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贈る言葉

2017.03.01


 春高楼の花の宴  巡る盃 影さして  千代の松が枝 分け出でし 昔の光 今いずこ (荒城の月)
 国破れて 山河在り  城春にして  草木深し  時に感じて 花にも涙をそそぎ 
 別れを恨んで 鳥にも心を驚かす(春望 杜甫)
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし (平家物語)

栄枯盛衰を歌った詩は数えきれない。悠久の歴史を通してそのことが不変の出来事として存在し、又現在においてもマスコミを賑わしている大きな事象となっている。今から半世紀以上前、大学を卒業する秋、(当時就職は4年生の秋でどの企業にも大体就職できた)私は東京見物も兼ねて東芝の就職試験を受けた。東京までの新幹線代、東京二泊(東芝の東京宿泊所)の支給を受けた。東芝の面接試験は面接者5,6人が皇居を背景にして行われた。一般的な質問だけであったが、ただ一つ印象に残っている質問は「寄らば大樹の陰。についてどう思うか」であった。東芝には勢いがあった。ネームバリューがあった。経営がしっかりしていた。誰もが知る大企業であった。エリート企業であった。少し高慢な感じがしたが日本を代表するリーディングカンパニーであった。それに対して私も偉そうに「私は東芝を通じて海外で活躍したい。大きな傘に守られているから御社を選んだのではない」というような回答をしたと思う。土光社長の前の頃であった。重電、弱電、どちらの部門でも大活躍の会社であった。その影響力を考えて国は倒産をさせないが今やその存在さえ危ぶまれるようになった。昔、会社の命は50年と言われた。世代交代や産業の変化を考慮してそういわれた。そうなりつつある企業も多い。冒頭の詩ではないが、大企業といえども安泰な時代は過ぎ去りつつある。しかし世の中は+と-の世界、プラスばかり続くとは限らないし、マイナスばかりに悩まされることもない。どんなときにも明るい面ばかりではなくて、暗い面も見る必要がある。そしていい時には最悪の事態を想像し、そうでないときには夢と希望の世界を考える。そして苦しいからと言って人をうらやみ、人を貶めることを考えるのではなくて、そんなことをしても何も生まれてこない、そこに到達するにはどうすればいいかを考える。人の成功を祝福することも大事だが、それ以上の成功を成し遂げるために自分を鼓舞することも不可欠だ。ヒラメ的な態度も時には必要だろう、しかしそればかりでは人に見透かされ、馬鹿にされる。自分が出世しようと思うならば、自分が、自分がという考えを捨てて、人を引き立てることである。もうすぐ巣立ちの年長さんにはわかることだろう。君たちの未来は決して暗くない。いやむしろ、輝いているほうだろう。これから進む小学校は今までと異なる異質の集団、新しい友達がいっぱいの新しい社会、戸惑ったり、悩んだりすることもいっぱいだろう。しかし新しい友を見つけ、一歩進んだ様々なことにチャレンジする場所でもある。君たちならきっと先生方が思っている以上の成果を手に入れるだろう。その為に努力しよう。沢山、沢山努力しよう。そして何事にも一生懸命向かい合おう。その努力や一生懸命さは決して人を裏切ることのないもの。未来のある時期、必ず大きな成果となって帰ってくるだろう。そしてあなた方は社会の中心となって日本を支え、よき伴侶を得て、大人として精神的、肉体的に大きな飛躍を遂げる。ついには二世をこの世に残し、より一段と社会的活躍の基盤を広げていく。「努力」と「友達の輪を広げる」、この二つを君たちに贈りたい。リンゴ、年少、年中組の皆さん、もうすぐ進級です。今まで先生と一緒になって時には喜びながら、時には嫌がりながら毎日幼稚園に通園しました。継続することは本当に立派だと思います。この一年間の成長・発達ぶりには目を見張るものがあります。4月からも私たちと一緒になって楽しく、有意義に幼稚園で過ごしましょう。君たちの喜びは先生の喜びであり、悲しみもまた先生方の悲しみです。
今年度賜りましたご支援、お力添え、そして数々の叱咤激励、本当にありがとうございました。

批判と敬意

2017.02.01
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流れが変わった。2017年1月20日、不動産王と言われているドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。「America first」を中心テーマにこれからどのような政治をしていくのか興味深い。12月下旬、ニューヨークに行った時、市内ツアーに参加した。日本語のガイド付きで、その女性は日本人で、現地に20年余り住んでいた。彼女は市内案内をしている間、少しでも時間があるとトランプ氏の悪口を言った。お金を払って市内案内をお願いしていた。トランプ氏の悪口を聞くためにお金を払っているのではなかった。たまりかねて「トランプ氏の悪口を言うことをやめてほしい。そのためにお金を払っているのではないのだから」と言った。実際ニューヨークに限らず大きな都会では反トランプが多い。民主的に選ばれた大統領が嫌いだからと言って何でもやっていいわけでないし、マスコミも芸能人も少し冷静になるべきだと思うのだが。私はトランプ氏について何も知識を持ち合わせていない。それどころか昔活躍した過去の人というイメージであった。しかし不動産王として成功をおさめたのであれば、普通の人以上に才能と才覚があるのだろう。実際就任演説を聞いても、オバマ氏の謙虚で建前の多い話とは対称的に率直で遠慮なく本音で語っている。政治の世界で弁護士や教育者が多い中、ビジネスマンが辣腕をふるって活躍するのも案外いいのかもしれない。それに強力なユダヤ人の勢力が控えているのも大きな強みだ。兎に角、就任後数か月すれば、反対派の人が心配するような事になるのか、あるいは「案外やるのでは」と評価に変わるのか興味津々だ。トランプ氏にとって最初の支持率が40%なのだから。それより下がる心配はいらないし、むしろどこまで伸ばせるかであろう。考えによっては気楽で余裕のある大統領であるのかも。政治の世界では前例にとらわれ、保身ばかりを考えて政党を渡り歩く政治屋の皆様を見ていると、本音でずばずばいう人が新鮮に見えてくる。日本のマスコミがこぞってトランプ大統領をよく言わないどころか批判的に記述している場合が多い。成程トランプ氏の仕事はカジノを含め、あまり尊敬をもって見られるものでないかもしれない。その上何回も失敗したとか、何度も倒産したとか言われているが、そこから這いあがり、立ち直ってきた。ひとつが失敗しても他がうまくいく。或いはその失敗から回復させるようにいろいろ網を張っていたのだろう。ビジネスはいつもうまくいくとは限らない。その時に備えて今でいうリスクマネジメントがしっかりしていたのだろう。そういう意味でお金にあまり関連付けがないオバマ大統領とは著しく対照的である。何も清廉潔白な人だけがトップに就くべきだという意見に私は与しない。ビジネスの手法を政治の世界に持ち込むのも十分合理性がある。アメリカ軍は日本から出て行けと叫ぶ団体も存在するが、トランプ大統領になって実際に日本から米軍がすべて引き上げたら、ばんざいと叫ぶのだろうか。極東の独りよがりのマスコミが選挙でちゃんと選ばれたひとの国の大統領の正当性を批判し「民主主義の破壊」等と言う。いやしくも民主主義の投票で選ばれたトップを嫌いだからと言って良い記事を書かない。アメリカのメディアがそれを聞いて新聞にそのことを書くと、アメリカの人たちはどんな反応をするだろうか。反対にアメリカのマスコミが日本の政治家について徹底的に批判すると、日本人はどんな気持ちになるだろうか。それにしてもテレビなどのコメンテーターの解説には驚くことが多い。「そんなことは誰でも知っていること」と共通理解していることを臆面もなく得意にしゃべる。視聴者を馬鹿にしているのか、解説者のレベルが低いのか、あるいは余計なことを話さないようにディレクターからくぎを刺されているのか。何か知らないが、公共の貴重な電波の無駄遣いのそしりを免れないという人もいる。トランプ氏の行動や発言はこの小さな島国に住む小さな子どもたちにどんな影響を与えるだろうか。世界貿易が縮小するかもしれないし、自動車を始め輸出に頼る企業は大きな影響を受け、貿易立国の日本は経済的に困った状態になる恐れがある。国の予算が削減され、幼児教育に回ってくるお金も減るかもしれない。しかし命を取られることもないし、力を合わせて努力すれば乗り越えることができる障壁であろう。案外そのほうが日本人の団結力が復活する良い機会になるかもしれない。しかしながら過激な発言が頻発しても短いスパンでは世の中は何も変わることはない。まだ進路の決まっていない多くの受験生、そして10年後には確実に試練を受ける幼子たちにとっては寒い厳しい2月、女神が微笑ますように心より祈っています。

50年前と50年後

2017.01.01


新年明けましておめでとうございます。 新しい年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう心よりご祈念申し上げます。
 さて、私たちは気の遠くなるような過去から現在に至り、悠久の未来に流れ去っていく。その時間の連続性の瞬間に生かされている。その中で喜怒哀楽を感じ、小さな出来事に無上の喜びやこの上ない悲しみを感じながら運命に身を委ねている。いや私は自分自身の力で自分の道を切り開いているのだから、運命に身を委ねるという言葉は当たらない、と考える人もいるが、所詮、蝸牛角上の争いに過ぎない。そうは言っても、人の平均寿命は80年、その中で過去を慈しみ、現在を享受し、未来に希望を託したい思いは誰もが持つ願い。誠に個人的なことながら今から50年前を思い出し、これからの50年後の予想をしてみるのも満更悪くないかもしれない。それが個人の目を通した偏見と浅はかな知識に基づいた根拠のない意見であっても。
 50年前は1967年(昭和42年)、私は大学4年生であった。毎日美木多村(7年前まではそうであったが、このときはすでに堺市と合併していた。臨海工業地帯を作るために美木多村から大量の土を海に運び、その跡に泉北ニュータウンを作るためであった。当時大阪府企業局は花形であった。)を出発して鳳駅まで7kmの道を自転車かバスで往復し、阪和線で天王寺に行った。私にとって町の中心であった鳳はこの頃より少し勢いが弱まっていった。難波に行くときは羽衣に行ってそこから南海本線に乗った。浜寺、諏訪森はお金持ちの住む大邸宅が沢山あったが、まだまだ至る所に畑が点在し、畑に水をくみ上げる風車が回っていた。今考えると信じられない風景であった。しかしそこに住んでいる人々の中には今ほど規制のない工業地帯から押し寄せる公害に憤りを感じて去って行く人もいた。高度成長期であり、少し前の中国と同じように健康と関連した公害問題に真剣に向き合うことはなかった。
 50年後、2067年(平成79年)、堺はどうなっているのであろう。先日、お葬式に行ったときに「火葬場がいっぱいで2、3日待たされた」と言っていた。生まれる人より亡くなる人が遙かに多い。50年後には、今の20歳代後半の人が寿命を迎える。その時もまだまだ人口が減り続けているだろう。泉北ニュータウンは今でも超高齢社会になっているのに加え、人口減に歯止めがかからず至る所が虫食い状態になって家々が存在しているであろう。あるいは、日本に移住してきた人々が大きなソサエティを作っているかもしれない。昔の単一民族が特徴だった日本人はその面影をすっかりなくしているであろう。細い道、曲がりくねった道の多い鳳や諏訪森は逆に都市計画が進み、スッキリした街並になっているかもしれない。道路が整備され、採算の合わない鉄道は廃止されているかもしれない。車も全てが自動運転に変わり、電気自動車だけになるだろう。その中で、大容量のバッテリーを積んでいることや、大きなトルクのモーターを備えているなどが話題になるだろう。
教育の世界はどうだろうか。50年前、大学進学率は10%以下であった。今では大学に行かない人を探すのが難しいくらいだ。50年後、いま不足している保育園は定員が充足することはなく、24時間保育や病児保育も当たり前になっているだろう。幼稚園もその制度が残ればの話だが、多くは認定こども園に変わり、保育所機能を備えた施設となっているが、一部は幼稚園の矜恃を保ったまま独自の教育理念をもって幼稚園として生き残っているだろう。公立の小学校や中学校は廃校や統合がすすみ、建前ではなく本音の教育方針が徐々に示されているだろう。公私を含め、高校は取捨選択され、生き残り競争に突入している。大学は今の数多くのエセ留学生が減少し、経営が厳しくなり今ある大学の半分以上が淘汰されているかもしれない。そして受験生も自分の資格・能力を磨くことに努力し、高度な専門学校が伸びるだろう。また、超高速旅客機の出現により、一週間ごとに講義を受ける国や言語を変えることが出来、国境を超えた単位の取得が可能になっている。バイリンガル以上の言語を話す人が活躍し、言葉が不得手な人も一瞬のうちに自動翻訳機で意思の疎通ができるようになっている。現金やカードを持ち歩くことがなくなり、その人の指や目で認証されている。また、宇宙から地球を眺める宇宙旅行がツアーの目玉となり、地球一周が短時間となっていく。その一方で地球温暖化が加速され、生物の淘汰が進み、私たちが住みにくい地球になっているかもしれない。まだまだ50年先、これからの私たちの努力で良いようにも悪いようにも舵を切ることができる。時間のあまり残されていない私たちにとっては「こんな地球に誰がした」と非難されることのないように、美しい地球を作り出していく使命をもっともっと自覚していきたい。同時に仕事を発展・拡大させていくことも大事だが、過去から守り続けられたことをしっかり受け止め、守り通して次世代に引き継ぐことの重要性はどう誇張してもし過ぎることはない。そんな重要なことを担う賢い人は市井の中に紛れ込んで、誰に気づかれることもなく淡々と自分の仕事をこなしている。

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