50年前と50年後
2017.01.01

新年明けましておめでとうございます。 新しい年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう心よりご祈念申し上げます。
さて、私たちは気の遠くなるような過去から現在に至り、悠久の未来に流れ去っていく。その時間の連続性の瞬間に生かされている。その中で喜怒哀楽を感じ、小さな出来事に無上の喜びやこの上ない悲しみを感じながら運命に身を委ねている。いや私は自分自身の力で自分の道を切り開いているのだから、運命に身を委ねるという言葉は当たらない、と考える人もいるが、所詮、蝸牛角上の争いに過ぎない。そうは言っても、人の平均寿命は80年、その中で過去を慈しみ、現在を享受し、未来に希望を託したい思いは誰もが持つ願い。誠に個人的なことながら今から50年前を思い出し、これからの50年後の予想をしてみるのも満更悪くないかもしれない。それが個人の目を通した偏見と浅はかな知識に基づいた根拠のない意見であっても。
50年前は1967年(昭和42年)、私は大学4年生であった。毎日美木多村(7年前まではそうであったが、このときはすでに堺市と合併していた。臨海工業地帯を作るために美木多村から大量の土を海に運び、その跡に泉北ニュータウンを作るためであった。当時大阪府企業局は花形であった。)を出発して鳳駅まで7kmの道を自転車かバスで往復し、阪和線で天王寺に行った。私にとって町の中心であった鳳はこの頃より少し勢いが弱まっていった。難波に行くときは羽衣に行ってそこから南海本線に乗った。浜寺、諏訪森はお金持ちの住む大邸宅が沢山あったが、まだまだ至る所に畑が点在し、畑に水をくみ上げる風車が回っていた。今考えると信じられない風景であった。しかしそこに住んでいる人々の中には今ほど規制のない工業地帯から押し寄せる公害に憤りを感じて去って行く人もいた。高度成長期であり、少し前の中国と同じように健康と関連した公害問題に真剣に向き合うことはなかった。
50年後、2067年(平成79年)、堺はどうなっているのであろう。先日、お葬式に行ったときに「火葬場がいっぱいで2、3日待たされた」と言っていた。生まれる人より亡くなる人が遙かに多い。50年後には、今の20歳代後半の人が寿命を迎える。その時もまだまだ人口が減り続けているだろう。泉北ニュータウンは今でも超高齢社会になっているのに加え、人口減に歯止めがかからず至る所が虫食い状態になって家々が存在しているであろう。あるいは、日本に移住してきた人々が大きなソサエティを作っているかもしれない。昔の単一民族が特徴だった日本人はその面影をすっかりなくしているであろう。細い道、曲がりくねった道の多い鳳や諏訪森は逆に都市計画が進み、スッキリした街並になっているかもしれない。道路が整備され、採算の合わない鉄道は廃止されているかもしれない。車も全てが自動運転に変わり、電気自動車だけになるだろう。その中で、大容量のバッテリーを積んでいることや、大きなトルクのモーターを備えているなどが話題になるだろう。
教育の世界はどうだろうか。50年前、大学進学率は10%以下であった。今では大学に行かない人を探すのが難しいくらいだ。50年後、いま不足している保育園は定員が充足することはなく、24時間保育や病児保育も当たり前になっているだろう。幼稚園もその制度が残ればの話だが、多くは認定こども園に変わり、保育所機能を備えた施設となっているが、一部は幼稚園の矜恃を保ったまま独自の教育理念をもって幼稚園として生き残っているだろう。公立の小学校や中学校は廃校や統合がすすみ、建前ではなく本音の教育方針が徐々に示されているだろう。公私を含め、高校は取捨選択され、生き残り競争に突入している。大学は今の数多くのエセ留学生が減少し、経営が厳しくなり今ある大学の半分以上が淘汰されているかもしれない。そして受験生も自分の資格・能力を磨くことに努力し、高度な専門学校が伸びるだろう。また、超高速旅客機の出現により、一週間ごとに講義を受ける国や言語を変えることが出来、国境を超えた単位の取得が可能になっている。バイリンガル以上の言語を話す人が活躍し、言葉が不得手な人も一瞬のうちに自動翻訳機で意思の疎通ができるようになっている。現金やカードを持ち歩くことがなくなり、その人の指や目で認証されている。また、宇宙から地球を眺める宇宙旅行がツアーの目玉となり、地球一周が短時間となっていく。その一方で地球温暖化が加速され、生物の淘汰が進み、私たちが住みにくい地球になっているかもしれない。まだまだ50年先、これからの私たちの努力で良いようにも悪いようにも舵を切ることができる。時間のあまり残されていない私たちにとっては「こんな地球に誰がした」と非難されることのないように、美しい地球を作り出していく使命をもっともっと自覚していきたい。同時に仕事を発展・拡大させていくことも大事だが、過去から守り続けられたことをしっかり受け止め、守り通して次世代に引き継ぐことの重要性はどう誇張してもし過ぎることはない。そんな重要なことを担う賢い人は市井の中に紛れ込んで、誰に気づかれることもなく淡々と自分の仕事をこなしている。
2017.01.01

新年明けましておめでとうございます。 新しい年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう心よりご祈念申し上げます。
さて、私たちは気の遠くなるような過去から現在に至り、悠久の未来に流れ去っていく。その時間の連続性の瞬間に生かされている。その中で喜怒哀楽を感じ、小さな出来事に無上の喜びやこの上ない悲しみを感じながら運命に身を委ねている。いや私は自分自身の力で自分の道を切り開いているのだから、運命に身を委ねるという言葉は当たらない、と考える人もいるが、所詮、蝸牛角上の争いに過ぎない。そうは言っても、人の平均寿命は80年、その中で過去を慈しみ、現在を享受し、未来に希望を託したい思いは誰もが持つ願い。誠に個人的なことながら今から50年前を思い出し、これからの50年後の予想をしてみるのも満更悪くないかもしれない。それが個人の目を通した偏見と浅はかな知識に基づいた根拠のない意見であっても。
50年前は1967年(昭和42年)、私は大学4年生であった。毎日美木多村(7年前まではそうであったが、このときはすでに堺市と合併していた。臨海工業地帯を作るために美木多村から大量の土を海に運び、その跡に泉北ニュータウンを作るためであった。当時大阪府企業局は花形であった。)を出発して鳳駅まで7kmの道を自転車かバスで往復し、阪和線で天王寺に行った。私にとって町の中心であった鳳はこの頃より少し勢いが弱まっていった。難波に行くときは羽衣に行ってそこから南海本線に乗った。浜寺、諏訪森はお金持ちの住む大邸宅が沢山あったが、まだまだ至る所に畑が点在し、畑に水をくみ上げる風車が回っていた。今考えると信じられない風景であった。しかしそこに住んでいる人々の中には今ほど規制のない工業地帯から押し寄せる公害に憤りを感じて去って行く人もいた。高度成長期であり、少し前の中国と同じように健康と関連した公害問題に真剣に向き合うことはなかった。
50年後、2067年(平成79年)、堺はどうなっているのであろう。先日、お葬式に行ったときに「火葬場がいっぱいで2、3日待たされた」と言っていた。生まれる人より亡くなる人が遙かに多い。50年後には、今の20歳代後半の人が寿命を迎える。その時もまだまだ人口が減り続けているだろう。泉北ニュータウンは今でも超高齢社会になっているのに加え、人口減に歯止めがかからず至る所が虫食い状態になって家々が存在しているであろう。あるいは、日本に移住してきた人々が大きなソサエティを作っているかもしれない。昔の単一民族が特徴だった日本人はその面影をすっかりなくしているであろう。細い道、曲がりくねった道の多い鳳や諏訪森は逆に都市計画が進み、スッキリした街並になっているかもしれない。道路が整備され、採算の合わない鉄道は廃止されているかもしれない。車も全てが自動運転に変わり、電気自動車だけになるだろう。その中で、大容量のバッテリーを積んでいることや、大きなトルクのモーターを備えているなどが話題になるだろう。
教育の世界はどうだろうか。50年前、大学進学率は10%以下であった。今では大学に行かない人を探すのが難しいくらいだ。50年後、いま不足している保育園は定員が充足することはなく、24時間保育や病児保育も当たり前になっているだろう。幼稚園もその制度が残ればの話だが、多くは認定こども園に変わり、保育所機能を備えた施設となっているが、一部は幼稚園の矜恃を保ったまま独自の教育理念をもって幼稚園として生き残っているだろう。公立の小学校や中学校は廃校や統合がすすみ、建前ではなく本音の教育方針が徐々に示されているだろう。公私を含め、高校は取捨選択され、生き残り競争に突入している。大学は今の数多くのエセ留学生が減少し、経営が厳しくなり今ある大学の半分以上が淘汰されているかもしれない。そして受験生も自分の資格・能力を磨くことに努力し、高度な専門学校が伸びるだろう。また、超高速旅客機の出現により、一週間ごとに講義を受ける国や言語を変えることが出来、国境を超えた単位の取得が可能になっている。バイリンガル以上の言語を話す人が活躍し、言葉が不得手な人も一瞬のうちに自動翻訳機で意思の疎通ができるようになっている。現金やカードを持ち歩くことがなくなり、その人の指や目で認証されている。また、宇宙から地球を眺める宇宙旅行がツアーの目玉となり、地球一周が短時間となっていく。その一方で地球温暖化が加速され、生物の淘汰が進み、私たちが住みにくい地球になっているかもしれない。まだまだ50年先、これからの私たちの努力で良いようにも悪いようにも舵を切ることができる。時間のあまり残されていない私たちにとっては「こんな地球に誰がした」と非難されることのないように、美しい地球を作り出していく使命をもっともっと自覚していきたい。同時に仕事を発展・拡大させていくことも大事だが、過去から守り続けられたことをしっかり受け止め、守り通して次世代に引き継ぐことの重要性はどう誇張してもし過ぎることはない。そんな重要なことを担う賢い人は市井の中に紛れ込んで、誰に気づかれることもなく淡々と自分の仕事をこなしている。
未来への第一歩
2016.12.01

一年の最終章、師走、12月、10番目の月、December. 私の周りでは人がどんどん鬼籍に入っていく。反対にこの世に生を受けて祝福される人も多い。しかし前者に比べると、その勢いには陰りがある。人はこの世を瞬間に通り抜ける旅人、与えられたわずかな時間に喜怒哀楽を感じ、刹那の幸福を与えられ、荒涼たる寂寞の荒れ地に急ぎ足で追いやられる。一日の黄昏が人生の黄昏に繋がり、真っ暗な闇の中に溶け込んでいく。人はその悲しみを頭で理解していたとしても、あえてその現実から目をそらし、刹那の楽しみ、快楽に身を委ねようとする。人間よりも長く生存する生き物が存在する。しかし今の倍の寿命が人に与えられるとしたら、人は今の倍の幸せを得るだろうか。かえって不幸がそれ以上に生まれないだろうか。限られた時間を知っているが故に人は青春をし、恋をし、仕事をし、愛を受け継ぎ、愛を伝えていくのではないだろうか。昔、がんの告知はされなかった、というより患者に与えるダメージが大きかった。しかし今は告知をしなければ医者は訴えられるという訴訟リスクを伴うので、必ず癌ですと告げる。たとえそれがステージ4の最終段階であっても。そして残されたわずかな人生を意味あるものにしてほしいと願って。それ以上に医学の進歩によって癌は不治の病でなくて、治るかもしれない病気の範疇に入り、人の三分の一が罹患して死ぬこの病気を患者も昔ほどの悲壮感を持って考えなくなったせいかもしれない。私は出来ないが、人によっては人生の終末を何歳かに設定し、人生のそれぞれの区切りで、何をすべきかを計画的に行っている人もいる。しかしながら大多数の人は自分の人生の終末を大きなものの手に任せているし、その日がもっともっと遠い未来のある日と思って今の今を生きている。高齢者でも考えが同じだろう。年の終わりになり、寒さが厳しくなってくると、心が閉鎖的になり、楽観的な思考から悲観的なものに変わってくる。ある意味私の精神がその年齢の領域に達していない未熟なせいであるかもしれない。今年は申年、私の何回目かの年であった。良いことも沢山あったかもしれないし、又そうでない事も一杯あったはずだ。それも時の流れと共に良いことも悪いことも過ぎ去ってしまった。今年平成28年、2016年も今月でいよいよ終わり、No news is good news. 「便りの無いのは良い便り」、熊本県で大きな地震があったが、それ以外の天変地異をひっくり返すような大事件はなかった比較的平穏な一年であった。もっとも個人にとっては大きな出来事があった人もいるかもしれない。目を外国に向けるとアメリカのトランプ氏が次期大統領に選ばれた事で、大きな衝撃が走り、いまだその事実を受け入れることが出来ない人がデモをし、反対運動を行っている。アメリカは一番の民主的な国家を標榜している。その国がルールにのっとって選んだ人だからと思うのに、自分の意に沿わない人が選ばれたことにまだ異を唱える人やメディアが多い。不思議な民主主義の理解力であるかもしれない。さて、来年、美木多幼稚園は40歳の、鳳幼稚園は5歳の、そして諏訪森幼稚園は87歳の誕生日を迎えます。それを記念して、3月1日、堺市西区鳳の西区役所に隣接の堺市立西文化会館ウエスティの大ホールで三園合同の年長さんの音楽発表会を開きます。それぞれの幼稚園で行ったクラス単位の発表会や三園合同の合唱などを考えています。詳しい内容に関しては現在、計画を詰めている状態です。三園の年長さんは300名弱、観客席は700席、当日は譲り合って見て頂くことになるかもわかりませんが、小学生になる前の子どもたちの生長ぶりを応援して頂ければ幸甚に思います。そしてこのことがそれぞれの幼稚園の未来への第一歩になればうれしい限りです。これからも変わってはいけないものを残しながら、変える勇気をもって意欲的に幼稚園教育を進めてまいります。今年一年間賜りましたご支援、お力添え大変ありがとうございました。来る平成29年、2017年が皆様方の上に幸福と健康の女神が宿りますように心より望みながら平成28年最後の文章といたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。
2016.12.01

一年の最終章、師走、12月、10番目の月、December. 私の周りでは人がどんどん鬼籍に入っていく。反対にこの世に生を受けて祝福される人も多い。しかし前者に比べると、その勢いには陰りがある。人はこの世を瞬間に通り抜ける旅人、与えられたわずかな時間に喜怒哀楽を感じ、刹那の幸福を与えられ、荒涼たる寂寞の荒れ地に急ぎ足で追いやられる。一日の黄昏が人生の黄昏に繋がり、真っ暗な闇の中に溶け込んでいく。人はその悲しみを頭で理解していたとしても、あえてその現実から目をそらし、刹那の楽しみ、快楽に身を委ねようとする。人間よりも長く生存する生き物が存在する。しかし今の倍の寿命が人に与えられるとしたら、人は今の倍の幸せを得るだろうか。かえって不幸がそれ以上に生まれないだろうか。限られた時間を知っているが故に人は青春をし、恋をし、仕事をし、愛を受け継ぎ、愛を伝えていくのではないだろうか。昔、がんの告知はされなかった、というより患者に与えるダメージが大きかった。しかし今は告知をしなければ医者は訴えられるという訴訟リスクを伴うので、必ず癌ですと告げる。たとえそれがステージ4の最終段階であっても。そして残されたわずかな人生を意味あるものにしてほしいと願って。それ以上に医学の進歩によって癌は不治の病でなくて、治るかもしれない病気の範疇に入り、人の三分の一が罹患して死ぬこの病気を患者も昔ほどの悲壮感を持って考えなくなったせいかもしれない。私は出来ないが、人によっては人生の終末を何歳かに設定し、人生のそれぞれの区切りで、何をすべきかを計画的に行っている人もいる。しかしながら大多数の人は自分の人生の終末を大きなものの手に任せているし、その日がもっともっと遠い未来のある日と思って今の今を生きている。高齢者でも考えが同じだろう。年の終わりになり、寒さが厳しくなってくると、心が閉鎖的になり、楽観的な思考から悲観的なものに変わってくる。ある意味私の精神がその年齢の領域に達していない未熟なせいであるかもしれない。今年は申年、私の何回目かの年であった。良いことも沢山あったかもしれないし、又そうでない事も一杯あったはずだ。それも時の流れと共に良いことも悪いことも過ぎ去ってしまった。今年平成28年、2016年も今月でいよいよ終わり、No news is good news. 「便りの無いのは良い便り」、熊本県で大きな地震があったが、それ以外の天変地異をひっくり返すような大事件はなかった比較的平穏な一年であった。もっとも個人にとっては大きな出来事があった人もいるかもしれない。目を外国に向けるとアメリカのトランプ氏が次期大統領に選ばれた事で、大きな衝撃が走り、いまだその事実を受け入れることが出来ない人がデモをし、反対運動を行っている。アメリカは一番の民主的な国家を標榜している。その国がルールにのっとって選んだ人だからと思うのに、自分の意に沿わない人が選ばれたことにまだ異を唱える人やメディアが多い。不思議な民主主義の理解力であるかもしれない。さて、来年、美木多幼稚園は40歳の、鳳幼稚園は5歳の、そして諏訪森幼稚園は87歳の誕生日を迎えます。それを記念して、3月1日、堺市西区鳳の西区役所に隣接の堺市立西文化会館ウエスティの大ホールで三園合同の年長さんの音楽発表会を開きます。それぞれの幼稚園で行ったクラス単位の発表会や三園合同の合唱などを考えています。詳しい内容に関しては現在、計画を詰めている状態です。三園の年長さんは300名弱、観客席は700席、当日は譲り合って見て頂くことになるかもわかりませんが、小学生になる前の子どもたちの生長ぶりを応援して頂ければ幸甚に思います。そしてこのことがそれぞれの幼稚園の未来への第一歩になればうれしい限りです。これからも変わってはいけないものを残しながら、変える勇気をもって意欲的に幼稚園教育を進めてまいります。今年一年間賜りましたご支援、お力添え大変ありがとうございました。来る平成29年、2017年が皆様方の上に幸福と健康の女神が宿りますように心より望みながら平成28年最後の文章といたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。
伝統工芸の苦悩
2016.11.01

夏が去って秋を飛び越えて冬、そうかと思えば、急に夏に舞い戻る、そんな季節が特徴の今年の日本の秋、いよいよ最終章の11月を迎えました。奥ゆかしい表現の霜月、と比較して、November, 9番目の月の表記、季節のはっきりしない外国では数字での表現の方が合理的で、生活の理にかなったものであった。さて、先月の運動会、どのような感想をお持ちだったでしょうか。いろいろ批判的なご意見もあったかもしれませんが、私個人的には、我田引水ですが、子どもたちの大きな生長が見られた立派な運動会だったと思います。頼りなさそうな年少組さん、ちょっと大きくなってお兄ちゃん、お姉ちゃんぶりを発揮しようとしている年中組さん、そして最上級学年の根性と意地を見せて精一杯頑張った年長組さん、どの学年も素敵でした。先生もこの日の為に紫外線とか、肌が傷むとか、そんなことを忘れて、走り回って指導に当たりました。それに立派に答えた子供たちの姿は本当に何物にも代えがたい美しさでした。心から取り組んでいる、やらされているのではなくて、自ら進んで体で表現していた貴重な輝きでした。年長さんの組体は見られてどうでしたか。予行ではうまくいったのに本番では失敗して悔しがっている先生もいました。うちの子は土台ばっかりと言っているお母さんもいました。しかしみんな力を合わせて完成したその姿、形、音楽の素晴らしい効果、誰の目にも涙を誘う要素が揃っていました。私も何回流れ落ちる涙を人に知られずに拭いたかわかりません。子どもたちの頑張り、先生たちのたゆまない努力、そして体操の先生の指導力、感性に訴え、共鳴をもたらした音楽、全てが相まって大きな成果を生み出したのです。運動会は昨年まで保護者の皆様から高い評価を頂いていました。それが今年は駄目だったと言われたくない、先生の頑張りは必死でした。それが過去から受け継いできた一つの大切な伝統だと信じています。
さて、毎年の事ですが、今年は石川県金沢市で第32回全日本私立幼稚園連合会設置者・園長全国研修大会が600人の出席者の下で開催されました。文部科学省から幼児教育課長と私学助成課長の二人が出席されて「全ての子どもに質の高い幼児教育を」について問題を提起され、その財政的裏付けの話もされました。近年幼児教育の無償化が言われ、26,27,28年度予算で積極的に取り組みがなされ、就園奨励補助を通じて保護者負担の軽減に取り組んでこられました。又10年に一度の幼稚園教育要領の改訂も来る30年に改訂され、そこでは幼少の連携、接続の大切さが話されました。というのは、幼稚園では立派に育っているのに、小学校では0ベースにして扱うために、その接続がうまくいっていないからです。又幼稚園では次の10項目が5歳児終了時までに育ってほしい具体的な姿と言われました。 1.健康な心と体 2.自立心 3.協調性 4.道徳性・規範意識の芽生え 5.社会生活との関わり 6.思考力の芽生え 7.自然との関わり・生命尊重 8.数量・図形、文字などへの関心・感覚 9.言葉による伝え合い 10.豊かな感性と表現である。又認定こども園に関しては平成27年度までに新制度に移行した園は全体の23.2%の1889園であり、平成28年度で2387園(29.2%)、29年度は637園が移行の予定。この大会で「不易流行、つなぐこと、変わること」をテーマに石川の伝統工芸品の九谷赤絵作家の福島武山氏と九谷焼作家の四代徳田八十吉(女性)氏の話があり、興味深かった。前者は一代で石川県指定無形文化財保持者になった人であり、その赤い色を使った作品は目を見張る立派なものであった。あくまで謙虚な姿勢を貫き、「お客様に育てられた、支えてくれるお客様がいることに感謝しているが、近年使ってくれる人が高齢者になり、少なくなってきた」ことを心配されていました。作品のテーマは森羅万象であり、自分が求めているのは全て自然界から得られると説明された。三代徳田八十吉をひきついだ四代は三代の長女であり、父の命と引き換えにいい作品が生まれたことに感謝し、本人がどん底の時にいつもの物が美しく見えたと言い、又ふっとした時にアイデアが浮かぶと付け加えた。オギャと生まれた時から伝統工芸が好きな人はいない、徐々に伝統工芸は好きになるものであり、又愛された人は愛することが出来、九谷焼を通じて世の中をhappyにしたいと説明されたのは印象的であった。しかし九谷焼に限らない事であるが、伝統工芸の継承、発展は国の支援がない限り今後難しいとの思いがよぎった。
九谷焼とは石川県南部で産する焼物。主として磁器に釉上着画したものが多い。
2016.11.01

夏が去って秋を飛び越えて冬、そうかと思えば、急に夏に舞い戻る、そんな季節が特徴の今年の日本の秋、いよいよ最終章の11月を迎えました。奥ゆかしい表現の霜月、と比較して、November, 9番目の月の表記、季節のはっきりしない外国では数字での表現の方が合理的で、生活の理にかなったものであった。さて、先月の運動会、どのような感想をお持ちだったでしょうか。いろいろ批判的なご意見もあったかもしれませんが、私個人的には、我田引水ですが、子どもたちの大きな生長が見られた立派な運動会だったと思います。頼りなさそうな年少組さん、ちょっと大きくなってお兄ちゃん、お姉ちゃんぶりを発揮しようとしている年中組さん、そして最上級学年の根性と意地を見せて精一杯頑張った年長組さん、どの学年も素敵でした。先生もこの日の為に紫外線とか、肌が傷むとか、そんなことを忘れて、走り回って指導に当たりました。それに立派に答えた子供たちの姿は本当に何物にも代えがたい美しさでした。心から取り組んでいる、やらされているのではなくて、自ら進んで体で表現していた貴重な輝きでした。年長さんの組体は見られてどうでしたか。予行ではうまくいったのに本番では失敗して悔しがっている先生もいました。うちの子は土台ばっかりと言っているお母さんもいました。しかしみんな力を合わせて完成したその姿、形、音楽の素晴らしい効果、誰の目にも涙を誘う要素が揃っていました。私も何回流れ落ちる涙を人に知られずに拭いたかわかりません。子どもたちの頑張り、先生たちのたゆまない努力、そして体操の先生の指導力、感性に訴え、共鳴をもたらした音楽、全てが相まって大きな成果を生み出したのです。運動会は昨年まで保護者の皆様から高い評価を頂いていました。それが今年は駄目だったと言われたくない、先生の頑張りは必死でした。それが過去から受け継いできた一つの大切な伝統だと信じています。
さて、毎年の事ですが、今年は石川県金沢市で第32回全日本私立幼稚園連合会設置者・園長全国研修大会が600人の出席者の下で開催されました。文部科学省から幼児教育課長と私学助成課長の二人が出席されて「全ての子どもに質の高い幼児教育を」について問題を提起され、その財政的裏付けの話もされました。近年幼児教育の無償化が言われ、26,27,28年度予算で積極的に取り組みがなされ、就園奨励補助を通じて保護者負担の軽減に取り組んでこられました。又10年に一度の幼稚園教育要領の改訂も来る30年に改訂され、そこでは幼少の連携、接続の大切さが話されました。というのは、幼稚園では立派に育っているのに、小学校では0ベースにして扱うために、その接続がうまくいっていないからです。又幼稚園では次の10項目が5歳児終了時までに育ってほしい具体的な姿と言われました。 1.健康な心と体 2.自立心 3.協調性 4.道徳性・規範意識の芽生え 5.社会生活との関わり 6.思考力の芽生え 7.自然との関わり・生命尊重 8.数量・図形、文字などへの関心・感覚 9.言葉による伝え合い 10.豊かな感性と表現である。又認定こども園に関しては平成27年度までに新制度に移行した園は全体の23.2%の1889園であり、平成28年度で2387園(29.2%)、29年度は637園が移行の予定。この大会で「不易流行、つなぐこと、変わること」をテーマに石川の伝統工芸品の九谷赤絵作家の福島武山氏と九谷焼作家の四代徳田八十吉(女性)氏の話があり、興味深かった。前者は一代で石川県指定無形文化財保持者になった人であり、その赤い色を使った作品は目を見張る立派なものであった。あくまで謙虚な姿勢を貫き、「お客様に育てられた、支えてくれるお客様がいることに感謝しているが、近年使ってくれる人が高齢者になり、少なくなってきた」ことを心配されていました。作品のテーマは森羅万象であり、自分が求めているのは全て自然界から得られると説明された。三代徳田八十吉をひきついだ四代は三代の長女であり、父の命と引き換えにいい作品が生まれたことに感謝し、本人がどん底の時にいつもの物が美しく見えたと言い、又ふっとした時にアイデアが浮かぶと付け加えた。オギャと生まれた時から伝統工芸が好きな人はいない、徐々に伝統工芸は好きになるものであり、又愛された人は愛することが出来、九谷焼を通じて世の中をhappyにしたいと説明されたのは印象的であった。しかし九谷焼に限らない事であるが、伝統工芸の継承、発展は国の支援がない限り今後難しいとの思いがよぎった。
九谷焼とは石川県南部で産する焼物。主として磁器に釉上着画したものが多い。