有力産業や公共施設が殆ど外国人の手におちたら、日本は果たして「もっとたくさんの企業を経営してください」と懇願するのだろうか。日本人はプライドの高い民族、今は国論が割れて、どこの国の政治家と思えるような発言をしている人も、きっと目を覚ますかもしれない。ほとんどすべての新聞は離脱に対して批判的な記事を書いていた。経済的に不況が来て、リセッションになればだれでも困る。しかし当事国の半部以上の人が選んだ道、第三者が批判するのはおこがましい気がする。昔行ったイギリスの湖水地方、そしてピーターラビットの世界、本当に美しいイギリスの原風景だと思った。そして至る所にnational trust の文字、環境保護にも一歩先んじていた。英国出身の作家、C.W.ニコルさんは読売新聞に「為替や株価への影響を気にする日本人も多いが経済的な観点だけで考えないでほしい。英国は近年自然保護に力を入れ、環境、教育などで日英が交流できる場面が多い。両国の友好が続いてほしい。」歴史は経済のみによって動くものではない。そこに住む人の営みが歴史を変え、歴史を作り出していく。それにしてもキャメロン首相の国民投票はゴールに向かっては失敗したが、さすがイギリスのdemocracyの真髄を見た気がした。今までの意見はあくまで私の個人的な感想を述べたもの。私には若者のような輝かしい未来があるわけでない。イギリスには残された時間が短い高齢者によって決められたという不満もある。しかし老若男女が住み着いて構成する社会が国であり、その意見は種々雑多である。幼稚園児たちが大人になる頃にはもっとグローバリゼーションが進み、日本も多国籍者であふれているかもしれない。しかしそれはそれでその時の住民が選んだ道、第三者がとかく批判すべきでない。逆に大統領候補のトランプ氏が主張しているようにモンロー主義、孤立主義の道を選んでいるかもしれない。批判は謙虚に受け止め、決まったことは尊重されねばならない。園児の皆さんが将来幸せに人生を送れることを夢見て、今月号を終わりにします。
2016.07.01
大きなニュースが次から次へ生まれる、というか作り出されている。先月のオバマ大統領の広島訪問とその地での感動的なスピーチ、そして51.9%、1741万人、イギリスの国民投票(Brexit referendum)の結果であった。人口6000万人余り、有権者4660万人、投票率72%(3356万人)以上の中で過半数の人が離脱(leave)を選んだ。なぜ離脱なのか。日本が国際連盟を抜けた時に使った脱退でないのかわからない。とにかく喧々諤々、甲論乙駁の争いは終わった。キャメロン首相はその結果を踏まえて、官邸前ですぐに辞任のスピーチを行った。どうしてこうもオバマ大統領といい、キャメロン首相といい、ゴーストライターがいるとはいえ、スピーチがうまいのだろうか。「これから何週間か何か月、船を安定させるために首相として出来る限りのことをしよう。しかし船を次の目的地に向かわせるのに私はふさわしくない」 I will do everything I can as Prime Minister to steady the ship over the coming weeks and months but I do not think it would be right for me to try to be the captain that steers our country to its next destination.又 スコットランド離脱の国民投票ではこんなことも言った。If you don’t like me, I won’t be here forever. If you don’t like this government, it won’t last forever. But if you leave the UK, that will be forever.(私を嫌いでも、私は永遠にいるわけでない。この政府を嫌いでも、永遠に続くわけでない。しかし今イギリスを離脱すれば、それは永遠の別れになるだろう) 幼稚園の毎日の職員朝礼で、国民投票の結果が分かる日の朝、イギリスは絶対E.U.を離脱しないだろう。と言い切った。昼過ぎにはものの見事に裏切られた。よくよく考えてみれば、当然の帰結であったかもしれない。七つの海を支配する大英帝国、世界中から冨が集まり、戦前の日本はいくらもがいてもその足元にも近づけなかった。その国がイギリス病と揶揄されるほどストライキやサボタージュの国になり、権利意識やプライドだけの高慢な国になった。サッチャー首相によって目を覚まされたイギリスは驚異的な成長発達を遂げたが、今のイギリスはどうだろうか。ロンドンで買い物をしても、純粋なイギリス人の従業員に出くわすことはほとんどない。ヒースロー空港、水道事業を始め、公共施設から大手百貨店、自動車産業等に至るまで、多くの企業はイギリス以外の企業によって支配されている。原子力発電までもが中国の資本によって運営されるとか。ナチスがロンドンをV2ロケットで攻めた時もロンドン市民は耐えることが出来た。すぐに降伏したフランスとはアイデンティティの高さが違う。そんな弱い仏や一強の独の言いなりになるのはむかつくところもあるのだろう。イギリスを日本に置き換えてみたらどうだろうか。S社は台湾資本の軍門に落ちた。韓国や中国の経営者にとって代わられている企業は少なからず見られるが、大企業ではほとんど例がない。株主構成までは分からないが。もし日本の有力産業や公共施設が殆ど外国人の手におちたら、日本は果たして「もっとたくさんの企業を経営してください」と懇願するのだろうか。日本人はプライドの高い民族、今は国論が割れて、どこの国の政治家と思えるような発言をしている人も、きっと目を覚ますかもしれない。ほとんどすべての新聞は離脱に対して批判的な記事を書いていた。経済的に不況が来て、リセッションになればだれでも困る。しかし当事国の半部以上の人が選んだ道、第三者が批判するのはおこがましい気がする。昔行ったイギリスの湖水地方、そしてピーターラビットの世界、本当に美しいイギリスの原風景だと思った。そして至る所にnational trust の文字、環境保護にも一歩先んじていた。英国出身の作家、C.W.ニコルさんは読売新聞に「為替や株価への影響を気にする日本人も多いが経済的な観点だけで考えないでほしい。英国は近年自然保護に力を入れ、環境、教育などで日英が交流できる場面が多い。両国の友好が続いてほしい。」歴史は経済のみによって動くものではない。そこに住む人の営みが歴史を変え、歴史を作り出していく。それにしてもキャメロン首相の国民投票はゴールに向かっては失敗したが、さすがイギリスのdemocracyの真髄を見た気がした。今までの意見はあくまで私の個人的な感想を述べたもの。私には若者のような輝かしい未来があるわけでない。イギリスには残された時間が短い高齢者によって決められたという不満もある。しかし老若男女が住み着いて構成する社会が国であり、その意見は種々雑多である。幼稚園児たちが大人になる頃にはもっとグローバリゼーションが進み、日本も多国籍者であふれているかもしれない。しかしそれはそれでその時の住民が選んだ道、第三者がとかく批判すべきでない。逆に大統領候補のトランプ氏が主張しているようにモンロー主義、孤立主義の道を選んでいるかもしれない。批判は謙虚に受け止め、決まったことは尊重されねばならない。園児の皆さんが将来幸せに人生を送れることを夢見て、今月号を終わりにします。