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音楽・生活発表会が終わって3月

2018.03.01


 先日の音楽・生活発表会はどうでしたか。厳しいご意見の人もおられましたが、概ね好意的なご意見を賜りました。私は予行演習をほとんど、そして本番は32クラス全ての歌や合奏、劇を見ました。音楽発表会では元気に歌っているクラス、小さな声のクラス、ガミガミ声がまだ残っているクラス、自慢そうに歌っているクラス、自信のなさが現れているクラス、様々な姿がそこに反映されていました。生活発表会では私が言うのも何ですが、今年の衣装のきらびやかさが目を引きました。ライブ会場のように照明と音が本当に効果的なクラスもありました。「台詞を声を大にして話そう」を目標にしたクラスもありました。年長さんの最後に話す言葉に涙する保護者の方も沢山おられました。概して良い思い出を抱いて帰っていただいたようですが、私の胸をえぐるように響いた間接的に聞いた一つの言葉「理事長はこのことを知っているのか」というきつい声、私を心から信頼し、入園させたのに、という強い思いがあったのでしょう。保護者の皆様に寄り添う気持ちが少し途切れていたという反省と自己批判の連続です。先生はこんなことをしたい、こんなことに取り組みたいと自分の意欲と要望を主張します。それに対して貴女では正直まだ力不足、こちらの方がふさわしいとか言うアドバイスに少し欠けていたかもしれない。先生方の意見も聞いてあげたいし、出来るだけ意欲を阻害したくない。子どもたちの成就感も達成させてあげたい。これからも子供達の為に、子供中心の為に、成長発達のために何が一番よいかを判断基準にしようと決意を新たにした発表会であった。是非来年にも期待して欲しい。さて、4当5落(4時間の睡眠であれば合格、5時間では不合格)が当たり前だった昔の受験の世界、友には勉強していないと言いながら必死に問題集や参考書に取り組んだあの頃、3月は受験の真っ最中であった。目標は国立一期校、高校の先輩も沢山いて、それなりに自信があった。しかし数学が悪すぎた。嫌いな科目ではなかったが、第1問を見た途端に頭が真っ白になった。次の問題に進めなかった。焦りばかりで頭が働かなかった。100分の時間が瞬く間に過ぎた。大学から結果が送られてきた。合格ラインに20点不足していた。100点満点の数学は壊滅状態であった。4問のうち1問でも出来ていればと、他の科目の点がよかっただけに、何回思ったかもしれない。皆さんにもこんな経験がおありではないでしょうか。半世紀以上前の話、今でも記憶の片隅に鮮明に残っている。高校教師になってからも最初から解く必要はないと何度も忠告した。第1問は必ずしも一番易しい問題とは限らないからです。思うに合格だけが人生全ての成功の切符ではない。捲土重来を期す不合格者の方が後になって成功する場合も多い。合格者はそれなりの実力と運に感謝してほしい。残念ながら一敗地にまみれた人は運命のいたずらを呪うのでなく、自分の実力の不足を再認識し、再度チャレンジしてほしい。幼稚園っ子は10年もすれば厳しいハードルが待ち構えている。今は系列の学校、AO入試、論文や内申書だけの学校もずいぶん増えた。しかし果たしてそれが正解だろうか。安易に通過するのが良い結果を生むのだろうか。巣立ちの季節、弥生3月、卒園児は正々堂々と胸を張って前を向いて進んでいってほしい。そして何事にも努力してほしい。私たち日本人は欧米人のように自分に有利になるようにルールを変える力がない。だから実力で彼らを説き伏せる力をつけてほしい。21世紀は君たちのもの、そしてそれにふさわしい潜在能力は十分にある。卓越した彫刻家が木の中に埋もれている像を掘り出すように、君たちは君たちの中に潜んでいる力を取り出してほしい。しかし何事にも健康が一番、体には十分気をつけて、沢山の友を作り、人生を突き進んでいってもらいたい。在園児の皆さんは私たちと一緒に来年も楽しく元気で幼稚園生活を送りましょう。今年一年間、幼稚園に賜りました叱咤激励の数々、本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

幼子たちの英語教育

2018.02.01


太陽が近づき、昼がいっそう長くなってきたとはいえ、体感温度が一番厳しい2月、受験生にもその重圧がのしかかっている。今はAO入試や指定校推薦を通じて、早期に学生を確保しようとする大学側の思惑があって、昔ほど悲壮感がないものの、寝食を忘れて、受験勉強に取り組み、第一志望を目指してきた受験生にとっては一つの大きな山場、努力した全ての人に大きな春が来ることを祈るばかり。しかし努力が報われず、捲土重来を期す人も多い。片や40%の大学が定員割れ、片や厳しい大学入試、世の中の矛盾とはいえ、受験生や保護者の大学を見る目は年々厳しくなってきた。昔は一学年200万人以上の人口、今は100万人を切っている。その間に大学の数も、定員も増えた。いくら大学に行く人が増えたと言っても希望者と定員の乖離が大きい。幼児教育から大学教育までそれぞれの段階で二極化が進んでいる。保護者の我が子に対する将来の展望、仕事についての思いや、希望がより大きくなった。換言すれば、我が子が少しでも良い職業、安定する職業に就いてほしいという望みがよりいっそう大きくなったのかもしれない。私たちの幼稚園も保護者の期待に寄り添う保育活動をしなければとの思いが強い。そんな時に英語の早期教育は必要かという番組があった。生まれて間もないお子さんで、日本語もまだ満足にいかないときから、単語を言ったり、簡単な文章を話したり、英語の本を読んだりしている保護者がいた。英語と日本語の混ざり言葉で困っている人もいた。私の育った堺南部の美木多中学校はその当時1学年60人の小さな学校、英語の教員は英語以外に職業家庭も教えていた。好きな先生であった。しかし亀をトートイズと生徒に教え、私も高校までそれが正解だと考えていた。これは一つの例に過ぎなかった。高校の教員もおかしな発音をしていたこともあった。要するに昔の英語教育であった。それでは小さいときに英語圏にいれば、生涯英語が流ちょうかと言えば、そうではない。小さいときは英語に何不自由なくても、帰国して大人になれば、英語を忘れてしまうと言うか、スムースに話せない。反対に20歳前後で語学を習得すれば、それは死ぬまで何らかの形で残っていく。私の事例で申し訳ないが、20歳前後の4年間それなりにスペイン語を勉強し、3年間ほどアルゼンチンに駐在した。現地の人の前でスペイン語で商品説明したことも多々あった。30歳以降スペイン語とも縁が切れた。しかし40年たった今でも、スペインや中南米に行けば、日常会話は十分通じるし、仏語や伊語を見ても、その意味することは大まかには理解できる。美木多幼稚園は40年前から、諏訪森幼稚園は8年前から、そして鳳幼稚園は5年前から英語圏の外国人に来てもらっている。それは幼稚園っ子が沢山の英単語を知るためではない。世界には日本人と異なった肌の色、顔つき、目の色、髪の色を持った人がいること、又日本語以外の理解できない言葉があること、そしてその言葉にはイントネーションやリズムがあること等を少しでも知識として習得してもらいたい、又は頭の片隅にでも置いてもらいたいからです。言語は話せないより話せる方がよい、自明のことです。しかし外国の人と仲良くする、あるいは商行為をするだけではそんなに言語をうまく話せなくともよい。それよりもその人の持っている知識、教養の方がよほど大切だと思う。昨年末、機会があってヘルシンキ、ロンドン、パリに行った。ヘルシンキはそれ程寒くなかった。マリメッコのoutletで来年の音楽生活発表会用として生地を10点ばかり買ってきた。泊まったロンドンのホテルの近くにNobuという日本レストランがあった。日本人の寿司職人が何人も働いていたが、こだわりの食材を説明し、それが印象に残った。パリに行くユーロスター列車の始発駅St.Pancrasの駅員さんは大変親切でパリ行き往復切符購入後その場所から税関の所まで優先的に案内されて驚いた。逆に帰りのパリNord駅では1時間以上も多くの乗客に混じって立って待たされたが、何の説明もなく不満が募った。ドーバー海峡の下を走るユーロスターはロンドン・パリ間が2時間15分、本数も増え、パリ日帰りも容易になった。日本国内いたるところで中国人や韓国人を見るが、外国に行ってもそれは変わらない。中国や韓国のパワーを見せつけられる思いがする。
今月は大きな行事、音楽生活発表会があります。子どもたちも先生も頑張ります。応援よろしくお願いします。

Let's have a dream

2018.01.01


 新年あけましておめでとうございます。新しい年、2018年の幕開けです。
新しい年を語る前に、今となっては過去となった2017年はどんな年だったでしょうか。
小さいお子様をお持ちの皆様にとっては、きっと悩まされたことも多かったと思います。しかし裏を返せば、お子様を持つことの喜び、幸せ、を享受できたのではないでしょうか。皆様の世代は人生の一番良い時期であり、何事にも誰からも期待され、頼りにされるときです。人は何事にもネガティブでなく、ポジティブに受け取ろうとよく言われます。「できない」と言う前に「どうしたらできるか」を考えよう。駄目だと思う前に、まずやってみよう。成る程人は立ち止まり、考え、後ろに引き下がることもあるが、過去を引きずらず、前を向いて積極的に果敢に挑戦することの方が大事だと説く人が多い。この時期はある意味、怖いもの知らずだが、すぐに過ぎ去ってしまう大事な年代です。私のその時代は40年から50年前、一生涯同じ会社で働くことは常識であった。もっともその常識はその当時でさえ、海外に駐在すると、そうでないことが分かったが。もし何らかの原因で転職するならば、30歳までが限界であると言われた。そして30歳でその人がどの程度まで会社で出世するかもわかると言われた。しかし今や非連続性の時代、昔の常識は今の常識でなくなってきた。話は横道にそれたが、人はいつも夢見ていた。1970年の大阪万博でタイムカプセルが埋められた。1インチの手のひらサイズのテレビもその中にあった。未来の技術に対する挑戦であった。当時の画面はブラウン管で、奥行きがかなりあった。50年前に南米の片隅でイタリア系の社長は壁掛けテレビを夢見ていた。日本への電話も何時間も待たされる時代であった。それが衛星の中継によって大きな進歩を遂げた。リアルタイムであった。アポロが月面に着陸し、人類が月に小さな一歩を刻んだ。オリンピックを合言葉に、高速道路や1000日で作られた名阪自動車道、3時間に縮まった新幹線、華々しい技術の進歩が遂げられた。日本人は鼻高々であった。自分たちが一番、Made in Japan の勢いは止まらなかった。GNPもアメリカに次いで2番目、国連分担金も2番目、日本人は誇らしげであった。しかし世界は日本人が思うほど日本をそんなに高く評価したわけでなかった。欧米には先進国としての歴史があった。極端な話、オリンピックも貴族の集まりと言ってもいいかもしれない。他のスポーツも同じ。世界には日本人がびっくりするような事もまだまだ沢山あるし、謙虚に教えを乞うことも多い。しかし日本人は器用にそれらの事を自分の物として同化してきた。日本の国技と言わないまでも、人が熱中できるものに育てていった。そしてオリンピックでも、その他の国際競技でも、皮肉なことに普段は日の丸や政権与党に反対している人でさえ、その旗の下、日本人という共通認識で大きな声援を送っている。2017年まで夢であったものが2018年になってどんなことが叶えられるだろうか。目に見える形での急激な技術的進歩はないだろう。しかしながら基礎研究から始まった技術の進歩は徐々に花を開かせるだろう。最初にどの国で花が開くかわからない。ゴルフ場で知り合った自動車用電池のセパレーター(絶縁体)を製造している人が孫に英語ではなく中国語をマスターするように説得していると述べた。その中国がパイオニア的な役割を背負うのか、従前のように欧米諸国なのか。興味深い。技術的な夢は別として、夢には大小がない。人は夢が無くては熱意も意欲も生まれない。奴隷のような生活を続けている人は未来に絶望するし、今は苦しくても明るい展望のある人には希望がある。子育ては苦労や戸惑いの連続かもしれないが、子どもの未来を考えれば、今の苦悩は和らいでくる。人生は短い。人生は長い。どちらも正解だろう。それは何万年も前から続いてきた人間の普遍の営み、その中で、例え小さくとも、限りのある人生、いい夢を見て送ってみたい。新年早々こんな他愛もないことを考えている。
今年も皆様の上に幸福と健康の天使が舞い降りますように心より願っています。本年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。

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