苦しい中にも希望の光
2020.02.01

1月,往く、2月逃げる、3月去る、3学期は光のように過ぎ去ってしまう。この間元旦を迎えたばかりだというのに、もう2月。今は受験制度の多角化で、この時期それ程悲壮感を持った受験生が多くない。しかしそれでも、「冬来たりなば、春遠からじ」の言葉を胸に秘めて、必勝を期す受験生がまだまだ多い。人は絶望的な状態、耐え難い環境、精神が苛まされる事象、人間関係が微妙な現実、そんな状態や関係、環境がいついつまでも継続し、先が見えない、希望がない状態になると、意欲やモチベーションが低下し、絶望的な気持ちになる。その意味で、辛いことの後には良い事が待っているというこの激励の文は今の受験生にはぴったりの言葉だろう。しかし少子化の為か、大学全入を迎えた今、受験勉強なんか誰の事?と考える受験生もいる。人は苦しいときには何か明るいことを、例えその可能性がわずかであっても、求め、予知し、生き続ける糧にし、苦しさから開放されようとする。今の季節にもこのようなことがあてはまる。寒い、寒い冬の真最中に「立春」という言葉が存在する。少なくとも暦の上では春が来たと思い、心の中に何かしら「温もり」が来ることを連想する。その後に余寒とか春寒とかいう言葉も存在するが、本格的に春に移行する前の季節の逆戻りとして、なんら春が来ることをさえぎるものでない。又春浅し、春めくという言葉を使い、春のうきうき感を演出しようとする日本人古来の叡智がもたらした心の暖かさであろうか。クロッカス、水仙、椿も私達に春の近づきを教えてくれる。白や黄色のクロッカスを見るたびに、過ぎ去りし1年の速さを悟り、水仙の花を見 れば、恵まれない環境の中でも、白い清楚な装いで、私達を和ましてくれる。私は椿が好きだ。さざんかとよく間違えられる椿、武士の時代には落首と重なって忌み嫌われた椿、しかし日本古来の花、椿、五弁の椿や侘助の質素な椿、日本の椿は決して華麗で、華やかでないが、私達に訴え、ワビ、サビの世界に私達を誘い、一隅を照らして私達にほっとする雰囲気を醸し出す。茶道になくてはならない椿、西欧椿、所謂カメリアは品種も豊富で1000種類以上あるとか。又椿をめぐる争いが起こったり、超高値で取引されたり、今の錦鯉のように、品種改良をされ続けられた椿、一昔前までは黄色の椿を見つけた人には賞金を出すといわれた椿、幸運にもベトナムと中国雲南省の境で幻の黄色の椿が見つかったというニュース、そしてその葉を1枚日本に持ち帰って、日本にも黄色の椿が広まったという事実、椿のことを言われると、断片的な知識ながら、俄然筆が進んでしまう。1年に10cm位しか延びない椿、大きな椿の木を見ると思わず長年生き続けたことに畏敬の念を抱いてしまう。そして2月11日は建国記念日、戦前は紀元節、戦後はさまざまな議論を呼んでの建国の日、はなはだ個人的なことですが、私の母親は初代美木多幼稚園の園長で、父親と共に美木多幼稚園の礎を築いた。母は大正10年(1921年)2月11日生まれ、堺市立小学校の教員として勤務し、昭和53年に幼稚園を父と共に設立した。因みに私が33歳のとき。その母の名前が紀久子、紀元節から1字頂いたと千種小学校(鳳小学校)で勤務したこともある小学校教員の祖父(紀久子の親)から聞いたことがあった。今月は幼稚園にとって一番大きな行事、音楽・生活発表会の月、色々紆余曲折して今のような形の音楽・生活発表会が生まれた。音楽の指導、劇の指導で、担任も腕の見せ所、毎日毎日ハードな勤務が続きますが、子ども達の喜ぶ姿を見たい、その後ろにいる保護者の皆様の期待に少しでも近づけようと一生懸命です。又それを盛り上げていく裏方も担任以上に頑張っています。どうぞ当日は暖かい気持ちで見守っていただきますようお願い致します。御来園を心よりお待ち申し上げます。
2020.02.01

1月,往く、2月逃げる、3月去る、3学期は光のように過ぎ去ってしまう。この間元旦を迎えたばかりだというのに、もう2月。今は受験制度の多角化で、この時期それ程悲壮感を持った受験生が多くない。しかしそれでも、「冬来たりなば、春遠からじ」の言葉を胸に秘めて、必勝を期す受験生がまだまだ多い。人は絶望的な状態、耐え難い環境、精神が苛まされる事象、人間関係が微妙な現実、そんな状態や関係、環境がいついつまでも継続し、先が見えない、希望がない状態になると、意欲やモチベーションが低下し、絶望的な気持ちになる。その意味で、辛いことの後には良い事が待っているというこの激励の文は今の受験生にはぴったりの言葉だろう。しかし少子化の為か、大学全入を迎えた今、受験勉強なんか誰の事?と考える受験生もいる。人は苦しいときには何か明るいことを、例えその可能性がわずかであっても、求め、予知し、生き続ける糧にし、苦しさから開放されようとする。今の季節にもこのようなことがあてはまる。寒い、寒い冬の真最中に「立春」という言葉が存在する。少なくとも暦の上では春が来たと思い、心の中に何かしら「温もり」が来ることを連想する。その後に余寒とか春寒とかいう言葉も存在するが、本格的に春に移行する前の季節の逆戻りとして、なんら春が来ることをさえぎるものでない。又春浅し、春めくという言葉を使い、春のうきうき感を演出しようとする日本人古来の叡智がもたらした心の暖かさであろうか。クロッカス、水仙、椿も私達に春の近づきを教えてくれる。白や黄色のクロッカスを見るたびに、過ぎ去りし1年の速さを悟り、水仙の花を見 れば、恵まれない環境の中でも、白い清楚な装いで、私達を和ましてくれる。私は椿が好きだ。さざんかとよく間違えられる椿、武士の時代には落首と重なって忌み嫌われた椿、しかし日本古来の花、椿、五弁の椿や侘助の質素な椿、日本の椿は決して華麗で、華やかでないが、私達に訴え、ワビ、サビの世界に私達を誘い、一隅を照らして私達にほっとする雰囲気を醸し出す。茶道になくてはならない椿、西欧椿、所謂カメリアは品種も豊富で1000種類以上あるとか。又椿をめぐる争いが起こったり、超高値で取引されたり、今の錦鯉のように、品種改良をされ続けられた椿、一昔前までは黄色の椿を見つけた人には賞金を出すといわれた椿、幸運にもベトナムと中国雲南省の境で幻の黄色の椿が見つかったというニュース、そしてその葉を1枚日本に持ち帰って、日本にも黄色の椿が広まったという事実、椿のことを言われると、断片的な知識ながら、俄然筆が進んでしまう。1年に10cm位しか延びない椿、大きな椿の木を見ると思わず長年生き続けたことに畏敬の念を抱いてしまう。そして2月11日は建国記念日、戦前は紀元節、戦後はさまざまな議論を呼んでの建国の日、はなはだ個人的なことですが、私の母親は初代美木多幼稚園の園長で、父親と共に美木多幼稚園の礎を築いた。母は大正10年(1921年)2月11日生まれ、堺市立小学校の教員として勤務し、昭和53年に幼稚園を父と共に設立した。因みに私が33歳のとき。その母の名前が紀久子、紀元節から1字頂いたと千種小学校(鳳小学校)で勤務したこともある小学校教員の祖父(紀久子の親)から聞いたことがあった。今月は幼稚園にとって一番大きな行事、音楽・生活発表会の月、色々紆余曲折して今のような形の音楽・生活発表会が生まれた。音楽の指導、劇の指導で、担任も腕の見せ所、毎日毎日ハードな勤務が続きますが、子ども達の喜ぶ姿を見たい、その後ろにいる保護者の皆様の期待に少しでも近づけようと一生懸命です。又それを盛り上げていく裏方も担任以上に頑張っています。どうぞ当日は暖かい気持ちで見守っていただきますようお願い致します。御来園を心よりお待ち申し上げます。
令和2年 明けましておめでとうございます
2020.01.01

時代は平成から令和に変わりました。これを考え出した中西先生の著作を読むにつれ、その教養の深さに驚きの連続です。政治的には安倍首相が明治維新以降一番の長期政権になったとか。一年ごとに首相が変わっていた時とは隔世の感があります。経済的には1ドル110円前後の円安が続き、各国との一人当たりの所得が離されるばかりです。かっての世界第2位の実力はどこへ行ったのでしょうか。預金金利が低くなったせいで高齢者がお金を使わなくなったのがインフレ2%を達成できない大きな要因の一つだとか。又海外に出て行くことも少なく、内向きになった日本人からは今後もノーベル賞級の人がたくさん輩出されるのか?日本人の矜持が試されています。教育の世界では、いろいろ言いたい理由もありますが、読解力の成績が最底辺に沈んだとか。アルバイトに明け暮れて、勉強しなくなった学生、それとは反対に、いける大学よりも行きたい大学を目指して、一心不乱に、寝食を忘れて勉学にいそしむ一部高校生、教育の世界でもますます二極化が顕著になってきた。恵まれた家庭環境に生まれてきたからと言ってそれがいつまで続くか分からない。不透明で、混沌とした時代、一人ひとりの確固たる自覚が必要です。もっと大きなマクロ的に考えるとどうだろう。昔の新聞はアジアのニュースはほとんど話題にならなかった。しかし世界ナンバー2の中国をはじめ、アジアには経済的繁栄を謳歌する国々が現れ、新聞に占める比率も変わってきた。何と言っても好き嫌いは別として、中国は無視するには大きすぎるGNP No.2の国にのし上がった。識者によれば、USAを抜くことも遠い将来でないそうだ。面白くないアメリカはなんやかんやと難癖をつけて中国を貶めようとしているが上手くいかない。そのアメリカのトランプ大統領も一年も持たないかのように言われていたが、もう3年、共和党支持をしっかり取り付けて、今や二期目を目指しているがその可能性は誠に大きい。アメリカに対抗する勢力として、EECもイギリスの脱退によってその真価が問われている。しかしそんな心配は杞憂に終わる可能性が高い。丁度トランプ政権がそうであったように。昨年韓国人旅行者の激減があったが、全体として、未曾有の数の外国人が日本に押し寄せた。外国人が乗っていない電車、歩いていない都会に遭遇するのが難しい。一方で大きな観光公害を引き起こしている。誰が観光客から恩恵を受け、誰がそうではないか。どちらにしても私達の祖先がまだまだ美しい日本を残し、維持し、そしてその温和な日本人気質を受け継いできたことに大きな感謝です。戦争で歴史的遺物を完膚なきまで破壊してしまう人々、例えそれが自分たちの主義主張にあわないとしても、先人達への大きな冒涜となっている。いつの日か、その風景は日常の光景として、私達はなれてしまうのだろうか。先人達の残したものを子孫に今以上の形で伝えていくことも私達の責務であり、必然であろう。スポーツの世界では若い人がその若さを遺憾なく発揮した。初出場、初優勝、全英女子オープンゴルフの大きなタイトル、価値観で計れない大きな手、見えざる力、そしてそれを逃がさずに、がっちり自分の元に引き寄せる力、実力、渋野選手の優勝はラグビーワールドカップの大健闘同様に日本人に感動をもたらした。今年完成した国立競技場が2020年の東京オリンピックでその大任を果たす。思えば1964年10月10日、東京オリンピック、青空の下、私とほぼ同じ年齢の広島生まれの青年が聖火台に立ち、高々とたいまつを上げた。感動の渦であった。前年にケネディー大統領が凶弾に倒れ、世の中が少し沈んでいた。今回はオリンピック終了後は経済の悪化が予想され、少子化対策がますます喫緊の課題となってくる。
前と後ろに子どもを乗せて幼稚園まで毎日送り届けてくれるお母さん、バスの到着を今か今かと待ちわびているお母さんやお父さん、そして毎日、子どもと一緒に雨の日も、風の日も通園してくれるお母さん、子どもを思う気持ち、将来健やかに、幸せに過ごして欲しいと願う親心、数ある幼稚園の中で私達の幼稚園を選んでいただいた感謝の気持ち、今年も今まで以上に子どもに向き合い、子どもを理解し、お母さん、お父さんが安心して私達に任せていただけるよう誠心誠意頑張ってまいります。いろいろご心配、ご迷惑をおかけし、又ご期待に応じることができなかったことがあったかも分かりませんが、本当に昨年一年間ありがとうございました。今年も宜しくご指導、お力添えお願い申し上げます。最後になりますが、今年一年が皆様方にとって、最良の年になりますよう、心より願ってやみません。
2020.01.01

時代は平成から令和に変わりました。これを考え出した中西先生の著作を読むにつれ、その教養の深さに驚きの連続です。政治的には安倍首相が明治維新以降一番の長期政権になったとか。一年ごとに首相が変わっていた時とは隔世の感があります。経済的には1ドル110円前後の円安が続き、各国との一人当たりの所得が離されるばかりです。かっての世界第2位の実力はどこへ行ったのでしょうか。預金金利が低くなったせいで高齢者がお金を使わなくなったのがインフレ2%を達成できない大きな要因の一つだとか。又海外に出て行くことも少なく、内向きになった日本人からは今後もノーベル賞級の人がたくさん輩出されるのか?日本人の矜持が試されています。教育の世界では、いろいろ言いたい理由もありますが、読解力の成績が最底辺に沈んだとか。アルバイトに明け暮れて、勉強しなくなった学生、それとは反対に、いける大学よりも行きたい大学を目指して、一心不乱に、寝食を忘れて勉学にいそしむ一部高校生、教育の世界でもますます二極化が顕著になってきた。恵まれた家庭環境に生まれてきたからと言ってそれがいつまで続くか分からない。不透明で、混沌とした時代、一人ひとりの確固たる自覚が必要です。もっと大きなマクロ的に考えるとどうだろう。昔の新聞はアジアのニュースはほとんど話題にならなかった。しかし世界ナンバー2の中国をはじめ、アジアには経済的繁栄を謳歌する国々が現れ、新聞に占める比率も変わってきた。何と言っても好き嫌いは別として、中国は無視するには大きすぎるGNP No.2の国にのし上がった。識者によれば、USAを抜くことも遠い将来でないそうだ。面白くないアメリカはなんやかんやと難癖をつけて中国を貶めようとしているが上手くいかない。そのアメリカのトランプ大統領も一年も持たないかのように言われていたが、もう3年、共和党支持をしっかり取り付けて、今や二期目を目指しているがその可能性は誠に大きい。アメリカに対抗する勢力として、EECもイギリスの脱退によってその真価が問われている。しかしそんな心配は杞憂に終わる可能性が高い。丁度トランプ政権がそうであったように。昨年韓国人旅行者の激減があったが、全体として、未曾有の数の外国人が日本に押し寄せた。外国人が乗っていない電車、歩いていない都会に遭遇するのが難しい。一方で大きな観光公害を引き起こしている。誰が観光客から恩恵を受け、誰がそうではないか。どちらにしても私達の祖先がまだまだ美しい日本を残し、維持し、そしてその温和な日本人気質を受け継いできたことに大きな感謝です。戦争で歴史的遺物を完膚なきまで破壊してしまう人々、例えそれが自分たちの主義主張にあわないとしても、先人達への大きな冒涜となっている。いつの日か、その風景は日常の光景として、私達はなれてしまうのだろうか。先人達の残したものを子孫に今以上の形で伝えていくことも私達の責務であり、必然であろう。スポーツの世界では若い人がその若さを遺憾なく発揮した。初出場、初優勝、全英女子オープンゴルフの大きなタイトル、価値観で計れない大きな手、見えざる力、そしてそれを逃がさずに、がっちり自分の元に引き寄せる力、実力、渋野選手の優勝はラグビーワールドカップの大健闘同様に日本人に感動をもたらした。今年完成した国立競技場が2020年の東京オリンピックでその大任を果たす。思えば1964年10月10日、東京オリンピック、青空の下、私とほぼ同じ年齢の広島生まれの青年が聖火台に立ち、高々とたいまつを上げた。感動の渦であった。前年にケネディー大統領が凶弾に倒れ、世の中が少し沈んでいた。今回はオリンピック終了後は経済の悪化が予想され、少子化対策がますます喫緊の課題となってくる。
前と後ろに子どもを乗せて幼稚園まで毎日送り届けてくれるお母さん、バスの到着を今か今かと待ちわびているお母さんやお父さん、そして毎日、子どもと一緒に雨の日も、風の日も通園してくれるお母さん、子どもを思う気持ち、将来健やかに、幸せに過ごして欲しいと願う親心、数ある幼稚園の中で私達の幼稚園を選んでいただいた感謝の気持ち、今年も今まで以上に子どもに向き合い、子どもを理解し、お母さん、お父さんが安心して私達に任せていただけるよう誠心誠意頑張ってまいります。いろいろご心配、ご迷惑をおかけし、又ご期待に応じることができなかったことがあったかも分かりませんが、本当に昨年一年間ありがとうございました。今年も宜しくご指導、お力添えお願い申し上げます。最後になりますが、今年一年が皆様方にとって、最良の年になりますよう、心より願ってやみません。
Jorge Mario Bergoglio
2019.12.01

懐かしい聞き覚えのあるイタリア語が混じったようなポルテーニョ訛りのスペイン語が耳に入ってきた。ローマ教皇フランシスコが長崎で信者や集まった人に語り掛けていた。その声は優しく慈愛に満ちた、それでいて何物にも屈しないという威厳に満ちた語りであった。世界平和を訴え、核兵器自体を持つことを戒めていた。英語、伊語をはじめ、さまざまな言語に精通しているとはいえ、自分の心からの叫びを表現するのには生まれ育った母国語で話すのが良いと思ったのだろうか。本名Jorge Mario Bergoglio (ホルヘ マリオ ベルゴリオ)、1936年12月17日、南米 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生を受けた。嘘か本当か、若い時に好きな女の子にラブレターを書いて、それを受け入れてくれなかったら、聖職の道へ進もうと考えていた。その手紙は彼女の父親に握りつぶされ、彼女には届かなかった。そんな逸話が残っている。1969年から1971年まで私もブエノスアイレス駐在していたが、当時は今でもそうだと思うが、カトリックの国で、離婚や中絶は認められていなかった。それでdivorciado(離婚者)ではなくseparado(別居中)と呼ばれていた。実際この言葉は何回も会話に現れた。私はJunin 923番地に住んでいたが、その前がブエノスアイレス大学の医学部、歯学部、経済学部、教皇もこの大学を卒業した。その後、厳粛なカトリックの道を進むのだが、私も何回か友達の結婚式やミサに行ったことがあるので、ひょっとしたら出会っていたかもしれない、というより同じ町の同じ空気を吸っていたのだろうか?教皇になってからフランシスコと名前が変わったが非常に質素で、何事にも贅を嫌い、名誉や地位に対する欲もないと言われ、前教皇の選出の時には自分を選ばないようにほかの司教にお願いをしたほどであった。教皇は終世であるが、前教皇と同様に途中で退位するともいわれている。カトリック系の高校や大学は日本にも数多く存在するが、その総本山的存在の上智大学で離日にあたって教育の重要性を説き、すべての人に教育を受ける権利を主張した。アメリカはカトリック教徒が少ないが、ニクソンと争ったケネディは「宗教よりも国益を優先する」と言って、大統領になった。体に鞭を打って性的欲望を鎮めようとする厳しい修練、その裏でひそかに進む少年虐待の忌まわしい現実、欧州以外から初めて選ばれた教皇には様々な問題や慣習が待ち受けているが、どんな問題にも持ち前の英知とユーモアで乗り切っていく。キリスト教、イスラム教、仏教をはじめ、世界には数えきれないほどの宗教がある。しかしそれらは人類の歴史に比べれば浅い。これからは宗教の人へのかかわりがどうなっていくのだろうか。人は寂しい時、気弱になったときに何かに頼ったり、すがったりする。多くの宗教は生まれてもう何世紀もたっている。厳しい弾圧も経験した。しかし炎は消えなかった。むしろ燃え盛るようになった。順風満帆な時ばかりとは限らないが確かに生き延びていくだろう。私の周りには若い世代がほとんどいない。現実65歳以上の高齢者は3500万人、逆に昨年生まれた人は90万人を切った。昨年亡くなった人は130万人あまり、毎年40万人以上の人口減で、日本政府は移民で労働力を確保しようとしている。反対する経済学者は移民が入ってくると労働賃金が上昇しないし、企業も生産効率を上げる動きも鈍くなると主張する。要約すれば、移民政策をやめて、働いている人の賃金の上昇を図るべきだと考えている。
今子供たちは作品展も終わり、比較的ゆったりした保育環境の中で、元気いっぱい走り回って、楽しんでいる。また2月の音楽・生活発表会に向けて、徐々に取り組み始めている。きっと保護者の皆様の期待を裏切ることがない活躍を見せることでしょう。幼稚園で過ごし、経験し、体験したことが血となり肉となって、子どもたちの今後の大きな活躍の源となっていくことでしょう。 令和元年12月、この1年間、保護者の皆様ありがとうございました。
2019.12.01

懐かしい聞き覚えのあるイタリア語が混じったようなポルテーニョ訛りのスペイン語が耳に入ってきた。ローマ教皇フランシスコが長崎で信者や集まった人に語り掛けていた。その声は優しく慈愛に満ちた、それでいて何物にも屈しないという威厳に満ちた語りであった。世界平和を訴え、核兵器自体を持つことを戒めていた。英語、伊語をはじめ、さまざまな言語に精通しているとはいえ、自分の心からの叫びを表現するのには生まれ育った母国語で話すのが良いと思ったのだろうか。本名Jorge Mario Bergoglio (ホルヘ マリオ ベルゴリオ)、1936年12月17日、南米 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生を受けた。嘘か本当か、若い時に好きな女の子にラブレターを書いて、それを受け入れてくれなかったら、聖職の道へ進もうと考えていた。その手紙は彼女の父親に握りつぶされ、彼女には届かなかった。そんな逸話が残っている。1969年から1971年まで私もブエノスアイレス駐在していたが、当時は今でもそうだと思うが、カトリックの国で、離婚や中絶は認められていなかった。それでdivorciado(離婚者)ではなくseparado(別居中)と呼ばれていた。実際この言葉は何回も会話に現れた。私はJunin 923番地に住んでいたが、その前がブエノスアイレス大学の医学部、歯学部、経済学部、教皇もこの大学を卒業した。その後、厳粛なカトリックの道を進むのだが、私も何回か友達の結婚式やミサに行ったことがあるので、ひょっとしたら出会っていたかもしれない、というより同じ町の同じ空気を吸っていたのだろうか?教皇になってからフランシスコと名前が変わったが非常に質素で、何事にも贅を嫌い、名誉や地位に対する欲もないと言われ、前教皇の選出の時には自分を選ばないようにほかの司教にお願いをしたほどであった。教皇は終世であるが、前教皇と同様に途中で退位するともいわれている。カトリック系の高校や大学は日本にも数多く存在するが、その総本山的存在の上智大学で離日にあたって教育の重要性を説き、すべての人に教育を受ける権利を主張した。アメリカはカトリック教徒が少ないが、ニクソンと争ったケネディは「宗教よりも国益を優先する」と言って、大統領になった。体に鞭を打って性的欲望を鎮めようとする厳しい修練、その裏でひそかに進む少年虐待の忌まわしい現実、欧州以外から初めて選ばれた教皇には様々な問題や慣習が待ち受けているが、どんな問題にも持ち前の英知とユーモアで乗り切っていく。キリスト教、イスラム教、仏教をはじめ、世界には数えきれないほどの宗教がある。しかしそれらは人類の歴史に比べれば浅い。これからは宗教の人へのかかわりがどうなっていくのだろうか。人は寂しい時、気弱になったときに何かに頼ったり、すがったりする。多くの宗教は生まれてもう何世紀もたっている。厳しい弾圧も経験した。しかし炎は消えなかった。むしろ燃え盛るようになった。順風満帆な時ばかりとは限らないが確かに生き延びていくだろう。私の周りには若い世代がほとんどいない。現実65歳以上の高齢者は3500万人、逆に昨年生まれた人は90万人を切った。昨年亡くなった人は130万人あまり、毎年40万人以上の人口減で、日本政府は移民で労働力を確保しようとしている。反対する経済学者は移民が入ってくると労働賃金が上昇しないし、企業も生産効率を上げる動きも鈍くなると主張する。要約すれば、移民政策をやめて、働いている人の賃金の上昇を図るべきだと考えている。
今子供たちは作品展も終わり、比較的ゆったりした保育環境の中で、元気いっぱい走り回って、楽しんでいる。また2月の音楽・生活発表会に向けて、徐々に取り組み始めている。きっと保護者の皆様の期待を裏切ることがない活躍を見せることでしょう。幼稚園で過ごし、経験し、体験したことが血となり肉となって、子どもたちの今後の大きな活躍の源となっていくことでしょう。 令和元年12月、この1年間、保護者の皆様ありがとうございました。