銀も金も玉も何せむに
2024.06.03
銀も金も玉も何せむに
「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」(銀も金も宝石も何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか)「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来たりしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ」(瓜を食べれば(残してきた)子どものことが自然に思われる。栗を食べれば一層しのばれる。いったい子どもたちはどこから来たものだろうか。(どのような縁で私の子どもとしてやってきたのだろうか)目の前にやたらと(子どもたちの姿が)ちらついて、安眠させてくれないことよ)子どもを思う親の気持ちを痛いほど強烈に和歌で表現した山上憶良。1300年たった今でも力強く人々の心に響き渡っている。子を思う親の気持ちはいくら月日が経とうとも枯れるものではない。
困窮して日々の生活に追われていないから、そんな気持ちになるのだと言う人もいるが、実際時たまおこる悲惨な事件や子どもの人格を無視したようなケースもあるが、子どもの大事さ、子どもを持つ幸せ、育てる喜びを誰も否定することはできない。そのような観点から日本一の幼児教育を目指す、子どもが中心、子どもの成長、発展、発育に全力を尽くす事が幼児教育施設の幼稚園に与えられた高い目標であると同時に努力義務となっている。
もし山上憶良が現在の日本に蘇ったなら、彼は何に一番驚くだろうか。その一つがインバウンドという訪日外国人の多さではないだろうか。以前はただ日本に行って何かしら日本の品質管理の優れた商品あるいは信頼できる輸入商品を買うことが目的であった。しかし今や訪日客の多さに驚かされる。大都市だけでなくて、こんな田舎に、こんな古びた観光地と思えるような所にも日本人よりも数多くの彼らがいる。私の若い頃には企業の招待で細々とした訪日観光客であったのが、今ではオーバーツーリズムと言っても過言ではない。大都市は無論のこと、北海道や富士山、高野山の奥まで、日本人以上に日本の各地を巡っている。
長年日本に住んでいる日本人よりも彼らに聞いた方が日本のことを良く知っているかもしれない。そんな彼らが国に帰った時に、日本は良かった、行く価値があった。と言ってもらえれば良いが、人だらけで、行く価値がなかった、疲れただけであったという印象を与えたのであれば、いわゆる本末転倒と言っても過言ではない。しかしよくよく考えてみると、私たち日本人が奈良平安の昔から営々と築き上げてきた伝統、日本人の奥ゆかしさ、自然を愛でる日本人の心情のやさしさと英知、そしてそれらが具現化された建築物や生活用品、装飾物、それに生活様式や考え方、規範、それらから導きされたどことなく親しみのこもった風景、そんなものが長い間外の影響を遮断された島国日本の他国にはないユニークさを生み出している。
明治時代以降徐々に海外に発信されてきたが、最近では様々なツールを通じて狭くなった外国に浸透し、円安と重なって一種のブームを生み出している。しかしこれらのものは私たちが過去から受け継いだものであり、過去の人たちに大いに感謝と尊敬の念を持たねばならない。と同時に立派に未来に引き継ぐことも私たちの重要な責務である。
日本人の中には過度の自己主張も含め、西欧かぶれしすぎて、今までの日本人の美意識、生活様式、考え方までも否定的に捉える人が多くなったのはある意味残念と言わざるを得ない。私もよく「今の時代はそうなっているのだから仕方がない」とか「今は昔の日本ではない」と言われることがあるが、果たして全ての日本人がそう思っているのだろうか。本性を隠して、あるいは表現せずに、月日を過ごしているだけでないのだろうか。強く自己主張する人、自分の価値観だけを正当化する人、そんな人ばかりであればサイレントマジョリティーも黙っていない。
日本は日本人だけのものではない。しかし日本に住もうとする人は外国の規範ではなくて、日本の基準も尊重してもらいた。英語でよく習った「Do in Rome as the Romans do」であり「郷に入っては郷に従え」かもしれない。幼稚園の子どもたちが大人になった時に、こんな日本に誰がしたと言われない為にも私たち今の大人の責任が重い。
今月は体育館を借りての親子で遊ぼう大会があります。親子の絆をより一層深めてほしいと思います。プールも始まります。21日には昼が一番長い夏至がやってきます。いよいよ夏満喫の時が間近です。今月も病気になったり、事故にあわないように十分気を付けて、6月、水無月(水の月)、楽しく過ごしましょう。
銀も金も玉も何せむに
「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」(銀も金も宝石も何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか)「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来たりしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ」(瓜を食べれば(残してきた)子どものことが自然に思われる。栗を食べれば一層しのばれる。いったい子どもたちはどこから来たものだろうか。(どのような縁で私の子どもとしてやってきたのだろうか)目の前にやたらと(子どもたちの姿が)ちらついて、安眠させてくれないことよ)子どもを思う親の気持ちを痛いほど強烈に和歌で表現した山上憶良。1300年たった今でも力強く人々の心に響き渡っている。子を思う親の気持ちはいくら月日が経とうとも枯れるものではない。
困窮して日々の生活に追われていないから、そんな気持ちになるのだと言う人もいるが、実際時たまおこる悲惨な事件や子どもの人格を無視したようなケースもあるが、子どもの大事さ、子どもを持つ幸せ、育てる喜びを誰も否定することはできない。そのような観点から日本一の幼児教育を目指す、子どもが中心、子どもの成長、発展、発育に全力を尽くす事が幼児教育施設の幼稚園に与えられた高い目標であると同時に努力義務となっている。
もし山上憶良が現在の日本に蘇ったなら、彼は何に一番驚くだろうか。その一つがインバウンドという訪日外国人の多さではないだろうか。以前はただ日本に行って何かしら日本の品質管理の優れた商品あるいは信頼できる輸入商品を買うことが目的であった。しかし今や訪日客の多さに驚かされる。大都市だけでなくて、こんな田舎に、こんな古びた観光地と思えるような所にも日本人よりも数多くの彼らがいる。私の若い頃には企業の招待で細々とした訪日観光客であったのが、今ではオーバーツーリズムと言っても過言ではない。大都市は無論のこと、北海道や富士山、高野山の奥まで、日本人以上に日本の各地を巡っている。
長年日本に住んでいる日本人よりも彼らに聞いた方が日本のことを良く知っているかもしれない。そんな彼らが国に帰った時に、日本は良かった、行く価値があった。と言ってもらえれば良いが、人だらけで、行く価値がなかった、疲れただけであったという印象を与えたのであれば、いわゆる本末転倒と言っても過言ではない。しかしよくよく考えてみると、私たち日本人が奈良平安の昔から営々と築き上げてきた伝統、日本人の奥ゆかしさ、自然を愛でる日本人の心情のやさしさと英知、そしてそれらが具現化された建築物や生活用品、装飾物、それに生活様式や考え方、規範、それらから導きされたどことなく親しみのこもった風景、そんなものが長い間外の影響を遮断された島国日本の他国にはないユニークさを生み出している。
明治時代以降徐々に海外に発信されてきたが、最近では様々なツールを通じて狭くなった外国に浸透し、円安と重なって一種のブームを生み出している。しかしこれらのものは私たちが過去から受け継いだものであり、過去の人たちに大いに感謝と尊敬の念を持たねばならない。と同時に立派に未来に引き継ぐことも私たちの重要な責務である。
日本人の中には過度の自己主張も含め、西欧かぶれしすぎて、今までの日本人の美意識、生活様式、考え方までも否定的に捉える人が多くなったのはある意味残念と言わざるを得ない。私もよく「今の時代はそうなっているのだから仕方がない」とか「今は昔の日本ではない」と言われることがあるが、果たして全ての日本人がそう思っているのだろうか。本性を隠して、あるいは表現せずに、月日を過ごしているだけでないのだろうか。強く自己主張する人、自分の価値観だけを正当化する人、そんな人ばかりであればサイレントマジョリティーも黙っていない。
日本は日本人だけのものではない。しかし日本に住もうとする人は外国の規範ではなくて、日本の基準も尊重してもらいた。英語でよく習った「Do in Rome as the Romans do」であり「郷に入っては郷に従え」かもしれない。幼稚園の子どもたちが大人になった時に、こんな日本に誰がしたと言われない為にも私たち今の大人の責任が重い。
今月は体育館を借りての親子で遊ぼう大会があります。親子の絆をより一層深めてほしいと思います。プールも始まります。21日には昼が一番長い夏至がやってきます。いよいよ夏満喫の時が間近です。今月も病気になったり、事故にあわないように十分気を付けて、6月、水無月(水の月)、楽しく過ごしましょう。
🎵6月子育て・遊びの広場のお知らせ🎵
2024.05.20
6月の子育て・遊びの広場のお申込みについて
6月21日(金)諏訪森幼稚園にて開催の子育て・遊びの広場『お話の読み聞かせ』の参加申し込みをメールフォームにて本日より開始いたします!
(※事前申し込み必須となっております※)
日時 6月21日(金)10:00~11:00(予定)
場所 諏訪森幼稚園 2階遊戯室
参加対象 地域の0・1・2歳、未就学児のお子様と保護者様
締切 6月7日(金)18:30まで(原則締切後は受付できません)
詳しいお申込み方法・詳細については、こちらから。
(トップページの『各種書類』の欄からも確認いただけます)
お友だちをお誘いあわせの上、未就学児の親子の皆様、是非遊びに来てくださいね♬
認定こども園 諏訪森幼稚園
6月21日(金)諏訪森幼稚園にて開催の子育て・遊びの広場『お話の読み聞かせ』の参加申し込みをメールフォームにて本日より開始いたします!
(※事前申し込み必須となっております※)
日時 6月21日(金)10:00~11:00(予定)
場所 諏訪森幼稚園 2階遊戯室
参加対象 地域の0・1・2歳、未就学児のお子様と保護者様
締切 6月7日(金)18:30まで(原則締切後は受付できません)
詳しいお申込み方法・詳細については、こちらから。
(トップページの『各種書類』の欄からも確認いただけます)
お友だちをお誘いあわせの上、未就学児の親子の皆様、是非遊びに来てくださいね♬
認定こども園 諏訪森幼稚園
一雨ごとに成長し、緑濃くなる
2024.05.01
一雨ごとに成長し、緑濃くなる
自然界の動植物はなぜあのように素晴らしい色彩や形をしているのだろうか。私たちは例え、薬品や絵画材料を使っても決して同じように表現できないし、形に至っては私たちの想像を超えるものも存在している。しかし私たちの感覚や知識からすれば、あり得ない色の組み合わせであっても自然界のものはそれなりにうまく収まっている。決して奇異な感じがしたり、他のものから浮いたりしていない。色彩に関しても、ダーウィン流の進化があるのだろうか。兎に角4月から5月にかけての芽吹きから始まって花をつけ、新緑に輝く過程はその美しさをいくら強調してもしすぎることはない。
そんな4月の初めの朝4時30分、辺りはまだ暗い。そんな中、一路富山県黒部市を目指した。大学を卒業して、50数年、学年40人のうち、8人の同窓生が宇奈月温泉に集まるという。運転手は80歳間近の私一人、距離は片道430km、雨模様、車のタイヤはスポーツ仕様で、横向きに少し溝があるだけのランフラットタイヤ、何年か前に雨の高速道路でスリップした経験のある同じタイプのものだった。別の車でと忠告も受けたが、慎重運転を心がけるということで、暗闇で小雨の降る中、一路越中富山を目指した。室内には流れる音楽がなかった。ただ力強く鼓動するターボエンジンが私の心を揺さぶり、期待に忠実に反応した。日ごろ混んでいる阪和自動車道や近畿自動車道も、さすがこの時間、ブレーキの世話になる事もなく、一気に通過し、門真で第2京阪に舵をきった。ここはいつもパトカーが目を光らせている高速道路、朝もやの中、安全運転で通り過ぎた。久御山ICを右折し、京滋バイパスに入った。雨は降り続いていた。
長いトンネルを過ぎ、一回転して、名神高速道路に合流した。前方に近江富士のシルエットが迫ってきた。アウトレットで来たことがあった竜王を通り過ぎ、車は琵琶湖右岸を順調に期待に応えて進んでいった。しかし少し疲れたこともあって、多賀SAで簡単な食事と身支度を整えて、再び名神高速道路に車を進めた。トラックの通行は激しい。新聞で騒がれている物流問題はどうなるのだろうか。米原で北陸道に入ると、さすが交通量は少ない。飛ばしてはいけないと思いながら、ついアクセルを強く踏んでしまうことがある。賤ヶ岳古戦場の木之本ICを過ぎると、福井県は目の前に迫ってきた。敦賀に到着。街からだいぶ離れている。ここを過ぎると、上り線と下り線が逆になって別れてしまう。その理由がわからない。
越前、鯖江を過ぎるともう福井市。永平寺、勝山、大野方面行の中部縦貫自動車道の入り口が見えてきた。子どもの夢を乗せた恐竜博物館ももうすぐだ。56年前を思い出した。当時アルゼンチンに駐在していた。日本から来た会社の人にはブエノスアイレスの名所を案内したが少し日程に余裕がある人には60kmほど離れたラ・プラタ市を案内した。そこには博物館(Museo de LaPlata)があった。私は全然興味がなかったが、南米で発掘された恐竜が所狭しと展示されていた。いつでも入場できた。しかし今となってはその博物館が世界的に有名となり、見学に予約が必要と聞いた。そんな昔話を思い浮かべながら、北陸道をどんどん北上し、あわら市から石川の加賀市に入った。時刻は8時前、尼御前SAに入った。ほぼ休みなく走ってきたので、さすが少し疲れを感じ、休憩をとった。20分後に出発したが、予定より早く着きそうなので、2月のブリで毎年お世話になる氷見市の魚吉さんに向かった。何年ぶりだろう氷見に来たのは。しかし氷見の商店街は水曜日休みであった。残念だと言うより計画性のない私が悪かった。富山市に引き返した。越中富山は大きな町であった。市内は有名なLRT(路面電車)が走っていた。昼時であった。おいしいものを食べたかった。ネットで見たNHKの隣のすし屋に入った。握り定食を注文した。大阪でそれなりの寿司を食べたこともあるがここの寿司のおいしさは格別であった。13時ころそこを出て、宇奈月温泉に向かった。長い旅であったが、案外疲れを感じなかった。最初に到着した。しばらくして京都からT君がやってきた。その後東京や尼崎から全員到着した。揃って食事を楽しみ、過去のこと、今のこと等いろいろ話に花を咲かせた。次の日は朝から梅田の病院で定期検診があるので、夜の8時30分、強い雨が降る宇奈月を後にし、一路堺に向かった。夜の高速はトラックが多い。雨が降る暗闇の中、それらのトラックを抜き去るのに少し神経を使ったが、午前1時無事我が家に到着した。
今月の気になった言葉。人間は他人を引きずり下ろして、快感を得ようとする弱い一面を持ち合わせています。それは昔も今も変わりません。特に貧しくて心に余裕がなくなる時、他人にも残酷になって心を傷つけてしまいがちです。貧しさに耐えながら懸命に働く父親の姿に愛を感じ取った少年の姿とは対照的です。貧しさは人間の持つ両面を浮き出してしまうのです。これは物質的な豊かさにも同じことが言えます。豊かであるがゆえに、人にやさしくできる人もいれば、逆に人を見下して、冷たくあしらおとする人もいます。貧しさにしろ、豊かさにしろ、私たちは自分が置かれた環境でどういう生き方を選択するかを常に迫られながら生きています。
長い連休の後、子どもたちは4月当初の入園時に戻ってしまうことも見られます。しかしこれは全く一過性のもので、すぐに幼稚園のことを思い出し、元気に活躍することになります。先生方が精一杯だと思ってやっていることも、保護者の皆様からは時にはまだまだと叱咤激励されることもありますが、皆様方の信頼に応えていくことができるよう取り組んでまいります。ご支援、お力添え宜しくお願い致します。
一雨ごとに成長し、緑濃くなる
自然界の動植物はなぜあのように素晴らしい色彩や形をしているのだろうか。私たちは例え、薬品や絵画材料を使っても決して同じように表現できないし、形に至っては私たちの想像を超えるものも存在している。しかし私たちの感覚や知識からすれば、あり得ない色の組み合わせであっても自然界のものはそれなりにうまく収まっている。決して奇異な感じがしたり、他のものから浮いたりしていない。色彩に関しても、ダーウィン流の進化があるのだろうか。兎に角4月から5月にかけての芽吹きから始まって花をつけ、新緑に輝く過程はその美しさをいくら強調してもしすぎることはない。
そんな4月の初めの朝4時30分、辺りはまだ暗い。そんな中、一路富山県黒部市を目指した。大学を卒業して、50数年、学年40人のうち、8人の同窓生が宇奈月温泉に集まるという。運転手は80歳間近の私一人、距離は片道430km、雨模様、車のタイヤはスポーツ仕様で、横向きに少し溝があるだけのランフラットタイヤ、何年か前に雨の高速道路でスリップした経験のある同じタイプのものだった。別の車でと忠告も受けたが、慎重運転を心がけるということで、暗闇で小雨の降る中、一路越中富山を目指した。室内には流れる音楽がなかった。ただ力強く鼓動するターボエンジンが私の心を揺さぶり、期待に忠実に反応した。日ごろ混んでいる阪和自動車道や近畿自動車道も、さすがこの時間、ブレーキの世話になる事もなく、一気に通過し、門真で第2京阪に舵をきった。ここはいつもパトカーが目を光らせている高速道路、朝もやの中、安全運転で通り過ぎた。久御山ICを右折し、京滋バイパスに入った。雨は降り続いていた。
長いトンネルを過ぎ、一回転して、名神高速道路に合流した。前方に近江富士のシルエットが迫ってきた。アウトレットで来たことがあった竜王を通り過ぎ、車は琵琶湖右岸を順調に期待に応えて進んでいった。しかし少し疲れたこともあって、多賀SAで簡単な食事と身支度を整えて、再び名神高速道路に車を進めた。トラックの通行は激しい。新聞で騒がれている物流問題はどうなるのだろうか。米原で北陸道に入ると、さすが交通量は少ない。飛ばしてはいけないと思いながら、ついアクセルを強く踏んでしまうことがある。賤ヶ岳古戦場の木之本ICを過ぎると、福井県は目の前に迫ってきた。敦賀に到着。街からだいぶ離れている。ここを過ぎると、上り線と下り線が逆になって別れてしまう。その理由がわからない。
越前、鯖江を過ぎるともう福井市。永平寺、勝山、大野方面行の中部縦貫自動車道の入り口が見えてきた。子どもの夢を乗せた恐竜博物館ももうすぐだ。56年前を思い出した。当時アルゼンチンに駐在していた。日本から来た会社の人にはブエノスアイレスの名所を案内したが少し日程に余裕がある人には60kmほど離れたラ・プラタ市を案内した。そこには博物館(Museo de LaPlata)があった。私は全然興味がなかったが、南米で発掘された恐竜が所狭しと展示されていた。いつでも入場できた。しかし今となってはその博物館が世界的に有名となり、見学に予約が必要と聞いた。そんな昔話を思い浮かべながら、北陸道をどんどん北上し、あわら市から石川の加賀市に入った。時刻は8時前、尼御前SAに入った。ほぼ休みなく走ってきたので、さすが少し疲れを感じ、休憩をとった。20分後に出発したが、予定より早く着きそうなので、2月のブリで毎年お世話になる氷見市の魚吉さんに向かった。何年ぶりだろう氷見に来たのは。しかし氷見の商店街は水曜日休みであった。残念だと言うより計画性のない私が悪かった。富山市に引き返した。越中富山は大きな町であった。市内は有名なLRT(路面電車)が走っていた。昼時であった。おいしいものを食べたかった。ネットで見たNHKの隣のすし屋に入った。握り定食を注文した。大阪でそれなりの寿司を食べたこともあるがここの寿司のおいしさは格別であった。13時ころそこを出て、宇奈月温泉に向かった。長い旅であったが、案外疲れを感じなかった。最初に到着した。しばらくして京都からT君がやってきた。その後東京や尼崎から全員到着した。揃って食事を楽しみ、過去のこと、今のこと等いろいろ話に花を咲かせた。次の日は朝から梅田の病院で定期検診があるので、夜の8時30分、強い雨が降る宇奈月を後にし、一路堺に向かった。夜の高速はトラックが多い。雨が降る暗闇の中、それらのトラックを抜き去るのに少し神経を使ったが、午前1時無事我が家に到着した。
今月の気になった言葉。人間は他人を引きずり下ろして、快感を得ようとする弱い一面を持ち合わせています。それは昔も今も変わりません。特に貧しくて心に余裕がなくなる時、他人にも残酷になって心を傷つけてしまいがちです。貧しさに耐えながら懸命に働く父親の姿に愛を感じ取った少年の姿とは対照的です。貧しさは人間の持つ両面を浮き出してしまうのです。これは物質的な豊かさにも同じことが言えます。豊かであるがゆえに、人にやさしくできる人もいれば、逆に人を見下して、冷たくあしらおとする人もいます。貧しさにしろ、豊かさにしろ、私たちは自分が置かれた環境でどういう生き方を選択するかを常に迫られながら生きています。
長い連休の後、子どもたちは4月当初の入園時に戻ってしまうことも見られます。しかしこれは全く一過性のもので、すぐに幼稚園のことを思い出し、元気に活躍することになります。先生方が精一杯だと思ってやっていることも、保護者の皆様からは時にはまだまだと叱咤激励されることもありますが、皆様方の信頼に応えていくことができるよう取り組んでまいります。ご支援、お力添え宜しくお願い致します。