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ケイオス・混沌とした世界

2019.05.01


 動体視力がついていけないほど、周りの景色が瞬間に変わっていく。340kmまで刻まれたスピードメーターにはまだ十分な余裕があり、タコメーターにいたっては3000回転を過ぎたばかり、IHI製のツインターボから加給された燃料はV6,3800cc、最高出力570HPのエンジンに吸い込まれ、身震いするような心地よいエグゾーストサウンドを響かせながら吼え続けている。拙いながら、ハードボイルド流の表現を借りれば、このようになるのだろうか。今は亡き大藪晴彦はその著の中で「羊の皮を被った狼」と表現した。小さくて弱いが、一度アクセルを踏むと、表情は一変、羊が狼に変わる性能を発揮する。見かけは何の変哲も無い普通の車なのに、足回りを強化し、エンジンを高性能に変えて、いざというときに、その能力を引き出すことを喜びとしていた。一種の「能ある鷹は爪を隠す」だろうか。今は外国の車も含めて、高性能であるというエンブレムをつけて、自分の主張を押し出している。どちらがいいのだろうか。それにしても、環境の問題が影響しているのだろうか。燃費の問題だろうか。他に安価な手段がたくさんあるせいなのか。若者の車離れ、特にスポーツタイプの車への関心が薄れている。カーレースを見る人はそれなりに多いのだが。電気工事の人に家の近くの山中でダイハツのミゼットを運転させてもらったのが最初だった。その後高校1年生の昭和35年(1960年)、なぜかこの辺りは高石警察の管轄だった、その警察に行って、原付免許をもらった。私の運転免許の原点だ。三国丘高校には最初の半年間、自転車とバイクで通学したが、それ以降は原付バイクで行った。大学生の頃、優美な日野のコンテッサーの後にブルーバードSSSが家にやってきた。この頃、スピードに憧れ、鈴鹿サーキットに行ったこともあった。係員に気をつけてくださいよと言われ、サーキットに入り、高速でバンクを走りぬけた。しかし今の基準からすれば、100km/hを少し上回ったくらいであった。その当時レースで常勝のプリンス・スカイラインGT-Bに本当に乗りたかった。しかしとても学生の私には手を出せるものではなかった。会社に入っておとなしいカローラに乗って門真まで通勤した。何の不満も無かったが、日産のフェアレディにあこがれた。しかし日産はこのモデルだけは現金販売を押し通した。初任給3万円の私には100万円の車はまさしく高嶺の花であった。今の売れ筋はSUVかONE BOX、セダンやスポーツタイプの車は憧れても実需が無い。メーカーも開発意欲を削がれているようだ。環境問題、燃費の問題、女性に一段と優しくなった男性の問題、家族構成や家庭円満の問題、大きな1-boxにひとりで運転している姿を見ると、そしてほとんどの場合はそうなのだが、効率がよさそうに見えないのだが。
大学生の頃、北海道旅行で知り合った友を訪ねて、友人と二人で福井に行った。高速道路の無い時代、大阪から福井までの国道8号線は車は少なかったが、道もまだまだ悪かった。今のようにナビも無い時代、住所が分かるがそれがどこにあるか分からない。近くで小学生に道を聞いた。日本語が分からない。方言そのままであった。まだまだマスメディアが発達していないこの時代、それが当たり前であり、日本のよきイメージもそのまま残っていた。異質のものがいっぱい残っていた。困っていたら誰かが助けてくれたし、田植えや稲刈りは近所、隣組の人が総出で助け合って農作業をした。それが当たり前であり、損得の問題ではなかった。そんな善意の人たちの行為を逆手にとって、金儲けをしたり、事業で成功した人もいるが、そんなことには全然与しない、立派どころか卑怯のそしりを免れない。欧米ではどうだろうか。支配者を殺害し、残忍で、厳しい方法でインカ帝国を支配していったスペインやポルトガル人は極端だとしても、自分を主張し、自分の意見や考え方を述べ、自分の立場を守り続けねばならなかった。その為に人と争うことは正当化された。明治の開化とともに、欧米の思想は尊重されたが、教養ある一部の人の間だけでの流布であった。それが最近、目を通して、耳を通してのマスメディアの攻撃により、いつのまにか欧米流にされていった。私は何も西洋の思想やシステムを否定するものでないが、日本固有のものも大事に慈しみたいと思う。そういう意味で、万葉集からいただいた「令和」はある意味日本人の魂を揺さぶるものになった。退職後、万葉集の英訳を趣味として活動している昔の同僚はこの令和の由来は当然知っていて、なぜか興奮していたのは印象的であった。彼は何も国粋主義者でもない。ただライフワークとしていたものが世間の脚光を浴び、嬉しさに堪えきれなくなった。同じようなことが国についても言えるかもしれない。国は国民が羅針盤を操作するのだが、現実には、国民の負託を受けた代理者がさまざまな決定をし、国の運命を決めている。明治維新、日露戦争、太平洋戦争、大きな節目には必ずそこに大きな影響を与えた人がいた。平和を愛する日本人と好戦的な日本人、私達の中には、相矛盾する二つの血が混じりあって流れているのだろうか。旧石器時代から今までの歴史の中で、迷い、戸惑い、間違いを犯したことがあったとしても、概ね私達の先祖は持ち前の英知で次の世代に受け継いできた。受け継がれたバトンはより洗練され、私達の願いをたくさん込めたバトンとして、次の世代に繋いでいかねばならない。幸い今の世界は1国での反乱は不可能だし、好き放題に言っていても、それが大きなエネルギーに変わることはない。私達の今の幸せは過去の人の努力の賜物であることを心に銘じたい。私が大学生の頃は大学紛争の真っ只中であった。しかし今になっても過去を引きずっている活動家はほとんどいない。ほろ苦い思い出になっているのだろう。時代が変わり、思想、信条が変化していく。100年の幼稚園の世界も今、大きな渦に飲み込まれようとしている。

仲良く交流する夢の世界

2019.04.01


 41年間歌い継がれてきた私達の幼稚園のオリジナルの「お別れの歌」、あの若かりし頃に子どもを思い、保護者の気持ちに寄り添い、子どもの活動や成長を願って、思いを込めて作った「お別れの歌」、同じ内容で、同じリズムで41年間、歌い継がれてきたことを考えると、思わず目に涙が浮かび、卒園式では無様な姿を見せてしまいました。しかし何かしら感動できることを持てて、幸せであると思う。保護者の皆様も人生で感動する思い出、場面、情景、達成感、喜び等、たくさんお持ちだと思います。例えばお子様の誕生、学校生活の始まりの入園式も感動の一シーンではないでしょうか。感動は何も大きなことばかりとは限りません。ほんの小さな些細なことであっても、そして他人がそれをほんの出来事と片付けることになっても、その人にとっては記憶に残る感動になることもあるでしょう。感動には基準が無く、大小もありません。私達は喜びの中から感動が生まれ、心が震え、生きている実感が伝わってきます。
新入園児の皆さん、ご入園おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます・。幼稚園では皆さんが来られることを今か今かとお待ちしていました。「ようこそ私達の仲間へ」の思いが募ります。今まで過ごしてきた環境とは異なる環境が始まります。保育の世界から教育の世界へ。そして人の根幹を形作る幼児教育の世界へ。未知の世界から可視化の世界へ。不安な世界から安全・安心の世界へ。あなただけではありません、誰もみんな心配で、不安なのです。しかし不安な人が集まって、友達になり、強力な人間関係が形成され、自信あふれる活動が生まれます。幼稚園が素敵な出会いの場所になり、幼稚園に行くことが当たり前のことになり、楽しくなっていきます。それは人によって早い、遅いの差があるものの、ほぼ同じような形となって収束していきます。その中で独自の個性が生まれ、ユニークな存在として活動することもありますが、優しさが生まれ、みんな友達の世界になっていきます。幼稚園では何も心配は要りません。冒険心富んだ遊具、優しい先生、花や緑の環境、さあ楽しい園生活の始まりです。
りんご、年少、年中組であった皆さん、ご進級本当におめでとうございます。入園以来過ごしてきた幼稚園で、皆さんは心身ともに大きな成長を遂げました。見違えるほど立派になりました。今まで大好きなお友達と大好きな遊びやさまざまな活動をしてきました。りんご、年少組であった皆さんは今年は大きくなっての活動です。まだまだ知らない魅力が幼稚園にいっぱいあります。保育室に、園庭に、まだまだ見つけていない宝物もたくさんあると思います。多くの知らない優しいたくさんの先生に会えるかもしれません。又新しく幼稚園に入園してきたお友達に、幼稚園のことをいっぱい教えてあげてください。頼りがいのあるおにいちゃん、お姉ちゃんに、皆さんならきっとなれます。そして年中組から年長組に進級した皆さん、いよいよ幼稚園で一番上の学年になりました。本当に年少、年中組さんから慕われ、敬われ、頼られる存在になりました。後輩をよろしくお願いします。皆さんは幼稚園のことをほぼ全て理解していると思います。又友達もたくさん作ったことでしょう。先生方は皆さんに年長としての大きな活動を期待しています。運動会での組立やリレー、リズム運動、作品展での個性的な作品つくり、そして一人セリフや合奏やきれいなハーモニーを奏でる合唱、は言うまでも無く、活動の一つ一つが注目の的です。先生方も大きな期待を寄せています。その上、小学校につなぐ教育活動もあります。文字の練習から始まって数の学習まで、小学校の先取り教育はしませんが、小学校に行っても誰にも負けない、誰とでも上手くやっていく知識も身につけなければなりません。充実した楽しい最後の幼稚園生活を味わっていただきたいと思います。今から20年後、皆さんは青年であり、若者です。世界のファッションリーダーであり、技術革新の担い手です。30年後、40年後はますます進む少子化の中、日本を支える頼もしい存在になっていることでしょう。日本の矜持を守りながら、世界の人々と仲良く交流する夢の世界、私が皆さんに託する大きなお願いです。

思いと贈る言葉

2019.03.01


 卒園・進級おめでとうございます。自分の意思とは関係ないとはいえ、この世に生を受け、健康に、順調に成長を遂げてきた皆さん、人生の長いスパンで考えると、まだまだ「ひよこ」の時代、しかしこのひよこの時代こそ、これからの長い人生の基礎・基本が形成される大切な時、その不可逆的でお金ではけっして買えない貴重な時をこの幼稚園で過ごした皆さんには、他の誰にも負けない人間としての生きる力、生き抜く力が備わっています。これからの21世紀の日本を支える皆さんの活躍は、取りも直さず、日本の輝きにも通じるものがあります。今まで培ってきた基礎の上に、人生の中でのさまざまな事象を経験して、応用力をつけ、心豊かな立派な人に育って欲しいと思います。ここでいう立派な人というのは、世間から脚光を浴び、有名になり、お金持ちになることを意味しているのではありません。それらのことは偶然この世で通じたとしても、別の世界ではなんらの価値を持たないかもしれません。例え金銭的にそれ程恵まれなくとも、社会の片隅で光り輝いている人がいます。その人が居れば輪が和み、協力しようとする機運が生まれる、安心感があり、生きる勇気が湧いてくる、ひたむきに一生懸命生きている、そんな素晴らしい人たちです。私の若い頃は、末は博士か大臣かという、はやり言葉がありました。蛍雪の功を成し遂げた人、私財を投げ打って人のために大きな働きをした人もたくさんおられますが、それ以上に名も無く、貧しく、しかし幸福に後悔しない人生を歩んだ人がいます。
1.個人情報の保持
前はそんなことは言わなかった。おおらかであった。みんなが隣人であり、お互い助け合った。冠婚葬祭全てにわたった。しかし、いつのまにか隣人のぬくもりが消え、知らない他人が増えていった。何事にも助け合い、悲しみ、喜び合ったことが億劫になった。一つには機器の発達・普及と共に助け合うことの必要性がなくなったこと、もう一つにはストレス社会の拡大が進み、他人を思いやる余裕やゆとりがなくなった。それと共に個人情報の秘匿が言われ、ますます息苦しさを覚える人も増加した。反面、ネット社会ではそんな秘密性を、匿名を利用して、次から次へと容赦なく、暴いていく。人が人を信用しなくなった社会、会話や話し合いの全てが音声と映像で記録される社会、何でも言える社会はどこへいったのだろうか?過去にスイングしているのだろうか?
2.個性尊重の社会
過去の有名な人の中には変人扱いされ、評価されなかった人も多い。しかし今から考えると、果たしてそんなに個性が強く、変わり者だったのか。今の社会は個性の尊重が強調され、少々のことには目をつぶって見逃されていく。個性尊重も必要だが、所詮人間は人間の中でしか生きていくことができない、換言すれば、何らかの形で他人との関わり無しでは生活できないのも事実になっている。個性尊重、弱者保護も優先事項だが、今までの慣例や習慣、考え方が全て否定され、変えられるのにも違和感を覚える人も多い。先日テレビのドラマでの中で、弱者に焦点を当てることはどんな立派な正義よりも効果があると言っていたが、まさに正鵠を得ているのかもしれない。
3.真面目・正直・素直
一番評価されるべき人はこのような素質を備えている人であろう。しかしそれを逆手にとって、自分の利益を図り、立場を守ろうとする人が多い。特に人の善意や無知に付け込んで、人をだます悪人が増えたのは嘆かわしい。それがセールスの極意であるというならば、セールスや話術の曲解であろう。日本人が古来から守り続けた真面目・正直・素直な気持ちは一時にそれを悪用する卑怯者が増えたとしても、究極的には人の信頼を勝ち取り、生きることを後悔せず、喜びに変わっていくものだろう。と同時に自分のためでなく、人のために何ができるかという利他の気持ちを持つことは結局自分の反映につながっていく。最後になりましたが、皆さんの前には前途洋洋たる海原、未来が広がっています。それを無事航海していくのか、途中で沈没してしまうのかは、全てこれからの皆さんの努力や強い意志、頑張りにかかっています。人を信じ、自分を信じて荒波を乗り切っていきましょう。皆さんならきっとできます。未来が皆さんを待っています。

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