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時には傷つき、時には喜び

2016.03.01


 どんよりした冬空、玄関を開けた途端、冷気が体を覆ってしまう。身震いすると同時に今日一日の緊張の瞬間だ。予報では快晴を伝えているがその兆しは何も見えない。相変わらず頭上は雲一面だ。ガレージに行くと、さも「早く乗れ」と言っているかの如くに、車がそこで私を待っている。ドアを開け、座席に身を沈め、荒々しくエンジンキーを回す。寒い中でも一発始動、徐々に体が車になじんでくる。何気ない普段の動作の繰り返しに過ぎない行為の裏に、車作りに賭ける技術者の努力とその結晶が感じられる。昔はよく故障した。何回もセルモーターを回してエンジンがかかったことが多い。バッテリーも今と比べて、品質や寿命の面でかなり落ちていた。極端な話、ただエンジンと燃料があれば動くというものであった。車は故障するもの、そうなっても仕方がないという意識があるが、めったに故障しない車に乗っていると、何万分の一の確率でそんな故障に遭遇すると、口汚くののしって、攻撃は車メーカーに向かってしまう。逆説的に考えると、故障する車を作る方がよいのかもと思ったりする。しかし今は電子機器で武装され、高性能、安定性、機能性、快適性、安全性などが求められてきた。中には昔の古いレシプロエンジンにノスタルジーを感じる人もいるが世間の大半は今の車に満足に近いレベルを感じている。幼稚園に着くと、寒空に凛として耐え、その樹形を保って、私たちに心の安らぎと安心感を与えてくれる木々や低木、鮮やかな色と形で園児の到着を待ちわびている遊具に出会う。毎日の出来事と言え、何とも言えない瞬間だ。今日の新聞は国立大二次試験の掲載、今の時期、高校や大学の受験や資格試験の話題が多い。どんな大人も時間がゆっくり流れる青春時代の試練を乗り越えて今に至っている。甘い、苦いもあるだろう。しかしそんなこと全てひっくるめての青春時代、努力がすぐに報われた人もいるだろうし、努力の甲斐もむなしくの人もいるだろう。しかし努力したという事は確かだし、それが真実であれば、その人に努力の跡が蓄積され、次の機会にはもっといい結果が生まれるだろう。私個人的にも努力してそれが実現できた可能性が驚くほど低い。しかしすべて失敗だったわけでなく、上手くいき、満足を得られたこともある。「努力は決して人を裏切ることはない」言い古された言葉だが、巣立ちゆく年長組の皆さんに贈りたい。これから小学校、中学校、高校、大学と進んでいくだろう。少年時代から青春時代、10代から20代の多感な年月、時には傷つき、時には喜び、涙を流すこともあるだろう。しかしどんな時にあっても「努力する」という事を忘れないでほしい。そして付け加えるならば、前を向いて貪欲に生きて欲しい。不運だと言う人も多いが、運は誰にもやってくる。ただその運をつかみ取るのは努力し、意欲的に人生を生きている人だと思う。同時に友を大切にしてほしい。掛け替えのない友を作ってほしい。君たちの人生がより豊かで楽しいものになるだろう。しかし何よりも何よりもまず体を愛しがって欲しい。健康な体があってこそ、実現できることが多い。親を嘆き悲しませることだけは絶対しないでほしい。君たちには未来がある、将来がある、希望がある。何でもできる可能性がある。あるお年寄りが「年を取り返せることが出来るなら、1年を1億で買ってもよい」と言ったが、それほど高価で誰からも羨ましがられる時代が君たちの目の前にある。さあ、勇気を持って進んでいこう。年少、年中組の皆さん、いよいよ年中、年長組です。また一段と心も体も大きくたくましくなりました。来る年月も毎日毎日、君たちのために何ができるか、どうしてあげたらいいか、真剣に考え、行動している優しい先生と一緒になって、日々楽しく過ごしていこう。毎日毎日が君たちの生長発達の大きな過程、立派になってお父さん、お母さんをびっくりさせてあげよう。弥生、3月、いよいよ最後の月、子どもたちと過ごす残された日々を数えながら、今月も頑張ってまいります。この1年間、ご支援、お力添え本当にありがとうございました。

世間は本当に狭い

2016.02.01


年末年始を利用しての3泊のアメリカ東海岸の旅であった。同伴者は26歳の息子であった。29日早朝、関空を飛び立ち、成田経由で乗ったJL006便はニューヨークへ機首を向けた。何年かぶりのNYCであった。同日の午前10時前にJFK空港に到着したが丁度韓国からの到着便と重なったために、入国審査がかなり混んだ。混んだからと言って審査官を増やすような気配りをするわけでもなく、待つだけでかなり時間がかかった。黒人の審査官が多い中で、その審査官は若い白人であった。お決まりの「目的は?」「何日くらい滞在?」「最近アフリカに行ったことは?」などの質問と顔、指紋などの認証を行った。入国審査に時間がかかったために、荷物はすでにベルトコンベアーの上を回っていた。行きは12時間、帰りは13時間余りのフライトであったが、中国系のキャビンアテンダントが何人か乗っていたのは中国人のお客さんが多いのだろうか。食事をし、映画を見たりしてその時間が早く過ぎた。映画も日本語字幕や吹き替え、NHKニュースやドキュメント、民放のテレビ番組(例えばDr.X)まで備えているのはJALの経営努力なのだろうか。飛行機を降りるときにコメントを書くように求められたので、トイレの事を書いた。何回かトイレに行ったがその度毎にトイレットペーパーの端が取り出しやすいように三角になっていた。彼女ら乗員が空いている時に頻繁にトイレを清掃しているのだろうと。トイレのことと言えば、幼稚園見学に来られる保護者の皆様も真っ先にトイレを見られることが多い。会社勤めをしている時に事業部長から直接聞いた話、松下幸之助から会社を作ってこいと言われ、2億円を渡された。まず第1にしたことはきれいなトイレ作りから始めたと。そう言えばハーバード大学の授業でJALの倒産がテキストに取り上げられるそうだが、その日本航空を救ったのが京セラの稲盛会長で、盛和塾の塾長、共に会社設立の貢献者であり、偉大な経営者、その考えがJALにも徐々に浸透し、トイレもその一例だろう。昔のJALはお客さんを乗せてあげるという考え、今は逆転して、乗っていただくという考えになった気がする。先日京田辺市のゴルフ場に行ったときに、何時も大概一人で行くので、支配人から今日は京セラの前の社長のN氏も一緒ですよと言われた。全然面識のない人なので、他愛ない話をしてその日は終わった。後日、近所の小学時代からの友人にその話をすると「それはNさんか?」という答え、びっくりして聞くと、「彼は鳳の人で、三国丘高校の夜間で一つ上だったが、その当時は友達だった」とのこと。昔は高校に進学するのが3割弱、その上勉強がよくできても昼働いて、夜間に行く生徒が多かった。Nさんも大学院まで行ったそうだ。そんな事を知っていたら話のタネももっとあったのに、後の祭り。世間は本当に狭い。空港からマンハッタンのホテルまでタクシー、この料金は一定で、タクシーによって変わることなく、厳しくコントロールされていて安心。12時頃に着いても、ホテルはまだチェックインできずに、荷物を預けて、二人で近くの「そば日本」で昼食。日本と変わる点は何でも量が多い。日本の1.5~2倍の量。まだチェックインまでに時間があったために、近くのMOMA(ニューヨーク近代美術館)のショップへ、そこで小物を少し買ってホテルへ。46Fの見晴らしのいい部屋、夕方まで少し休み、日本から持っていった電気ポットでカップラーメンを作り、食事。それにしてもNew York で聞こえる会話は英語よりもスペイン語の方が多い気がする。中南米からの移民や観光客がそれほど多いのだろう。夜は寒いが思ったほどの寒さはない。日本でネット予約したブロードウェーのミュージカル「シカゴ」を見る。それなりの迫力があるが「ライオン キング」や「オペラ座の怪人」などに比べると部隊が簡単だ。翌日はレンタカーでハドソン河に架かるジョージ・ワシントン橋を渡って北に向かって1時間、ウッドベリーコモンアウトレット。欧州では価格から税金分が引かれるがアメリカでは外国人であっても+税がかかってくる。ブランド品は日本の方が安いが、ここのアウトレットでは日本のそれと比較にならないほど大きくて、値段が安い。お目当てのものが見つかればhappyだが、日本で依頼された商品を聞くとまだこちらに来ていないとのこと、少し時間がたったものや型落ちの物を販売しているのはどこの国のアウトレットも同じ。NYC最後の夜、バスケットボールで有名なマイケル・ジョーダンが経営するMet Life ビル(昔のパンナムビル)の近くのGrand Central Station駅構内にあるステーキ店に行く。この店で有名なステーキを注文したが、それがワンパウンド、約450g、調味料がよく効き、肉も柔らかくて美味しかったが、今の私にはさすがに量が多く、少し残した。列車の駅の構内にこんな立派な店があるのは驚きだ。翌31日、大晦日、昨日と同じ47番街にあるハーツレンタカーでトヨタカムリを借りた。NY市内でも市外でも、トヨタ、ホンダ等の日本車が本当に目につく。昔はそれほどと思わなかったのだが。ナビ付を借りたが、高速で走っているので、曲がり角やターンする道路を瞬時に判断しなければならず、一度間違えて10kmほど遠回りをした。ほぼ無料だが、制限速度は約100km、何回かパトカーに留められている車があった。NYCを出て、途中休憩を入れて5時間弱、午後2時頃、300km離れたボストンに無事到着した。返却前にハーバード大学へ。そこは塀に囲まれた大学というのではなく、たくさんの建物が集合している開かれた大学という感じであった。ボストンは初めての地であったが、小高い山と川と海に囲まれた,落ち着いた、如何にもアメリカの由緒ある歴史的な都市との印象を受けた。New Year に向けてのカウントダウンを町の中心広場で行っていて、たくさんの人やTVクルーが集まっていた。Seafood が有名という事で港にある「Legal Seafood」という店で、ロブスター料理と海鮮mixの煮込みを食べたが、日本人の口に合う料理であった。ボストンは数多くの大学のある町、いつの日か諏訪森幼稚園出身者もボストンのアイビーリーグの大学に入学するかもしれないという希望を抱いて、(実際に在学しているあるいはした人がいるかもしれないが)、2016年1月1日、JL007便787機はローガン空港から日本に向けて飛び立った。JAL機は採算がとれるのかなと、関係者でもない私が心配するほど、空席が目立った。

2016年、新しい年を迎えました。

2016.01.01


1月を数字で呼んでいるのは私たち日本人だけだろうか。英語でも、仏語でも、西語でも1月を表す別の単語があって、意味が分かるが、first month of the year とは言われない。しかしなぜかこの月から新しい年が始まるということでは一部の国を除いては共通している。人は何かにけじめをつけたい、何かを始めるきっかけがほしい、そんな単純な理由であるかもしれないし、反対に高等な宇宙天文学的な問題であるのかもしれない。私には知識がない。ただ私たちは今、過去、現在、未来へと続く時の流れの中で生かされ、現在が一瞬のうちに過去に変わり、未来は現在に変化していく。保護者の皆さん、2015年はどうだったでしょうか。期待した以上の成果があった。すべてが順調であった。素敵な人との出会いがあった。会社や社会で認められた。うれしいことが多かった。こんなことを言われる人は本当に少数の人かもしれません。大多数の人は何も大きな変化はなかった、素敵なことも、うれしいことも、期待した以上のことも何もなかった。それどころか不幸が続いた、親子の関係が分からなくなった、金銭的な苦労が絶えない、子供の成績が芳しくないと不平を言われる人も多い。ただ、幸福や満足の基準は人によって異なるもの、客観的な物差しなどは存在しない。不幸だと自分で思っていたことが他人から見れば全く幸福なことであり、逆に満足だと考えていたことが、もっと満足を得られるものになっていることもある。すべての不幸を背負って生きているというような顔をしている人もある意味、幸福の領域に達している場合もあり得る。完全に幸せな人がいないかもしれないが気持ちの持ちようではずいぶん変わるものです。この世に生を受けたからには何か社会的貢献も必要だろうし、何事にも意欲的に取り組み、また考えることも要求されている。東大阪市のあるお金持ちの高額納税者に、働かずに生活保護をもらっている人を見ればどう思いますかとの問いかけに、それは一種の必要経費で、なければ社会的暴動がおこるだろうと答えた。その人も納税という手段で社会的貢献をしている。新しい年を迎えて、思うことが多い。1日しか休みがない西欧と異なって、日本の正月は休みが連続する。小さい頃には正月は最大の喜びであった。たぶん大人の人もそうであった。休みが多かったし、華があった。それは貧しいことの裏返しかもしれないが、心が躍った。ごちそうやおこづかいがあった。夢や何とも言えないような楽しみがあった。友との交わりも密であった。今は楽しみが分散し、友との親密な交わりも少なく、無関心の人が増えている。何も正月に限ったことでなく、結婚式でもお葬式でも大きな変化がみられる。これは少子化や高齢化だけでは説明しきれない。日本人は集団から個へ軸足が移った事も大きな変化になっている。例えば、生活が豊かになったために、他人への関心、かかわりが少なくなったとか、助け合うことが昔ほど必要で無くなったとか、人との接触に苦手な人が増えてきたとかである。これも時代の流れだと一言で片づけてしまうのは何か心残りがする。個人的なことで申し訳ないですが、今年は申年、私も6回目の年男になった。1944年、泉北郡美木多村で生を受けてから今まで、今は鬼籍に入った人も含めて、いかに沢山の人々のお世話になったか、又は助けていただいたかは本当に頭の下がる思いでいっぱいです。人は一人では何もできないがそんな人がスクラムを組んで仲間意識に燃えると、とてつもなく大きな力になる。そんな目に見えない大きなパワーに支えられて今までやってこられたことが、私にとって大きな財産、命が燃え尽きるその日が来るまで、たとえ小さくとも何らかの社会的貢献をしていきたい、幼児教育の面でも、高齢者介護の面でも、思いは複雑です。いろいろ言い訳をしても、やはり新しい年には人をわくわくさせるようなものがあります。幼稚園の年長さんはあと3か月でそれぞれの小学校に巣立っていきます。私たちにとっては寂しい限りですが保護者の皆様にとっては一抹の不安と、大きな希望で心が占領されていることでしょう。子供たちは幼稚園で心も体も随分成長しました。人との関わりもうまくなりました。小学校での生活は幼稚園での基礎基本を踏まえて充実したものになり、大きな実を結ぶことになるでしょう。年長さん以外のお子さんはまだまだ私たちの仲間です。一緒に楽しく中身の濃い幼稚園生活を送りましょう。今年も、今年こそ、保護者の皆様、ご家族の皆様の上に、そして勿論、お子様の上にも陽光輝く幸せがいっぱい降り注ぎ、限りない健康でいられますように心より願っています。新年あけましておめでとうございます。

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