思いと贈る言葉
2019.03.01
卒園・進級おめでとうございます。自分の意思とは関係ないとはいえ、この世に生を受け、健康に、順調に成長を遂げてきた皆さん、人生の長いスパンで考えると、まだまだ「ひよこ」の時代、しかしこのひよこの時代こそ、これからの長い人生の基礎・基本が形成される大切な時、その不可逆的でお金ではけっして買えない貴重な時をこの幼稚園で過ごした皆さんには、他の誰にも負けない人間としての生きる力、生き抜く力が備わっています。これからの21世紀の日本を支える皆さんの活躍は、取りも直さず、日本の輝きにも通じるものがあります。今まで培ってきた基礎の上に、人生の中でのさまざまな事象を経験して、応用力をつけ、心豊かな立派な人に育って欲しいと思います。ここでいう立派な人というのは、世間から脚光を浴び、有名になり、お金持ちになることを意味しているのではありません。それらのことは偶然この世で通じたとしても、別の世界ではなんらの価値を持たないかもしれません。例え金銭的にそれ程恵まれなくとも、社会の片隅で光り輝いている人がいます。その人が居れば輪が和み、協力しようとする機運が生まれる、安心感があり、生きる勇気が湧いてくる、ひたむきに一生懸命生きている、そんな素晴らしい人たちです。私の若い頃は、末は博士か大臣かという、はやり言葉がありました。蛍雪の功を成し遂げた人、私財を投げ打って人のために大きな働きをした人もたくさんおられますが、それ以上に名も無く、貧しく、しかし幸福に後悔しない人生を歩んだ人がいます。
1.個人情報の保持
前はそんなことは言わなかった。おおらかであった。みんなが隣人であり、お互い助け合った。冠婚葬祭全てにわたった。しかし、いつのまにか隣人のぬくもりが消え、知らない他人が増えていった。何事にも助け合い、悲しみ、喜び合ったことが億劫になった。一つには機器の発達・普及と共に助け合うことの必要性がなくなったこと、もう一つにはストレス社会の拡大が進み、他人を思いやる余裕やゆとりがなくなった。それと共に個人情報の秘匿が言われ、ますます息苦しさを覚える人も増加した。反面、ネット社会ではそんな秘密性を、匿名を利用して、次から次へと容赦なく、暴いていく。人が人を信用しなくなった社会、会話や話し合いの全てが音声と映像で記録される社会、何でも言える社会はどこへいったのだろうか?過去にスイングしているのだろうか?
2.個性尊重の社会
過去の有名な人の中には変人扱いされ、評価されなかった人も多い。しかし今から考えると、果たしてそんなに個性が強く、変わり者だったのか。今の社会は個性の尊重が強調され、少々のことには目をつぶって見逃されていく。個性尊重も必要だが、所詮人間は人間の中でしか生きていくことができない、換言すれば、何らかの形で他人との関わり無しでは生活できないのも事実になっている。個性尊重、弱者保護も優先事項だが、今までの慣例や習慣、考え方が全て否定され、変えられるのにも違和感を覚える人も多い。先日テレビのドラマでの中で、弱者に焦点を当てることはどんな立派な正義よりも効果があると言っていたが、まさに正鵠を得ているのかもしれない。
3.真面目・正直・素直
一番評価されるべき人はこのような素質を備えている人であろう。しかしそれを逆手にとって、自分の利益を図り、立場を守ろうとする人が多い。特に人の善意や無知に付け込んで、人をだます悪人が増えたのは嘆かわしい。それがセールスの極意であるというならば、セールスや話術の曲解であろう。日本人が古来から守り続けた真面目・正直・素直な気持ちは一時にそれを悪用する卑怯者が増えたとしても、究極的には人の信頼を勝ち取り、生きることを後悔せず、喜びに変わっていくものだろう。と同時に自分のためでなく、人のために何ができるかという利他の気持ちを持つことは結局自分の反映につながっていく。最後になりましたが、皆さんの前には前途洋洋たる海原、未来が広がっています。それを無事航海していくのか、途中で沈没してしまうのかは、全てこれからの皆さんの努力や強い意志、頑張りにかかっています。人を信じ、自分を信じて荒波を乗り切っていきましょう。皆さんならきっとできます。未来が皆さんを待っています。
2019.03.01
卒園・進級おめでとうございます。自分の意思とは関係ないとはいえ、この世に生を受け、健康に、順調に成長を遂げてきた皆さん、人生の長いスパンで考えると、まだまだ「ひよこ」の時代、しかしこのひよこの時代こそ、これからの長い人生の基礎・基本が形成される大切な時、その不可逆的でお金ではけっして買えない貴重な時をこの幼稚園で過ごした皆さんには、他の誰にも負けない人間としての生きる力、生き抜く力が備わっています。これからの21世紀の日本を支える皆さんの活躍は、取りも直さず、日本の輝きにも通じるものがあります。今まで培ってきた基礎の上に、人生の中でのさまざまな事象を経験して、応用力をつけ、心豊かな立派な人に育って欲しいと思います。ここでいう立派な人というのは、世間から脚光を浴び、有名になり、お金持ちになることを意味しているのではありません。それらのことは偶然この世で通じたとしても、別の世界ではなんらの価値を持たないかもしれません。例え金銭的にそれ程恵まれなくとも、社会の片隅で光り輝いている人がいます。その人が居れば輪が和み、協力しようとする機運が生まれる、安心感があり、生きる勇気が湧いてくる、ひたむきに一生懸命生きている、そんな素晴らしい人たちです。私の若い頃は、末は博士か大臣かという、はやり言葉がありました。蛍雪の功を成し遂げた人、私財を投げ打って人のために大きな働きをした人もたくさんおられますが、それ以上に名も無く、貧しく、しかし幸福に後悔しない人生を歩んだ人がいます。
1.個人情報の保持
前はそんなことは言わなかった。おおらかであった。みんなが隣人であり、お互い助け合った。冠婚葬祭全てにわたった。しかし、いつのまにか隣人のぬくもりが消え、知らない他人が増えていった。何事にも助け合い、悲しみ、喜び合ったことが億劫になった。一つには機器の発達・普及と共に助け合うことの必要性がなくなったこと、もう一つにはストレス社会の拡大が進み、他人を思いやる余裕やゆとりがなくなった。それと共に個人情報の秘匿が言われ、ますます息苦しさを覚える人も増加した。反面、ネット社会ではそんな秘密性を、匿名を利用して、次から次へと容赦なく、暴いていく。人が人を信用しなくなった社会、会話や話し合いの全てが音声と映像で記録される社会、何でも言える社会はどこへいったのだろうか?過去にスイングしているのだろうか?
2.個性尊重の社会
過去の有名な人の中には変人扱いされ、評価されなかった人も多い。しかし今から考えると、果たしてそんなに個性が強く、変わり者だったのか。今の社会は個性の尊重が強調され、少々のことには目をつぶって見逃されていく。個性尊重も必要だが、所詮人間は人間の中でしか生きていくことができない、換言すれば、何らかの形で他人との関わり無しでは生活できないのも事実になっている。個性尊重、弱者保護も優先事項だが、今までの慣例や習慣、考え方が全て否定され、変えられるのにも違和感を覚える人も多い。先日テレビのドラマでの中で、弱者に焦点を当てることはどんな立派な正義よりも効果があると言っていたが、まさに正鵠を得ているのかもしれない。
3.真面目・正直・素直
一番評価されるべき人はこのような素質を備えている人であろう。しかしそれを逆手にとって、自分の利益を図り、立場を守ろうとする人が多い。特に人の善意や無知に付け込んで、人をだます悪人が増えたのは嘆かわしい。それがセールスの極意であるというならば、セールスや話術の曲解であろう。日本人が古来から守り続けた真面目・正直・素直な気持ちは一時にそれを悪用する卑怯者が増えたとしても、究極的には人の信頼を勝ち取り、生きることを後悔せず、喜びに変わっていくものだろう。と同時に自分のためでなく、人のために何ができるかという利他の気持ちを持つことは結局自分の反映につながっていく。最後になりましたが、皆さんの前には前途洋洋たる海原、未来が広がっています。それを無事航海していくのか、途中で沈没してしまうのかは、全てこれからの皆さんの努力や強い意志、頑張りにかかっています。人を信じ、自分を信じて荒波を乗り切っていきましょう。皆さんならきっとできます。未来が皆さんを待っています。
el Camino de Santiago (サンチアゴへの道)
2019.02.01
el Camino de Santiago (サンチアゴへの道)
時刻は夜の11時過ぎ、イベリア航空3894便は着陸装置を出して、高度を下げているにもかかわらず、窓から見える景色は霧一色で何も見えない。突然の音で着陸を知り、機は濃い霧の中を滑走してターミナルに向かった。バルセロナ午後7時30分の出発だったが、途中マドリッドに寄航した為に倍以上の時間がかかった。50年以上前に大学でスペイン語を勉強して、この名前を何回も聞いていた。しかし私にとっては初めての地であった。サンチアゴ デ コンポステラ(Santiago de Compostela)、その地の名前であった。スペイン北西部、ポルトガルに接したガリシア地方の一都市に過ぎないが、9世紀に12使徒(ペテロ、マタイ、ヨハネ、ヤコブ、ユダ等が良く知られる)の一人聖ヤコブの遺骸が発見され、カトリック教徒にとっては三大聖地(エルサレム、ローマ、サンチアゴ)の一つになった。それ以降、スペインのイスラムに対する国土回復運動等で、この地が喧伝され、カトリック教徒が巡礼する都市になり、特にフランスからピレネー山脈を越え、スペイン北部を通ってサンチアゴに至る道は el Camino de Santiago と言われ、巡礼の道として良く知られ、現在は世界文化遺産として登録されている。フランスからピレネー山脈を越えて、貝殻のついた杖を持って1000km以上の道程を巡礼する人は何を求めて苦難の道を進んでいったのか?人の弱さを知る反面、神の強さを意識させるのだろうか?Santiago という名前は世界中で見受けられる。Santiago de Chile (チリ)、de Cuba(キューバ)、del Estero (アルゼンチン)、de los Caballeros (ドミニカ)のように、どこのSantiago か知るために、後ろにその国の名前や都市の名前をつける。ここも正式にはSantiago de Compostela だが、スペインでは Santiago といえば Compostela の事で、航空券にもSantiagoの記述しかない。さて、話がさかのぼって、無事ターミナルに到着後、タクシーに乗って霧の中、20分あまり山を下って、国が運営するホテル、パラドールに着いた。ここは15世紀に建設された建物で、昔は病院として使われていた古い建物、それなりの威容を誇る重厚な建物であった。ここまで来ると、さすがにアジア系の観光客はほとんどいない。日本人はよく来るせいか、私は日本人(ハポネス)と何回も聞かれた。人は皆親切(アマブレ)であった。建物は古いが快適なホテルで、料金もリーズナブルであった。ホテルの前は大きなオブラドイロ広場で、その前には巡礼の最終地、12世紀に建立され、その後増築された巡礼大聖堂(カテドラル、Catedral)が華麗で荘厳な趣で聳え立っていた。巡礼者達(Peregrinos a Santiago)はこの大聖堂に着いて、大きな感動と安堵と達成感を覚え、高揚とした気持ちで神の世界への入り口を意識したかもしれない。確たる宗教を持たない私でも確かに身震いするような気持ちになった。大聖堂の中に入った。中を一周させていただいた。時刻はちょうど12時前、疲れたので、祭壇の正面でなく、両サイドの長椅子の一番前に座った。ミサが何時にあるか知らなかった。まもなく神父やシスターが現れ、ミサが始まった。観光客がいたが、ほとんど信者であった。私はカトリックのマナーや礼儀作法を知らなかった。そして列の一番前であった。子どもでなく、遠い異国から来た年配者であった。その上、ミサのスペイン語は早い上に高尚で、あまり理解できなかった。はるか前方の信者がするようにその作法を真似たが、異教徒が同じ事をしても良いのかと自問自答しながらのミサの時間であった。最後に7人ほどの比較的若い修道士が出てきて、ボタフメイロ(botafumeiro, 香炉、特にサンチアゴ大聖堂の天井から吊るして揺らす巨大な香炉、この煙が身体にかかると幸運が来るといわれ、前列の私にもかかった。今年は私に幸運が来るのかな。)を前後左右に大きく揺らした。今日一日で何人の人が幸運をもらったのだろうか?ただ7人の修道士と思っていたが、実は彼らは学生のアルバイトかもしれない。ミサが終わると、同じ顔の若者が服を着替えて外に出て行った。そうだとすればこの世界でも人手不足なのだろうか。ブラックユーモアだろうか。逆に考えれば、ここは学生の町、だからアルバイトの口を提供しているのだろうか。天国への入り口はまだまだ現実のしがらみが多いのかもしれない。そんなことを考えながら、12月28日17時40分、マドリッド行きのイベリア航空3879便に乗った。
今月は三大行事の中でも大きな発表会、今は練習の真っ最中、是非ともお子様、お孫様の活躍をご堪能しにお越しください。心よりお待ちしています。2月、如月、今月も宜しくお願い申し上げます。
2019.02.01
時刻は夜の11時過ぎ、イベリア航空3894便は着陸装置を出して、高度を下げているにもかかわらず、窓から見える景色は霧一色で何も見えない。突然の音で着陸を知り、機は濃い霧の中を滑走してターミナルに向かった。バルセロナ午後7時30分の出発だったが、途中マドリッドに寄航した為に倍以上の時間がかかった。50年以上前に大学でスペイン語を勉強して、この名前を何回も聞いていた。しかし私にとっては初めての地であった。サンチアゴ デ コンポステラ(Santiago de Compostela)、その地の名前であった。スペイン北西部、ポルトガルに接したガリシア地方の一都市に過ぎないが、9世紀に12使徒(ペテロ、マタイ、ヨハネ、ヤコブ、ユダ等が良く知られる)の一人聖ヤコブの遺骸が発見され、カトリック教徒にとっては三大聖地(エルサレム、ローマ、サンチアゴ)の一つになった。それ以降、スペインのイスラムに対する国土回復運動等で、この地が喧伝され、カトリック教徒が巡礼する都市になり、特にフランスからピレネー山脈を越え、スペイン北部を通ってサンチアゴに至る道は el Camino de Santiago と言われ、巡礼の道として良く知られ、現在は世界文化遺産として登録されている。フランスからピレネー山脈を越えて、貝殻のついた杖を持って1000km以上の道程を巡礼する人は何を求めて苦難の道を進んでいったのか?人の弱さを知る反面、神の強さを意識させるのだろうか?Santiago という名前は世界中で見受けられる。Santiago de Chile (チリ)、de Cuba(キューバ)、del Estero (アルゼンチン)、de los Caballeros (ドミニカ)のように、どこのSantiago か知るために、後ろにその国の名前や都市の名前をつける。ここも正式にはSantiago de Compostela だが、スペインでは Santiago といえば Compostela の事で、航空券にもSantiagoの記述しかない。さて、話がさかのぼって、無事ターミナルに到着後、タクシーに乗って霧の中、20分あまり山を下って、国が運営するホテル、パラドールに着いた。ここは15世紀に建設された建物で、昔は病院として使われていた古い建物、それなりの威容を誇る重厚な建物であった。ここまで来ると、さすがにアジア系の観光客はほとんどいない。日本人はよく来るせいか、私は日本人(ハポネス)と何回も聞かれた。人は皆親切(アマブレ)であった。建物は古いが快適なホテルで、料金もリーズナブルであった。ホテルの前は大きなオブラドイロ広場で、その前には巡礼の最終地、12世紀に建立され、その後増築された巡礼大聖堂(カテドラル、Catedral)が華麗で荘厳な趣で聳え立っていた。巡礼者達(Peregrinos a Santiago)はこの大聖堂に着いて、大きな感動と安堵と達成感を覚え、高揚とした気持ちで神の世界への入り口を意識したかもしれない。確たる宗教を持たない私でも確かに身震いするような気持ちになった。大聖堂の中に入った。中を一周させていただいた。時刻はちょうど12時前、疲れたので、祭壇の正面でなく、両サイドの長椅子の一番前に座った。ミサが何時にあるか知らなかった。まもなく神父やシスターが現れ、ミサが始まった。観光客がいたが、ほとんど信者であった。私はカトリックのマナーや礼儀作法を知らなかった。そして列の一番前であった。子どもでなく、遠い異国から来た年配者であった。その上、ミサのスペイン語は早い上に高尚で、あまり理解できなかった。はるか前方の信者がするようにその作法を真似たが、異教徒が同じ事をしても良いのかと自問自答しながらのミサの時間であった。最後に7人ほどの比較的若い修道士が出てきて、ボタフメイロ(botafumeiro, 香炉、特にサンチアゴ大聖堂の天井から吊るして揺らす巨大な香炉、この煙が身体にかかると幸運が来るといわれ、前列の私にもかかった。今年は私に幸運が来るのかな。)を前後左右に大きく揺らした。今日一日で何人の人が幸運をもらったのだろうか?ただ7人の修道士と思っていたが、実は彼らは学生のアルバイトかもしれない。ミサが終わると、同じ顔の若者が服を着替えて外に出て行った。そうだとすればこの世界でも人手不足なのだろうか。ブラックユーモアだろうか。逆に考えれば、ここは学生の町、だからアルバイトの口を提供しているのだろうか。天国への入り口はまだまだ現実のしがらみが多いのかもしれない。そんなことを考えながら、12月28日17時40分、マドリッド行きのイベリア航空3879便に乗った。
今月は三大行事の中でも大きな発表会、今は練習の真っ最中、是非ともお子様、お孫様の活躍をご堪能しにお越しください。心よりお待ちしています。2月、如月、今月も宜しくお願い申し上げます。
2019年、平成31年、あけましておめでとうございます
2019.01.01
2019年、平成31年が始まりました。平成がどんな年号に変わるのか、未知なものを待ち受けるのもどきどき・わくわく感があります。過去の事例に倣って、英知を集めて新しい時代にふさわしい元号が発表されることでしょう。ちょうど平成がそうであったように。
「Time Flies.」「光陰矢のごとし」の諺通り、一日がゆっくり流れ、一年たっても10年たっても、50年たっても、同じ環境、同じ風景の時代から何もかもすぐに変わり行く時代への変遷、過去、現在、未来が走馬灯のようにめまぐるしく変わっていく。過去は瞬く間に遠いかなたへ飛び去り、現在は一瞬のうちに過去になり、未来は限りない速さで現在になっていく。高齢者の意見は一括りで同一視され、それは昔のこと、今は時代が違うと揶揄される。こんな激動の、めまぐるしい時代に精神的、肉体的に対応できない人も増加の一途をたどっている。個人情報とかハラスメントという妖怪が徘徊し、言葉以上に重く私たちの上にのしかかってくる。何事も適切な対応と常識的な包容力が必要とされるのかも知れない。最近同窓会に招かれることがあった。と言っても私が教員時代の教え子のそれである。彼ら、彼女らは50代前半、とかくこの年齢はそれなりの立場の者と、そうでない者との差があって後者の出席者が少ないのだが、今回は立場に関係なく集まった。そこでは昔の呼び方で接し、40年前の同じ仲良しであった。和泉高校の担任団の同窓会もあった。学年主任の先生が亡くなられ、彼女を偲んでの集まりも兼ねていた。私自身は1年生、2年生と担任したが、次の年に鳳高校に転勤したために3年生は担任していなかった。30年経過して校長で残っている者、講師として勤めている者、又私学の校長として働いている者等、さまざまであったが、リタイアしている人も多かった。30年は人をこのように変えるのだろうか。しかし話の内容は当時のことが中心で、生徒のこと、行事のこと、活躍した事等、昔話に花を咲かせた。4月には学年全体の同窓会があり、それにも招かれるそうだ。過去を思い出したりする事はあまりないが、これらの同窓会を通じて、そんなこともあった、そんな経験もしたと懐かしく又感傷的になった。クラスの合唱コンクールを見守ったあの時、教壇にたって英語の構文を教えていたあのとき、クラス全員と観光バスに乗って十津川へ行ったあの時も私であり、何十年かたった今も、過去とは違った形の私がいる。思い出が、過去の経験や体験が私を形作り、私の心の中に宿っている。過去は戻ってこないが私の片隅で小さい炎を燃やし続けている。瞬間、その儚さを悔恨と甘いメロディーで思い出すが、すぐに遠くに飛び去ってしまう。過去があって、現在がある。その思いがいっそう具現化していく。今の幼稚園児はある意味幸せであろう。映像と記録で生まれたそのときから確かな過去といつも向き合うことができる。そして一瞬のうちに過去の自分に浸ることができる。良いように考えれば、自分史を作るのも簡単なことだ。
さて、今年は十二支の亥(い)の年、中国流の獣に当てはめれば猪、うりぼう(瓜坊)は可愛いが成長すると人に害を与え、時には死に至らしめることもある動物。20年少し前、河内長野の小さな鮨屋さんで「和泉市から河内長野の山にいるすべての猪を狩猟した」と豪語している人がいたが、何と可哀想な事をしたのかと強い憤りを覚えた。猪も生きる権利がある。今金剛山系に猪がいると聞いて少し安心した。人とうまく共存して欲しいとの思いが強い。しかし何と言っても猪の特徴は猪突猛進、私たち人間にもそんなバイタリティーに富んだ人も見受けられるが、少し立ち止まってみることをすれば、もっと素晴らしい人になることも多い。幼稚園児たちも今年は猪のようにしっかり前を向いて、元気に突き進んで欲しい。しかしそれが間違った道であれば、お父さんやお母さん、友や先生や君たちを支えてくれる多くの人の意見を聞いて元の正道に戻って頑張っていこう。いつまでも元気で、前を向いて、しっかり行動することを今年の目標にしよう。
2019.01.01
2019年、平成31年が始まりました。平成がどんな年号に変わるのか、未知なものを待ち受けるのもどきどき・わくわく感があります。過去の事例に倣って、英知を集めて新しい時代にふさわしい元号が発表されることでしょう。ちょうど平成がそうであったように。
「Time Flies.」「光陰矢のごとし」の諺通り、一日がゆっくり流れ、一年たっても10年たっても、50年たっても、同じ環境、同じ風景の時代から何もかもすぐに変わり行く時代への変遷、過去、現在、未来が走馬灯のようにめまぐるしく変わっていく。過去は瞬く間に遠いかなたへ飛び去り、現在は一瞬のうちに過去になり、未来は限りない速さで現在になっていく。高齢者の意見は一括りで同一視され、それは昔のこと、今は時代が違うと揶揄される。こんな激動の、めまぐるしい時代に精神的、肉体的に対応できない人も増加の一途をたどっている。個人情報とかハラスメントという妖怪が徘徊し、言葉以上に重く私たちの上にのしかかってくる。何事も適切な対応と常識的な包容力が必要とされるのかも知れない。最近同窓会に招かれることがあった。と言っても私が教員時代の教え子のそれである。彼ら、彼女らは50代前半、とかくこの年齢はそれなりの立場の者と、そうでない者との差があって後者の出席者が少ないのだが、今回は立場に関係なく集まった。そこでは昔の呼び方で接し、40年前の同じ仲良しであった。和泉高校の担任団の同窓会もあった。学年主任の先生が亡くなられ、彼女を偲んでの集まりも兼ねていた。私自身は1年生、2年生と担任したが、次の年に鳳高校に転勤したために3年生は担任していなかった。30年経過して校長で残っている者、講師として勤めている者、又私学の校長として働いている者等、さまざまであったが、リタイアしている人も多かった。30年は人をこのように変えるのだろうか。しかし話の内容は当時のことが中心で、生徒のこと、行事のこと、活躍した事等、昔話に花を咲かせた。4月には学年全体の同窓会があり、それにも招かれるそうだ。過去を思い出したりする事はあまりないが、これらの同窓会を通じて、そんなこともあった、そんな経験もしたと懐かしく又感傷的になった。クラスの合唱コンクールを見守ったあの時、教壇にたって英語の構文を教えていたあのとき、クラス全員と観光バスに乗って十津川へ行ったあの時も私であり、何十年かたった今も、過去とは違った形の私がいる。思い出が、過去の経験や体験が私を形作り、私の心の中に宿っている。過去は戻ってこないが私の片隅で小さい炎を燃やし続けている。瞬間、その儚さを悔恨と甘いメロディーで思い出すが、すぐに遠くに飛び去ってしまう。過去があって、現在がある。その思いがいっそう具現化していく。今の幼稚園児はある意味幸せであろう。映像と記録で生まれたそのときから確かな過去といつも向き合うことができる。そして一瞬のうちに過去の自分に浸ることができる。良いように考えれば、自分史を作るのも簡単なことだ。
さて、今年は十二支の亥(い)の年、中国流の獣に当てはめれば猪、うりぼう(瓜坊)は可愛いが成長すると人に害を与え、時には死に至らしめることもある動物。20年少し前、河内長野の小さな鮨屋さんで「和泉市から河内長野の山にいるすべての猪を狩猟した」と豪語している人がいたが、何と可哀想な事をしたのかと強い憤りを覚えた。猪も生きる権利がある。今金剛山系に猪がいると聞いて少し安心した。人とうまく共存して欲しいとの思いが強い。しかし何と言っても猪の特徴は猪突猛進、私たち人間にもそんなバイタリティーに富んだ人も見受けられるが、少し立ち止まってみることをすれば、もっと素晴らしい人になることも多い。幼稚園児たちも今年は猪のようにしっかり前を向いて、元気に突き進んで欲しい。しかしそれが間違った道であれば、お父さんやお母さん、友や先生や君たちを支えてくれる多くの人の意見を聞いて元の正道に戻って頑張っていこう。いつまでも元気で、前を向いて、しっかり行動することを今年の目標にしよう。