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15の春は泣かせない

2022.02.01


 スペインかぜ、いわゆる100年前のパンデミックは3年経過して、終息を迎えた。今のコロナ感染症はもう2年以上たつのに、まだその兆しが見えない。これだけ医学が進んでいるにも関わらず、当時と同じような大きな衝撃を人類に与えている。ある人は今のオミクロンはコロナの最後のあがきで、徐々に終息し、今までの日常生活に戻るだろうと言う。そんなに怖がらなくても、もうそこに明るい光が見えていると楽観的に予想している。又ある人はまだまだ変異株が現れて、終息するまでに時間がかかると悲観的に言う。テレビ出演の大学医学部の関係者はもう単なる風邪に過ぎないので、そんなに恐れる必要はないと言うし、政府にかかわる学者はまだまだ用心しなければいけないと言って様々な規制の解除を先延ばしにしている。正しく恐れることが必要なのだろう。陽性の人が10日間の隔離が続くと、経済も、病院も、高齢者施設も、学校などの教育施設も機能が麻痺しかねない。物事には終わりがある。必ず終息する。いつそれが宣言されるか誰もわからない。イギリスではすべてに規制を撤廃した。日本はどうするのだろうか?積極的な終息宣言や規制の撤廃は大きな責任と非難を伴うだけに日本政府はそのリスクをとることができるだろうか。時あたかも高校大学受験の真っ最中、いろいろ柔軟な試験対策が報じられているが、あくまでフェアで誠実であってほしい。受験人口が減り、多様性のある専門学校や職業を選ぶ人が多くなったとはいえ、不必要で理不尽な挫折感は人の成長に寄与するものでない。京都の蜷川虎三知事は「15の春は泣かせない」と言って、1校区1高校の制度を作り、高校全入の道筋をつけた。勿論当時低かった高校進学率を上げ、働き手の拡充をする狙いもあったかもしれない。現在は反対に学区制が取り払われ、公立高校の序列化が進んできた。40年前、高校3年生の担任をしているときに、「先生、どんな大学でもいいから推薦してほしい」と生徒から言われ、大阪のある大学を紹介し、無事4年間を充実して楽しく過ごした。スポーツマンであった彼は明るい人を引き付ける性格と物事に積極的に取り組む姿勢で、今は立派な企業人になっている。しかし大多数の受験生は自分の実力以上に世間的に評判のいい大学を選びたがる。昔は浪人することは何も気にしなかったが、少子化の今の時代、浪人することはどうなのか。現役で入ったことが将来の栄光につながるのか、苦節10年まではいかないにしても、艱難辛苦の努力が将来の希望に通じるのか。「If winter comes, can Spring be far behind? 」冬来たりなば、春遠からじ。そんな2月、ふと目を下に落とすと、クロッカスが土の中から少し芽を出している。年齢を重ねたからいうのではないが、つい最近黄色に咲くクロッカスを見つけたのではなかったか?あれからもう1年もたつのか。梅の花も開花の準備の真っ最中、季節の中で生活しているとはいえ、その移り変わりの速さは私には残酷に感じてしまう。最近読んだ本の中で論語の一遍があった。「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(仕事でも勉強でも知っていることはいいことだが、それを好きだというのには及ばない。好きであるのはいいのだが、それを楽しむのには及ばない)つまり仕事でも勉強でも楽しむ境地に至れば一流の経営者になりえる。ある哲学者は「一生懸命やると楽しくなるのが仕事の本質である」と言った。仕事が楽しみになれば、時間も名誉も金銭も超越することができます。故に仕事を楽しめる人は本当の経営者になれるのです。渋沢栄一流に言えば、このようなことでしょうか。
寒い中にもどことなく春の気配が色濃く感じられます。コロナもまだまだ油断できませんが、明るい未来を夢見て、2月、如月、元気いっぱい乗り切っていきましょう。

明けましておめでとうございます

2022.01.01


 いったい、いつになったらマスクなしの昔の日常に戻るのでしょうか。コロナが蔓延してはや2年、生活様式が極端なほど変化をしました。毎日子どもたちを見ていると、本当にマスクのない世界を味わせて上げたいと強く思います。律儀にマスクをする子、鼻の部分だけを出している子、下のほうに下ろしている子、マスクをしないで園庭を駆け回っている子、同じ姿の子どもは存在しません。ちょうど子どもたちの個性が異なるように。さて、2001年は保護者の皆様の多大のご協力、有難うございました。お陰で無事新しい年を迎えることができました。クラスターも大きな事故や怪我もなく、泣いたり、ぐずったりする子はいても、すぐに元気になり、友だちと駆け回っています。創立時の1978年ころの子どもと比べると、コンピューターやAIの分野では格段の進歩がみられるものの、無邪気な子どもたちの姿は昔も今も同じ、ただハナタレ小僧がみられなくなったくらい、そんなことを考えながら、令和3年、2021年を終え、新しい年を迎えました。毎年毎年繰り返される悠久の歴史の一コマにすぎない2022年、私的に来年の一年を予想すると 1.多分コロナのパンデミックはほぼ終息することになるだろう。2.それに伴って極端に減少した子どもの出生数はかなり上向くことになるだろう。3.しかしながら人口の減少に歯止めがかからず、出生数はピーク時の三分の一以下の80万人を切るかもしれない。4.それに従って待機児の言葉は過去のものになり、幼稚園は勿論のこと、認定こども園も、保育所も大きく定員割れを起こし、50年前に雨後のタケノコのように乱立した府立高校と同じ運命をたどることになるだろう。5.極端に言えば、幼児教育施設の統廃合や倒産という事態に陥るかもしれない。それはかなりの勢いで新築された民間の老人施設が今やケアする人の減少や入所者の選別によって倒産の危機に陥っている場面が多々見られるのと同じかもしれない。6.しかしながら少なくなっても、子どもたちは必ず生まれてくるものだし又人は必ず高齢になる。まじめに、真剣に幼児教育に取り組み、又老人介護に力を注いでいるそれらの施設や組織はどんなことがあっても生き残ることができるだろう。In the long run, 長い目で見れば結局、人は流行や巷のフェイクニュースに踊らされることなく、真に必要なもの、真に信頼されるものに向かっていく。一時的に目がくらんでも、人の目は節穴ではない。誠実さと真面目さと感謝の気持ちが最後の勝利者であるだろう。経済の面ではどうだろうか。諸物価が高騰し、日用品の値段が上昇するか、量が少なくなる。しかし消費者に直結する企業はおいそれと同調値上げができないし、消費者の厳しい目が光っている。企業が値上げできない分、人件費の抑制をしなければならず、給与が上がらないという負の連鎖が継続し、先進国では最低の給与水準になっていることも事実。勿論、人手不足から人件費の上昇圧力がかかり、その面でのせめぎあいが激しくなることが予想される。アメリカや欧州のように容易に物価上昇を図ることができればいいが、株式や有価証券重視ではなくて、貯蓄第一の日本ではそれも難しい。政府がこれほど借金して、コロナ対策でお金をばらまいても、インフレにならないのは不思議な現象と思う。しかし今年は企業も業績の回復と増益、驚異的な内部留保が見込まれ、政府方針の成長と分配で私達にも恩恵が降ってくるかもしれない。不平、不満な人を出来るだけ少なくする意味でも、アメリカのような格差の拡大ではなく、誰もが満足できるような社会の実現が少しでも見られたらと思う。スポーツの世界では冬季オリンピックでも夏のオリンピック同様、日本人の活躍が多く見られるだろう。社会的にも政治的にも安定した一年になるだろう。しかし夏の参議院選挙次第では不安定な面も残されている。新たに参政権を持った18歳、19歳の若者の参政権の行使や政治へのアプローチはもっと活発なものになって欲しい。医学の面では日本の製薬会社のワクチンや飲み薬が審議会で認可され、病院や老人施設での面会禁止が解除され、コロナ以前のように自由に会うことも許されるようになる。倫理面では日本古来の伝統的な道徳、長幼の序、礼節、謙譲、挨拶、感謝の気持ちが薄れ、権利を主張し、理屈っぽいきらいがあるが、総じて日本人は活力を失ってきたように思うのは私だけだろうか。それとも急激な人口減がそう思わせるのか。そんな大人の背中を見て育つ子どもたちには、立派で力強く誠実な後姿を見せて、暗黙の教育にしてほしい。2022年、また一つ歳を重ねる新しい年、皆さんはどのような旅立ちをしますか。いずれにしても無駄な一年にしたくない思いがいっぱいと思います。幼稚園の教育に携わる私たちにとっては、どんな小さなことでも何かお役に立てればこの上ない喜びです。最後になりますが、SDGsがますます声高に叫ばれ、、実現性が試される年になります。将来世代への禍根を残さないためにも真剣な取り組みが求められています。一緒になって美しい地球、この大地を残すために私たちは何ができるか、たとえ小さなことであっても一つ一つ実行していきましょう。2022年、今年もよろしくお願い申し上げます。、と同時に皆様方のご健勝、ご多幸を心よりご祈念申し上げます。

ゆく年くる年、2021 師 走

2021.12.00


 2年前に始まったコロナ狂騒曲、世界中に多大の不幸をもたらし、人々の日常生活をまったく変えてしまった。100年前のインフルと比較され、科学技術が進んだ現代では終息するのも時間の問題と誰もが考えたのに、一部日本では少し落ち着きを取り戻したものの、諸外国ではまだまだ猛威を振るっている。マスクや熱測定から解放されるのは未だ見通しが立たない。そんな中、厳しい対応と子供の成長・発達との相矛盾する中で、日々の保育と行事活動を行ってまいりました。時には叱咤激励のお言葉を頂きながら、保護者の皆様のご期待に応えられる努力も重ねてまいりました。お褒めの言葉も多数いただいた反面、中にはまだまだ対策をという無言の圧力も感じることもありました。これからも子どもたちの安全、安心と保護者からの信頼を目指して、努力してまいります。さて、時は師走、昔流に言えば、盆に延びた支払いも暮れにはどうしても取り立てることで「越すに越されぬ歳の暮」とは打って変わって、現在では年度末の3月のほうが大事、と言っても12月の声を聞くと何かじっとしていられない苛立ちや、一年の悔恨や反省を思う。しかしそんな懸念を払拭して、「来年こそは」と思う者はもっとも良く人生を送ることができるだろう。私の楽観的な見方かもしれませんが。ついでに書くと作家の石坂洋次郎は人生を終えるにあたって、次のように書いた。私自分は働けなくなって、ただ長寿を保つことはごめんだという気持ちである。また、人生は一度だけでたくさんだというのも私の場合の実感である。シミや偽りや傷あとだらけの私の人生をもう一度!そう思える人はよほど神経の鈍い人だと思う。私は地獄、極楽を信じないが、もし人間が死後、そういう世界に移り住むのだとすれば、私は泰平無事だが、少しばかり退屈そうな極楽よりも、血の池、針の山の責め苦がある地獄に住みたいと思う。自分の首を片手にぶらさげて歩いていく亡者であることも変わっていて面白いのではないだろうか。  保護者の皆さんはどう思われますか。というより、まだまだお若い皆様にとって無縁の事象かもしれません。
2021年、今年もいろいろありました。物議をかもした2020東京オリンピック、日本人は大活躍でした。精神的ストレスを告白した二度目の優勝を飾ったテニスの大坂選手、二刀流の前代未聞の大活躍の大谷選手、稲見選手の銀メダル、松山選手のマスターズ優勝、笹生選手の全米オープンの優勝、藤井4冠の超人的な活躍、衆議院選挙と岸田首相の選出、バイデン大統領就任、等々がありました。個人的には60歳から始めて18回目に頂いた生まれ年の新聞、1944年11月3日の記事には「荒鷲レイテ湾を猛攻」の勇ましい記事の反面、「B29悪天候でも爆弾1トン積んで飛来」の記事で、日本の敗戦を予感させるような記事も。10年後の1954年のトップの記事は日本一の健康優良児と優良校が決まったニュース、いまはもう消えてしまったが。様々な事件や出来事が起こり、さまざまな道筋をたどって解決し、消えていく。それは私たちの人生に通じるものであり、喜怒哀楽の境地なんだろう。あるものはハッピーエンドの結末となり、またあるものは後味の悪い結果を残していく。粛々とそれを受け止め、自分の成長の一過程と考え、それに対処する知恵を身につけていく。人はもろい反面、堅固な一面も併せ持っている。  入園、進級で始まった4月以来、先生や友とのふれあい、新しい環境との出会い、いろいろな行事や保育活動を通じて、それぞれの学年にふさわしい知識を身につけ、体験や経験もしてきました。子どもたちは保護者の皆様が思っている以上に大きく立派に成長発達を遂げたと思います。三つ子の魂百まで、幼児教育の大切さを今一度かみしめながら、2022年も全力で子どもたちと楽しい時を過ごしてまいります。ご期待ください。
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